1997年8月11日(月)の朝、仙台発苫小牧行きフェリーのラウンジにある軽食喫茶のカウンターに、私とオユタは座っていた。朝食に注文したのは、パンとゆで卵、ウィンナー、サラダ、そしてコーヒーのセットである。 カウンターの向こう側でせっせと働く女性…、なかなか可愛いじゃないか。「お待たせいたしました。」と、そのウェイトレスが食事の載ったトレーを並べてくれた。声も素敵だ。何か話し掛けてみるか。わざとらしくない方がいい。「これから北海道なんですよ。」なんてどうだろう。いや、北海道行きのフェリーではいくらなんでもそれはおマヌケかもしれない。 とりあえずコーヒーにミルクと砂糖を入れよう。トレーに置かれた粉末ミルクのスティックの封を破り、コーヒーカップに流し込む。続いて砂糖…。むう?この袋の文字…。「SALT?ソルト、塩!?」気付いた時には全て流し込んだ後だった。そうか、ゆで卵用の塩であったか。砂糖の入った袋は皿の陰になっていて見えなかったのだ。 まあいい。コーヒーはおかわり自由だ。とっととこいつを飲み干して…、ゲゲェッ!! なんというまずさ!! 口を付けただけで気持ち悪くなってきた。とても飲み込むことなんてできないぜ!思わず顔が歪んだのか、彼女(ウェイトレス)が怪訝そうな顔でこちらを見ている。正直に言って取り替えてもらおうか?いやダメだ。そんなことをしたらこの女性に馬鹿にされ、笑い話の種にされ、私は一生このことを悔やみながらひっそりと生きていかなくてはならない。気付かれてはいけない。ここはあくまでも平静を装うのだ。 ゴク…。なんとかひとくち飲んだぞ。かき混ぜていないから、底にはきっと多くの塩が溶けずに溜まっているはずだ。それがせめてもの救いと思おう。待てよ?砂糖を入れれば飲み易くなるんじゃないのか?これはナイスアイディアかもしれない。まずスプーンに砂糖を盛り、コーヒーの上層部に浸けて小刻みに揺らした。これで底の塩はそのままで、砂糖のみが溶け込んだと思われる。むろんこの一連の動作は、彼女が見ていない隙に行なったのは言うまでもない。ゴク…。「!!!!」まずさが倍増しているっ!! 額に汗をかいてきた。めまいもする。もはやこれまでか? ふと右を向くと、オユタがじーっとこちらを見ている。どうやら最初から気付いており、そして20年以上の付き合いだけあって、私の気持ちも察してくれたみたいだ。彼の目は「がんばれ!」と言っていた。私は彼に向かってうなずき、再びコーヒーカップに口を付けた。刻一刻と底の塩も溶け出しているはずだ。もはや猶予はない。「ままよ…。」人間、追い詰められると意外に何でもできてしまうものである。飲み干したコーヒーカップを見つめながら、人間の持つ不思議なパワー、未知の可能性を見た気がした。案の定、カップの底には塩がドロッと溜まっていた。もしもかき混ぜていたらと思うとぞっとする。 彼女が笑顔で「コーヒーのおかわりはいかがですか?」と聞いてきた。私はもちろん「お願いします!」とカップを差し出した。ようやくまともなコーヒーにありつけ…って待てよ?ちょっと考えればわかりそうなものだが、勝利に酔いしれて、正常な判断ができなかったのに違いない。私はとんでもない失態を犯してしまった。彼女は底に溜まった塩の上に、並々とコーヒーを注いでくれたのである。どうやら神様は私をすんなりと北海道に上陸させてはくれないみたいだ。受けて立とうじゃないか! |
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