1995年のツーリング

グレートツーリング '95 in 中国地方
メンバー(マシン) ウメ(GSX-R400R-SP)、オユタ(CBR400RR)、カンちゃん(FZR250R)、ヒデ(VFR400R)、ヒロ(CBR250 FOUR)、マコちゃん(ZZ-R400)
4月29日(土) 天気:晴れのち曇り夕方から雨
 8時、長野自動車道みどり湖PAに集合。長野自動車道→中央自動車道→名神高速という、もはやお決まりとなりつつあるコースをひた走る。
 中央自動車道恵那峡SAで休憩中、ヒロが灰皿をひっくり返してひんしゅくをかっていた。(彼はタバコは吸わないのであしからず。GTECの中で喫煙者はカンちゃん1人だけである。) 名神高速の養老SAでは、休憩しようと駐車場にバイクを停める時、唐突にヒデが立ちゴケをして、カウルに傷が付いた。
 多賀SAで昼食を食べ、京都東ICで高速を降り、広沢池近くにある宇多野ユースホステルに着いたのが14時。GTECが京都で泊まりといったら、いつも東山ユースホステルなのだが、たまには違う所にも泊まってみようということになったのだ。荷物を置かせて頂き、ヒデはバイクで京都の親せきの家に、他の5人は徒歩で近くにある龍安寺に向かった。
 龍安寺といえば、石庭で有名なお寺である。今にも雨が降り出しそうな空模様であったが、今日はもうバイクで移動することもないので、時間を気にせずじっくりと見ることができた。仁和寺にも寄り、五重の塔や金堂を見た。
 宿に戻ると雨が降り出し、しばらくしてヒデがカッパを着て帰還。かわいそうに。
宿データ 宿名 宇多野ユースホステル
場所 京都府京都市右京区太奏中山町29
感想 施設はけっこう古い。場所が分かりにくい。東山ユースホステルに対してのアドバンテージといったら、せいぜい駐車場があることくらいだ。
4月30日(日) 天気:曇り時々雨
 早朝、中近東から来たっぽい外国人が廊下を大声で歌いながら行ったり来たりして、うるさくて目が覚めた。かんべんしてくれ。
 雨はまだ降っている。仕方なくカッパを着て出発。京都南ICから名神高速に乗り、吹田ジャンクションから中国自動車道に入った。最初の目的地は姫路城だ。山陽自動車道は中国自動車道とまだ繋がっていないので、そのまま福崎ICまで走った。雨は途中で上がり、渋滞もなかった。福崎ICからR312を南下し、姫路市に到着。
 姫路城は、GTECの地元にある松本城と並んで国宝に指定されている。ただし、松本城は天守閣のみが国宝なのに対して、姫路城は大天守と3つの小天守、これらを結ぶ渡櫓が国宝だ。なるほど遠くから見ても、城壁に囲まれた姫路城は、敷地がやたらと広くて見事である。城の歴史などを詳しく知りたくて、シルバーガイドを頼んで場内を見学することにした。ガイドのおばさんは、分かり易く親切丁寧に説明してくれた。築城の時に城壁の石が不足し、灯ろうの台石や石臼までもが使われたのだが、それらを指差してくれたり、幽霊の出ると噂されるお菊の井戸等、ただ何気なく歩いて見ていたのでは見過ごしてしまう所に、歴史のロマンは隠されているということを教えてくれた。姫路城は小高い丘の上に建てられているので、街の至る所から見える。正に姫路市のシンボルだ。
 姫路城を眺めながら食堂で昼食を食べた後、出発した。また雨が降り出しそうだったので、宿泊地の倉敷まで一気に走った。
 倉敷ユースホステルにチェックイン後、夕食まで時間がまだ大分あるので、ヒデは「蔵を見てくる。」と言ってバイクで出て行った。他のメンバーが行かなかったのは、今にも雨が降り出しそうだったからに他ならない。案の定、すぐに降り始め、今日もヒデは雨の中を1人で帰って来た。
宿データ 宿名 倉敷ユースホステル
場所 岡山県倉敷市向山1537-1
感想 風呂が狭いことを除けば、ノープロブレム。倉敷の夜景がきれいに見える。ただし、付近には墓地が多数あり、徒歩で初めて来る人が、「ユースホステル近道」の標識通りに歩いていくと、かなりびびるのではなかろうか(特に夜)。まさに墓場の中を延々と突っ切っていくことになるからだ。
5月1日(月) 天気:雨
 今日も朝から雨だ。せっかくの倉敷美観地区も、カッパを着ての見学となった。まだ人もほとんど歩いておらず、雨に濡れる蔵も、これはこれできれいかもしれないが、カッパにブーツカバー姿の一群は、とてもこの風景には溶け込めず、浮いていた。何よりこの先、雨の中を走らなくてはならないことを考えると、気持ちも沈んでいくというものだ。
 R2を西進し、尾道に寄った。ここも楽しみにしていたのにこの雨だ。しかしせっかく来たんだ。とにかく見よう。尾道は、国道以外はどこも道が狭く、駐車場も見当たらない。バイクを置くのにも苦労した。何とかお寺の駐輪場に置かせて頂き、雨の中、カッパを着たまま“坂の町”を見学した。大林宣彦監督の映画でお馴染みの風景がそこにはあった。雨のせいか、観光客はほとんどいない。住民は皆親切で、ガイドマップをくれたりした。しかし、カッパを着て坂道を歩くとすぐにムレムレで暑くなる。かといって脱ぐわけにもいかず、まるで宇宙服を着て船外活動をしていて、活動限界時間がきたみたいに、これ以上見て廻る気は失せてしまった。倉敷もそうだが、皆、「今度は晴れている時に来てやる。」と思ったに違いない。
 さあ出発するぞとバイクにまたがる時、ヒデはつま先が荷物に引っ掛かり、そのままバランスを崩して今回のツーリングで2回目の立ちゴケ。更にカウルに傷が増えた。
 尾道ICで山陽自動車道に乗り、小谷SAで休憩中、ヒロはCBR250 FOURのバンクセンサーがなくなっているのに気が付いた。どうやら振動で脱落したみたいだ。
 奥屋PAでマコちゃんの大学時代の友人、タッシーと落ち合った。彼は広島に住んでおり、広島の町を案内してくれることになっているのだ。本当ならバイクで来るつもりだったのだが、雨なのでクルマとなった。タッシーの先導で、まずは本日の宿、広島ユースホステルに向かった。
 毎回先頭を勤めるウメの頭の中には、宿までの道のりがインプットされていた。しかし、広島の道路は開発が目覚ましく、広島ICを降りてからというもの、ロードマップとはえらく異なっていた。雨の中では地図もろくに広げられず、現在位置を確認するのも大変だ。ウメはタッシーに感謝した。
 広島ユースホステルでチェックインした後、(さすがに7人もクルマに乗れないので) タッシーも一緒に歩いて最寄りの駅からアストラムラインで広島市街に繰り出した。
 まず、原爆ドームと原爆資料館を見た。戦争は悲惨だが、核兵器だけは絶対に使用してはならないことを、広島は自らの経験を以って世界中に訴え続けているのだ。しかし、原爆ドームや資料館を見なければ、かつての惨状を想像することはできない程、広島は見事に復興している。数十年は草木1本生えないであろうと言われていたが、努力の甲斐あって、今では緑があふれている。
 広島といえば、広島風お好み焼き。やはり「元祖」だの「本家」といった店が建ち並んでいる。タッシーお勧めの「へんくつや」に入る。麺を一緒に焼くというのが広島風なわけで、馴染みのないGTECのメンバー達にとっては、好き嫌いがハッキリと分かれる結果となった。その後、酒を買ってから宿に戻ってタッシーと別れ、部屋で乾杯した。
宿データ 宿名 広島ユースホステル
場所 広島県広島市東区牛田新町1-13-6
感想 広島市街からは少し離れている。施設はけっこう古い。
5月2日(火) 天気:晴れ
 今日はいい天気だ。広島城の前で写真撮影をしてから、西に向かって出発した。
 R2をひた走り、山口県に少し入った岩国市に錦帯橋はあった。1673年に造られた、長さ210mの木造の橋で、釘を1本も使っていないことで有名だ。橋を渡った所には、シロヘビ観覧所がある。シロヘビ(白蛇)はこの地方に本当に生息していて、生きた本物のシロヘビが展示されている。錦帯橋とシロヘビ観覧所、見上げれば岩国城。観光名所の凝縮された場所である。
 R2を広島県の宮島口まで戻り、バイクは本日の宿、広島宮島口ユースホステルに置いて、船で宮島に上陸した。
 厳島神社までの道の両側には、これでもかというくらいに土産物屋が建ち並ぶ。歩いているうちに、ついつい誘惑に負けて立ち寄ってしまう。各々もみじまんじゅうを買って、宅急便で実家に発送した。ちょうど干潮の時間帯で、厳島神社の鳥居は完全に露出していた。鳥居まで歩き、境内をバックに記念撮影。ガイドブックでお馴染みである満潮時の厳島神社が見れなかったのは残念ではあった。後で思えば、別にこの後は本州(宮島口)に戻って昼食を食べ、適当にブラブラしていただけだったので、潮が満ちるまで留まればよかったかもしれない。
宿データ 宿名 広島宮島口ユースホステル
場所 広島県佐伯郡大野町宮島口1-4-14
感想 宮島に渡る船の乗り場近くにあり、宮島観光にはもってこいである。しかし施設は古く、ライダーハウスにでも泊まったような気分であった。ただ、夕食のとんかつはやたらとおいしかった。
5月3日(水) 天気:曇り
 今日の天気予報はくもり時々雨。確かに朝から今にも降り出しそうな空模様だ。
 山陽自動車道廿日市ICから広島道を経て中国自動車道三次ICまで高速を使い、R54を北上する。高速で少し雨がぱらついたが、日本海側に出ると天気は回復傾向にあり、もはや雨の心配はなくなった。しばらく走ってからR184に入り、出雲大社を目指す。道中はとりたてて見所もなく、面白みのない道であった。疲れだけが溜まっていく。
 出雲大社は深い木立に包まれた広大な敷地の中に、槽檜造りの拝殿等が散在している。なかなか見ごたえのある神社だ。GTECのメンバーが次々とお参りしていく中、ウメとオユタは重大な問題に直面し、悩んでいた。果たしてお賽銭はいくら入れればいいのか?高けりゃいいってもんじゃない。大切なのは、お願いする気持ちなのだ。しかし、ここは縁結びの神様だ。ただ円(縁)が付けばいいってもんでもない。もっとひねりが必要だ。10円だと“充(10)分ご縁がありますように”となり、20円で“充々(10+10)ご縁がありますように”と応用していける。そこに5円を足すと“ご(5)縁”もカバーできる。しかし10円は“遠(10)縁”とも取られかねない。それはまずい!では“五重にご縁”で55円?いや、欲張ってはいけない。結局最も無難に5円で“ご縁がありますように”とした。完璧だ! 巨大なしめ縄に向かって小銭を投げつけ、みごと刺さって落ちてこなければ幸せになれるという。なるほど、しめ縄には硬貨がたくさん突き刺さっている。しかしくだらん。どうせおカネ集めの為にお宮側が流したデマだろう。…っと言いつつも、全力投球するGTEC達であった。
 時間がまだあったので、日御碕も見に行った。ここには日本一高い白亜の灯台がそびえ立っている。
 ヒデは風邪をひいたのか体調が悪く、宿に着くなり布団に入り、そのまま朝まで寝込んでいた。
宿データ 宿名 ゑびすやユースホステル
場所 島根県簸川郡大社町神門通
感想 出雲大社の近くにある。建物の造りから考えて、元々旅館だったみたいだ。夜、ここのニーチャン(バイト?)が談話室で観光の見所を説明してくれた。時々ギャグをまじえ、本人は面白おかしく話そうとしているようだったが、しらけまくっていた。
5月4日(木) 天気:晴れ
 朝、ヒデは見事に復活していた。疲れが溜まっていたのであろう。空も晴れ渡っている。
 ヒロは今回のツーリングに「パノラマン」なるカメラを持ってきていた。イベントの景品で当たったもので、レンズ付きカメラにフィルムの交換機能を足した程度のものである。せっかく持ってきたのにほとんど撮影していなかったので、宿の外で出発前のスナップ写真でもと思い、パチリとシャッターを押した。そしてフィルムを巻いた時に、突然リヤカバーのふたが開き、フィルムがビヨ〜ンと垂れ下がった。あせるヒロだったが、もはや後の祭りなのであった。
 宍道湖や、なんとものどかなローカル線の一畑鉄道を横に見ながら、R431を松江に向かって東進する。松江ではその一畑鉄道の松江温泉駅で、電車をバックに記念撮影した。ウメは大学時代にこのエリアには遊びに来たことがあり、一畑鉄道にも乗っていたので、懐かしさに浸っていた。
 松江を後にすると、R9をひたすら東に向かって走る。目指すは鳥取砂丘。
 3時間ほど走ると、鳥取砂丘の看板が見え、案内に従って駐車場に到着。今まで走って来ても、それらしい景色は見なかったが…?駐車場から少し歩いて林を抜けると、目の前に砂丘が広がっていた。しかしそれはみんなが思い描いていた、砂漠のような広大なものではなかった。充分に見渡せる広さであった。誰もが最初、「イメージと違う」と思ったが、よくよく見ると、斜面にばらまかれた小さな無数のゴミみたいに見えているものが、実は全て人だということに気付くのであった。鳥取砂丘は広いのではなく、デカイのだ。デカイ砂山みたいなものだ。それにしてもすごい観光客の数だ。民族の大移動といった感じである。ちなみに駐車場はクルマでごった返し、道路は駐車待ちの長い列が出来ていたが、さすがにバイクはフリーパスであった。
 更に東に30kmほどの浜坂町に、今日の宿である浜坂ユースホステルはあった。すぐ下が海岸で、キャンプ場にもなっている。ここら辺は能登半島北部に雰囲気が似ていてのどかだ。
 今日はヒロが疲れからかダウンした。
宿データ 宿名 浜坂ユースホステル
場所 兵庫県美方郡浜坂町城山園地
感想 南国を意識した建物の造りになっている、無難なユースホステル。
5月5日(金) 天気:晴れ
 晴れ渡った空の下、日本海を左手に眺めながらの快適なツーリング(R178)。目指すは天橋立である。ヒロもなんとか復活していた。
 途中、第二但馬海岸有料道路に入る時、料金所には人がいなかった。かといって自動料金ゲートシステムでもない。ただ、料金箱が置かれているだけである。GTECのメンバーはてっきりおつりがもらえると思って札しか用意していなかった者が多く、仕方なく、適当に小銭を放り込んでいた。
 R178に復帰して京都府に入ると、なにやら道路の左側にクレイモア(対人地雷)のような箱が置いてある。先頭のウメはハッとなってスピードを落とした。ねずみ捕りである。このトラップを無事クリアーして天橋立に到着。
 バイクを北近畿タンゴ鉄道宮津線の天橋立駅に置き、リフトで登った公園から天橋立を見下ろした。なるほど絶景である。その後、直接砂浜を歩いてもみた。きれいではあるが、特異な地形は実感できない。ここは上から見下ろすに限る。
 今日の宿泊地は琵琶湖の北側にある、かいづ天神ユースホステルだ。「グレートツーリング '91 in 北陸 & 古都」以来である。R27を小浜市まで走ってからR303で南下して、琵琶湖に至る予定だ。天橋立の時点では、時間的に余裕の行程と思われた。しかし舞鶴市辺りから渋滞が激しくなり、路肩が狭くてすり抜けもろくにできず、えらく時間をロスしてしまった。直射日光とアスファルトの照り返し(この日は初夏のような暑さだった)、ファン回りっぱなしのエンジンの熱、そして前にいるトラックの排気ガスなどで気持ち悪くなり、疲労も増して、大飯町の体育館の駐車場で休憩した時には全員ぐったりとして、走るのがもう嫌になっていた。今日のルートが頭の中にインプットされていなかったヒロは休憩中に日本海を見るなり、「あれって、琵琶湖?」と言って更にみんなの疲れを倍増させていた。
 琵琶湖までの道のりでもこれだけ辛いのに、なんとカンちゃんだけは明日催される友人の結婚披露宴に出席する為に、今日中に実家(松本市)まで帰るのだ。大丈夫か?
 R303は順調に流れ、夕方になって、ようやく宿に到着。しばらく休憩した後、カンちゃんは実家に向けて出発した。
 かいづ天神ユースホステルは、離れに独立した風呂が新築されていた。ヒロは入浴時、風呂の入り口の鍵をなにげなく掛けてしまい、後から来たウメとマコちゃんや他の宿泊客が入れなくなってしまった。大ひんしゅくをかったのは言うまでもない。
 カンちゃんはひたすら高速を飛ばし、23時頃に無事帰ることができた。
宿データ 宿名 かいづ天神ユースホステル
場所 滋賀県高島郡マキノ町海津1253
感想 海津天神社という神社と一緒のユースホステル。施設は木造で古く、昔懐かしい木造校舎といった感じである。(増築された建物もある。)
5月6日(土) 天気:晴れ
 いよいよ最終日。かいづ天神ユースホステルに別れを告げ、奥琵琶湖パークウェイをガンガン攻める。
 途中の休憩所で、ウメとオユタはそれぞれの愛車と別れの記念撮影を行った。このツーリングを最後にビッグマシンに買い換えるのである。2人とも購入するマシンはほぼ決まっている。ZZ-R1100とCBR900RRだ。GTEC直線最速と峠最速の座は頂きだ。きっと他のメンバーも負けじと後に続くに違いない。
 木之本ICから北陸自動車道に乗って南下し、名神高速、中央自動車道を走って全員無事帰還した。

レポート by ウメ


グレートツーリング '95 in 東北
メンバー(マシン) ウメ(ZZ-R1100)、オユタ(CBR900RR)、カンちゃん(FZR250R)、ヒロ(CBR250 FOUR)、マコちゃん(ZZ-R400)、スペシャルゲスト:フクちゃん(XANTHUS)、スペシャルゲスト:ムラさん(V-MAX)
 夏のツーリングといったら北でしょう。全国制覇を目前に控えたウメは、東北で未だ行ったことのない秋田県、山形県を。大学が青森県だったオユタは、懐かしの十和田湖を希望した。結果的に今回のツーリングは、たった3泊4日で東北全県を走ることになってしまった。最初はもっとゆとりある計画だったのだが、参加メンバー全員のスケジュール調整をしていたら、こんな無謀な(?)ツーリングと相成ったのである。短時間で距離を稼ぐ為、どうしても高速道路がメインになってしまう。スペシャルゲストとしてウメの会社の同僚であるフクちゃん(ザンザス)と、オユタの会社の元同僚のムラさん(V-MAX)が参加する。マコちゃんは単身赴任先の東京からの参加で、初日の宿で落ち合うことになっている。
8月12日(土) 天気:晴れ
 7時、松本市R254三才山トンネル料金所の駐車場に集合。R18を西進して軽井沢を抜け、碓井バイパスを通って群馬県に突入。ここまでは順調だ。
 高崎でR50に入り、東北自動車道佐野藤岡ICを目指す。晴天の真夏日だけあって暑い!特に大排気量マシンに乗るウメ、オユタ、ムラさんは、股の間にファンヒーターを抱えているようなものだ。先頭のウメはついついアクセルを開けて体を“空冷”しようとしてしまう。
 桐生市辺りでお昼時となり、国道沿いの吉野家で牛丼を食べた。ここから佐野藤岡ICまでは大した距離じゃない。あとは仙台まで高速をぶっ飛ばせばいい。楽勝だな。しかし…
 高速に乗った瞬間、「ゲゲッ!」となった。いきなり渋滞している。確かにR50を走っている時に東北道の渋滞情報は見ていたが、ここまでひどいとは思わなかった。結果から言うと、仙台までず〜〜〜っと渋滞していたのだ!! クルマの間を延々とすり抜けていった。(路肩は決して走らない。) スピードは平均50km/hくらい。信号のない一般道を走っているようなものだ。それでもクルマで渋滞にハマッている人々を考えれば、VIP気分である。ここまでしてクルマで田舎に帰らなくてはならないのか?地球温暖化マシンをずらっと並べているようなものだ。
 吾妻SAで給油しようとしたら、サービスエリアの入り口まで給油待ちのクルマが並んでいる!さすがにバイクもまともに並ぶしかない。待っている間に日が暮れた。
 マコちゃんはというと、4時に起床し、5時出発。首都高速は竹橋付近で渋滞、常磐自動車道も断続的に一部で渋滞したが、本日の宿、道中庵ユースホステルには15時20分に到着した。しかし待てども待てども他の6人は来ない…。
 そして19時過ぎ、ようやく全員が揃った。こうしてマコちゃん以外のメンバーは、初日から疲れ果ててしまったのである。
宿データ 宿名 道中庵ユースホステル
場所 宮城県仙台市太白区大野田北屋敷31
感想 食事がヘルシーでおいしい。それもそのはず、野菜はなるべく自家製の無農薬の物を使うようにしているのだ。施設も新しく、充実している。特に女性にお勧め。
8月13日(日) 天気:晴れ
 ひたすら東北自動車道を北上する。午前中ということもあってか、クルマの流れは順調であった。今日も真夏日で、100km/h前後で走っていても、大して涼しくはならない。危険だと分かっていても、ついつい上半身はTシャツ1枚になってしまう。
 東北自動車道は単調な景色が続くので、移動した実感がなかなか湧かない。いつの間にやら岩手県を通り過ぎていた。いいかげんうんざりしてきた頃、ようやく八戸自動車道の分岐点が見えた。今日は八戸道には入らないが、大学が八戸だったオユタと、5年前に「グレートツーリング '90 in 北海道」でここまで高速を走って来たウメ、ヒロ、マコちゃんは懐かしさを感じていた。
 さらに20分程東北自動車道を北上し、小坂ICで高速を降り、十和田大館樹海ラインを東進すると、やがて十和田湖が姿を現した。乙女の像の前で記念撮影。ほとんど本州最北にいるのに、この暑さにはまいる…。
 十和田湖を後にするとR103を南下し、謎の「大湯環状列石」を見た。ここは昭和7年に発見された、直径40mのストーンサークルである。約4000年前の遺跡といわれ、実際は何の目的で作られたのかは謎である。ここから見える黒又山は、自然の山を削って階段ピラミッド状に仕上げた山岳遺跡で、大湯は古代遺跡のロマンあふれる場所だ。
 本日の宿、黒森荘ユースホステルはそのすぐそばにあった。
 夜は近くの商店街で夏祭りをやっていたので、ビールを飲みながら見ていた。
宿データ 宿名 黒森荘ユースホステル
場所 秋田県鹿角市十和田大湯上の湯63
感想 ガイドブックの評価が高かったので予約したのだが、一体これのどこが…。これ以上は語るまい。
8月14日(月) 天気:晴れ
 ひたすら東北自動車道を南下する。  村田ジャンクションで山形自動車道に入り、山形北ICで降りて、山寺(立石寺)に寄った。これで山形県をクリアし、(ほとんど無理矢理)東北全県を走ったことになる。
 山寺は芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」で有名な東北の霊場である。険しい斜面にいくつもお堂が立ち並び、石の階段がそれらを繋いでいる。暑い中、敷地内をくまなく歩いたものだから、みんなもうヘトヘトである。紅葉の季節にゆっくり訪れるといいかもしれない。
 東北自動車道まで来た道を戻り、更に南下して福島西ICで降り、本日の宿、ユースゲストハウスATOMAに到着。夜のバーベキュー&ビールは最高だった。
宿データ 宿名 ユースゲストハウスATOMA
場所 福島県福島市桜本字船石15-2
感想 ユースゲストハウスとはユースホステルを少しグレードアップしたタイプの宿である。料金は少し高めになるが、その分施設、料理も充実している。ちょっとしたペンションだ。
8月15日(火) 天気:晴れ
 暑かった今回のツーリングも最終日。R115を南下して猪苗代湖を目指す。ただしマコちゃんは実家に帰省せずこのまま東京に帰る為、一足に先に出発していた。
 途中の峠道はなかなか攻めがいがあったが、今回は様々なカテゴリーのバイクが参加しているので、先頭と最後尾の差がえらく開いてしまった。
 猪苗代湖に出ると、野口英世記念館を見た。ここは野口英世の数々の功績を展示している。また、誕生から19年間過ごした生家が保存されており、博士が火傷した囲炉裏や、上京する時に決意を刻んだ柱を見ることができる。
 記念館を後にすると、ひたすらR49を西進し、新潟西ICから北陸自動車道に乗った。東北から南下してきたせいか、今日は特に暑い!関越自動車道までは交通量が多くてノロノロ運転であった。
 上越ICで高速を降り、R18を南下する。しかし、この国道は長野ICまでず〜っと渋滞していたのである!今回のツーリングは、渋滞に始まり、やはり渋滞で終わるのか…。幸いR18は路肩が広いので、すり抜けにはさほど苦労しなかった。とはいっても、ただでさえ暑いのに自転車並みのスピードしか出せないので、バイクよりも体がオーバーヒートしそうであった。
 長野ICから長野自動車道に乗り、交通量は多いがなんとか法定速度で走ることはできた。そして各メンバー自宅最寄りのインターで1人、また1人と消えていき、ツーリングは終わった。
 今回のツーリングは雨に降られなかったのはいいのだが、やたらと暑く、渋滞も激しかった。特に大排気量マシンで参加したメンバーにはこたえたのであった。お盆は家でおとなしくしているのに限る?

レポート by ウメ


トモちゃん、ネーネ登場!
 1995年9月9〜10日、あるバイクショップが企画した「日光、鬼怒川ツーリング」にウメとオユタが参加した。総勢20名位のツーリングで、女性も何人か参加していた。
 往路のR145でのことだ。ウメの前を走っている女性が、右カーブにさしかかっているのに曲がろうとしない。マシンはZXR750。さてはぎりぎりアウトからハングオンを決めようというのだな?と思っていたら、そのまま土手に乗り上げて転倒してしまった!大丈夫か!?と駆け寄ると、「ごめんなさい。眠っちゃったの。」という言葉が返ってきた。なんとも強烈なインパクトを与えたこの女性こそトモちゃんであった!幸い本人に怪我はなく、マシンも傷が付いた程度で済み、ツーリングは続行された。反対側は崖。左カーブでなくてよかった。
 休憩中にウメが「むう、あのコかわいいなあ。」と同行の小柄な女性に目を付け、話し掛けた。マシンはZXR250。派手なライムグリーンカラーが妙に似合っている。彼女こそネーネなのであった!彼女達との交流はここから始まった。


グレートツーリング '95 in 千葉茨城
メンバー(マシン) ウメ(ZZ-R1100)、オユタ(CBR900RR)、カンちゃん(FZR250R)、ヒロ(CBR250 FOUR)、マコちゃん(ZZ-R400)
11月3日(金) 天気:晴れ
 7時30分、松本市三才山トンネル料金所の駐車場に集合。さすがに11月の朝は寒い!東京から参加のマコちゃんとは宿で落ち合う予定だ。
 R18で軽井沢を抜け、高崎からR50に入る。東に進むにしたがって、ポカポカ陽気になってきた。さすがは関東!3連休ということもあってか、はたまたいつもこうなのか、高崎からつくば市までは交通量が多くて、思ったより時間がかかってしまった。
 筑波山は海に浮かぶ島のように、“何の脈絡もなく、そこだけが山”なので、山国に住むGTECのメンバー達からは異様に見えた。とりあえず筑波山神社を目指すが、3連休ということもあってか、はたまたいつもこうなのか、付近は大渋滞である。道が狭くてすり抜けもままならず、神社にたどり着く頃には疲れ切っていた。
 やはり筑波山神社は人でごったがえしている。見るのは明日の朝にして、神社のすぐそばに位置する本日の宿、筑波山ユースホステルにチェックインすることにした。ということを4人が路肩にバイクを置いて協議していると、目の前をマコちゃんがバイクで通過して行った。これで全員集合!
 宿は民家を改造したタイプのユースホステルで、オーナーのおばさんは宿泊者のマナーを徹底させるべく、口うるさく指導してくる。スリッパは決められたエリア以外では脱ぐ。畳の上に直接荷物を置かない。布団には就寝着以外では入らない等々…。「グレートツーリング '93 in 四国」の六甲芦屋ユースホステルを思い出す。やはり言っていることは本来当たり前に守るべきことが多い。日頃マナーの悪い宿泊客に頭を痛めているのであろう。しかし御安心召されよ。GTECのメンバーはマナーにうるさいのだ。
宿データ 宿名 筑波山ユースホステル
場所 茨城県つくば市筑波692
感想 風呂の脱衣所にはチケット売り場みたいな小窓が廊下に面して付いている。気合を入れて脱いでいると、突然その小窓がガバッと開き、おばさんがヌッと顔を出して浴室の設備の使い方を説明してくれる。ありがたや!? 食事がすごい量で、とても食べ切れない。おいしいけど。漫画も豊富でたいくつはしない。駐車場が難。
11月4日(土) 天気:晴れ
 朝、宿から徒歩で神社に向かった。まだ人出は少ない。老杉が生い茂る神域に社殿が並ぶ。本殿は男体、女体二山の祠で、男女陰陽、夫婦和合の神にふさわしい姿をとっている。筑波山といえばガマ。神社下には土産物屋が多く、ガマに関する様々なお土産を売っている。各自何らかのガマ土産を買っていた。
 筑波山に別れを告げ、R125を東に向かう。ほどなく霞ヶ浦が見えてきた。霞ヶ浦は琵琶湖に次ぐ大きさの湖だけあってでかい!
 霞ヶ浦から犬吠埼までは、大した距離ではない。犬吠埼灯台をバックに記念撮影。ここの電話ボックスが灯台の形をしていておもしろかった。
 昔、源頼朝が6町ごとに矢を射り、99本目にやっと浜が尽きたところから名前が付けられた九十九里浜。岩礁ひとつない66kmの砂浜である。楽しみにしていた九十九里有料道路に入る。なるほどひたすらまっすぐな道だ。まずは昼食を食べようと、先頭のウメはレストランらしきものが見えるパーキングに入った。…つもりが、あれ?一般道に下りてしまったぞ!?レストランらしきものは一般道沿いにあり、そこに続くように見えた道は、単なる出口だったのだ。しかもレストランではなかった!ウメはみんなに詫びた。その後、再び有料道路に入ろうかとも思ったが、一般道もけっこう快適だったので、そのまま南下した。しかしおいしそうな飲食店に恵まれず、いいかげん腹が減ってしまったので、結局コンビニ弁当となったのであった。
 本日の宿は館山市にある館山ユースホステルである。館山市に入る頃、辺りは暗くなっていた。市といっても海沿いは民家も少なく、淋しかった。ウメは「館山ユースホステル入り口」の標識を見つけ、標識にしたがって小道に入っていった。クルマが通るにはちと厳しい、照明の一切ない淋しい1本道で、みんな不安になってきた。やがて道は行き止まりになり、ヘッドライトに写し出されたものは…、墓場だった!!こぇ〜っ!細い道の為、Uターンも大変だ。「(ウメ)みんなスマン!」あらためて標識を見てみると、小さい字で「バス通りを100m」とある。なるほど矢印の指し示す方角は別の道である。昼間に見れば間違うことは少ないであろう。しかし暗い中、パッと見ただけでは勘違いしてもおかしくない…と思う(ウメ談)。“本当の”指示通りに行くと、今度こそ確かにユースホステルはあった。
 夜は大卓球大会が繰り広げられた。
宿データ 宿名 館山ユースホステル
場所 千葉県館山市布良1132
感想 施設が古めのことを除けば、特に不満はない。海岸近くにあるので眺めもいい。
11月5日(日) 天気:晴れ
 朝、ユースホステルのすぐ近くにある砂浜を散歩した。涼しく、すがすがしかった。長野はさぞかし寒かろう。
 房総半島西海岸に沿って北上し、富津岬に寄った。東京湾を挟み、横浜から横須賀にかけての対岸を一望できる。しかし展望台はさびれ、実際階段とか錆びていて怖かった。
 湾岸千葉ICから東関東自動車道に乗り、首都高速経由で中央自動車道を目指す。首都高速では、のんきに間隔をあけて走っているとすぐにクルマに割り込まれるのは明らかなので、先頭のウメは気合を入れて付いてくるように他のメンバーに念を押した。そして一応首都高マップを全員に配った。呆れたことに、相変わらずロードマップ持参はウメとマコちゃんだけなのだ。
 休日で交通量の多い中、クルマの間を縫うようにして飛ばしまくるバイク軍団!ウメ自身も気合を入れてどうする!?案の定、オユタが少し引き離されてしまい、コースが頭にインプットされていないオユタは不安になった。(そういえば、先程渡された首都高マップ、タンクバッグのマップ入れにちゃんと入れたろうな?) オユタのタンクバッグはいわゆるコーリンタイプのもので、マジックテープで留められた上部を左側に開くとビニールでできたブックカバーようにできており、ロードマップを見開きで見れる優れものなのだ。(他のメーカーが真似しないのは特許の為か?) 走行中にもかかわらず、オユタはマップの存在を確認しようとしてタンクバッグのマップ入れをガバッと開いた。すると物凄い勢いで何やら紙切れが吹き飛ばされていった。オユタは“ブックカバー”にマップを入れずに、ただ挟んでおいただけだったのである。そりゃ飛ぶわな。そうこうしているうちに前が詰まってきて、先頭グループに追い着くことができた。
 レインボーブリッジの手前の休憩所で、「はい。」とカンちゃんがオユタに紙切れを手渡した。何とそれは、走行中に吹き飛ばされたはずの首都高マップであった。オユタの後を走っていたカンちゃんのFZRのスクリーンにへばりついてきたそうだ。そしてそのまま休憩所まで剥がれなかった、根性のあるマップである。しかし、へばりついたのがクルマのフロントガラスでなくてよかった。危く大事故になるところだ。
 その後は順調に中央自動車道まで走ることができた。八王子ICでマコちゃんと別れ、笹子トンネルを抜けるとやや寒くなり、八ヶ岳付近まで来ると、指先が冷たくなくなった。暗くなればこの程度では済まない。家路を急ぐ。
 長野自動車道みどり湖PAで解散し、今年のバイクシーズンは幕を閉じた。

レポート by ウメ


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