4月28日(土) |
天気:雨のち曇り |
今日は6時に長野自動車道みどり湖PAに集合し、9時30分までに名古屋港へ着くつもりだ(フェリーの出港時間は11時)。松本から名古屋エリアまでの、前日夜の時点における天気予報は、曇りで夕方から雨が降るかもしれないというものだった。よって、乗船するまでは問題ないと高をくくっていた。
朝、各メンバーが自宅で起床して窓の外を見ると…、いきなり雨が降っている〜っ!! 意気消沈した5人はカッパを着て、予定通り6時にみどり湖PAに集合。こんな天気でも、マコちゃんがわざわざバイクで見送りに来てくれた。
みどり湖PA
6時10分出発。隊列はウメ、ヒデ、カンちゃん、オユタ、ヒロの順。早朝だけあって気温は低かったが、これはカッパを着ているおかげで気にはならなかった。
休憩の為に中央自動車道阿智PAに立ち寄る。しかし、休憩施設は工事中らしく、閉鎖されていたのでトイレだけ済ませて出発。寄る予定になかった恵那峡SAで休憩することにした。
恵那山トンネルを抜けると雨が上がり、進行方向には青空が覗いていた。恵那峡SAで休憩。朝食がまだのメンバーはここで食べた。もう雨は降らないかもしれないが、安全の為、次の休憩ポイントまではカッパを脱がないことにした。
土岐ジャンクションから東海環状自動車道に入る。中央自動車道よりも整備された走り易い高速道路で、直線区間が多い。道はすいており、思わずアクセルを開けたくなるが、何か罠がありそうで怖い。
鞍ヶ池PAで最後の休憩。沖縄まではフェリーで2泊という長旅になるので、ここのPAにあるコンビニで食料(今日の昼食や酒のつまみ…)等を購入しておくのだ。(事前の調査によると、高速を降りてから名古屋港のフェリー埠頭周辺まではコンビニがなさそうだった。)
太陽が出て気温は上昇し、カッパを着ていると暑い。この先、雨の降る気配はない。各自雨具の装備を外した。雨のおかげでこのような余計な時間が掛かり、鞍ヶ池PAを出発したのは9時30分になってしまった。この時点で、もはや9時30分に着く計画は崩れ去った。フェリーはJTBで予約し、料金も支払ってチケット化してあるとはいうものの、乗船手続きは出航の1時間前までに終えるようにと言われている。まあ、残りは50kmもないので、あせらずとも間に合いはするだろう。
さて、今回のツーリングでは新兵器を装備したマシンが2台ある。
・GSX1300R 隼 (ウメ) : ETC&ポータブル・カーナビゲーション
・CBR900RR ファイヤーブレード (ヒデ) : ETC
ETCはバイクにこそ待ち望まれた装備だ。特に雨の日の恩恵ったら計り知れないものがある。カーナビはフラッシュメモリ(2GB)タイプの新製品で、ジャケットのポケットに入る位コンパクトで軽い。イヤホーンを通して音声ガイダンスがよく聞こえるので、画面を注視することなく走ることができる。ただし、残念ながら防水カバー付きのバイク用マウントは夏頃発売予定ということで、今回はクルマ用マウントを加工して装着した。その為、今日のような雨天時は使用できない。
ウメの隼(メーター類はちゃんと見えます)
ヒデのファイヤーブレード
伊勢湾岸自動車道の名港中央ICで高速を降り、10時ちょうどにフェリーターミナル到着。急いで乗船手続きを済ませた。予想に反し、受付はガラガラ…。乗船待ちのクルマやバイクも少なかった。
飛龍
10時30分頃の乗船開始を予想していたものの、なかなかアナウンスがない。10時55分になってようやくバイクの乗船が始まった。
予定より20分遅れの11時20分、有村産業の「飛龍」は名古屋港を出航した。最初に目指すのは大阪南港。那覇新港入港予定は、あさっての朝7時30分。長〜い船旅の始まりだ。
昼食はコンビニで購入した弁当で済ませ、残業で2時間位しか寝ていないオユタはベッドで爆睡し、他のメンバーも読書をしたりして時間を潰した。
22時過ぎに大阪南港入港。クルマやバイクが数台降りて行った。名古屋大阪間のみでこのフェリーを利用する人もいるようだ。
沖縄に向けて大阪南港を出航するのは翌日0時50分の予定。ビールで程よく酔っ払っていたメンバーは眠くなり、出航を待たずしてベッドに入った。
本日の走行距離:長野自動車道豊科ICから263km/長野自動車道塩尻北ICから247km
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宿データ |
宿名 |
有村産業「飛龍」 |
場所 |
名古屋→那覇の太平洋上 |
感想 |
2003年のツーリングでも利用した船。あの時は大阪南港から乗ったが、今回は名古屋港から。部屋は2等。このフェリーでは2等のザコ寝(大部屋)がなく、最低等級(2等)でも寝台である。部屋には6人分の2段ベッドと、人数分の荷物置き場、テレビ、シャワー、トイレ、洗面所が装備されている。ベッドにはコンセントがないので、電気製品の充電等は、テレビ用のコンセントか、洗面所のものを共同で利用する。前回割り振られた部屋のシャワールームはカーテンの丈が短くて、どんなに静かに浴びてもトイレ、洗面所側の床が水浸しになったものだ。今回の部屋では“くの字”に折れ曲がるちゃんとしたドアだった。改善されたのか?部屋によって装備が異なるのか? 石鹸、シャンプーがないのは相変わらずだった。レストランの食事はどれもちゃんと作られており、リーズナブルでおいしい。ただし、事前(営業開始の2時間程前)に食券の購入が必要。これは料理を余らせないようにする為の合理的なシステムで大変よろしい。台湾まで行く国際船なので、救命ボートが国際航路用の規格に沿ったでかいものなのだが、舵が錆びて穴があいていたりして、いざという時大丈夫なのかと不安になる。様々な豪華設備がウリのクルーズ船「飛龍」なのに、経営が厳しいのであろう…、その多くが閉鎖されていたのは残念。
1995年就航。総トン数:16,400t。
乗船券:20,300円(2等)+単車:9,450円+原油高による調整金1,200円=30,950円
飛龍の救命ボート
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4月29日(日) |
天気:曇り |
大阪からの乗船客も少なかったのか、フェリー内は閑散としていた。暇なので、ちょくちょく甲板に出て、視界に入る島々を眺める。ウメのカーナビは気軽に現在地を確認できるので便利だ。ヒロが「おお、あれが屋久島か。」と種子島の隣りにある馬毛島(まげんしま=日本で2番目に大きな無人島)にカメラを向けても、その間違った認識を容易に訂正できた。
屋久島
前回(4年前)の航海時は天気がよく、甲板にいると暑かったものだが、今日は種子島や屋久島の横を通過しても、風がやや冷たく、快適ではなかった。
オユタは会社へ提出する高周波回路関連のレポートに、頭を抱えながら延々と取り組んでいた。カンちゃんは仕事柄その方面に詳しいので、暇つぶしにアドバイスしていた。
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宿データ |
宿名 |
有村産業「飛龍」 |
場所 |
名古屋→那覇の太平洋上 |
感想 |
4月28日のデータを参照のこと。 |
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4月30日(月) |
曇り時々晴れ |
朝食は船内のレストランで済ませた。
8時30分、予定より1時間遅れて那覇新港に入港、そして上陸。この瞬間にオユタの47都道府県制覇が達成された!オユタは沖縄初体験である。ちなみに他のメンバーの沖縄経験は…、
・ウメ(バイク:3回目、旅行:2回、合計:5回目)
・カンちゃん(バイク:2回目)
・ヒデ(バイク:2回目、仕事:1回、合計:3回目)
・ヒロ(バイク:2回目)
である。
那覇新港でオユタ全国制覇の記念撮影をするべく、コンテナ置き場の片隅にバイクを停めようとした時、サイドスタンド出し忘れでオユタが立ちゴケ!何とも痛い、いや思い出深い初上陸になった…。
オユタ立ちゴケ!
気を取り直して記念撮影
オユタとヒロは首里城を見たことがない。(ヒロが1992年に来た時には復元工事中で、守礼門しか見ることができなかった。) この2人にとって、首里城を外すことはできないであろうが、ウメ、カンちゃん、ヒデの3人は4年前のツーリングで訪れたので、2人が首里城を見ている間に対馬丸記念館に行き、後で合流することになった。
記念撮影後、ウメ、カンちゃん、ヒデは、那覇新港から2km程南、波の上ビーチ近くにある対馬丸記念館に行った。さすがは沖縄、既に暑い!
1944年、日本軍は本土決戦に備え、軍事活動の邪魔になると考えられた沖縄の老人や女性、児童を本土あるいは台湾へ疎開させることにした。しかし、周辺海域は既に戦場だった。米軍は商船も標的としており、安全な航海など望むことはできなかったのである。そして8月22日、沖縄から長崎に向け、疎開する人々を乗せた対馬丸が、鹿児島県の悪石島沖で米軍潜水艦の魚雷攻撃によって撃沈され、乗船していた約1,800名の内、学童775名を含む1,418名が亡くなった。多くの子供が犠牲になった悲劇の記憶を風化させない為にと、この記念館は2004年にできたのだ。沈没の際に生き残った人も、台風が襲来する中、救命筏(いかだ)にしがみついて漂流し、喉の渇きや眠気、鮫の襲来に次々と力尽きていったという。救命筏といっても、人がまともに乗れるようなものではなく、下半身を海に浸けてしがみつくような状況で、気を抜いて手を離すと、海に流されてしまう。
資料館としてはよくできているが、吹き抜け2階部分の壁に投影する映像上映は見難かった。椅子に座ると手すり越しに見ることとなり、映像の下部が見えないのだ。これは要改善ポイントだ。休日だというのに、他に数人が見学しているだけで、閑散としていた。10時45分に出発し、首里城を目指す。
対馬丸記念館
ウメのカーナビに従って進むと、国際通りをまともに走ることになっている。既に店が開いて観光客でにぎわっているものと思われ、渋滞が予想されたが、バイクなら関係ないであろうと、構わず進入。案の定渋滞していた。単純に交通量が多いだけではなく、駐車車輌のおかげでバスや大型車輌が対向車と擦れ違うのに難儀するのが原因だ。それでも、スムーズとまではいかないまでも、なんとかすり抜けでクリアした。
それにしても地元バイク達のマナーの悪さは相変わらずで、強引極まりない。安全マージンを持って運転している人などいないのではないかとさえ思える。
首里城周辺に到達し、4年前に駐輪した有料駐車場を探すが、営業していないみたいだった。そこで、別の個人経営の有料駐車場に入った。普通車1台500円で、1台分のスペースにバイク3台を駐輪したら、3台で500円にしてくれた。500円を3人で割り勘にすると、1人当たり166.666…円で割り切れず、面倒臭いので、1人200円として600円をバイトのにいちゃんに渡した。「100円はチップね〜。」
ウメがヒロの携帯電話に連絡し、11時25分に園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)の前で5人は合流した。
時間は溯り、那覇新港を出発したオユタとヒロの2台は、オユタ先導で首里城を目指した。残念ながらオユタの脳内ナビゲーション・システムは精度が悪く、何度も道を間違えて、ようやくたどり着いた。そもそも、沖縄が初めてのオユタは、道路の両脇には石垣が並び、その向こう側にはサトウキビ畑が広がり、オレンジ色の瓦が載った平屋の住宅が点々と建っている様を想像していた。ところが実際は彼の住んでいる松本市よりも都会なので、想像とのあまりのギャップに戸惑ってしまったのだ。「(オユタ)なんか、期待していた沖縄と違うな〜…。」
首里城公園内の駐車場にバイクを置こうとしたら、係員からバイク置き場に案内された(無料)。ここがえらく狭く、先客のスクーター達を少しずつ詰めて、なんとか駐輪。
入場料800円を払って奉神門に入ると、1992年に再建された首里城正殿が目の前に姿を現した。普段見慣れた松本城のような大和人(やまとぅんちゅ)の城とは趣が異なり、中国大陸の建築様式を取り入れつつ、オリジナリティーがある。「(2人)おお〜、沖縄っぽくていいね〜。」内部を見学した後、北殿内にある映像コーナー前に来た。ここは再建の過程についてまとめたビデオを流していて、ウメから「見ごたえがあっておもしろいぞ〜!だけど、全部見ていたら12時を過ぎてしまうから、ほどほどにしてくれ。」と言われていた。ちょいと覗いて見たら、確かに興味深い内容で、釘を刺されていなければ、一巡するまでここにいたであろう。心を鬼にして外に出た。
首里城(歓会門)
他の3人と合流した汚らしい小さな門(園比屋武御嶽石門)が世界遺産だと知らされてビックリしたオユタとヒロ。更に首里城跡も世界遺産だと後で知った。いつも計画は他人任せで、目的地の下調べすらしていない2人なのであった。
全員揃ったところで、歓会門の北側にある、弁財天堂に通じる歩道に歩いて行った。(この先は5人共行ったことがない。) 歩道は下り坂になっており、数メートル歩いた所で、突然右側の茂みの中に彼らは消えた。他の観光客が不審がるのも無理はない。旅行のガイドブックにも載っていないこの場所には、首里にあった旧日本軍の第32軍司令部壕の跡があるのだ。入り口は巨大なコンクリートで造られているのだが、戦闘により破壊されており、金網で塞がれていて内部に入ることはできない。観光客でごったがえす首里城のほんの足元に、人知れずこのような戦争の傷跡が残されているのである。
第32軍司令部壕跡
そして池に浮かぶ小島にある、朝鮮から贈られた経を納める為に造られたという弁財天堂と、王家の菩提寺である円覚寺総門を急ぎ足で見て、最後に守礼門で記念撮影した後、12時15分に首里城を後にした。
沖縄本島にある世界遺産は、首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵(たまうどぅん)、座喜味城(ざきみじょう)跡、中城城(なかぐすくじょう)跡、勝連城(かつれんじょう)跡、今帰仁城(なきじんじょう)跡、斎場御嶽(せーふぁうたき)、識名園(しきなえん)の9箇所がある。この中でまだ見ていないのは、昨年の夏に家族旅行で中城城跡と勝連城跡に行ったウメが残り識名園だけで、カンちゃんとヒデは識名園、中城城跡、勝連城跡である。今日この後に識名園、明日には中城城跡、勝連城跡を廻り、世界遺産制覇を成し遂げようと目論んでいた。(オユタとヒロは遠い道のりだ。)
県道82号線を少し南下し、10分も掛からずに識名園到着。まずはウメの沖縄本島世界遺産制覇が達成された。ここは琉球王最大の別邸で、国王一家の保養や、中国皇帝からの使者である冊封使(さっぽうし)の迎賓館として使用された。沖縄戦でほとんどが破壊され、現在見ることができる識名園は復元されたものである。池を中心にした廻遊式庭園で、派手さはなく、落ち着いた雰囲気がある。ここにも戦時中の壕の跡があった。
識名園
時刻は13時を過ぎている。識名園の受付で教えてもらった、駐車場近くにある食堂「田舎」で昼食とした。外見からは営業しているのかも疑わしい質素な建物で、しかし他に食事ができる場所が見渡す限りなかったので、意を決して入ったのだが、中は地元民と思しき客で賑わっていた。各自注文した沖縄そばやヘチマみそ炒め等はリーズナブルな値段以上においしかった。
14時に識名園の駐車場を出発し、ひめゆりの塔を目指す。2003年にウメ、カンちゃん、ヒデの3人が訪れた時は、時間が遅かった為に資料館が閉館していたので、それが心残りだったのだ。
県道82号線→R329→R507→県道82号線→県道7号線を走り、14時30分にひめゆりの塔隣りにある、2003年の時と同じ土産物屋の駐車場に着いた。あの時、日焼けして水ぶくれになった腕を気遣って、アロエを塗ってくれたりした店員の方々にお礼を言おうと思っていたのだが、記憶と一致する顔はなかった。
ここは沖縄師範学校女子部と第一高等女学校の生徒で構成された「ひめゆり学徒隊」終焉の地である。当初222名いた学徒隊と18人の教師の内、最終的に136名が戦闘や自決により亡くなったのだ。資料館は2004年4月に新装されていた。よって、前回見そびれた当時の資料館に行くことは、ついに叶わなかったことになる。
館内は新装されただけあってか、多くの資料を分かり易く展示している。中でも印象深かったのは、生き残った女性達が当時の状況を生々しく語った映像上映コーナーと、犠牲になられた方々の顔写真のパネルがずらりと並べられた部屋だ。不謹慎であるが、写真を眺めていると、現代でも充分通用する位の美人が多い。さすがは数多くのアイドルを輩出する沖縄と思う一方、彼女達を若くして死に追いやった戦争の悲惨さについて各自考えさせられた。屋外でヒロは花束を購入し、記念碑に献花した。ここは有名な場所だけあって、多くの観光客が訪れていた。
ひめゆりの塔資料館
土産物屋を物色した後、16時20分に出発。本日の宿泊先、沖縄国際ユースホステルに向かう。まだもう一箇所位廻れる時間ではあるものの、国際通りでゆっくり買い物をしたかったのだ。
R331を北上し、豊見城市で県道62号線に右折。ゆいレールの小禄(おろく)駅近くで県道221号線に入り、R329経由で17時10分に宿着。今日はカーナビのおかげで最適なルートを迷わずに走ることができた。過去のツーリングにおいて、いつも先頭を走るウメは、ルートを検討した上で頭に地図をインプットし、目印や道路標識に注意しながら走っていた。おかげで走ったという充実感を噛み締めることができたものだが、カーナビに頼ってしまうと道路標識すら見なくなってしまい、一体今日はどういうルートを走って来たのか、思い出すのも苦労するようになってしまった。ウメは、ひょっとしてツーリングの醍醐味を半減させてしまっているのではないかと悩んでいた。がしかし、いつも彼の後ろを走っている他のメンバーにしてみれば、道を間違えることが少なくなれば、むしろ歓迎なのであった。
チェックイン後、急いで風呂に入り、壺川(つぼがわ)駅から県庁前駅までゆいレールを使って国際通りに繰り出した。国際通りは相変わらず多くの人で賑わっていた。ここで各自じっくりと土産を吟味するべく散開。後で集合して居酒屋に行くつもりだ。
ところが、ヒデは突然の腹痛に襲われていた。しかも…、「やばい…。出る!」慌ててトイレを探す。目の前には米軍の払い下げ品を売っていることで有名な「アメリカ屋」があり、ウメとヒロが1階で買い物をしているのが見えた。ヒデは店内に入り、店員にトイレを貸してもらいたいと頼んだ。すると、カウンターの横にある、商品が展示されている網棚を移動させ、その裏に隠れていたトイレのドアを開けてくれた。間一髪でヒデはトイレで強烈な稲妻を発射した。しかし、腹の痛みは相変わらずで、こりゃ夕食どころではない。ヒデは便座に座ったままウメの携帯に電話をし、腹痛の為、先に宿へ帰ると告げた。
さて、ヒデがそろそろトイレを出ようとすると、ドアがほんの僅かしか開かなかった。どうやら外側には商品棚が戻されているようだ。既に用を済ませて出て行ったものと勘違いされているのか、用を足している間も元のまま商売を継続できるように、一旦そのようにした(ヒデが声を掛けるのを待っている?)のかは分からない。とにかくカウンターの店員を呼び出すべく、「すいませ〜ん!」と声を出したが、一向にアクションがない。そこで、“ドンドン”とドアを叩いた。それでも反応がない。まさか、このままここに閉じ込められてミイラ化してしまうのか?これは人生において最大の危機かもしれない!とヒデはあせりだした。
その後、どれ位長い時間が経っただろうか…。もはやこれまでかと覚悟を決めかけた頃、ようやく店員が気付いて独房から脱出することができたのであった。その店員はトイレを借りる際に声を掛けた人ではなく、怪訝そうな顔をしていた。先の店員はどこにも見当たらない。やはり忘れ去られていたようだ。
他のメンバーは各自土産を購入し、自宅へ発送した後、居酒屋で沖縄料理とオリオンビール、泡盛を注文しまくった。二次会では、たまたま同席した、愛媛県から観光に来ているという若い女性2人組と意気投合し、夜遅くまで酒池肉林の宴を繰り広げたのであった。それにしても、23時頃まで国際通りの土産物屋は開いていて、人の流れも絶えない。この一帯は何か、沖縄のパワーを感じる。
本日の走行距離:49km
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宿データ |
宿名 |
沖縄国際ユースホステル |
場所 |
沖縄県那覇市奥武山51 |
感想 |
奥武山(おうのやま)公園の隣りにあり、国際通りまで歩いて15分位。1996年に新築された。今回泊まった部屋は、バストイレ共同(洗面所あり)のゲストルーム。もう500円程出せばバストイレ付きの部屋になる。テレビ、冷房完備で快適。ベッドメーキングまでもしてくれる。電子カードキーで門限なし。このユースホステルは平日に修学旅行や合宿で利用されることが多いらしく、ゴールデンウィークにも関わらず、観光客はあまり宿泊していなかった。よって、大浴場はGTECで貸し切り状態だった。わざわざ部屋に風呂がなくてもいい訳だ。
1泊朝食付き:4,515円(3名部屋)、4,725円(2名部屋)
なお、部屋割りは往路のフェリー内で行った大貧民(トランプゲーム)によって決定した。
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5月1日(火) |
天気:雨夕方から曇り |
今日の天気予報は雨のち曇り。雨が上がるのは夕方になりそうだ。前日から天気はほぼ諦めていたが、一縷の望みを持ち、行動計画は朝決めることにしていた。しかし、というかやはり、朝起きた時点で既に降っていた…。雨が降っていたのでは、バイクで走っても楽しくはない。しかも、沖縄の道路はアスファルトに混合する骨剤が本土(砂や砂利)と違い、沖縄県産の隆起珊瑚礁石灰岩を使用している為、それがタイヤによって削れて路面をコーティングするものだから、滑り易い。大排気量バイクで勢いよくアクセルを開けると、路面がドライでもホイールスピンする。よって、雨の日は特に注意が必要になる。
メンバーで協議した結果、オユタを除いて日中はレンタカーを借りて観光し、夕方に本日の宿である本部町までバイクで移動することになった。運がよければ、バイクで出発する時には雨が止んでいるかもしれない。とくかく、カッパを着るのは嫌だった。バイクと荷物は宿(沖縄国際ユースホステル)で預かってもらう話をつけた。
オユタはかたくなにバイクで走ることにこだわった。(理由は後程明らかになる。)
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(ウメ、カンちゃん、ヒデ、ヒロ)
ヒデが那覇市のレンタカー会社に片っ端から電話したが、さすがはゴールデンウィークだけあって、なかなか空きがない。ようやくキャッスルレンタカー(那覇空港営業所)で軽自動車を押さえることができた。これはオユタがバイクで移動してくれるおかげだ(軽自動車の乗車定員は4名)。宿まで迎えに行けないから、営業所まで来てもらいたいとのことだったので、9時5分に宿を出発。壺川駅まで歩き、ゆいレールで赤嶺駅へ移動した。赤嶺駅は日本最南端の駅である。最南端の記念碑前で記念撮影後、タクシーに乗り換えて小禄バイパス沿いにあるキャッスルレンタカーまで行った。
赤嶺駅
レンタカーはスバルのステラ(2WD)だった。1,500km位しか走っておらず、ほとんど新車状態のカーナビ付きだ。手続きを済ませ、最初の目的地である中城城跡をカーナビに入力すると、9時45分にウメ運転でドライブしゅっぱ〜つ!NAエンジンの軽自動車にむさくるしい大人4人が乗車したのでは、まともに走らないのではないかと思われたが、流行の背高ワゴンタイプであるステラは、室内がそこそこ広く、後部座席でも窮屈ではない。加速時はエンジンとCVTがうるさくうなりを上げるものの、パワー感は想像していた程ひどくはなかった。これでターボかスーパーチャージャーが付いていれば、充分日常の足になるであろう。なるほど、軽自動車が売れまくっている訳だ…。
スバルステラ
豊見城IC→豊見城東道路→南風原南IC→那覇空港自動車道→西原ジャンクション→沖縄自動車道→北中城ICと走って高速を降りる。一般道をカーナビに従って中城城跡を目指すが、カーナビ内の交差点情報が実際と異なる場所で、とりあえず進んだ道がどうやら違ったようで、リルートが入ったりして、後席でロードマップを眺めていたカンちゃんも、どこを走っているのやら訳が分からない状態になった。とにかくその後はカーナビの指示通り走り、目的地到着。結果的に大して遠回りはしていなかったようだ。さすがは文明の利器である。
入場料300円を支払って奥に進む。中城城は15世紀頃に、琉球王府を脅かしていた勝連城の主である阿麻和利(あまわり)を監視する為、王令を受けた護佐丸(ごさまる)により造られた。護佐丸が今帰仁城攻略の際に苦戦した経験から、今帰仁城をまねて築城した座喜味城を、更に実戦向けに改良した造りとしている。守り易く攻め難いセオリーに従って、周囲が見渡せる167mの台地にある為、眺めはすばらしい。西は東シナ海、東に中城湾、太平洋上の島々も見渡せる。世界遺産の城跡としては、先の沖縄戦で唯一破壊を免れ、昔の面影をそのまま残しているという点で貴重な城なのである。
中城城跡
中城城跡からの眺め
城の南側にあるカンジャーガマ(鍛冶屋跡)に行くと、巨大な廃墟が目の前に姿を現した。その名は中城高原ホテル跡。中城城跡に隣接しているとはいえ、勿論世界遺産には含まれない(笑)。1975年に開催された海洋博に合わせてオープンを予定して建築していたものの、諸事情で工事がストップし、そのまま現在に至っているらしい。特に立ち入り禁止処置は施していないので、これは入場料に含まれているものと無理矢理判断し、廃墟好きの一同は臆することなく中に進入した。
中城高原ホテル跡
内部は荒れ放題だが、コンクリート部分はしっかりしており、崩れる心配はなさそうだった。よくぞこんな複雑な地形に建てたものだと感心する通り、内部構造も複雑極まりない。例え営業を開始していたとしても、館内の移動が不便で、リターン客などいなかったのではないだろうか。客室からの眺めのよさだけが唯一のウリと思われる。こういった廃墟は、昔GTECのメンバーもハマッたサバゲ(サバイバルゲーム)にもってこいだ。案の定、足元には至る所に大量のBB弾が落ちていた。
廃墟を堪能して駐車場に戻り、12時に出発。次の目的地は勝連城跡だが、その前に昼食を摂ることに。しばらく県道85号線を走り、うるま市江砂洲にある沖縄そば屋「そば処 麺そーれ」に寄った。
この店は10時間以上煮込んだダシと、石垣島から毎日空輸しているというこだわりの麺を使用している。昨日の昼食に引き続いての沖縄そばだが、あっさりとしていて飽きが来ないのはさすが。
雨は相変わらず降り続いている。12時55分に勝連城跡着。ここは無料で見学できる。カンちゃんとヒデの沖縄本島世界遺産制覇も達成された。しかし、全てをバイクで廻った訳ではないことが悔やまれた。
勝連城は先程寄った中城城の説明に登場した阿麻和利の居城だ。阿麻和利は謀略により中城城を攻めて護佐丸を滅ぼし、勢いに乗って首里城をも落とそうとしたが、敗北して滅び去った。こちらも高さ100mの台地に建つ城で、一の郭からは360度の大パノラマを拝むことができる。これらふたつの城はセットで訪れることをお薦めする。
勝連城跡
城の敷地内には、何やら巨大なカタツムリみたいなのがたくさん這っていた。ヒロが手に取ろうとした瞬間、ウメが「やめろ〜っ!」と叫んだ。このカタツムリの正体は「アフリカマイマイ」という。1930年代に食用として持ち込まれた外来種で、今では野菜を食い荒らす害虫となっている。怖いのは体内に寄生虫(広東住血線虫)を持っていることで、それが人間に入ると、死に至らしめることもある。昨年の夏、ここでウメの娘が知らずに手に持って、その後駐車場に併設されているインフォメーションセンター内に貼ってあった注意書きを読んでギョッとし、慌てて手をよく洗ったのであった。このアフリカマイマイ、駆除が進んでいないのか、我が物顔で徘徊している。
アフリカマイマイ
お次はサーターヤーの煙突。サーターヤーとは製糖工場のことで、沖縄戦で破壊された工場の煙突だけがサトウキビ畑の中に残っているのだ。勝連城跡からは大した距離じゃない。移動中に雨が激しさを増してきた。
激しさを増す雨
県道8号線を南東に走り、ホワイトビーチ(ピチピチのギャルで賑わうビーチ…じゃなくて、米軍と海上自衛隊が共同で使用する港湾施設)手前の細い道を右折して200m程走ると、道路から畑ひとつを挟んだ所にその煙突はあった。しかし、雨が激しくてクルマを降りる気にならない。煙突の間近に行く為には、畑のあぜ道を歩かなくてはならないのだ。ここは車窓からの見学とした。なるほど、無数の弾痕が生々しいが、今もしっかりと建っている。
サーターヤーの煙突
時刻は14時。そろそろ宿に帰らないと、本部町に着くのが夜になってしまう。だが、この時間でこの雨の激しさ…。各自気が滅入ってきた。とにかく、ステラで那覇に向けて出発した。
カーナビの示した最短時間コースは、県道8号線→県道16号線→県道33号線→県道85号線→県道227号線→県道81号線→R330→R58→R331というものだった。だったらと、ヒデは那覇市街にあるアロハシャツ専門店「OK衣料」に寄ることを希望した。昨年仕事で沖縄に来た時に泊まったホテルの隣りにあった小ぢんまりとした店で、興味はあったのにじっくり見る時間がなかった為、何も買わずに帰って来たことが心残りだったのだ。カーナビの経由地に「OK衣料」の位置をセットした。
途中、渋滞もあったが、ほぼ到着予定時刻(15時20分)に「OK衣料」着。ウメとヒデがいかすアロハシャツを購入した。そして満タン返しの為に給油後、レンタカー屋にステラを返却。レンタル代はたったの3,600円(ガソリン代は含まず)だった。赤嶺駅までは送ってくれるというのでお願いし、駅からはタクシーで宿に戻った。
この時点で時刻は16時30分。ロビーに預けてあった荷物を受け取り中にカンちゃんの携帯電話に、彼の妻であるネーネから電話が入った。受付にあるWebカメラでロビーがライブ中継されており、そろそろと思って見たら映っていたそうだ。(カンちゃんはこまめに現状を携帯電話のメールでネーネに送信していた。) みんなで元気な姿を披露し、淡々と出発準備をする。雨はほとんど上がっており、道もドライになりつつあるが、どんよりとした雲は水滴が落ちない様に、必死に支えているかのような状態だ。しかし、これ以上出発を遅らせる訳にはいかない。仕方なく各自カッパを着込み、17時に出発した。隊列はウメ、ヒデ、カンちゃん、ヒロの順。
R329を東に走り、県道82号線を経て、那覇ICから沖縄自動車道に入る。終点の許田ICまで終始100〜120km/hで巡航した。途中、一瞬雨に降られはしたものの、カッパなしでも問題はなかったであろう。それでも、道中のウェットな部分では、各自アクセルワークに気を付けているにも関わらず、リヤタイヤが滑ることがあり、怖かった。そういえば、非力なステラでも、発進時に何度もホイールスピンをした。
さて、許田ICの出口料金所で、ウメとヒデの2台はETCゲートを通過後、100m位先で路肩に停止し、後続を待った。料金の支払いを終えたカンちゃんに続いて、ヒロも料金所から出てくる様子を確認した先頭のウメは発進し、この先R58との合流点まで続く自動車専用道路の走行車線に入った。ところが、ヒロは路肩に停止して何やらやり始めた…のをウメからは見えなかった。道は料金所の先で右にカーブしており、少し距離が開いただけで互いに見えなくなってしまう。R58に入ってヒロが追い付いて来ないことに気付いたウメだが、「まあ、この先はただひたすら海沿いを北上すればいいとあいつにも伝えてあるのだから、分かるだろう。」と、構わず進んだ。とにかく雨が降っていない内に宿に着きたかった。
名護市でR449に入り、海沿いを走り続けると、瀬底島の瀬底大橋を背景に、明日フェリーに乗る予定の本部港が見えてきた。時刻は18時をちょいと過ぎたところだ。まだ明るいし、もう雨は降りそうにない。明日の下見をしておこうと、本部港のフェリーターミナルに寄った。
明日の朝9時10分に出港する鹿児島行きのマリックスライン「クイーンコーラル」はJTBにて予約済みで、チケット化もしてある。窓口で確認すると、出航の30分位前までに乗船手続きを済ませればいいと言われたので、朝はゆっくりできそうだ。桟橋に出てみると、先程ここを出航し、那覇港に向かう「クイーンコーラル」の後姿が見えた。明日、あの船が折り返して来るのだ。
本部港から本日の宿「はまさき荘」までは目と鼻の先だった。18時20分に宿着。既にオユタがチェックインしていた。
一方、ヒロはインターチェンジの料金所を出る際、雨用グローブをはめ忘れたのに気付き、一旦路肩に停止したのであった。その後がんばって走ったものの、前の3人に追い付くことができない。視界にすら入って来なかった。でも、とにかく左手に海を見ながら走ればいいのだ。迷う筈もないであろう。…と、いつの間にやら海が見えなくなっている!! 段々不安になってきた頃、再び左側に海は現れた。「(ヒロ)お、なんだ、やっぱりこの道でよかったんじゃ〜ん。」しかし、既にけっこうな距離を走っているのに、本部港の標識が出てこない。うろ覚えではあるが、確か宿は本部港のすぐ北にあった筈だ。それに、出発前、ウメのカーナビが算出した推定距離(90km)をとっくに超している。さっきから辺戸岬への距離がカウントダウンされているのも気になる。そして、国頭村(くにがみそん)の入り口を過ぎた所で、いいかげんおかしいことに気が付いた。
ヒロは名護市でR449へ入らず、そのままR58を直進し、本部半島の根元を横断してしまったのだ。こうなったら、勢いで辺戸岬まで行っちゃおうか?などという気にはさすがにならず、道の駅「ゆいゆい国頭」に寄ってウメの携帯電話に状況報告をした。夕食はギリギリまで待ってくれるとのことだ。一応地図は持っているので、よく確認し、すっかり暗くなった中を南に向けて出発。20時過ぎに宿にたどり着くと、夕食を半分食べ終えた他の4人が出迎えてくれた。他の3人より80kmも余計に走ってしまったが、試練を乗り越えた後のビールは格別にうまかった。「(ヒロ)我ながら見事なリカバリーだった!」
ヒロの帰還
本日の走行距離:89km(ウメ、カンちゃん、ヒデ)/170km(ヒロ)/90km(レンタカー)
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(オユタ)
レンタカー屋に向かう他のメンバーを見送った後、カッパを着込んで9時過ぎに出発。「オレは正真正銘、筋金入りのライダー。たかが雨であろうと、陸路は鉄の馬を駆るのだ!」と虚栄を張ったものの、他の4人も最終的にはバイクで宿まで移動するので、彼らに対して「根性なし」とは言えない…。実は単に洗濯したかったのだ。今回のツーリングで持参している着替えの関係上、1回の洗濯で済ます為には、どうしても今日行う必要がある。今晩泊まる宿(民宿「はまさき荘」)には洗濯設備がないと思われ、レンタカー組と行動を共にしていたら宿に着く時間が遅くなり、コインランドリーを探すチャンスを逸してしまうかもしれない。「(オユタ)だったら昨晩洗濯し、回数を2回に分ければいいじゃんだって?それでは駄目だ。1回と決めていたからには、何が何でもそれを貫き通すのだ。その為に観光できなくても構わない。それが“男”なのだ!」…と、ただでさえ貴重な沖縄での1日を洗濯に割くこととしたのであった。
目指すは民宿「はまさき荘」。高速は使わない。ガイドブックの地図は頭に叩き込んでいるので完璧だ。がしかし、那覇国際ユースホステルから数十m程進んだ所、R58にぶつかるT字路の信号で、最初の試練に直面した。「どっちに曲がればいいのだ?」道路の向こう側は海だ。今日はひたすら海を左側に見ながら北上すればいいのだから…、「左だ!…あ〜、いや、右かな?おっと、信号が青になってしまった。ええい、ままよ!とりあえず右だ!」後に記された彼の自伝によると、「人生においては様々な分岐点に直面することがある。この時の判断が正しかったことを神に感謝したい。」と回想している。
雨の中、R58を北上。交通量の多い片側3車線を軽快に走る。沖縄は雨の日でもスクーターが多い。そんな中の1台のビッグスクーター(250cc&半キャップのあんちゃん)と“ねんごろな仲”になった。信号が多く、そのあんちゃんとすり抜けで先頭に出て並ぶことが多かった。非力なバンディットだが、スクーターごときには負けない。スタートダッシュで先行。ところが、さすがは地元ライダーだけのことはあり、ちょこまかと進路変更を繰り返し、気が付くと抜かれてしまうのだった。赤信号で追い付き、並び、スタートダッシュで先行するもまた抜かれ…。そんなことを繰り返していた矢先だった。あんちゃんと信号で並ぶのは一体何回目なのか、また青信号と同時に見事な加速…をしようとしたところ、リヤタイヤがホイールスピンをして進まない!! オユタはあせり、とりあえず2速にシフトアップ。それでもツルツル滑ったが、なんとか発信できた。沖縄を経験していたメンバーから、「沖縄の舗装道路は滑り易いから気を付けろ。」というアドバイスがあったのは、これだったのだ。昨日は晴れており、「滑り易い?まあ確かに白っぽいけど、どうってことないじゃん。気を使うのはビッグマシンだけじゃないの?」と全く気にしていなかった。しかし、雨の日では45馬力の非力なマシンでもこの有様。どおりで、いくら非力なバンディットの更に半分位しか馬力がないとはいえ、あんちゃんのスクーターのダッシュが遅い訳だ。加速がにぶいのではなく、きっとあれが最適なアクセルワークなのだ。思えば、四輪も加速を抑えているように思える。即座にオユタの“ビビリミッター”は下がり、60km/hに設定された。それからの走行は、とにかくストレスが溜まりまくった。滑ると怖いので加速はできない、コーナリングは恐ろしい、進路変更も急にはできない…。
米軍の基地が多いからか、中古自動車の価格表示が米ドルだ。さすがは沖縄。恩納村に入ると、プライベートビーチ付きのリゾートホテルが建ち並ぶ景観が現れたものの、雨でどんよりとした空だし、カッパが浸水していて気持ち悪く、あまり沖縄っぽさは感じられなかった。(実は高価なカッパを購入したばかりだったのだが、すぐに下ろすのはもったいないので、今回のツーリングを旧カッパの使い納めにしようと考えていた。)
名護市で「名護城跡」という案内が出ていた。このままどこも観光せずに宿に直行というのも芸がない。寄ってみるかと、案内に従って進んだ…つもりが、ついに名護城跡にはたどり着けなかった!雨の中ではガイドブックを取り出すこともままならず、名護城跡の見学は断念した。
R58に戻り、少し進むと、R449への分岐点に差し掛かった。海を左手にして進むには、R449へ曲がらなくてはなるまい。
R449を淡々と海岸線沿いに走る。やがて「本部町」の標識が見えた。ここでオユタはハッと頭の中で何かが繋がった感覚に囚われた。昔、青森県の大学時代に知り合った女性がいて、やがて彼女から結婚することを知らせる手紙が来た。その中で“相手は沖縄の本部”とあったので、彼は彼女がてっきり自衛隊の沖縄本部(ほんぶ)に勤務している人と結婚するのだと思い込んでいた。ここに来て、実際は自衛隊と全く関係ないようだと知ったのであった。なるほど「もとぶ」と読むとは…、まったく、思い込みというのは恐ろしいものである。
我に返ると民宿「はまさき荘」は目の前だった。この宿はドライブインを兼ねており、ちょうど昼時だったから、カッパを脱いでソーキそばを食べた。昨日食べたのとは違って醤油色が濃く、甘めの味付けで、こちらもおいしかった。肉も大きく、なかなか食べ応えがあった。
さて、いくらなんでもチェックインには早い。コインランドリーの場所を聞くと、宿の少し北にあるとのこと。洗濯したって時間が余る。ここはひとつ、沖縄本島最北端の辺戸岬に行ってみることにした。宿で荷物は預かってもらえると言われたが、辺戸岬からの帰りがてら洗濯をしたかったので、そのまま持っていくことにした。
浸水したカッパを再び着込み、辺戸岬を目指す。県道84号線→県道123号線→R505→R58と進む…つもりが、県道123号線に入る場所が分からず、結局は県道84号線からR58に入ったようだ。近道をするつもりが、遠回りになってしまった。
その後はR58を海岸沿いに北上。名護市辺りまでの景色とは一変し、荒々しい海岸線で、右側は山だ。気温は低目で、寒い。それは首と腕から浸水し、肘や胸が湿っている為かも知れない。まるで北海道か東北地方の人里離れた所を走っているような気分である。沖縄だと認識できるのは、所々で見ることができる、独特な作りの墓だけだ。
オユタは辺戸岬まで往復すると結構な時間が掛かるような気がしてきて、遅い車は抜き去ることにした。スクーターのあんちゃんの時以来、滑ったことはなかったが、もちろん慎重に抜く。その内、ガソリンが予備タンクになった。
13時30分頃に辺戸岬着。ひとまず写真を撮る。岬は断崖絶壁で、この天気のおかげで怖さ倍増だ。こんな天気じゃ与論島なんて見えやしない。
辺戸岬
予備タンクに切り替えて以来、ここまでガソリンスタンドはなかった。売店のおばちゃんにガソリンスタンドの場所を聞いたところ、今来た道を戻ると30分位、宿とは逆方向の(R58を東に進む)方が近くて10分程だという。ただでさえ燃費の悪いバンディット(14km/リットル位)だ。こんな所でガス欠になったら洗濯どころではない。迷わず10分の方に決定。
辺戸岬から先は(沖縄では珍しい)ワインディングとなり、気を使いながらコーナリングしてクリア。ひとつの集落を過ぎたが、しばらく走ってもガソリンスタンドがありそうな気配はない。どうやら島の東側(県道70号線)まで出てしまったようだ。不安になって集落まで戻り、道端を歩いていたおばちゃんに聞いてみる。ここから4km位の所にガソリンスタンドがあるらしい。その言葉を信じてまた時計回りに走るが、一向にない。大丈夫なのかガソリン!? マジにやばいと思った頃、ついに小ぢんまりとした、売店を兼ねたガソリンスタンドを発見!「何が4kmだ!8kmはあるじゃないか!!」だいぶ島の東側を南下してしまった。
さっそくガソリンを入れてもらう。売店のレジにいた女性が給油してくれた。アイドル系の、なかなかの美女であった。これで安心して走れる。来た道をひたすら戻った。ちなみに後で地図を見たところ、県道2号線を走れば思い切りショートカットできたのであった。
昼食時に教えられたコインランドリーはすぐに分かった。念願の洗濯を思う存分行い、17頃に宿着。「実に充実した1日だった!」
本日の走行距離:オユタ未計測の為データなし
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宿データ |
宿名 |
民宿はまさき荘 |
場所 |
沖縄県国頭郡本部町健堅1104 |
感想 |
本部港の北側すぐ近く、R449沿いにあるドライブイン兼民宿。フェリーに乗る際、便利だろうということで予約した。鉄筋コンクリート製の施設は、設備も含めてとにかく古い。シャワーのお湯が出てくるまで数分掛かる。食事は可もなく不可もなく。瀬底島や沖縄美ら海水族館(海洋博公園)等、本部半島エリアを廻る為の基地としては使えるが、この宿がリニューアルオープンすることはまずないであろう。ただし、接客態度は非常によろしかった。
1泊2食付き:5,000円
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5月2日(水) |
天気:晴れ |
昨日の偵察結果によれば、出航(9時10分)の30分位前までに乗船手続きを済ませればOKと言われたが、余裕を持って8時に出発。フェリーターミナルまで宿から1分程で着き、窓口で手続きを取る。8時45分頃に桟橋へバイクを移動させればいいそうだ。まだ時間があるので、すぐ近くにある瀬底島へ行って来ることにした。ただし、カンちゃんだけは今朝、出発前に単身瀬底島を往復しており(島側から橋の写真を撮影しただけではあるが)、港周辺をブラブラしていると言った。
瀬底島と沖縄本島は、瀬底大橋で繋がっている。大型船も航行できるように中央が盛り上がった全長762mの橋で、傍から見ているとなかなか絵になる。橋への入り口は「はまさき荘」のすぐ北側にある。瀬底大橋と本部港の中間に宿は位置していたのだ。
橋を渡ると、左側に小ぢんまりとした駐車場と展望台があった。その先に進んでも何もなさそうだったので、そこにバイクを停めた。橋は海面から30m位高い位置に架かっており、本島側から見た時、橋のたもとにビーチが見えた。そこに行ってみよう。きっとこの辺りに下りる道がある筈だ。せっかく沖縄に来たのだから、砂浜で青い海をバックにした写真をぜひ撮りたかった。すると、橋のすぐ近くに下りの階段を発見。ところが、「ビーチには抜けられません。」と記載されている。方向的には合っていそうだし、あまり遠回りをしている時間はない。せいぜい私有地に繋がっていて、フェンスを乗り越えなくてはならない程度であろうと構わずに進んだ。結果、まさにその通りの展開となり、幸いフェンスは簡単にクリアすることができた。
フェンスの向こう側はすぐビーチだった。青い海、誰もいないきれいな砂浜…。目の前を伊江島から来たフェリーが横切り、橋の下を通過して行く。時間一杯まで沖縄っぽさを満喫し、ビーチから上る車道を歩いてバイクへ戻った。この道はバイクを停めた駐車場の近く、島の奥側の交差点に繋がっていた。最初から知っていれば、バイクでビーチ手前まで行き、バイクを入れたすばらしい写真が撮れていたに違いない。しかし、残念ながらタイムリミットだ。本部港に向けて出発した。
瀬底大橋脇のビーチ
実はこの島には行く予定がなかったので、下調べを何もしていなかった。後で知ったのだが、島の西側には瀬底ビーチというのがあって、ガイドブックにもしっかり載っている。写真を見ると、まるで絵に描いたような南国のビーチだ。時間的にも充分行って来ることができた筈だけに、残念!
カンちゃんは他のメンバーが瀬底島に出発してから、本部港の防波堤の先端(信号灯)まで歩いた。すると、伊江島からのフェリーが橋の下をくぐってやって来たので、なかなか絵になるなぁ…と、しばらく眺めた後、フェリーターミナル内の売店にて昼食用の弁当を購入した。
港で全員合流し、桟橋にバイクを並べる。GTEC達の他にバイクはなし。クルマも数台のみ。海に目をやると、「クイーンコーラル」が向かって来るのが見えた。接岸後、9時頃乗船開始。そして定刻通り、9時10分に本部港を出港した。さらば、沖縄!
クイーンコーラル
この後、与論島(与論港)、沖永良部島(和泊港)、徳之島(亀徳港)、奄美大島(名瀬港)と次々に立ち寄り、明日の朝8時30分に鹿児島新港に入港する予定だ。
船内では、明日のルートについて話し合った。鹿児島市を基点としたツーリングといえば、4年前は指宿スカイライン→知覧町→枕崎市→野間半島→鹿児島市(宿泊)、6年前は指宿スカイライン→池田湖→開聞岳周遊道路→長崎鼻(薩摩半島最南端)→山川港→フェリー→根占港→佐多岬(大隅半島最南端)→根占町(宿泊)だった。両ツーリングに参加しているのはウメ、カンちゃんの2人。ヒロは6年前のツーリングに参加した。明日は桜島に宿(桜島ユースホステル)を取ってある。検討した結果、オユタとヒデの為に、両半島最南端を制覇するコースにした。ところが、ウメがカーナビでルートを確認していると、山川港と根占港間のフェリー航路が記載されていない(地図データは最新)。売店で販売している地図でも同様だった。そこで、フェリーがちゃんと運航されているか、「クイーンコーラル」の受付に確認しに行った。「(ウメ)もしもご存知でしたら…。」と前置きを付けて受付の若い女性に質問すると、「そのフェリーはもう運航しておりません。」と答えた。彼女の瞳は自信に満ちており、質問した側に再確認する気を起こさせず、むしろ安堵感を与える癒しの声であった。「(ウメ)心、洗われました…。」確認しておいてよかった。危うく山川港まで南下しておきながら、反転してグルッと桜島まで陸路を延々走ることになるところだった。(※)
こうなると、もうどうしたものか、ベストな案が浮かんでこない。白熱した議論が続き、最終的には次の様に走り、宿で落ち合うことになった。
・ウメ、カンちゃん、ヒロ:
鴨池港から大隅半島の垂水港にフェリー(南海郵船)で渡り、6年前じっくりと見学できなかった鹿屋市の「海上自衛隊鹿屋航空基地資料館」を再訪する。
・オユタ:
鹿児島湾(錦江湾)沿いを時計回りに、佐多岬まで走る。(桜島部分はカットして南下。)
・ヒデ:
鹿児島港から桜島港にフェリー(桜島フェリー)で渡り、佐多岬まで走る。
オユタとヒデは同じ佐多岬を目指すのに、なぜオユタだけフェリーに乗らないのかというと、彼の鹿児島経験は志布志から東側のみなので、少しでも自走したかったのだ。
本日の走行距離:5km
※後で分かった話なのだが、確かにこの航路は2002年9月、業績悪化により撤退していた。しかし、復活を望む地元の要望に答え、その3年後に再開していたのであった。受付の女性の勘違いではあったものの、別会社の情報ゆえ、責めることはできまい。運航していると知っていたら、彼らの運命は変わっていたことであろう(?)。
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宿データ |
宿名 |
マリックスライン「クイーンコーラル」 |
場所 |
那覇→鹿児島の太平洋上 |
感想 |
本部港から乗船。9時10分出航だったが、予め予約が取れていれば、(本来は出航の1時間半前までに乗船手続きを終えなければならない決まりではあるものの、本部港では)出航の30分前までに乗船手続きを済ませればOKなので、早起きせずに済んだ。2等寝台は2段ベッドの8人部屋。ベッドにシーツはなく、何と茣蓙(ござ)が敷かれている。手抜きもいいところだ。毛布が臭い。ベッドの照明にコンセントがあったりなかったりする(その基準は不明)。レストランの食事は手作り感がなく、レトルトっぽいものの、値段はお手頃。営業時間が変則的で、夕食は16時30分から1時間で閉まってしまった(腹が減ってないっつ〜の)。これは接客や厨房のスタッフが他の業務も兼ねている船員だからか、後述するように、後で2等室化する為と思われる。前回の「クイーンコーラル8」は浴場がなく、汚いシャワールームだけだったが、「クイーンコーラル」は小さいながらも展望共同浴場がある(石鹸、シャンプーなし)。しかし、5つあるシャワーの蛇口の内、3つが故障していた…。この船で快適な船旅を期待してはいけない。あくまで地域住民の足なのだ。奄美大島からすごい人数が乗船してきて、レストランや廊下まで2等室と化した。その惨状たるや、難民船か!?と言いたくなる位だ。もはや山小屋状態。来るものは拒まずといった感じで、乗船定員500名なんて守っていないものと思われる。これだけごったがえした船内でも、なぜか浴室はいつもすいていた。おそらく、生活航路として利用している人は、各自入浴を済ませてから乗船するのであろう。なお、島々に寄港すると、見事なフォークリフトの積み降ろしショーを拝むことができ、見ていて飽きない。
1993年就航。総トン数:4,900t。
乗船券:19,300円(2等寝台)+単車:6,930円=26,230円
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5月3日(木) |
天気:晴れ |
6時45分頃、右手に大隈半島佐多岬、左手に薩摩半島長崎鼻と開聞岳がうっすらと見えた。天気はいいのだが、遠くの景色は霞んでいる。案の定、鹿児島新港に入港した時も、桜島はくっきりと見えなかった。
9時、予定より30分遅れで鹿児島上陸。記念撮影後、昨日の計画通りに散った。
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(ウメ、カンちゃん、ヒロ)
まずは鴨池港に向かう為、R225を南下。鹿児島県庁近くのコンビニに寄って朝食を購入後、9時30分に鴨池港着。すると、垂水港行きフェリーを待つクルマが長蛇の列を成している。ひとまず適当にバイクを停め、チケットを購入しようとターミナルに行った。すると、中は閑散としており、窓口で聞くと、車両は鴨池港で下船の際に料金を支払うのだそうだ。そして、係員の指示に従い、いきなり先頭に並ぶことができた。こういう時、バイクは優遇される。通常であれば、25分間隔で運航しているのだが、ゴールデンウィーク期間中はフル稼働し、可能な限り往復させている。よって、待っているとすぐに次のフェリーがやって来た。
波は穏やかで、桜島を間近に見ながらの快適な航海である。フェリーの甲板上で先程購入した朝食を食べていると、50代と思しき鹿児島市在住の男性が話し掛けてきた。どこを走って来たのかと、これからのコースについてお決まりの会話をした後、「かのやばら園」を紹介された。彼は家族連れで来ており、これからそこに向かうそうである。鹿屋市の霧島ヶ丘公園内にあるこのばら園、地元では有名な場所らしいが、3人はノーチェックだった。海上自衛隊鹿屋航空基地資料館から近い距離なので、時間があったら寄ってみることにした。
南海郵船フェリー
10時45分、垂水港入港。バイクで上陸して誘導路を進むと、有料道路と同じような料金所ゲートがあった。ここで乗船料(750cc以上1,010円)を支払うのだ。フェリー埠頭で記念撮影をしてから、R220を南下した。
垂水港
R220は交通量が多く、所々で渋滞していた。みんなばら園に向かっているのか?沖縄程ではないが、直射日光の下は暑い。11時40分に鹿屋航空基地資料館到着。
まず目に飛び込んで来たのは、屋外に展示されている巨大な翼の二式大型飛行艇12型(二式大艇)。前回来た時にはなかったものだ。旧日本海軍の二式大艇は、1940年に初飛行した、当時世界一の高性能を誇った大型飛行艇だ。そしてここに展示されているのは、世界で唯一残っている実機で、近くで見ると迫力がある。その他にも屋外には数多くの現役を退いた(海上自衛隊の)飛行機達が展示されている。これらは6年前に見たので、適当に済ませて館内に入る。受付で記帳し、展示スペース(無料)へ。順路は2階→1階となる。
二式大型飛行艇12型
館内2階は、海軍の誕生(明治時代)から終戦による終焉までの、主に海軍航空隊の歴史が豊富な展示資料によって詳しく紹介されている。目玉は鹿児島湾で引き上げられた零式艦上戦闘機の復元展示である。基本的に2階は撮影禁止だが、零戦だけはOKだった。
太平洋戦争末期、ここは神風特別攻撃隊の中心的な出撃基地として使用され、1,000人を超える若者が飛び立って行った。旧日本海軍の歴史を締めくくるコーナーは、神風特別攻撃隊の全容について詳細に紹介している。こういった展示は、2度と戦争を起こしてはならないと訴え掛けるような内容であるべきだ。しかし、悲愴感が漂って来ない。作戦の一環として仕方なく特攻作戦が敢行されるに至り、隊員は勇ましく散っていったと称えているような印象を受けた。その点に関しては、薩摩半島の知覧にある「知覧特攻平和会館」の方がお薦めだ。
1階は海上自衛隊航空部隊の役割や装備についての展示となっているが、2階の力の入れ様に比べると、いささか地味な印象を受ける。展示物が古いのだ。確かに海上自衛隊といっても、ここの基地は哨戒や救難が主な任務となるので、イージス艦とかの艦船模型を展示する訳にもいかず、航空機も戦闘機ではないから、派手さは望めないか…。
ちなみに内部のレイアウトは、屋外で見た二式大艇に関連する資料の展示等、6年前と部分的に変更されていた。
屋内展示をじっくり見て、駐車場にある物産センターにも寄った結果、時刻は14時30分となった。さすがに立ち通しで足が疲れたし、まだ昼食を食べておらず腹も減ったので、次は手近なところに行こうと話し合った。そこで、フェリー上で紹介された「かのやばら園」に行ってみることにした。
R269を南下し、途中からカーナビに従ってクネクネした道を通り、霧島ヶ丘公園の北側に出た。駐車場にバイクを停め、広大な敷地の公園内を歩く。さすがにゴールデンウィーク、催し物で出店も多数あり、大勢の人で賑わっていた。ばら園に入る前に、出店で焼きそばやたこ焼き等を購入し、公園の芝生の上に座って食した。
4千種類、5万株のばらが植えられていて、日本一の規模を誇るこのばら園(入園料600円)は、ちょうど見頃となっていた。広大な敷地を歩きながら眺めるばらは、なるほど様々な色、形、大きさのものがあり、見ていて飽きない。甘い香りが一面に溢れている。これは花好きなオユタなら大喜びするのではないだろうか。園内を一巡したら、もう16時30分を過ぎていた。そろそろ宿に向かわなくては。今日は“じっくり見学”に徹した結果、たった2箇所で終わってしまった。
かのやばら園
県道68号線からR220を北上し、R224で桜島に入り、17時45分に桜島ユースホステル着。オユタは既にチェックインしていた。
本日の走行距離:83km
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(オユタ)
桜島フェリーの乗り場に向かうヒデと一緒に出発。とはいっても、フェリー乗り場は先程上陸した場所からすぐ近くなので、一緒に走った距離は僅かだった。ヒデと別れた後、R10を目指す。鹿児島駅のそばを通過して適当に走っていたら、R10に出ることができた。東九州自動車道に沿ってひたすら走る。途中のコンビニでパンを買い、喰らった。オユタはご当地のものを食したいと思ったが、例によってそんな予習はしていない故、鹿児島は何が名物なのか全く知らなかった。
ふと気付くとR220に入っていた。右手に桜島を眺めつつ南下。桜島自体は後回しとして、とにかく南下。佐多岬を目指す。またふと気が付くと、R269に入っていた。道の駅「根占」で休憩&昼食。
更に南下!佐多岬まであと少し、熱帯風の植物が鬱蒼と生い茂る、クネクネとした道を走っていると、向こうから前傾のきつそうなバイクがやって来た。ヒデだった。挨拶代わりに中指を立てて擦れ違う。残念ながらヒデの方が早かったようだ。(当たり前か。)
13時、佐多岬着。駐車場にバイクを停め、トンネルの入り口で通行料300円を支払う。岬までの遊歩道沿いに、元観光施設っぽい廃屋があった。「休業中」とある。「廃業」の間違いではないのか?展望台に登るには更に200円が必要だ。おばちゃんが入り口で券を売っていたのでゲット。展望台からの眺めはすばらしかったものの、風が強い。以前はガラスで四方八方を囲まれていたようだが、そのガラスは部分的に外され、柵で仕切られている。これが工事用の柵らしく、チープな造りである。ちなみにウメ達が前に来た時は、トンネルで入場料100円を支払っただけで全て見れたそうだ。5倍の値上げでも、施設の維持は難しいものと思われる。今日は他に寄る予定もないので、岬に1時間位滞在し、大隅半島最南端を満喫した。
佐多岬展望台からの眺め
桜島から南の往路を逆戻りして宿に向かう。途中でガソリンを入れた。全くこのバンディット、250ccのくせにとんでもないガス喰いだ。単純計算だと、今日は12km/リットルいっていないことになる。
R224で桜島に入り、16時頃、本日の宿である桜島ユースホステルに着いた。まだ時間があるのでチェックインはせず、荷物も降ろさず、県道26号線を時計回りに走った。しばらく走って右を向くと、何やら鳥居が上部だけ露出した状態で地面に埋まっていた。そういえば、他のメンバーが埋没鳥居の話をしていたような、していなかったような気がする。鳥居は見学せずに通り過ぎ、先程走ったR224に出た。1周した訳だ。このまま進んで宿に行ってもいいが、島の北側の方が走っていて楽しかったので、Uターン。
今度は県道26号線を反時計回りに走行。やがて中途半端なスピードで飛ばしている赤い軽自動車(車種不明)の後ろに付いた。その軽自動車は前車に追い付くと追い越しを掛けたので、「軽自動車がよ〜う、生意気なんだよぉ。」と二重に追い越すべく、アクセルオン!しかし、悲しいかな、250ccのバンディットでは馬力が足りず、気持ちばかりが加速していく…。かつて乗っていたファイヤーブレードだったら、もう視界から消えていることであろう。まごまごしていたら対向車が来てしまった。仕方なく、制動して軽の後ろに引き下がる。それでも、加速力は軽自動車よりもはるかに上だ。次の直線でその軽を抜き去り、更に遅いクルマをパスして進んだ。
宿にチェックインして40分位ぼ〜っとしていたら、鹿屋見学組が到着した。
本日の走行距離:オユタ未計測の為データなし
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(ヒデ)
オユタと別れると、程なく、フェリー待ちの長蛇の車列を発見。「(ヒデ)うひゃぁ!こりゃ何本も待たなきゃ乗れないぞ。」と半ば諦めて腹を括っていたところ、誘導員に指示されるまま、前に前に…。気付くとフェリーの中に居て、既に出港している!?車輪止めもしておらず、まだ車両甲板に居るのに!? 今まで経験したカーフェリーとは全く異なり、なんてアバウトな、という印象を受けたが、10分間隔での運航で所要時間15分ならこんなものか。たかが15分でも有効に使おうと、船内の立ち食いそば屋で朝食。そういえば、乗船手続きをしていないし、料金も未払いだった。これは一体どうするのかと思っている内に桜島に到着。すると、トコロテンの様に、乗車したまま船外に次々と押し出されてしまった。ひょっとしてタダ?と喜んでいると、料金所のゲートがあり、そこで支払をするシステムだった。なるほど、なんとも合理的!ちなみに料金は大型バイク込みでたったの560円。リーズナブル!
9時40分、桜島側のフェリー乗り場を出発。R224→R220で鹿児島湾沿いに一路佐多岬を目指す。途中、鹿屋市で県道68号線と分岐するまでは交通量が多く、短時間で距離を稼ぐことができなかったが、そこから先(県道68号線→R269→県道68号線→佐多岬ロードパークウェイ)はすいていた。
桜島を出発して以降走りっぱなしだし、根占付近で11時を過ぎていたので、さすがに疲れた。大浜海浜公園前の道の駅「根占」で休憩。
この道の駅で休憩中、今日のこの後の行動や運勢を決定付ける、3つの重要な選択肢があった。
まず1つ目の選択。ここのレストランで、945円(だと思った)の手作り料理バイキングを食べるか?料理自体の内容は大したものではないものの、品数は多い。この先、大きな街がなさそうなので、ちと早目に昼食を摂ることとした。色々な種類のおかずを腹一杯食べ、しかもコーヒー&軽デザート付き。結果的にこの先の行程200km近くで、まともに食事を摂れるところはなかったので、まずは大正解!
次に2つ目の選択。道の駅の観光案内図を眺めていたら、「内之浦ロケット基地」なるものを発見。そういえば種子島にロケット発射基地ができる前は、ここが日本のロケット打ち上げのメイン拠点だったような気がする。時間的には余裕がありそうだったから、佐多岬の後に行くこととした。この選択は、まあまあ正解だった(後述)。
そして3つ目の選択は、内之浦ロケット基地に向かう行程だ。手持ちのツーリングマップによると、佐多岬より東側の県道68号線は途中かなり怪しい記載(途中で道路が途切れている?)になっていたので、往路を戻ることになるだろうと考えていた。しかし、道の駅の案内図では、その先の県道74号線も含めて特に問題なさそうな記載である。よって、県道68号線東側ルートを選択。これは…、大失敗だった(後述)!
道の駅で腹一杯になった後、充分に休息を取って、11時50分に出発。30分程で佐多岬へ到着した。
駐車場から岬に行くのに通行料を300円取られ、更に岬の展望台(タワー)に登るのに200円支払った。だったら最初からまとめて取ればいいのに、とも思ったが、途中に神社があったし、普通の展望所からの眺めもそれなりにきれいだったので、展望台に登らない人もいるだろうからという配慮なのかもしれない。その展望台は、入口で料金を徴収していたおばちゃんの「(展望所と基本的に)景色は変わらないけど、スリルはあるよ〜。」という一言に期待した通り、崖の上に建っている為、遥か下に海が見える。しかもフェンスは工事現場用トラ模様の簡易金網のみ!よく問題が起きないものだ。確かに200円以上のスリルはあった。
佐多岬展望台
佐多岬に30分程滞在し、佐多岬ロードパークウェイを北上中、何やら怪しいバイク1台と擦れ違った。オユタである。
オユタに圧勝した喜びを胸に、問題の内之浦ロケット基地に向かう行程に入る。県道68号線東側ルートは、出だしこそ普通の田舎道で交通量が少なく、快適だったのだが、その内細道に。いや、それでも路面は良好だったので楽しめた。ファイヤーブレードの本領発揮だ。ヒデ所有のロードマップ上で途切れていた部分は、多少酷かったものの、まあ想定した範疇。ところが、次に控えた40kmにも及ぶ県道74号線が最悪だった…。道幅はクルマとバイクが何とか擦れ違える位で、ほとんど直線なし。幸い滅多に対向車が来なかったからよかったものの、前日の雨で砂や落ち葉に加えて、小枝まで散乱している。コーナー毎に滑るリヤタイヤ!そんな極限の緊張感と集中力を要するライディングの中、珍しく対向車が来たので、左脇に寄った。しかし、対向車(ミラジーノ)のおばさん、何を考えているのか、明らかにこちらに向かって突っ込んで来る!ヒデは思わず絶叫し、慌ててブレーキを掛けたが、路面には砂が多くてほとんどコントール不能!それでも、何とかギリギリで左側半分ブッシュに突っ込みながらも回避。マジで右足を持っていかれたと思った。苦難の末、15時に内之浦宇宙空間観測所(内之浦ロケット基地)着。
内之浦ロケット基地は宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究本部の管轄になっている。その前身は東大生産技術研究所、東大宇宙航空研究所を経て、ウメが大学時代に卒研で電磁飛翔体加速装置(レールガン)の研究をやっていた文部省(現文部科学省)宇宙科学研究所である。つまり、本部は神奈川県相模原市にある訳だ。
受付で名前と住所を書けば、無料で自由に見学できる。ここは、そもそもが見学目的で作られた施設ではない。広大な敷地の所々に置いてある昔のロケット、初代衛星の模型、発射台、ウルトラマンに出てくるような電探を見学するのは、徒歩だと大変。バイクで移動し、好き勝手に写真を撮りまくった。(他にほとんど客はおらず、警備もなかった。) 今もこの内之浦から定期的にM-V型ロケットで科学衛星を打ち上げているらしいが、各施設は老朽化が激しく、とてもそんな雰囲気は感じられなかった。
内之浦宇宙空間観測所
帰り際に資料館(宇宙科学資料館)があるのに気付き、入ってみた。内部は吹き抜けの5階建てで、各種ロケットや人工衛星の模型等が展示されており、その陳列の仕方がなんとも硬派というか、客に媚びない感じがバリバリして、ヒデは少し気に入った。
そうこうしている内に時刻は16時30分を過ぎていた。宿がある桜島までおよそ80km。夕食(18時頃)に間に合うのか?「(ヒデ)ふっ…、無理だな。」という訳で、携帯電話にてウメに遅れることを連絡すると、彼らはこれから鹿屋市のばら園を出発するところだった。
R448→県道561号線→県道554号線→県道543号線→R220→R224という、今までとは違って広く快適なコースをひた走る。途中給油と夕映えの桜島を撮影をし、18時10分に宿着。平均時速60km/h+α!?上出来だ!他のメンバーは既に到着しており、夕食を待っていてくれた。「(ヒデ)申し訳ない。」
本日の走行距離:約285km
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宿の敷地からは、夕日を受けて赤くそびえる桜島が間近に見えた。明日の天気予報は曇りのち雨。今の内にと各自カメラのシャッターを切った。
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宿データ |
宿名 |
桜島ユースホステル |
場所 |
鹿児島県鹿児島市桜島横山町188-1 |
感想 |
インターネットの某検索サイトで“桜島ユースホステル”と入力して検索を実行すると、「最悪」と宿泊時の感想を記載した個人のホームページがあった。風呂が汚く、宿泊客をぞんざいに扱うというのだ。他にも言いたい放題。しまいには「できるなら避けた方がいい」とまで。これがまた検索結果の上位にあるものだから、目に付くのだ。2ヶ月前、フェリーの予約が取れた時点で、桜島周辺の国民宿舎、ホテル、旅館は既に軒並み満室だったので、先の書き込みを知りつつ、ここに決めた。今まで様々な曰く付きの宿に泊まってきたGTECのメンバーからすれば、多少のことでは驚かない。逆に、どれ程ひどいのか、好奇心によって楽しみですらあった。さて、いざ蓋を開けてみると…。部活等の合宿にも対応できる規模の鉄筋コンクリート製の宿舎は、古いながらも文句を言う程のものではない。風呂は温泉の源泉から直接お湯を入れていて、広く、不潔でもない(お湯が濁っているのは温泉のせい)。食事もまあまあ。これで3,870円なのだから、コストパフォーマンスはすばらしい。オーナー(?)のおばさんは、確かにずけずけとモノを言う、気の強そうな人だった。この点については、合わない人は悪印象を持つであろう。このキャラクターはかつて泊まった筑波山荘ユースホステルのオーナーに似ているので、むしろ好感が持てた。よって、トータルな評価は全く問題なし。ある意味、身構えていたのにがっかり? ここは桜島観光には絶好の場所にある。公営だからと敬遠する必要はない。ただし、人それぞれ感じ方は異なる。きれいな、サービスの行き届いた宿に泊まり慣れている人からすれば、ここに限らず多くのユースホステルを「最悪」と感じるかもしれない。
1泊2食付き:3,870円
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5月4日(金) |
天気:曇り時々雨 |
朝の時点では曇っている。しかし、九州南部はいつ雨が降ってもおかしくない予報なので、曇っている内に桜島のメジャーなポイント(恐竜公園、湯之平展望所、黒神埋没鳥居)を見て、後は最短コースで今日乗るフェリーが出航する宮崎港に行ってしまい、徒歩で宮崎市内観光をしようということになった。
8時30分出発。まずは宿の近くにある恐竜公園に行った。ガイドブックには、7体の実物大恐竜模型が出迎えてくれると記載されている。もちろん、実物など存在しないので、化石から想像される姿である。なんでここに恐竜が?というと、桜島では恐竜の化石が見付かっており、火山からもイメージがピッタリということらしい。
実際に行ってみると、これらの模型は老朽化が進んでおり、アップの撮影には堪えられない状態だった。公園からの見晴らしはいいものの、恐竜で観光PRするのは、そろそろ限界なのではなかろうか?実は長野県にも、長野市篠ノ井茶臼山に恐竜公園がある。やはり、公園内に恐竜のオブジェがあるのだが、あちらは25体もあって、ここよりもスケールがはるかに大きい。
恐竜公園
お次は湯之平展望所だ。桜島北岳の4合目、海抜373mの所にあり、鹿児島市内や大隅地方を一望できるらしい。そこまではワインディングなので、走りも楽しめそうだ。しかし、恐竜公園駐車場を出発しようとした時に雨が降り出した。いきなり本格的な降りであり、展望台まで行く気は完全に失せた…。各自気を落としながらカッパを着込んで出発。県道26号線を時計回りに走る。
9時20分、県道26号線沿いにある県の天然記念物「黒神埋没鳥居」着。1914年に桜島が大爆発した時、この辺りは火山灰や軽石等で埋め尽くされた。その際、この黒神神社の鳥居は上部だけを残して埋まってしまったのである。神社の本殿も灰の下に埋まったらしい。周りには大きな木々が生い茂り、鳥居の奥には中学校が建っているという、今ではすっかり“復興”してしまった環境の中にポツンとあるのを見ても、各自の感想としては「なるほど、埋まっている。」というレベルのものであった。ここが草木1本生えていない荒涼とした風景の中だったら、鬼気迫るものを感じたことであろう。
黒神埋没鳥居
海沿いにR220を北上し、県道478号線に右折。ここもワインディングなので期待していたのに、この天気では慎重に走らざるを得ない。R10に出てから道の駅「すえよし」で休憩。都城市を抜けて都城ICから宮崎自動車道に入る。11時30分に山之口SAに立ち寄り、ここで昼食とするか相談していたら、雨が小降りになってきた。更に様子を見ていたら、やがて止んだ。そこで、とっとと宮崎港に行ってしまい、バイクを置いて宮崎駅に繰り出し、駅周辺で食べようということになった。まだ降られる可能性はあるので、カッパを着たまま出発。
宮崎ICで高速を降り、R10を北上。市役所で右折し、県道11号線を東に進み、12時45分、宮崎港フェリーターミナル着。結局雨には降られず、各自カッパを脱ぎ、徒歩で観光する為の装備に切り換えるのも楽にできた。フェリーの乗船手続きは16時30分からで、まだ時間はたっぷりある。タクシーで宮崎駅へ。
おおさかエキスプレス
まずは昼食。ガイドブックに載っているお薦めの店は、どれもちと駅から遠いので、駅ビルの中のおいしそうな店で食べた。
宮崎県といえば、1月に誕生した東国原英夫知事で全国的にクローズアップされている。土産物屋のほとんどの商品には、彼のイラストが印刷、あるいはシールで貼られている。知事のポスターや等身大パネルも至る所に…。少なくとも、観光面においては大成功といった感じだ。それではと、ヒデとヒロは県庁まで行ってみることにした。もしかしたら、本人に会えるかもしれない。駅の近くにある宮崎科学技術館の敷地内にある、高さ約40mの「H1ロケット実物大模型」の前で記念撮影後、2人は徒歩で出発した。県庁までおよそ2〜3km。ブラブラ歩くのにはちょうど手頃な距離だ。ウメ、オユタ、カンちゃんは、そのまま宮崎科学技術館の中に入って行った。
宮崎科学技術館(入館料520円)は“「科学と遊ぶ」をテーマに、子供から高齢者まで楽しみながら、また体験しながら科学を学ぶことができる施設”がキャッチフレーズだ。一番のウリは、世界第3位を誇るプラネタリウムドームなのだが、そちらはあまり興味がなく、パスした。館内は様々な体験型の実験装置が並んでおり、確かに遊びながら科学を学ぶことができるようになっている。特に子供は楽しめそうだ。アポロ11号月面着陸船イーグル号とジェミニ宇宙船(ジェミニカプセル)の実物大模型も展示されている。中でも、リアルなロボットの2代目コスモ博士はお薦めだ。人間(アインシュタイン博士?)そっくりな外観なのに対して、動きは中途半端にぎこちなく、“人間離れ”している。上半身と腕をククッ…、ククッ…っと動かしまくるのに、指が全く動かないのだ。よって、小さい子供には怖いらしい。動き出すなり泣き叫んでいる幼児がいた。
宮崎科学技術館
一方、ヒデとヒロはゴールデンウィークで人気(ひとけ)のない官庁通りを歩いていた。すると、妙に人が集まっている建物を発見!案の定、県庁舎だった。小ぢんまりしているものの、歴史ある風格の外観である。まさか中には入れないだろうなぁ、と2人がとりあえず建物入口まで行くと…、正面階段の上に東国原宮崎県知事が!!しかし何だか変だ。妙に薄っぺらで2次元っぽい。そう、等身大ポップだった…。それでも守衛の方に断り、2ショット写真を撮らせてもらった。守衛さんの話によると、今日は休日だから中に入れないのだそうだ(平日は入れる)。残念!
知事と2ショット?
こりゃわざわざ歩いて来たのにどうしたものかと思っていると、県庁の目の前にひと際人が多く入っている店「みやざき物産館」があったので入ってみた。ここには宮崎県の特産品が売られており、各自お気に入りの焼酎を購入した。更にヒデは、2003年のツーリングで訪れた際に発見できなかった“幻の焼酎”の応募券を発見!さっそく応募したが、その後音沙汰はない…。やはり幻なのだ。
物産館を後にしようとしたところ、入口で見覚えのある人がいた。選挙といえば何所にでも立候補する節操のない男(?)の「羽柴秀吉」その人だった。(長野県知事選にも立候補していた。) 青島に温泉を掘る計画があるらしく、その関係かテレビの取材を受けているようだったが、別に興味のなかった2人はとっとと駅に向かった。(とはいえ、しっかり写真は撮ったりして。)
時計を見るとまだ時間があったので、商店街にある「ジャイアンツプラザ」を覗くも、客が全くおらず、商品も興味をそそられるものではなかった為、さっさと退散。喫茶店でケーキセットを喰らい、待ち合わせ時間に合わせて駅へ向かった。
16時に宮崎駅で全員集合し、コンビニでフェリー内用の買い物をした後、タクシーでフェリーターミナルに戻った。受付では、ちょうど乗船手続きが始まっていた。
17時50分、バイクの乗船開始。19時10分にフェリーは大阪南港に向けて出港した。さらば宮崎!
本日の走行距離:131km
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宿データ |
宿名 |
宮崎カーフェリー「おおさかエキスプレス」 |
場所 |
宮崎→大阪の太平洋上 |
感想 |
2等寝台で予約していたら、ドライバーズルームに案内された。(ゴールデンウィーク期間中は営業車が少ない為、ドライバーズルームの一部を2等寝台として使用しているようである。) 1段ベッドの6人部屋で、スリッパ付き。奥に4畳半位の絨毯敷きの小上がりがあり、卓袱台(ちゃぶだい)、テレビ、船外を拝むことができる窓が完備されている。ベッドスペースには照明とコンセント、棚があり、何よりうれしいのは、立って着替えができることである。(優遇されているなぁ〜。) 大浴場は無料の鍵付きロッカー、シャンプー、ボディーソープ完備であった。食事はバイキング形式のレストラン。値段もお手頃。快適な船旅を楽しむことができた。
1997年就航。総トン数:11,900t。
乗船券:13,200円(2等寝台)+単車:6,600円(750cc未満)=19,800円
乗船券:13,200円(2等寝台)+単車:7,600円(750cc以上)=20,800円
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5月5日(土) |
天気:曇りのち晴れ |
7時50分に大阪南港上陸。今日は阪神高速→近畿自動車道→名神高速→中央自動車道→長野自動車道で帰宅する予定である。
大阪南港から程近い、南港中ICから阪神高速に乗る。当然ウメ、ヒデの2台はETCゲートを通過するので、高速では他の3台よりも先行することになる。(ゲート通過後、内側で全員が揃うまで路肩に停止して待つのは危険なのでやらない。) 通常であれば走行車線をゆっくり巡航し、後続が追い付いて来るのを待つのだが、なぜかウメがいきなり飛ばし始めた!? ヒデもぴったり付いて行く!
ウメとヒデの2台がETCゲートへ進入する際、ヒデの後ろに軽自動車(車種不明)が張り付いていた。ランプウェイまで遅い先行車がいたおかげで、ウメは思うように加速できない。隼のバックミラーには、相変わらず煽るようにヒデの後ろを走るそのクルマが映っていた。いつもなら軽自動車ごとき相手にもしないのだが、そいつはウメ達が本線に進入するよりも早く、まだ右側の白線が点線になるより前に、フライングして走行車線を素通りし、追い越し車線に入って行った。大人気ないウメは、その(砲弾型マフラーを装着し、車高を落とした)軽自動車を少しだけ煽ると、走行車線側から一気に抜き去った。こういった場合、そのまま加速して相手を点にしてやった後、走行車線で100km/hまでスピードを落として巡航し、勝負は終わったと相手に認識させるのだが(じゃないとキリがなくなる)、あいにくどちらの車線も交通量が多く、クルマが連なっていた。そこで、150km/h位で車線を縫ってしばらく走行した後、追い越し車線側で流れに乗って巡航した。
ところが、ふと左を向くと、走行車線に先程の軽自動車がっ!? どうやら同様に車線を縫って来たようだ。いくらチューンしようが、速度リミッターを外そうが、しょせんは軽自動車と馬鹿にしていたが、そこそこのペースで流れているこの高速で、よくぞここまで追い上げてきたものだ。しかし、ここまでだ。我々の前に出ようなんておこがましいわ!ウメは「冗談ではない!」とつぶやき、ウィンカーを出しまくりながら右に左に飛ばし続けた。(この時点でその軽自動車は付いて来れる筈もなし。) すると、前がクリアになったので、「(ウメ)よっしゃ〜っ!」と一気に250km/hまで加速。直後にヘルメット内で“およそ、…先、…方向です。”という断片的なカーナビの声…。彼はハッとなってアクセルを戻したが、しかし、“間もなく、左方向です。”が聞こえた時には、既に近畿自動車道への分岐点(東大阪ジャンクション)を通り過ぎていた。スピードが速過ぎて、カーナビが追従できないのだ。200km/h以上では、カーナビを頼ってはダメだというむなしい教訓を得た。(音声もよく聞こえないし…。) 今日のルートは過去何度も走っているのに間違えるとは…。やはり標識もキチンと見なければダメである。「(ウメ)ヒデ、すまん〜!!」“ルートから外れました。リルートを行います。”
次の中野ICで一旦高速を降り、すぐにUターンして阪神高速に復帰。近畿自動車道に入ると、ちょうど他の3台がいて、なんで逆方向から合流して来たのかと理解に苦しんでいた。吹田ジャンクションで名神高速に入る。
その後は順調に走り、大津SA、養老SAで休憩し、最後は中央自動車道の駒ケ岳SAで昼食後、解散した。
駒ケ岳SA「お疲れ!」
本日の走行距離:長野自動車道豊科ICまで430km(※)/長野自動車道塩尻北ICまで411km
※ウメ&ヒデ。道を間違えた分を含む。
今回のツーリングは沖縄での滞在日数が少なく、雨にも祟られたせいで、いささか不完全燃焼であった。
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