1993年のツーリング

グレートツーリング '93 in 四国
メンバー(マシン) ウメ(GSX-R400R-SP)、オユタ(CBR400RR)、カンちゃん(DT200R)、ヒロ(CBR250 FOUR)、マコちゃん(GSX-R250)
4月30日(金) 天気:雨のちくもり
 8時、長野自動車道みどり湖PAに集合予定。残念ながら、小雨模様である。
 8時5分、カンちゃん以外は全員到着。しかし8時30分になってもまだカンちゃんは来ない。まさか忘れているんじゃ?電話をかけてみると、「ごめん!荷作りに手間取っちゃって…。もう少しで行くから!」ときた。9時になってもまだ来ない。小雨だった雨が本降りになってきた。9時30分、ようやくカンちゃん登場!やむを得ない理由ならいざ知らず、荷作りで1時間半も遅刻されたのではたまったものではない。他の4人は不満の表情を隠せなかった。
 気を取り直して出発!長野自動車道から中央自動車道に入り、京都を目指した。隊列はウメ、マコちゃん、カンちゃん、オユタ、ヒロの順番である。雨の中のツーリングほどつまらないものはない。ひたすら淡々と走るのみである。名神高速の多賀SAで昼食を摂り、15時くらいに宿泊地の東山ユースホステルに着いた。この頃には雨は上がっていた。おととし泊まった時には清水寺に行ったので、今回は手頃な距離にある平安神宮に歩いて行くことにした。
 平安神宮の建物は新しく、カラフルではあったが、歴史を感じさせるものではなかった。だだっ広い庭は殺風景。つつじが満開の頃にはさぞ見ごたえがありそうだが、残念ながらまだ早過ぎたみたいだ。
 その庭の歩道を歩いていると、姿格好が“裸の大将”そっくりなおじさんが、「スイマセン、今何時ですか?」とたどたどしく聞いてくるので教えてあげると、「え〜っ!もうそんな時間なんですかあ!?こりゃ大変だ!どうもありがとうございました!」と言って、たどたどしく走り去った。しばらく進むと池があり、池の中には大きな鯉がたくさん泳いでいた。すると先程のおじさんが、池の中をしゃがんで覗き込んでいる。そして鯉に向かって、「おい、鯉鯉、どうしておまえはそんなに太っているんだ?人間様よりおいしいものを食べているのか?」と語りかけて立ち上がると、「チクショー!あんなに太りやがって!」と言ってまた走り去った。少し歩くと鯉の餌が売っており、そこにはま〜たあのおじさん。「鯉の餌100円だあ?」と怒りの表情を浮かべながら餌を見ている。もはや5人の興味はこのおじさんのみに向けられ、さりげなく後を付いていった。おじさんは歩きながらも絶えず何やらつぶやいている。急いでいるのではなかったのか?いや、急ぐという言葉自体、GTECのメンバーが思い描くものを超越した、つまり、いっちゃってる人のようであった。おじさんは出口の守衛に「いやあ、本当に楽しかったよ。また来るね!」と言っていた。どうやら常連みたいだった。
 宿に戻る途中、5人は和菓子屋で三色団子を買っていき、夕食後の楽しみとした。
宿データ 宿名 東山ユースホステル
場所 京都府京都市東山区三条通り白川橋五軒町112
感想 GTECのメンバーが頻繁に利用しているユースホステル。京都観光にはもってこいの場所に位置し、設備も整っている。しかしまともな駐車場がなく、建物の脇に8台くらいバイクを横付けできるに過ぎない。バイクで遅くに到着すると、置き場所がないかもしれない。
5月1日(土) 天気:くもり
 まずは神戸を目指した。そして東神戸港からフェリーに乗り、高松に上陸!R32で金刀比羅宮に行った。
 この時点で既に14時を過ぎており、そろそろ今日の宿、松山ユースホステルがある松山市に向かってもいい時間ではあった。しかし、せっかく来たのだからと、583段の階段を制覇した。ウメはバトルスーツと呼ばれる重い革つなぎを着ていた。擦れ違った若者が後ろで、「すげえ、バトルスーツ着て登ってるよ…。」と口にしたのが聞こえてきたが、登山で鍛えているだけあって、実は苦もなく登っていた。
 降りてきたのが17時近く。もはや18時までのチェックインは不可能である。宿に遅れることを連絡し、さて出発か?いやいや、バイクを置かせていただいたうどん屋で、お礼に金刀比羅うどんを食べた。麺に汁をかけるタイプで、実にうまかった。思わずお土産に購入してしまったほどだ。するとレジの近くに、“オチンxン”のリアルな彫り物が置いてある。何でこんなものがここに?レジのおにいさんに聞いてみると、「これは昔この店に来なはった一刀彫りのお客はんが置いていった物で、縁起がええのですわ。あんたの方が大きかったら、これあげまっせえ。」と(いうような話し方で)、真顔で答えてくれた。こちらとしてはリアクションに困り、「ほう、なるほどねえ…。」と言うしかなかった。
 出発する頃、外は既に薄暗くなっていた。松山まで、松山自動車道で一気に行ければよかったのだが、残念ながら、まだ途中までしか開通していない。終点からR11を西進するが、延々と渋滞している!ひたすらすり抜けていった。疲労が溜まっていたのか、ヒロは左側がかなり空いているのに、渋滞で止まっているトラックに寄って行き、荷台にミラーを“カンカンカン…!”と当てていた。
 ようやく宿にたどり着いたのが22時。団らん室が消灯になる時間だ。それでも冷めてはいるが、夕食を取っておいていただいた。こんなことではいけない。計画が甘かった。宿の方には迷惑をかけてしまった。
宿データ 宿名 松山ユースホステル
場所 愛媛県松山市道後姫塚乙22-3
感想 地球環境にやさしいユースホステルを目指し、設備には至る所にそんな工夫がなされている。かといってチープなわけではなく、きれいで快適な宿である。伊予鉄松山市内線道後温泉駅の近くで、道後温泉を楽しむにはもってこいである。が、夜遅くに到着した為、ただ寝ただけに等しく、ゆっくりできなかったのが残念。ちなみに各部屋には「赤シャツ」とか夏目漱石の「坊っちゃん」にちなんだ名前が付けられている。5人の泊まった部屋は「マドンナ」だったのだが、最初そうとは知らず、「ライク・ア・バージン」を歌って踊りながら部屋に入っていった。
5月2日(日) 天気:雨
 雨である。今日1日、上がる見込みもない。渋々カッパを着て出発した。
 R56を南下し、宿毛を目指す。宇和島付近ですり抜け中、隊列が切れてしまった。ウメのバックミラーには、カンちゃん、オユタ、ヒロが見えない。もうしばらく走れば、また信号待ちで3台共前に出てくるだろうと思い、ウメはそのまま走り続けた。すると突然オユタのCBRがウメの真横に現れた!「何!?こんな雨の中でバトルしようってのか?」いや、何か叫んでいる。「パンク!パンク!」
 はるか後方で、カンちゃんのDTはパンクしていた。チューブレスタイヤではないので、ウメが持っているパンク修理キットは使えない。仕方なく、最寄のガソリンスタンドまで押していった。ここら辺は民家も少なく、田舎のこじんまりしたガソリンスタンドまではだいぶ距離があった。運良く営業はしていたが、オーナーのおじさんは、バイクのパンク修理はやったことがないと言う。それでもチャレンジしてくれた。試行錯誤、何とか修理は成功した。しかも、ホイールに少し傷を付けてしまったから、おカネはいらないと言う。しかしカンちゃんは、「ホイールに傷が付いた…。」と文句たらたらでお礼を言おうとしない。もしこのガソリンスタンドが休みだったら、一体どうなっていたというのであろう?しかもこの件で失われた時間は1時間半。初日にカンちゃんが遅刻した時間と同じである。雨の中、全員付き合って待っていたのに、その態度は…。4人はカンちゃんをたしなめた。(もちろん結局お礼は言った。ガソリンも入れた。)
 パンクの修理が終わると、もう12時であった。ガソリンスタンドのすぐ近くに「とん太郎」なるラーメン屋を発見。看板には“味で勝負!”“特大チャーシュー!”と書かれている。さぞかし味には自信があるのだろう。迷うことなくその店に入った。そして出てきたラーメンを見てビックリ!チャーシューの代わりにボンレスハムが載っているではないか!?味も最悪!こんな店にリターン客はあるのか?(7年後、同じ系列かは分からないが、阿南市の「とん太郎」で冷やかし半分に食べたラーメンは…、なかなかおいしかった。)
 雨の中ではどこにも寄る気になれず、後は宿毛までただただ走ったのみであった。
宿データ 宿名 宿毛ユースホステル
場所 高知県宿毛市橋上町神有196
感想 宿毛市の松田川を、R56から結構さかのぼった、自然豊かな場所にある。宿毛共和国を名乗り、オーナーは大統領だそうだ。大部屋に多人数で泊まったが、この部屋の入り口が低く、何人も頭を強打して悶絶をうっていた。カンちゃんもその1人で、ぶつけた後に「頭上注意」の張り紙を見つけるのだった。
5月3日(月) 天気:晴れ時々くもり
 朝、宿のすぐ近くを流れている松田川で、石を投げて“水切り”遊びをして童心に戻った後、出発した。
 R321を南下して、足摺岬に到着。断崖の上に大正3年から立ち続ける足摺岬灯台。下を見下ろすと、自殺の名所と言われるのもうなずける。そしてそのそばには、第38番札所である金剛福寺がある。このお寺は、ユースホステルにもなっている。四国の岬とユースホステルを兼ねる八十八札所の寺という組み合わせは、室戸岬にもある。お遍路さんの宿坊としての役割も果たしているのであろう。足摺岬周辺はゴールデンウィークとあって、出店等で賑わっていた。おかげで岬の東側にショートカットする道に交通規制がかけられ、警察の目の届く範囲ではバイクを押す羽目になってしまった。
 R321からR56に入る辺りで、四万十川をバックに集合写真を撮ることにした。使用するのは、今回初登場のヒロのニューカメラに決定。ヒロは三脚にカメラを固定し、タイマーをセット後、皆の所に走った。あとはシャッターが切れるのを待つばかり…、っとそこにさわやかな風が吹いたと思った瞬間、カメラは三脚ごと傾き始めた。慌ててカメラに走り寄るヒロであったが、無情にも間に合わず、地面に叩き付けられたカメラのフレームには、“四万十川記念の傷”が刻み込まれた。ちなみに、倒れる途中でシャッターが下り、走り寄ってくるヒロの姿が写っていた。
 R56をひたすら東進すると、やがて路面電車が姿を見せ、高知市に入ったことを悟った。本日の宿、高知駅前ユースホステルでは、夕食の提供がない。チェックインして風呂に入ってから、高知市街に繰り出した。まだ外は薄暗くなりつつある時間であった。
 道中、ジュースの自動販売機に、「あめゆ」なるものを発見。初めて目にする飲み物だが、大方の予想はついていた。オユタが早速購入。やはり、この懐かしい味…。おととし京都の清水寺で飲んだ“砂糖入り生姜水”、「冷やしあめ」のホットバージョンである。四国でも好んで飲まれているのか…。5人は回し飲みしたが、興味本位で買ったオユタを含め長野県人の口には合わなかった。
 はりまや橋で記念撮影。しかしこれのどこが橋なのか。川はどこにも見当たらない。まあ、開発によって形だけ残るこの手の“橋”は、けっこうあるものだ。
 さて、夕食はどこで食べようか?高知だけに、海の幸がおいしい居酒屋なんていいねえ。と、何やら中央公園の方が賑やかだ。行って見ると、高知フェスティバルの一環として、沖縄ロックで有名な「喜納昌吉&チャンプルーズ」が、無料野外コンサートを開いていた。5人はしばらく見ていたが、マコちゃんが「さあ、夕食を食べよう!」と言うので、移動することにした。しかしウメは、「宿で落ち合おう!」とその場を動こうとしなかった。仕方ないので他の4人は、適当に入った居酒屋で乾杯した。
 「何だ、この音楽は!?」ウメは初めてプログレッシブロックやポンプロックに出会った時のような衝撃を受けていた。ただ、この音楽からは何か、熱い魂の響きのようなものを感じる。ラストの「はいさいオジサン」の演奏が始まると、喜納昌吉が、「さあ、一緒に、踊って!」とステージに手招きする。前の方で見ていた観客が何人かステージに上がって踊り始めた。この一体感!すばらしい!気付くとウメ自身、ステージの上で一緒に踊っていた。これ以降、ウメは喜納昌吉&チャンプルーズのCDを買いあさることになる。
 ほろ酔い気分で宿に向かって歩いていたGTECの4人は、足取りもおぼつかないウメを発見した。聞けば、コンサートの後、屋台でしこたま飲んで来たようだ。そういえば高知は屋台もたくさんあることで有名だった。その手もあったか。完全に出来上がってご機嫌なウメを含めた5人は、高知駅で記念切符を買ってから宿に戻った。
 ウメは、何やら意味不明なことをしゃべりながら、更に缶ビールを飲んでいた。
宿データ 宿名 高知駅前ユースホステル
場所 高知県高知市北本町3-10-10
感想 その名の通り、高知駅のすぐ近くにある。ハッキリいって、あまりやる気のないユースホステルといった感じで、先は短いと見た。車庫は頭上注意!屋根が異常に低い。
5月4日(火) 天気:晴れ
 8時出発。まずは桂浜を見た。坂本竜馬の銅像前で記念撮影したが、この時間だというのにすごい人で、情緒は感じられなかった。ここのお土産屋でツーリングフラッグを購入。リヤシートになびかせていくことにした。各自、四国を表すデザインが入ったオーソドックスなビニール製品の旗を選ぶ中、オユタだけはさんざん吟味した結果、布でできたのぼり型の旗を買った。
 南国ICから高知自動車道に乗り、北上する。この高速道路、その殆どがトンネルで占められている。四国は東西に山地が走っているので、南北にまっすぐ道を作ろうとすれば、当然トンネルが多くなるわけだ。さすがに対面通行ではある。
 新宮ICからR319を経て、R192を東進する。この道は実に単調で、面白みに欠けた。徳島でR11に入り、淡路島を目指す。
 鳴門大橋を渡って淡路島に上陸!確かに海峡には、たくさんの渦が巻いていた。見ていると吸い込まれそうな感じがする。
 今日の宿は六甲芦屋ユースホステルを予約している。しかし大磯港のフェリー乗り場は乗船待ちのクルマでごったがえしており、到着は夜になりそうだ。マコちゃんが宿に遅れそうとの連絡を入れるが、相手の反応は悪そうだ。気難しいオーナーらしい。
 暗くなってから、やっと神戸に着いた。R43を芦屋目指して飛ばす。この時、ヒロは目の前を何やらヒラヒラしたものが舞っていくのを目撃したが、気には留めなかった。
 六甲芦屋ユースホステルは、芦有ドライブウェイ(有料道路)の区間内にある。しかしそこは2輪車通行禁止となっている為、芦屋警察署に行って通行許可証を発行してもらわねばならない。警察署に入るなり、「なんやあ?」と言われてびびるGTEC達…。どうも関西弁は苦手である。問題なく許可証を発行してもらえ、出発しようとした時、オユタの旗がなくなっていることに気が付いた。R43でヒロが目撃したのは、オユタののぼりだったのだ!やはり耐久性に難があったのか…、というより、構造上ツーリングフラッグにするには無理があったようだ。みごとにすっぽ抜け、棒だけがむなしく残っていた。
 料金所が見えるや否や係員が飛び出してきて、帰れ帰れのポーズ。許可証を見せると突然対応がやさしくなり、「気いつけてえな〜。」ときた。きっと暴走族や走り屋のせいで、事故や苦情が多かったので、2輪車通行禁止になったのであろう。けっこうなワインディングであった。
 20時過ぎ、六甲芦屋ユースホステルに到着。やはりオーナーは不機嫌そうで、早く夕食を済ませ、風呂に入ってもらいたいと言われた。夕食後、湯船でほっと一息していたら、「遅く到着した人がいますので、本日のミーティングは21時から開始します。」という館内放送が流れた。21時といったらあと10分もない。こちとら疲れているし、だいたいが、まだ風呂に入ったばかりだ。別にミーティングなんか出なくてもいいか、と思っていたが、どうやら強制参加のようである。21時近くになると、しつこくアナウンスが繰り返される。「全員揃わないと開始できませんので、急いでください。」しかし待てよ。風呂は21時30分までで終了と言っていたはずだ。何か不条理だ。とはいったものの、遅れて来て迷惑を掛けたのは確かなので、5人はミーティングに渋々参加した。
 宿泊客は合計15人程であった。ミーティングは、施設利用上の注意事項から始まった。シーツの敷き方。毛布のたたみ方(絵柄の向きまでまでこと細かく指導された)。風呂の入り方(体をきちんと洗ってから湯船に入り、お湯は無駄使いしない等)。そしてトイレットペーパーのちぎり方まで指導は及ぶ。毛布のたたみ方はともかく、「そんなこと当たり前だろ!」と皆憤りを隠せなかったが、考えてみれば、その“当たり前”ができない若者が多いのではないだろうか?いや、実際多い。マナーを知らない若者が多過ぎる!確かに宿を経営している者にとっては言いたくもなるのかもしれない。
 そしてようやく神戸の観光スポットの紹介に話は移った。それは、「ガイドブックに載っている所は、料金が高い割につまらないから行かない方がいい。」という内容のものであった。オーナーは自信たっぷりと、「古墳を見に行きなさい。タダだし見ごたえがあるから。」と言っていた。そういうここは、有料道路の区間内である。こんな感じで、ミーティングは延々1時間続いた。そのうちフォークギターが出てきて、みんな一緒に歌わされるかと冷や冷やしていたが、さすがにそれはなかった。
宿データ 宿名 六甲芦屋ユースホステル
場所 兵庫県芦屋市奥池南町40-30
感想 旧態依然たる、バリバリのユースホステル。今やこういった所は貴重だ。思いっきり好き嫌いがハッキリ分かれそう。
5月5日(水) 天気:晴れ
 朝、言われた通りに毛布をたたんだ。スリーピングシーツ(ユースホステル固有の、寝袋状のシーツ。布団と接触しないので清潔。)も完璧にたたんで、フロント前の籠に入れた。どうだ?文句はあるまい。GTECをそんじょそこらのマナーの悪い若者と一緒にしてもらっては困る。トイレのスリッパだって、使った後は、向きを戻して揃えておくぞ。
 せっかく許可をもらっているのだからと、芦有ドライブウェイの展望台まで走って記念撮影をした。なかなかの好展望である。
 芦屋駅で平成5年5月5日(555)の記念切符を購入し、長野に向かって出発した。あとはひたすら高速を走るのみ。
 松本のファミリーレストランでお茶した後、解散した。

レポート by ウメ


ひなびた温泉ツーリング
メンバー(マシン) ヒロ(CBR250 FOUR)、マコちゃん(GSX-R250)
 中央道辰野PAに集合。中央道を南下し、飯田ICで降りて「天竜ライン下り」を目指す。これが今回の目的。カンバンに沿ってたどり着くとそこは、有料駐車場だった。バイク1台100円。
 いよいよ船に乗る。まわりは数人のグループや家族連れといったところか。天気のいい日が続いていて、水量は少な目。時折、「パシャ」くらいの水シブキを浴びることはあっても「バッシャ〜ン!」と大量に浴びることはなかった(ラフティングじゃないんだから)。峰竜太の出身地だとか、何とかの岩(いわれのある岩のようであるが、詳しい記憶はなし)だとか沿線のガイドが流れる。天気がよく、天竜峡の眺めがよかった。
 ほどなくして船頭さんが網を用意し、「とぁ〜っ!」と投げる。…が何もかからない。もう一度「たぁ〜っ!!」と投げても何もかからない。水かさが少ないからか、真っ昼間(炎天下)で元々魚が居ないのか、はたまた船頭さんのウデなのか、何度投げても収穫はなかった。同じようなことをガイドも言っていた。
 そんなパフォーマンスの横で、ガイドが七輪をパタパタと仰ぎ、あらかじめ用意した「にじます」にチョイと塩を付け、焼き始めた。「こんなこともあろうかと念のため用意してきました。」ようなことをいっているが、それにしちゃ用意がよすぎやしないかい?焼けた魚がふるまわれた。といっても数人に1匹くらいの割合。同乗の皆さんもチョット突っつく程度であったろうか。
 舟はさらに川を下っていよいよ終点、唐笠港。JR飯田線唐笠駅のすぐ近くである。上流へは電車で戻るのだ。「本数の少ない電車の時間に間に合うように舟が到着する」ように時間を決めているらしい。よくできている。
 唐笠港(港というよりは船着き場といったほうがいいような)のほとりに数羽のアヒルが飼われていた(柵で囲ってあったから、飼育されているのだと思われる)。ヒロとマコちゃんの乗った舟が近づくと、ガーガーとはしゃいでいる。なぜか?客が舟から降り、後片付けをする時に、先ほど乗客に配られ、所々食べ残した「にじます」を回収し、ポイっとアヒルの元へ。塩焼きに群がるアヒルたち。「ごちそう」の到着を待っていたのか(客を出迎えたわけじゃないのね)。なるほど。
 でも、人間にとって「いい塩加減」って、アヒルにはしょっぱいンじゃなかろうか?普通のアヒルが何を食べているのか知らないが、「味付け」しっかりの魚は旨い、っていうか「刺激的」なのだろう、きっと。そういえば、奈良公園の鹿達も満腹になってくると「しかせんべい」などには見向きもせず、観光客が食べ残したお好み焼きとか食べいた。
 アヒルに「ごちそう」を与えた船頭さん達は、乗客が居なくなった舟の向きを変え、船外機の爆音を残し、上流へ帰っていった。一方、「ごちそう」をたいらげたアヒルたちは、「ガブガブガブ」と水を飲んでいた。やっぱり、しょっぱかったようだ。あれを毎日食べているとなると、さぞ血圧は高いであろう。生活習慣病に注意してもらいたいものだ。
 電車に乗って駐車場へ戻り、宿泊先である「鹿塩温泉」を目指す。飯田からR153をチョット北へ、そして小渋湖を目指して東に向って山を登っていく。道路がどんどん細くなって、民家が見当たらなくなってきた。おまけに雲行きまで怪しい。「道、間違えた?」そんな不安にかられたとき、念のためにと地図でルートを確認。どうやら間違ってはいないようだ。地図の上ではそれなりに頼り甲斐のある線でかかれているのだが、実態を伴わないのが長野県の道だ。そんな時、前方からのバイクの一団とすれ違う。バイクが来るということは、この道でいいのであろう。根拠はないが、2人は何となくほっとした。(ちょっと待てよ…。) よく見ると彼らはカッパをしっかりと着ている。向こうから来るライダーがカッパを着ているということは、2人がこれから向かう山の方では雨なのだろうか?「(マコちゃん)これはまずい。先を急ごう!」と、地図を閉じ、先へ進むことにした。道路状況は相変わらずだが、しばらく走ってちょっと開けたところに今日のお宿「山景館」を発見。ここまで何とか雨に降られず到着できた。「バイクはあそこに止めるといいよ」と宿のおばちゃんのすすめで屋根のある車庫(というか納屋というか)へバイクを置いたとたん、「ザーッ!」というものすごい雨。間一髪であった。
 荷物を持って、階段を上がってたどり着いたのが今日泊まる部屋。「元の入口を潰して壁にしました。」とはっきりわかる改装をした部屋だった。改装によって室内はいくらか広くなったのだろう。山間の静かな宿。ひなびた感じでのんびりするにはいいのかもしれない。
 「鹿塩温泉」というだけあって、夕食には鹿肉の刺し身。お風呂のお湯はしょっぱい。(注)本当の由来は、鹿が好んで飲むお湯に塩が含まれていたからとかとか。
 1泊2日の短い夏のツーリングだった。

レポート by マコちゃん


グレートツーリング外伝 '93 in 福島
メンバー(マシン) ウメ(GSX-R400R-SP)、オユタ(CBR400RR)、カンちゃん(DT200R)、ヒデ(VFR400R)、ヒロ(CBR250 FOUR)、マコちゃん(GSX-R250)
8月13日(金) 天気:晴れ
 7時、長野自動車道姨捨SAに集合。ヒロだけ集合時間を過ぎても来ない。10分遅れてヒロ登場。たかが10分くらい、いいじゃないかと彼は言うが、「グレートツーリング '93 in 四国」でカンちゃんが1時間半遅刻して、大ひんしゅくをかった後だけに、今日1日はからかわれそうだ。
 とにかくこれで全員揃ったので出発!長野自動車道終点の長野ICでR18に入って北上し、上越ICから北陸自動車道に乗る。さすがに真夏だけあって暑い!日本海がきれいに見えた。更に北陸自動車道終点である新潟西ICからR49にアクセスして東進する。高速に乗ったり降りたりと忙しいが、あと数年もすれば、長野自動車道から磐越自動車道まで1本に繋がる筈だ。
 国道脇のうどん屋で、ぶっかけうどんの昼食を摂った。その名の通り、麺につゆをかけるタイプだ。金刀比羅うどんを思い出す。ここのうどん屋の看板がおもしろい。「スピード違反10,000円、ぶっかけうどん300円」
 しばらく走ってからR459に入り、桧原湖を目指す。ここまで暑い中、単調に高速を走ってきて、国道もクルマの流れに乗って何の刺激もなく運転していた。おまけに食事の後。最後尾のヒデは、前を走っているマコちゃんのGSXのテールランプをぼーっと見ているうちに…、「ハッ!」となって我に返ると、そこはトンネルの中。目の前に対向車線側の壁が迫っていた。危く難を逃れたが、眠気が断続的に襲ってくる。ヒデは最後尾で睡魔とのバトルを繰り広げた。そんなこととは知らない先頭のウメだが、ほどなく休憩タイムとした。ヒデは無糖缶コーヒーを飲んで体を動かし、気合を入れた。
 桧原湖近くになると、道は整備されたワインディングとなり、GTECかっ飛び組(ウメ、オユタ、ヒデ)は、水を得た魚のように前に出ると、一気に桧原湖までかっ飛ばした。そして遅れてきた残り3人と合流し、桧原湖で休憩した。
 遊歩道を歩いて、湖と磐梯山をバックに写真を撮ろうか?そういえば、今回の目的は五色沼を見ることであった。もう17時近くではないか!?写真は適当に済ませ、急いで本日の宿、裏磐梯ユースホステルに向かって出発した。このユースホステルは、五色沼の1つである毘沙門沼の目の前にあるのだ。桧原湖から宿までは、ほんの数分で着いた。
 チェックインし、さっそく毘沙門沼を見る。明日は雨の予報なので、見るなら今日しかない。しかし夕食は18時からだ。猶予は約1時間!
 五色沼とは、このエリアにある、磐梯山の噴火によってできた大小様々な沼の総称ある。沼の水の色合いが、水中に溶け込んだ鉱物及び微生物と、太陽光線の強弱や角度によって変化するので、このような名前がついた。なるほど、毘沙門沼は青色で、少し歩いたところにある赤沼は、名前の通り水面が赤く見える。これはこの先が楽しみだ。次はどんな色の沼なのか?…とここでタイムリミット。そろそろ引き返さないと、夕食に遅れてしまう。あと10分あれば、次の沼まで行って来れるのだが…。10分?それはヒロが遅刻した時間ではないか!?案の定、帰りがけにヒロはさんざんからかわれた。ヒロは思った。(こいつらなら、子々孫々まで言われ続けられるかもしれない…。いや、きっとそうだ。恐ろしい…。)
 夕食後、バイクで近くの川上温泉に行った。温泉で今日1日の疲れを癒す。本当に疲れた。ここは一気に来るにはちょっと遠過ぎたみたいだ。高速が繋がっていれば、大したことはなかったろうが…。
 温泉からの帰り道、途中の売店で福島県限定ビールを買った。地方限定の飲食物に目がないヒデは、自宅に1箱送っていた。
 宿で乾杯!酔った勢いで大卓球大会が繰り広げられた。
宿データ 宿名 裏磐梯ユースホステル
場所 福島県吾妻局区内裏磐梯五色沼畔
感想 五色沼の中でも1番大きな毘沙門沼のすぐそばにある。ここらへんはキャンプ地でもあり、自然環境には恵まれている。施設は古い。このユースホステル、かつてウメがソロツーリングで泊まった時、自動販売機で缶コーヒー(ホット)を買おうとしたら、オーナーが出てきて、抜いてあったコンセントを差し込んだ。「冗談はよしこさん、でっちんどんや塩まいておくれ。」と思ったウメは、外のキャンプ用炊事場にあった自販機を利用した。しかしコーヒーを選んだハズなのに、出てきたのはペプシであった。(しかもホット!)という苦い思い出があったのだが、さすがに繁忙期ともなると、自販機のコンセントは入っていた。
8月14日(土) 天気:雨のちくもり
 昨日はあんなにいい天気だったのに、朝から雨がザーザー降っている。予報通りではある。
 各自カッパを着て、憂鬱な気分で出発。R115を南下し、猪苗代磐梯高原ICから磐越自動車道に乗った。今日は東京経由で帰るつもりである。
 高速に入ってすぐ、磐梯山SAでカンちゃんが2ストオイルの補給を行った。雨の中、工具を広げてサイドカバーを外し、背負ってきたオイルを注ぐ。既にGTECの中では恒例の行事(?)であるが、通行人は「故障か…。」という哀れみの表情を浮かべながら通り過ぎていく。
 東北自動車道に入るとさすがはお盆だけあって、交通量が多い。佐野から先が渋滞だと表示されている。当初は東京経由中央道で帰るつもりであったが、雨の中、渋滞に遭うのは避けたいところだ。一般道で群馬県を抜け、軽井沢経由で帰るか?佐野サービスエリアで協議する。マコちゃんはこのまま単身赴任先の東京に向かうのが決定している。ウメも山梨県に住む彼女のアパートに行くのでこのまま進む。さて、残り4人は悩んだ。「一般道は辛くないか?」「しかしカネが浮くぞ。」…結局「(オユタ)佐野ラーメンが食べたい。」の一言が、一般道で帰ることを決心させた。
 というわけで、12時過ぎに佐野SAで解散となった。東北自動車道の渋滞は、結局なかった。佐野SAを出発してすぐに雨は上がり、ウメとマコちゃんは快調に走ることができた。一般道組は佐野藤岡ICを降りて、適当に「佐野ラーメン」ののれんが掛かったラーメン屋に入った。注文して出てきたラーメンは、明らかに1杯1杯スープの塩加減が違い、味については賛否両論となった。そもそも料理人の腕前に対して文句が出た。
 各自、目的地に着いた時間にえらく差(一般道組は夜)が出たが、無事に福島ツーリングは終わった。

レポート by ウメ


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