グレートツーリング '00 in 四国 |
メンバー(マシン) | ウメ(ZZ-R1100)、オユタ(CBR900RR)、カンちゃん(FZR250R)、ヒデ(CBR900RR)、ヒロ(GPZ900R) |
西暦2000年は、GTEC結成10周年で、20世紀最後の年でもある。そんな今回のゴールデンウィークを利用したツーリングには、久しぶりに男6人が参加する。とはいっても、マコちゃんだけは目的地が同じ四国というだけで、別行動である。彼はこの歳にして“ソロツーリング”というバイクスタイルを確立しつつあるのだ。一緒に走れないのは残念だが、30才を過ぎて、やれ峠だ最高速だのと騒いでいるのもいかがなものか。いや、そこがバイクの奥深いところでもある。各自楽しみ方が違うのだ。ちなみにマコちゃんとは、5月1日(月)に松山で宿を共にする予定である。 |
4月29日(土) | 天気:晴れ | ||||||
8時、長野自動車道みどり湖PAに集合。ヒデは前日に納車したばかりの2000年型ファイヤーブレードで登場だ。カンちゃんは今や唯一の中型車でしかも250cc。ちゃんと付いていけるであろうか?カンちゃんの奥さんのネーネと息子のぽ〜ちゃが見送る中、8時30分に出発した。隊列はウメ、オユタ、ヒデ、カンちゃん、ヒロの順番である。 長野自動車道から中央自動車道に入り、ひたすら西に向かう。岐阜県に入ると、中途半端に飛ばすBMWが見事に覆面パトカーに停められた。相変わらず岐阜県は取り締まりがきびしい。更にパトカー2台が追い抜いていった。とにかく追い越し車線を走り続けないこと。中途半端なスピード(120〜150km/hくらい)で走らないこと。これがパトカーに捕まらない為の鉄則である。 さすがに遅い車を追い越す時は、グッと加速する。ゼロヨン10秒そこそこのマシン4台に囲まれて、やはりカンちゃんは苦戦を強いられた。ギアを落として思い切りアクセルを開けなくては、とても付いていけない。その点他の4台ときたら、6速のままでも強烈な加速を見せ、ほとんどオートマ感覚である。 名神高速の多賀SAで昼食を摂り、京都東ICで高速を降りたのが13時30分。宿泊地の東山ユースホステルにバイクと荷物を置かせていただき、徒歩で清水寺に向かった。清水寺は、2年前の「グレートツーリング '98 in 四国」以来であり、GTECの連中で歩いて行くのはこれで3度目だ。平安神宮に行ったこともあったが、清水寺は東山ユースホステルから実に手頃な距離にあり、道中色々と寄り道できるので、GTECの中では人気が高いのだ。 出発時、長野県は寒いくらいであったが、京都はTシャツ1枚でもOKな陽気である。茶屋でビールを飲み、清水坂経由で清水寺に到着。さすがにゴールデンウィークだけあって、すごい人だ。何かのイベントがあったのか、舞妓さんがたくさんいた。清水寺周辺に限ったことなのかは分からないが、だいぶ町並みが今風に整備され、以前よりも若者を多く見かけるようになった。観光客獲得の為とはいえ、昔ながらの町並みが消えていくのは寂しいものである。 | |||||||
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4月30日(日) | 天気:晴れのち雨 | ||||||
今日の天気は西からくずれてくるらしい。目的地の倉敷は、午後早くから雨の予報である。雨の中のツーリングほど嫌なものはない。回避する為には、雨の降り出す前に倉敷に着いていなくてはいけない。本日宿泊予定の倉敷ユースホステルに連絡したところ、チェックイン前に到着しても、バイクと荷物は預かってくれるそうである。なんとかなりそうだ。 京都南ICから名神高速に入り、中国自動車道経由で山陽自動車道倉敷ICに到着。まだ午前中である。太陽も出ている。倉敷ユースホステルにバイクと荷物を預け、徒歩で美観地区に向かった。5年前の「グレートツーリング '95 in 中国」では雨の中、少しだけバイクで立ち寄った為に、落ち着いて見ることができなかった。しかし今回は、時間はたっぷりあるし、雨が降ってきたってかまわない。カッパを着て、雨の中を辛い思いをして走る必要はないのだ。 倉敷の観光名所といえば、美しい蔵の立ち並ぶ美観地区だ。倉敷ユースホステルから徒歩で10分程度の距離である。まず、倉敷アイビースクェアをちょこっと見学してから、倉敷川沿いの石畳を歩いた。昼食は、純和風の外観を持つ、こじんまりとしたレストランで、地元の牛肉を使ったステーキと、「独歩(どっぽ)」なる地ビールを楽しんだ。(しかし地ビールは高い!) 昼食後に店を出ると、ついに雨が降り出した。これで、5人のもくろみは成功したといっていいだろう。 傘をさして倉敷駅前で記念撮影をし、鶴形山公園へ。阿智の藤はまだ咲いていなかった。暇だったから寄ってみた小動物公園は、孔雀1羽と、にわとりやチャボ数羽が檻の中で飼われているのみという、なんとも豪華絢爛(?)なものであった。GTECの5人以外に人影はない。ここの雄鶏が、ものすごい形相で彼らをにらみつけ、威嚇してくるものだから、ウメは傘を閉じて先端を雄鶏に向け、突然“バホッ!”と開いてみせた。効果覿面、雄鶏は狂ったように奇声を発しながら奥に逃げていった。それを見ていたオユタとヒロも、調子にのって“バホッバホッ!”っと傘を開いたり閉じたりを繰り返したものだから、ひっそりとしていた小動物公園は大騒ぎになってしまった。(やり過ぎて、オユタの傘の骨が1本折れた。) これじゃ管理人がとんできそうだ。5人はさっさと鶴形山公園を後にした。地元紙に「鶴形山小動物公園のにわとり、卵を生まなくなる!」なんて載ったらどうしよう、と心配した者がいたかどうかは分からないが、にわとり諸君、ごめんなさい。 まだ時間が余っていたので、ガイドブックに載っていたコーヒーショップで暇を潰し、夕方、ユースホステルにチェックインした。 | |||||||
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5月1日(月) | 天気:晴れ | ||||||
昨日の雨も夜中には上がり、朝からいいお天気となった。雨で塗れたバイクを拭いて、8時30分に出発。倉敷ICから山陽道に乗った。最初の目的地は尾道だ。福山西ICで降り、尾道市役所を目指す。 5年前に立ち寄った時は、倉敷と同じく雨で、カッパを着たままうろついたものだ。むなしかった。しかも、狭い道にごちゃごちゃ家が立ち並ぶものだから、バイクを置くのにも苦労した。そんな経験から、今回は尾道市役所に駐輪させてもらおうというのである。 海岸に面している市役所はけっこう規模が大きく、駐輪場には難なく置くことができたが、オユタは「市民でもないのにここに置くのは、何か気が引ける。」と言って、わざわざ歩道にファイヤーブレードを置き直した。市を潤す観光客が、市役所にバイクを駐輪するのが悪いのかどうかは、各々の判断にまかすとしよう。しかしこのオユタの行動は、後ほど悲劇となって自分自身を襲うのである。 タイル小路やレンガ坂、散在するお寺といった、テレビでもよく知られる地域は、市役所から歩いても、さして遠くはなかった。他に観光客は少なく、暑いくらいの日差しの中、尾道を満喫できた。もっと時間があれば、各自気に入った所で、ぼ〜っとしてみるのもいいかもしれない。尾道とはそんな所である。 バイクに戻ってきたのがほとんど12時で、どこかうまい店はないかとガイドブックを広げた。多数決で決まった人気のラーメン屋は、やはり人気があるだけあって長蛇の列。先のことを考えて、とりあえず出発することにした。 ウメとヒロはここで給油である。航続距離の違いにより、なかなか全員が同時に給油とはいかないのだ。ウメはすぐそばにバイクを停めていたヒデに「ちょっと給油してくるから。」と言ってヒロと走り出し、市役所から見える位置にあるスタンドに向かった。これから往路で高速を降りてからの道を途中まで戻って、しまなみ海道に入るのだが、道中スタンドはなかったので、少しコースを外れた所にあるこのスタンドに向かったわけだ。ところがオユタは、他の4人の死角にバイクを置いていたので、出発する2人を見て、「置いていかれる!」とあせってしまい、急いで準備をして後を追ったのである。 スタンドに入って給油中のウメとヒロの目の前を、猛スピードでオユタが駆け抜けていった。2人がスタンドに入っていったのに気が付かなかったのだ。そのままオユタの姿は遥か遠くになり、やがて見えなくなった。「(ウメ)おいおい、あっちは広島方面だぞ。」 給油後、2人はカンちゃん、ヒデと合流し、事の真相を察したウメは迷走(?)方面を探して回ったが、結局オユタを見つけることはできなかった。ツーリングだというのに地図を持っていない(!)オユタにとっては自殺行為といっていい。おまけにGTECの中で唯一携帯電話を持っておらず、アドレス帳を忘れた彼は、他の4人の携帯電話に連絡することもできなかった。まあしかし、これもいい経験になるだろう。4人はしまなみ海道に向けて出発した。 ウメに発見されなかったのは当然のことであった。おかしいと感じた時点で路肩に停止していればいいものを、オユタは「もう他の連中はとっくに先に行ってしまった。」と思い込み、尾道駅の駐輪スペースにバイクを置き、書店に入ってしまったのである。ウメは尾道駅のロータリーを1周したが、そこまでされては見つかるはずもなかった。オユタは書店で四国のガイドブックを買い、しまなみ海道へのルートを確認後、出発した。 他の4人は順調にしまなみ海道に入っていた。そしてふたつ目の島である因島(いんのしま)の休憩所でランチタイムとした。「しまなみ定食」や「しまなみうどん」など、“しまなみ”シリーズはどれも海の幸が豊富に使われていて、とてもおいしかった。食事をして展望台に向かおうとしたら、見慣れたマシンがやって来た。オユタである。この時間、しまなみ海道に入ってから昼食にしようと思ったら、ここに寄るのが自然である。偶然とはいえないが、はぐれたのを気に、「今日は1人で松山の宿まで行くぞ!」と決意していたオユタにとっては、それがいきなり腰砕けになってしまい、少し残念そうな素振りを見せた。これで一応オユタ迷子事件は解決を見た。 因島の次は、本州から4つ目の島である大三島(おおみしま)で大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)に寄った。お目当ては国宝館である。ここには主に鎌倉時代の国宝、重要文化財である刀や鎧が多数展示されているのだ。(GTECのメンバーは、この手の物が好きな者が多い。) 特に2m以上はあろう巨大な大太刀の、実際に戦に使われたといわれる刃こぼれを見ると、歴史のロマンを感じさせられずにはいられない。ちなみに併設の海事博物館は、とりたててどうということはなかった。 6つ目の島である大島では、亀老山(きろうさん)展望公園に向かった。ガイドブックに載っていた写真がとてもきれいだったからである。展望台に続く道は、けっこうなワインディング。ウメ、オユタは気合を入れて攻めた。特にオユタはヒデのニューファイヤーブレードには負けられない。それはヒデとて同じ。旧型に負けるわけにはいかなかった。しかし、いくつかのコーナーをクリアしたところで、ヒデのマシンはミラーから見えなくなっていた。そのまま先頭の2台は展望台に到着。ヒデ達3台が来るまで、しばらく時間がかかった。実は、ヒデはヘアピンカーブでオーバーランし、ちょうどやってきた対向車と、あやうく正面衝突するところだったのだ。「(ヒデ)オレにはまだこのマシンは扱えねえ…。」 慣れないうちは、無理は禁物である。 展望台からの眺めは絶景であった。360°の大パノラマだ。特に四国側に続くいくつかの橋は、まるで絵葉書のようである。 長く見ていたかったが、時間が押していたので出発しようとしていたら、「ウ〜〜〜!!」と広報のサイレンが響いた。火事である。見ると、ふもとの民家が激しく燃えていた。「消防団第xx分団、出動!」のアナウンスに、展望台の売店にいた若者が走る。遠くから消防車が走ってくるのが見えるが、よく考えてみたら、火災現場はもろこれから向かう方向にあるのだ。道路が野次馬でごったかえし、警察によって封鎖される様を想像した5人は、鎮火まで見届けたい気持ち(野次馬魂)を押さえ、出発した。確かに現場のすぐ近くは通過したが、障害はなかった。 四国に上陸後、R196を南下して松山市に到着したのが18時過ぎ。本日の宿である松山ユースホステルでマコちゃんと合流した。彼は、ほぼ逆コースで走ってきており、明日はしまなみ海道なのだ。 夕食は、路面電車で市街に繰り出し、居酒屋でとことん飲んだ。 | |||||||
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5月2日(火) | 天気:晴れ | ||||||
早朝、マコちゃんとヒデは、道後温泉本館に行った。神の湯につかり、広間で茶と茶菓子をいただく。なかなかゆっくりと出来た。昼間は人でごったがえしてこうはいくまい。 マコちゃんがしまなみ海道に向けて出発するのを見送った後、ヒデも1人で出発した。ヒデはまだ行ったことのない足摺岬を制覇するべく、5月4日の小豆島まで別行動なのだ。他の4人は「グレートツーリング '93 in 四国」で足摺岬には行っているので、室戸岬を目指した。 | |||||||
四国カルストから高知に向かうには、R33に復帰しなくてはならない。まずR439に出て、そのまま北上してR33に合流するのが一般的であろう。しかしそれでは芸がない。地図で見ると、えらく遠回りでもある。そこで、R439の途中から大峠を越え、桐見ダムを経てR33に出る、県道18号線を通ることにした。実はこれ、2年前にウメ、オユタ、ヒデが逆から走って懲りた道である。クルマとバイクの擦れ違いさえ困難な、ひたすら細く、クネクネした峠道。道の中央には、うっすらと苔が生えていたりする。それでも4人は、刺激を求めて挑戦していった。 県道18号線は、やはり過酷であった。雨が降っていたら、間違いなく迂回していたであろう。峠の頂上付近で疲れ果て、路肩にバイクを置いて休憩した。こんな険しい山の中、民家が何軒かかたまっている。そこはまさに、2年前にやはり疲れて休憩した場所であった。急斜面には茶畑が広がっており、なかなか絵になる風景を醸し出している。桐見ダム付近まで行くと、道はけっこう広くなってきて、ハードに攻めることができた。そしてようやくR33に出た。地図上ではショートカットした形であるが、実際は逆に時間が掛かったと思われる。 日高村の辺りでドライブインに寄って昼食にした。既に14時を過ぎている。ここまでのコースが過酷過ぎたか、全員疲労困憊であった。高知市で泊まってもいいくらいだ。しかし今日の宿泊予定地は室戸岬である。先は長い!なのに道は渋滞している。 渋滞は高知市街までであった。路面電車をバックに写真を撮り、先を急ぐ。ところが予想に反し、R55は交通量が少なく、おまけに適度に追い越し車線があるおかげで、高知市から室戸岬までは、2時間かからなかった。結局、18時前に最御崎岬寺(ほつみさきじ)ユースホステルにチェックインでき、ゆっくりと休養を取ることができた。 | |||||||
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さて、きらら館で関東方面から来ていたCBR夫妻に会った。900と600が並んで置いてあったので、旦那が900と思いきや、奥さんの方が900とのことである。ヒデが駐車場にニューファイヤーブレードを停めるや否や、2人で駆け寄ってきて、「929ですか!?」と話し掛けられた。ヒデは初めピンとこなかったが、すぐに排気量のことと分かった。それから始まり、お決まりのスタイル、前照灯、計器類、タイヤ銘柄及びサイズ、サスの設定、エンジンマウント等と、どんどん話がマニアックになっていった。ヒデはしばしCBR党の夫婦との語らいを楽しんでから出発した。 その先は信号もなかったので、途中の三崎町まではハイペースで走れた。5月の青い空と瑠璃色の海、山の稜線を走りながら、ヒデは感動していた。さすがに佐田岬付近の道は狭く、少し怖かったが、海と空気がきれいで、緑の中に蜜柑の橙色、なかなかグッドである。 今日は、宿毛のビジネスホテルマツヤに泊まる予定である。その宿毛で、ぜひ寄っておきたい場所があった。宿毛湾にある咸陽島(かんようとう)公園の夕日だ。これを見るために咸陽島公園を探した。が、ここで悲劇は起きた。あまり詳しい地図を持っておらず、さまよっていると、貸し別荘地に紛れ込んでしまった。これはまずいと思い、道幅1.5m程度で両脇は草むらという所で、強引にUターン。まあ草むらだからいいやと思いそのまま突っ込んだら、段差になっていて、前輪が嵌り込みストップ。車体が倒れ込み始めたので足で踏ん張ると、地面が遠い。そう、足場が下にも傾斜していたのだ。一度は踏ん張り、倒れ込みは途中で留まったものの、その後どうしようもない。腕の力が限界に達しそうになったので、作戦変更。下は草むらだから損害は少ないと判断し、ゆっくりと車体を倒し、横倒させた。窪みと傾斜のお陰で起こすのに奮闘していると、見知らぬおじさんが通りかかり、手伝ってくれた。「おじさん、ありがとう! 」その後見た咸陽島の夕日は、そんなことは忘れさせるくらいとても感動的、いや、やはり感傷的だった。 そしてくたくたになって宿に着いた。今日はかなりきつかった。そういえば、昼食を摂っていなかった。 | |||||||
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5月3日(水) | 天気:晴れ | ||||||
今日の目的地は徳島市である。R55を北上する。途中、路肩のみかんの売店で、ぶんたん等を購入した。各自ダンボール1箱を自宅に発送したが、おまけにと大きなビニール袋一杯に、様々な種類のみかんを入れて1人1人に持たせてくれた。ありがたく頂いたが、ただでさえバイクには荷物がたくさん積めないので、もうぎゅうぎゅう詰めである。この先、荷物を少しでも減らす為に、休憩の度にみかんをむさぼり食うことになる。 阿南市で「とん太郎」を発見!7年前、愛媛県の「とん太郎」ではひどい目に遭った。「味で勝負!特大チャーシュー!」につられて入ったのはいいが、ラーメンの上にはボンレスハムが載っており、ラーメン自体もうまくはなかった。どうやら「とん太郎」は、このエリアでチェーン店として散在するようだ。よし、土産話に再チャレンジだ!しかし予想に反し、店内は活気に満ちており、ちゃんとしたチャーシューが載ったラーメンは、味もなかなかよかった。 徳島市には14時頃に到着し、徳島駅ビル地下で、お土産に銘菓を買った。まだ時間も早いので、どこを見ようかと相談していると、オユタがガイドブックに載っていた「アスティとくしま」が見たいと言う。そのガイドブックの地図が実にアバウトでわかりにくかったが、とりあえずそこを目指して出発した。 さて、目的地付近に到着したハズだが、標識も見えない。適当に進んでいくと、道は徐々に細くなり、クルマ同士のすれ違いも困難なレベルになってきた。明らかに間違っている。先頭のウメは、道端の工場の駐車場を利用してUターンした。そして来た道に復帰しようとした時に悲劇は起きた。駐車場と道路の間はちょっとした段差になっており、しかも見通しが悪かった。ウメはソロソロと左右を見ながら出て行ったのだが、もっとアクセルを開ければいいものを、ZZ-R1100の太いトルクに頼りすぎた。さすがのZZ-Rも段差を越えられずにエンストし、傾き始めた車体は、もはや足で支えられるものではなかった。「グレートツーリング '96 in 九州」の時と同じ、向かって左側に立ちゴケした。カウルが傷ついたのは言うまでもないが、痛かったのは、ブレーキレバーが曲がってしまったことだ。指がなんとか届くというレベルで、ブレーキ機能自体には影響がなかったので、この場はさっさと立ち去ることにした。誰かに見られたら恥ずかしいから。とはいったものの、すっかり肩を落としたウメに同情して、オユタは「もういいから宿に行こう。」と言った。 徳島ユースホステルは、徳島駅から海沿いに10km位南下した大神子海岸という、テニス場、海水浴場、キャンプ場、公園に囲まれた所にあった。チェックインを済ませると、ウメは曲がったブレーキレバーをなんとか実用上支障のないレベルにまで曲げ戻した。カウルの傷が痛々しい。 夕食後に部屋に戻ると、同室の若者が「すいません、クモって苦手ですか?」と言ってきた。ベッドの下にクモがいて、怖いので何とかしてもらいたいというのだ。まったく今時の若者は情けない。とGTECの面々はベッドの下を覗き込んだ。「ゲゲッ!!」そこにいたのは手のひらの大きさもありそうな巨大な蜘蛛であった!確かにこんなのが部屋の中にいたのでは、安心して眠れない。かくしてGTEC4人VS蜘蛛の攻防戦が始まったのである。でかい図体のくせに、クモは物凄いスピードで走り回り、なかなか捕らえることはできなかった。ようやく廊下に出たところを取り押さえ、記念撮影した後に屋外にリリースした。見た目が気持ち悪いからといって殺したりはしない。クモは益虫なのだ。(虫か?) 夜中、公園の駐車場は、ドリフト族がタイヤを鳴らしていてうるさかった。 | |||||||
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そこから、またR321を北上し、四万十川へ。お次は沈下橋。沈下橋といっても、実は四万十川本流と支流でたくさんある。目指すは佐田沈下橋だ。メイン道路から外れY字路へ。どういうわけか、両方向に「沈下橋4.0km」と小さな看板が出ていた。迷わず右側の広い道を選んだが、それからは看板がなく、4kmどころか、10km程走ってもそれらしき橋が見えてこない。ふと気が付くと、なんと元のY字路に戻っていた。「???」 今度は左側の細い道を行くと、道はこれでもかというくらい細い。しかも右から交わる道もなく、本当にあの看板大丈夫か?不安になってきたころ、沈下橋はあった。写真では何とも風情があるように見えたが、橋はコンクリート製でアスファルトが敷いてあり、意外と頑丈そうだった。橋の先には民家が1軒。どうやら市道のようだった。しかし、水面から2.5m程あった橋だが、これが冠水するとは、恐るべし四万十川といったところだった。 四万十川を後にした時点で13時を過ぎていた。高知市桂浜目指してR56を東へ向かう。14時を過ぎた時点で空腹に耐えられなくなってきたが、店らしき物が何もない。ようやく発見した国道沿いの「佐賀温泉」で焼肉定食を食べた。注文を終え、水を飲み干し、一息付いたところで店内を見回すと、「鯨あります」との張り紙。聞いてみると、刺身で食べられるとのこと。さすがは高知県。給食でよく鯨を食べた世代としては懐かしくて、ヒデはつい注文してしまった。さすがに冷凍だったが、懐かしい味だった。焼肉定食850円、鯨の刺身1,200円、ちょっと高価な昼食だった。 腹が落ち着いたところで先を急ぐ。道はそれまで快調だったが、高知市に近付くにつれて混み始め、このツーリング始まって以来の大渋滞。しかもこの渋滞、桂浜へ向かっていたので、本日の桂浜を諦め、予定を変更して高知城へ。城門脇で売っていた高知名物「アイスクリン」をほうばりながら、記念撮影。今日も1日良い天気だったので喉がカラカラ。ヒデはもっとアイスクリンを食べたかったが、今晩のビールにとっておいた。 本日の宿、サンルート高知に17時チェックイン。いざ盛り場へ。2年前にウメ、オユタと来たのとは別の店へと思い、はりまや橋脇のアーケド街をぶらついていたら、2階にある結構よさそうな居酒屋を発見。その店はガイドブックにも載っているらしく、まだ18時前だというのに結構人が入っていた。まだボックス席に空席はあったが、1人だった為、カウンターが空くまで待ってくれとのこと。カウンターは既に一杯である。何時になるか分からなかったので諦め、アーケド街を行ったり来たりしているうちに、どの店も一杯になってきた。すると、さっきの店のすぐ先の交差点を曲がった所に、カウンター席のみで8人も入れば一杯という小さな赤提灯「赤のれん」という店が目に入った。入ってみると、すし屋のようにショーケースがあり、中には美味しそうな魚が一杯入っていた。何より、オヤジさんをはじめ、店の雰囲気がよく、一発でヒデは気に入った。早速かつおのタタキをはじめ、鯵の南蛮漬け、刺身等を肴に生ビールを一気に飲み干した。「く〜〜〜〜〜ぅ!」 今回のツーリングはこの一杯のためにあったも同然!! | |||||||
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5月4日(木) | 天気:晴れ | ||||||
いいかげんバイクをフェリー乗り場に移動させると思われる時間になっても、誘導する気配がない。係のおじさんに聞いてみると、「時間がきたら誘導するから待機していて。」と言われた。バイクのそばで待つことしばし。おかしい、既にクルマは移動を始めている。不安になって先ほどのおじさんにもう1度聞いてみた。すると、「何やってんの!?早く移動しないと置いてかれちゃうよ!」ときた。 青空の下、フェリーは快適に瀬戸内海を航行していた。所要時間は僅か1時間なので、みるみる小豆島が近付いてきた。点在する小島が美しい。まるで遊覧船にでも乗っているかのようであった。 上陸後、土庄町に移動して、二十四の瞳を記念した「平和の群像」で写真を撮り、甚助茶屋(じんすけじゃや)という店で昼食にした。ここの名物は、巻き寿司の舎利の代わりに味付けされたそうめんが入った「そうめん巻き寿司」である。とてもおいしかった。さすがにガイドブックに載っていることだけあって、満員御礼。4人が食事にありつけるまで、だいぶ待たされた。しかし待つ価値はある。 次は、やはり土庄町にある世界一狭い海峡、ギネスブック認定の土渕海峡を見た。海峡というよりは、ただの川である。さすがは世界一狭い海峡!土渕海峡恐るべし!ここはあまり観光客が立ち寄らないらしく、ひっそりとしていた。と、怪しげな男が1人でこちらを見ているではないか!? ヒデである。 | |||||||
それから、他の4人と合流する為、一路小豆島へ。高知ICから高松ICまで一気に走り、高松港から12時15分発小豆島(草壁港)行きのフェリーに乗った。どこで合流するかは特に決めていなかった。誰しも今日の宿(たちばな荘)で落ち合えればいいと思っていたからだ。ヒロの携帯に電話したら、1時間前の池田行きに乗ったらしい。 草壁港から世界一狭いというギネスブック公認の土渕海峡に行ったら、怪しげな4人組を発見! | |||||||
土渕海峡の脇には町役場があり、100円で「世界一狭い海峡横断証明書」を発行してくれる。これはポストカードにもなっており、5人は役場の隣にある郵便局で、切手を貼ってポストに入れた。あて先はそれぞれの自宅である。実際に届くのは、5人が家に帰り着いた後であろう。 3日ぶりに揃った5台は、寒霞渓(かんかけい)を目指して出発した。小豆島はどこぞの佐渡島と違って道がよく整備されていて、寒霞渓に通じる小豆島スカイラインも快適なワインディングであった。ほとんどの区間が追い越し可能で、かなりのハイペースで攻めることができた。しかし意外にも感想は、「怖い」「楽しい」の2派に分かれた。 展望台では瓦投げを楽しんだ。これは8枚で200円の、見るからに煎餅みたいな焼き物を、谷の出っ張りにある直径1mほどの鉄の輪目掛けて投げるのである。みごとくぐれば幸せになれるという寸法だ。これが難しい。全員チャレンジしたが(オユタは16枚)、誰も成功しなかった。展望台から寒霞渓はいまひとつよく見えなかった。どうやらロープウェイからの眺めが絶景のようだ。 時間もよろしいようで。5人は宿に向かった。 | |||||||
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5月5日(金) | 天気:晴れ | ||||||
8時30分出発。まずは二十四の瞳映画村に行った。ここは田中祐子主演の映画「二十四の瞳」のロケ用のオープンセットを見学できる。まるで昭和初期の時代にタイムスリップしたみたいで、懐かしさがこみ上げてくる。(ってGTECのメンバーは一体何才なんだ?) 次はオリーブ園に行き、オリーブ関係のお土産を買ったり、オリーブの木々をまじまじと眺めた。 そして寒霞渓をまた攻めて、島の北側にある大部に出た。そこから海沿いを西に少し走り、大阪城残石記念公園に寄った。ここは400年前、大阪城の石垣の巨石を切り出した場所のひとつである。よくもまあこんな大きな石を切り出し、しかも大阪まで運んだものだ、と一同感心した。 福田港から13時15分発姫路行きのフェリーに乗船。さらば小豆島。姫路への航路から見える景色は、高松から小豆島の時とはだいぶ違った。点在する島はほとんど人の手が入り、土砂を採掘した為か、無惨にもえぐれて地肌むき出しの島もあって、さっきまで自然豊かな小豆島にいたことが嘘のようであった。1時間40分後、フェリーは姫路港に着岸した。 姫路といったらはずせないのが姫路城だが、「グレートツーリング '95 in 中国」でじっくりと見たのでパスし、山陽姫路東ICから山陽自動車道に入った。しばらく進むと渋滞が始まった。サービスエリアでガソリンを入れようとすると、スタンドまで長蛇の列。一般道で入れておけばよかった。吹田ジャンクションまでは、ひたすらクルマとクルマの間のすり抜けだった。17時30分、ようやく京都南ICに到着。まごまごしていると、東山ユースホステルのバイク置き場が埋まってしまうと思い、交通量の多い京都市街の道を、車線変更しまくりながら飛ばした。そのおかげか、なんとかギリギリ5台とも駐輪することができた。 | |||||||
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5月6日(土) | 天気:晴れ | ||||||
いよいよ最終日。8時過ぎに出発。京都東ICから、あとはひたすら高速を走って帰るのみ。例年になく渋滞が多かったが、昼過ぎには松本エリアに到着し、「解散」となった。 今回のツーリングは、なんと7泊8日の間、1度もカッパを着ずに済んでしまった。これだけ長いツーリングで、ほとんどがいい天気に恵まれたというのは、メンバーの日頃の行いがよかったせいだろうか? |
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