全国制覇への道のり

 1996年:ウメ&マコちゃん、1999年:ヒロ、2005年:カンちゃん、2006年:ヒデ、そして2007年にはオユタが47都道府県制覇を達成した。この場合の“制覇”とは、一気に日本を1周したわけではなく、今まで自分の所有するオートバイで目的を持って走りに行ったことのある都道府県の累積である。当然ソロツーリングも含まれる。
 「グレートツーリング '95 in 中国地方」の後、ウメとマコちゃんは、今までバイクで行ったことのない都道府県がほんのわずかであることに気付いた。具体的には、ウメが秋田県、山形県、茨城県、千葉県、富山県、大分県(これのどこが“ほんのわずか”だ!?)で、マコちゃんが茨城県、千葉県、大分県である。「グレートツーリング '95 in 東北」「グレートツーリング '95 in 千葉 & 茨城」はその穴を埋める意味合いも兼ねて実行されたのだ。そして1996年のゴールデンウィークは九州に決まった。当然大分にも行く。この時点でウメはまだ富山を制覇していないので、2人揃ってめでたく全国制覇となる為には、ゴールデンウィーク前に富山県に走りに行かなくてはならない!
 そこで1996年4月13日(土)、ウメはオユタと2台で富山への日帰りツーリングを敢行した。出発時、松本エリアは天気もよく、暖かだったので、快適なツーリングになると思われた。しかしR148を青木湖の辺りまで北上すると、途端に気温がグッと下がった。道路以外は雪で白く、薄く靄の掛かった寒々しい景色の中、屋根にスキーやスノボの板を積んだクルマに混じって走るZZ-R1100とCBR900RRは異様に見えたに違いない。吐く息も白い。小谷より北は度重なる土砂災害の影響で道が悪く、そこらじゅうで工事をしていて、すんなりとは進めなかった。雪解け水で路面もウェットな所が多い。ようやく日本海に出ても気温は大して上がらず、震えながらR8で富山まで走ったのである。こうした涙ぐましい努力の甲斐(?)があって、ついに「グレートツーリング '96 in 九州」で大分に入り、ウメとマコちゃんの全国制覇は達成されたのだ!
 さて、次に全国制覇に近い男であるヒロは、翌年の「グレートツーリング '97 in 紀伊半島」で残すは富山県のみとなった。富山といえば、ウメのように、その気になれば日帰りで充分行って来れる距離である。ところが、せっかくリーチが掛かっているのに、彼は自ら富山に行こうとはしないのである。「(ヒロ)せっかくの全国制覇なのに、1人で行っても祝ってくれる仲間がいなければ淋しいし、達成感が沸かないじゃん。」確かにそれはあるが…。結局ツーリングの企画を進んで立てるような性格ではない彼が全国制覇を達成するのに「グレートツーリング外伝 '99 in 山中温泉」まで掛かってしまった。
 4人目のカンちゃんは、コツコツと積み重ねてきた結果、「グレートツーリング '05 in 九州」で残っていた佐賀、長崎を走り、全国制覇達成!
 「北海道は定年後の楽しみに取っておく!」と言っていたヒデも「グレートツーリング '06 in 北海道 & 東北」によって、(計画当初は目的地が沖縄だったので棚から牡丹餅だったにせよ)達成!
 そしてGTEC野郎で全国制覇を成し遂げていないのはオユタ(沖縄県)のみとなったのだが、チャンスは何度かあったものの、運にも見放されていた。1992年には雪に降られ(エピソード「雪の中の仙台ツーリング」)、2003年は仕事が忙しくてどうしても参加できず、2006年はフェリーが運休して行けなかった。それでも諦めずに参加した2007年のツーリングで、ついに念願叶って沖縄を制覇した!
 実は、沖縄行きのフェリーの予約が取れた時点で、バンディット250の名義は彼の妹のものであった。実質自分が所有している状態ではあったものの、“委員会”では自分名義のものでなければ各都道府県を制覇したことにはならない…という明確な規定があるので、ツーリング出発3日前にギリギリ名義変更を行った。そして、オユタの全国制覇は公式に認められたのである!

 最初から全国制覇を狙っていたのであれば、「県庁の前で必ず記念撮影をする」という決まりを作っておけばおもしろかったかもしれない。


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