1992年3月7日(土)、ウメ、ヒロ、マコちゃんは太宰府から博多に向かってR3を走っていた。信号待ちをしていると、先頭のウメの隣にネイキッドバイクに乗ったおじさんが割り込んできて「どこに行くの?」と話し掛けてきた。少し先の路肩で止まってそのおじさんに、今までの行程、そしてこれからの予定等を話すと、輸送機のパイロットだというその人は、これから走るコース付近の見所を詳しく教えてくれた。そして「阿蘇山のふもとにオレのやってるフライトクラブがあるんだよ。当分仕事でオレはそこに行けないが、仲間が誰かしら飛んでいると思う。名刺を渡すから、行ってみたら?」なんと、乗せてくれるかもしれないというのだ!行くっきゃないでしょ!しばし語り合った後、お礼を言っておじさんと別れた。
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3月11日(水)、天気は晴れ。風もそんなにない。3人は期待しながら教えてもらった場所に向かった。阿蘇山のふもと、外輪山に囲まれた、民家も少ない自然豊かな場所である。フライトクラブは仲間数人だけでやっているらしく、プレハブのような格納庫に未舗装の滑走路が見えてきた。いるいる!ライトプレーンが今まさに飛び立つところであった。ライトプレーンとは、ハンググライダーを大きくして操縦席とエンジン、プロペラを付けたような感じの簡単な飛行機である。とはいっても個人でやる趣味にしてはどえらくカネがかかりそうだ。クラブの人は3人来ていた。飛行機も3機である。さっそく挨拶して名刺を見せ、おじさんとの一件を話した。そしていともあっさりと、3機の内1機の複座タイプに乗せてくれることになったのである!(もちろんタダ!)
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最初はじゃんけんに勝ったウメである。シートは前後2列でキャノピーはなく、半ばむき出し状態で乗るのだ。操縦はどちらでもできるが、パイロットは後席に乗った。恐らく、前がよく見えるように気を遣ってくれたのだろう。ヘルメットをかぶってシートベルトを装着し、エンジンスタート!グォーンとエンジン音が高くなると、いよいよ滑走が始まった。あっという間に機体は浮き上がり、みるみる地面が遠ざかっていく。「飛んでる!飛んでるぞぉ〜!」下を見下ろすと、そこはまさに奈落の底!体全体で飛んでいることを実感できる。こればかりは旅客機とかの“筒”に納まっていたのでは絶対に感じることはできないであろう。
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