4月28日(土) |
天気:晴れ |
9時、長野自動車道みどり湖PAに集合。ウメのGSX1300R隼、マコちゃんのBMW R1100RSはグレートツーリング初登場だ。ヒデもファイヤーブレードでやって来た。彼はスケジュール上、九州には行けないが、大阪南港までは行動を共にする。マコちゃんの奥さんであるトモちゃんもライディングスタイルで来ていた。中央道駒ケ岳SAまでR1100RSに乗って行き、そこまでマコちゃんはマイカーを運転していくのだ。チャイルドシートには、息子のリョウ君が気持ちよさそうに眠っている。
みどり湖PA
9時05分、カンちゃん以外は揃っている。9時15分、まだカンちゃんは来ない。9時35分、ようやく彼はやって来た。「グレートツーリング '93 in 四国」のように、1時間30分も遅刻したわけではないが、大ヒンシュクである。今回カンちゃんは奥さんのネーネのZXR250で参加するのだが、荷物の搭載に苦労したそうだ。しかし、そんなものは理由にならないと、他のメンバーは不満をあらわにした。ネーネと息子のぽ〜ちゃが見送る中、バイク5台とクルマ1台は出発した。
長野自動車道から中央自動車道に入り、駒ケ岳SAで休憩。ここでR1100RSのライダーはトモちゃんからマコちゃんにチェンジし、トモちゃんとリョウ君は5人を見送った。
昨年に引き続き、今回もカンちゃんのマシン以外は全てビッグマシンで、平均排気量は更に上がっていた。普段は100km/h巡航でも、遅い車を追い越す時はグッと加速する。隼ときたらゼロヨン9秒台である。やはり250ccのカンちゃんは苦戦した。そして「(カンちゃん)今年こそビッグマシンを買ってやる!」と決意するのであった。もっとも、ネーネを説得できたらの話ではあるが…。
名神高速の養老SAに寄ると、どこかで見たような女性ライダーが2人…。「グレートツーリング外伝 '96 in 伊東」で一緒に走ったグッチとドテッチである。彼女達はこれから明石大橋を渡って四国を廻るのだそうだ。2人を見送った後、ここで昼食とした。
一宮の辺りで渋滞していた他は順調であった。大津SAで桜餅を食べ、あとは一気に大阪南港を目指す。
吹田ジャンクションで近畿自動車道に入り、東大阪ジャンクションから阪神高速道路13号線に突入!大阪もんになめられてたまるかと、気合を入れて走る。13号→16号→4号線とアクセスして、ほどなく大阪南港に到着。まだ17時前、出港は19時30分である。
一休みして、ヒデを他の4人は見送った。ヒデはこの後、奈良の親戚宅に行って3泊し、そこをベースにして観光する予定である。
そしてフェリーは大阪南港を後にした。明日の朝は宮崎だ。しかし4人の表情は暗い。宮崎、鹿児島の明日の天気予報は、ズバリ“雨”なのである。
本日の走行距離:396km(長野自動車道みどり湖PAから)
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宿データ |
宿名 |
マリンエキスプレス「おおさかエキスプレス」 |
場所 |
大阪→宮崎の太平洋上 |
感想 |
まあまあ快適。
乗船券:9,960円(2等寝台)プラス単車:3,050円(750cc未満)及び4,080円(750cc以上)
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4月29日(日) |
天気:雨 |
8時20分、宮崎上陸。予報通り雨である。けっこう激しく降っている。みんなしぶしぶカッパを装着した。とりあえず宮崎自動車道を目指す。隊列はウメ、ヒロ、カンちゃん、マコちゃんの順である。
雨だ…ガックリ(宮崎港)
高速までの道中、赤信号で停止するたびにカンちゃんのZXR250はエンジンが止まってしまう。セルをかなり粘り強く回さないとエンジンがかからない。このバイクももう買ってから10年経つ。GTECのメンバーの中で、これほど長く同じバイクに乗った者は他にいない。そろそろ買い換え時かもしれない。
当初の予定としては、宮崎自動車道を小林ICまで走り、そこから県道1号線を南下して霧島を見て、更にR223で隼人町に出て、海沿いにR10で鹿児島まで走るというものであった。霧島エリアはけっこうなワインディングのはずなので、みんな期待していた。しかしこの雨…。霧島やワインディングどころではない。満場一致で、一刻も早く宿に着き、傘をさして鹿児島市内を観光することになった。
えびのジャンクションで九州自動車道に入り、加治木ICで高速を降りた。ここから鹿児島市まではR10で約22kmだ。本日の宿「鹿児島サンホテル」は14時からチェックインだが、この分だと13時には着きそうだ。
ところがR10はひたすら渋滞していた。雨の中のすり抜けは嫌なものである。最後尾のマコちゃんのR1100RSにはパニヤケースが装着されており、車幅が今回の参加マシンの中ではダントツであった。1300ccの隼が余裕ですり抜けられても、マコちゃんは付いて来れない場合が多い。パニヤケースは便利だが、こういったリスクを背負っているのである。だいぶ先行したウメ、ヒロ、カンちゃんは、JR鹿児島駅でマコちゃんの到着を待った。ホテルまでは駅からすぐであるが、この渋滞のおかげで結局チェックインの時間となってしまった。
ホテルでチェックインを済ませた4人は、徒歩で鹿児島市内に繰り出した。雨はほとんど上がっていた。ウメ、ヒロ、マコちゃんにとっては「グレートツーリング '92 in 九州 & 沖縄」以来9年ぶりの鹿児島市であり、路面電車を見ながら懐かしさに浸っていた。
とにかくまずは昼食である。鹿児島といったら鹿児島ラーメン。ホテルの受付で教えてもらった、中央公園の近くにあるラーメン屋「くろいわ」に行った。テレビの全国ネットでも紹介されたこのラーメン屋、しかしスープはしょっぱいし、麺にも腰がなく、4人の口には合わなかった。
腹ごしらえをした4人はその後、城壁に残る銃弾の痕が生々しい鶴丸城跡、西郷隆盛終焉の地、西郷洞窟と西南戦争ゆかりの地を廻り、城山公園から桜島を…、残念ながら雲に隠れて見えなかった。
西郷洞窟
城山公園は猫だらけであった。おそらく、捨てに来る人が後を絶たないのであろう。道中、共同ごみ置き場に火山灰の捨て方も記載されているのを見て、火山と共にある暮らしを実感した。
火山灰置き場
城山公園まで歩いて疲れ果てた4人は、繁華街の「熊襲亭」という郷土料理店で、地ビール片手に郷土料理に舌鼓を打った。きびなごの刺身、地鶏のたたき、さつま揚げ、黒豚の角煮等々、今日の疲れは吹き飛んだ。
しかし、明日の予報も雨である。しかも種子島、屋久島には、大雨波浪警報が出ているのだ…。
本日の走行距離:161km
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宿データ |
宿名 |
鹿児島サンホテル |
場所 |
鹿児島県鹿児島市堀江町19-14 |
感想 |
繁華街及び屋久島、種子島行きのフェリー乗り場に近く、鹿児島観光には便利。施設、サービス共に良好。
1泊:シングル5,800円
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4月30日(月) |
天気:雨 |
種子島行きのフェリーは2輪車の予約制度がないので、早めに行って乗船券を確保しなくてはならない。フェリー乗り場はホテルから歩いて10分くらいの距離なので、昨晩協議した結果、次のプランでいくことになっていた。
・ 6:45ホテルロビー集合、徒歩でフェリーターミナルへ
・ 7:00窓口で乗船券を購入し、ホテルに帰って一休み
・ 8:00チェックアウト後、バイクでフェリー乗り場へ
・ 8:30出港
練りに練ったこのプラン、完璧である。
「こら、5分遅刻だぞ。」集合時間にただ1人遅れてきたヒロを、他の3人は厳しく注意した。なにしろ船に乗れなかったらお話にならないのだから。4人は急ぎ足でフェリーターミナルに向かった。路面はウェットであるが、雨は降っていなかった。とはいっても鹿児島、種子島共に予報は雨なので、いつ降り出してもおかしくはない。天気についてはもう諦めていた。
フェリーターミナルに入ると、窓口は長蛇の列!!ゲゲッ!となったが、よく見るとそれは屋久島行きフェリーの為の列であった。種子島行きのフェリー窓口は…よかった、ガラガラだ…って、シャッターが閉まっているっ!?ヒロが遅れたことによる影響は消え失せ、彼は責任を感じる必要がなくなった。結局、窓口は7時20分過ぎに開き、7時30分くらいに全員乗船券を手に入れた。そして「車輌の積み込みは7時40分からとなっております。」のアナウンスに、4人は計画の甘さを悟った。そして走ってホテルまで戻り、チェックアウトをしたのが7時45分である。
バイクはホテルのすぐ近くにある、ホテル指定の無人立体駐車場に駐輪していた。おかげで一晩中雨に濡れることは免れた。バイクのことは考慮されていない駐車システムなので、昨日ここに入った時には、ウメが駐車券を取ってゲートが上がった瞬間に、4台揃って進入し、クルマ1台分のスペースにバイク4台を停めたのである。ホテル側とはそのように話がついており、フロントでクルマ1台分の料金を支払い、出場用の駐車券ももらっていた。急いで荷物を搭載すると、4台のバイクは出口のゲート前に並んだ。「チュウシャケンヲオイレクダサイ」の声に、ウメは入る時に受け取った券を機械に挿入した。ところが、「コノケンハシヨウデキマセン」ときた。ではホテルでもらった券の方か?本来ならこれは先程の券に引き続いて挿入する物のはずだ。試してみたが、案の定ダメである。あれこれチャレンジしても結果は同じ。昨日入場する際、ウメが雨で濡れた手で駐車券を取ったのがいけなかったのか?こんなことをしている時間はない!全員、ゲート脇の歩行者用通路から脱出した。
幸い雨は降っておらず、フェリー乗り場には、なんとか8時前に到着した。と、ここでもゲートが…。フェリーに積まれる車輌は、ここで整理券を取ってゲートをくぐらなくてはならないのである。今回は1台に付き1枚必要となろう。ウメはボタンを押して券を取ると、開いたゲートをくぐってフェリーに向かった。続いてヒロがボタンを押す。押す。押す!いくら押しても券が出てこない!当然ゲートは開かない。どうやら用紙切れのようである。3人はゲート横の歩道を走って、どうして来ないのかと心配していたウメと合流した。GTECは入場ゲートと相性が悪いようだ。
バイクの搬入はちょうど始まったところだった。九州商船のフェリー「出島」はえらく古い船で、薄暗い貨物室にクルマやバイクやコンテナがギシギシに詰め込まれた。出港が少し遅れたのは、きっと例の入場ゲートで、乗船予定のクルマがなかなか入れなかったからに違いない。じゅうたん敷きの2等自由席は明らかにキャパシティ不足。出港後、さっそく雨が降り始めた為に甲板にも出ることができず、種子島までの約4時間、狭く暑苦しい人ごみの中で、ただじ〜っと座っているしかなかった。おまけに波も高く、けっこう揺れた。
西之表港入り口
西之表港に入港した時、雨は止んでいた。路面もかろうじてドライだ。とりあえず、さびれた定食屋で昼食を食べた。
食事を済ませて種子島総合開発センターに向かおうとしたところ、カンちゃんはZXR250のウィンカーが片方垂れ下がっているのを発見してしまった。ゴムが劣化して割れてしまったのだ。ガムテープで補修したが、もう片方も風前のともしび…。いいかげん買い換え時である。
種子島総合開発センター。ここは種子島の民族資料や考古学資料が多数展示されているのだが、目玉はなんといっても鉄砲である。種子島といえば、鉄砲を抜きにしては語れない。国産第1号の種子島銃から三八式歩兵銃まで多数の実銃が展示してあり、日本における鉄砲の歴史がよく分かる。
種子島総合開発センター
外に出ると、霧雨が降っている。カッパを着るほどではないが、更に天候が悪化する前に、本日の宿泊地である南種子町目指してR58を南下した。南種子町までは約42km。早く到着したい一心で、自然とペースが上がっていく。R58に限らず、種子島の主要道はみな、整備されていて走り易い。(宇宙センターがある為であろう。) ほとんどが追い越し可能で交通量も少なく、あっという間に南種子町に到着した。雨は降っていなかった。
「門倉亭南荘」でチェックインをした後、まだ時間があったので、千座の岩屋(ちくらのいわや)に行った。岩屋までの道はけっこうなワインディングで、荷物を降ろして身軽になったバイクで攻めていると、道の真ん中にカニが歩いていてビックリ!
千座の岩屋は巨大な海蝕洞窟で、人が1000人座れるくらい広い岩屋からその名が付いた。干潮時にしか中に入ることはできないが、そこんところはちゃんと調べておいたのでOK。岩屋の中に入ることができた。GTEC4人の他に人影はなく、しばし海鳴りの響きに耳を傾けていた。
千座の岩屋
宿に帰る途中、種子島宇宙センターの宇宙科学技術館に寄ってみた。この時点で既に18時を過ぎていたので技術館は閉館していた。いや、ここはそもそも月曜日が休館日であり、明日、ゆっくりと見る予定だったのだ。下見というわけである。屋外には巨大なH-U型ロケットの実物大模型が展示されている。明日は雨かもしれないからと、ロケットをバックに記念撮影をしておいた。
種子島宇宙センター
本日の走行距離:88km
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宿データ |
宿名 |
門倉亭南荘 |
場所 |
鹿児島県南種子町仲之上2237-2 |
感想 |
宇宙センターの関係者ご用達の宿。夕食は海の幸が豊富なご馳走で、食べきれないほどであった。
1泊2食付き:10,000円
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5月1日(火) |
天気:雨 |
雨である。回復の見込みはない。わざわざ辛い思いをすることはないと、4人は宿でレンタカーを手配した。
日産マーチで種子島最南端の門倉岬を目指して南下する。途中、ここ数日の雨の為であろう、土砂で道はかなり荒れていた。バイクで来なくて本当によかった。道端にはさとうきび畑がたくさんあり、収穫もそろそろ終わりらしい。
門倉岬は鉄砲伝来の地で、1543年8月25日、ここに漂着した船に乗っていたポルトガル人によって鉄砲が伝えられたのである。風がやたらと強い。ここから屋久島が見えるはずなのだが…、かろうじて稜線が見えた。岬周辺には南国っぽい植物が生い茂っている。
次は竹崎灯台に行った。ここからロケット発射場が一望できるのだ。巨大な施設が立ち並ぶ様は、なかなか圧巻である。
竹崎灯台からロケット発射場を望む
さあ、いよいよ今回のツーリングで最も楽しみにしていた宇宙科学技術館である。さすがに開館時間直後の為か、駐車場はガラガラであった。っていうか他にクルマは1台も止まっていない。なんか嫌な予感がしてきた4人は、技術館の入り口で「本日休館日」の文字を見て愕然とする。確かに月曜日が休館日なのだが、月曜日が祝日の場合はその翌日が休みとなるのであった!「ゴールデンウィーク中くらい休むんじゃねぇ〜っ!!」と、下調べが不足していたのを棚に上げて怒りまくるGTECであった。メインイベントを失って肩を落とした4人は、中型ロケット発射場の前に行って記念撮影をした。
本日休館日!(宇宙科学技術館)
昼食はうどん料理を食べ、宿に戻ってレンタカーを返却した。
今日の宿は、昨日上陸した西之表港のすぐ近くにある「シティホテルあらき」である。さすがにそこまではバイクで行かざるを得ないので、4人は覚悟を決めてカッパを着込み、出発した。
西之表市でガソリンを入れたカンちゃんは、レギュラーが一般的なハイオク価格よりもはるかに高いのでびっくりした。それを聞いた他の3人(特にハイオク指定のマシンに乗っているウメとマコちゃん)は、種子島ではガソリンを入れまいと心に誓った。まあ、タンクの残量はたっぷりなので問題なかろう。
15時くらいにチェックインして、4人は近くの土産店でおみやげを買い、宅急便で自宅に送った。また、地元のからいも(さつまいもを地元ではこう呼ぶ)焼酎を買い、食事の後に部屋で楽しんだ。
本日の走行距離:43km(バイクのみ)
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宿データ |
宿名 |
ホシティホテルあらき |
場所 |
鹿児島県西之表市西町78 |
感想 |
フェリー乗り場まで歩いていける距離にある。食事がおいしく、食堂(最上階)からの眺めは絶景。
1泊2食付き:10,000円
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5月2日(水) |
天気:雨のち晴れ |
今日の天気予報は晴れのはずなのだが、9時を過ぎても雨が降っている。フェリーの出港予定は13時30分なので、わざわざカッパを着てそこら辺を走りに行くこともないと、街中をぷらぷら歩いていた。
10時になると雨が上がり、いきなり太陽が出てきた。路面が一気にドライになったので、バイクで出発!
まずは市内にある若狭公園に行った。ここはガイドブックによると、展望台からの眺めが良いとあったので期待していたのだが、さびれた展望台は背の高い木々に囲まれ、おせじにも眺めは良くなかった。早々に喜志鹿崎に向けて出発した。
種子島最北端の喜志鹿崎に通じる県道581号線は快適なワインディングで、他に走っているクルマはほとんどない。あっという間に到着した。岬には小さな灯台があるだけで、特に展望施設はない。灯台自体には登れないし、岬の全貌を拝むことは出来なかった。それでもきれいな海と、青空の下に九州本島がクリアに見える。ヒロが「あれが屋久島か…。」と言って相変わらずの方向音痴をアピールしていた。
更に県道581号線を少し進むと道路が海岸に面していて、岩場に打ち寄せる波が美しい。4人は思わずバイクを停めてしばし見入っていた。
喜志鹿崎近くにて
12時までにフェリー埠頭に行くつもりなので、あまり遠くまでは行けないと思っていたが、このペースであれば余裕である。このまま海沿いを県道75号線に突き当たるまで時計回りに走って、東側から西之表港に戻ることにした。
上陸した日、種子島の住人に対して、島内でレーダーや光電管によるスピード取り締まりをやっているのを見たことがあるかと質問したところ、聞いたことがないという答えであった。以来、安心しきった4人は、日に日に巡航速度が上がっていったのである。縦長で、南北が直線にして50kmの種子島では、クルマに対する考え方が本土と明らかに違う。クルマはあくまで足であり、運転を楽しむ為の乗り物ではないのだ。ましてや趣味性の高いスポーツバイクは、持っている人自体が滅多にいないらしい。4台のマシンは行く先々で好奇の目にさらされた。そして“バイクで速く走る楽しさ”が理解されていない多くの島民からは「狭い島なのに、あんなに急いでどこに行くんだろう?」と思われたに違いない。それほど、この島には快適な道が多いのだ。
12時までに余裕で港に到着したGTEC達は、乗船手続きを済ませると、海鮮市場近くの食堂で、昼食に魚料理を食べた。この3日間、海の幸を食べまくったが、どれも本当においしかった。
フェリー「出島」は、鹿児島から定刻通りに到着した。しかし貨物の積み下ろしと積み込みに手間取り、30分くらい遅れての出港となった。さらば種子島!
フェリー「出島」
18時過ぎ、鹿児島港に入港し、先日宿泊した「鹿児島サンホテル」に直行した。バイクは例の立体駐車場に置くのだが、今回は天気がいいので駐車券が濡れることはなかった。
夕食は、ここ数日魚料理が続いたので、地鶏を使った焼き鳥がたらふく食べられる繁華街の焼き鳥屋をホテルで紹介してもらった。しかしアルバイトが多いのか、味付けにばらつきがあり、せっかくの素材を殺してしまっている。それでも、酒のつまみとしては申し分なかった。誰しもそろそろ休肝日をと思いつつ、ついついジョッキに手が伸びてしまうのだ。
本日の走行距離:48km
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宿データ |
宿名 |
鹿児島サンホテル |
場所 |
鹿児島県鹿児島市堀江町19-14 |
感想 |
4月29日のデータを参照のこと。
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5月3日(木) |
天気:晴れ |
晴れ渡った、すばらしい天気である。桜島も全景がよく見える。
朝、ウメは立体駐車場の出口ゲートに向かって隼をスタートさせた。他の3台も続く。先日の失敗はもはや繰り返すまい。精算機の横に停止すると、「チュウシャケンヲオイレクダサイ」の声に駐車券を入れ…、あれ?声がない。そうか、センサーが反応していないのだなと見回すが、それらしきものがない。どうやら重量変化を感知しているようだ。バイク1台くらいでは反応せず、先日は4台のタイミングがちょうど合っていたのだろう。一応駐車券を突っ込んでみたが、案の定受け付けてくれない。一旦バックしてみんなでタイミングを合わせるか?とそこへ後続車が…。そのオジサンはすぐに状況を飲み込んで、「後に続いて出てきたら?」と言ってくれた。というわけで今回のツーリングでは、ついに駐車場のゲートをまともにくぐることはなかったのである。
鹿児島ICから指宿スカイラインに入り、南下する。基本的に追い越しの出来ない片側1車線の有料道路なのだが、アップダウンのあるワインディングがひたすら続き、適度に登坂車線もある。
川辺ICを過ぎた辺りの登坂車線で、黄色いドカティが追い抜いていった。反射的にウメとヒロが後を追う。しかしヒロはシフトミスから一瞬出遅れた為、2つ目のコーナーを抜けた時には、既に前の2台は見えなくなっていた。
リヤシートの下から突き出た2本のマフラー、そしてカウル形状から察すると、相手は996モノポストのようだ。革つなぎを着て、荷物は薄いタンクバッグのみ。純粋に走りを楽しみに来ている地元ライダーか。などと観察しながらドカティの後ろを走っているウメであるが、実はもうテクニック的には限界に達していた。付いていくのがやっとで、これ以上ペースを上げられたら引き離されてしまう。もし相手が余裕で走っているのだとしたら、完敗である。そのうち休憩予定の樋高展望台が迫ってきた為、ウメは路肩に停車して他の3人を待った。何とか「隼をちぎってやったぜ。」と相手に言われないで済みそうだ。それとも、戦意喪失と取られたか?
快適だった指宿スカイラインから県道28号線に入り、池田湖に寄った。ここは巨大うなぎとイッシー(正体は巨大うなぎ?)で有名だ。どのボート乗り場にも、客引き用に巨大うなぎが飼われている。ひやかしに覗いてみたが、水槽の中にはなるほど2mはあろうか、確かに巨大なうなぎがいた。こんなのが湖にはうようよしているらしい。
池田湖のイッシー?
更に県道28号線を南下し、R226を少し西に走った入野から、開聞岳の海側をぐるりと周る道を、反時計回りに走った。しばらくは快適な道なのだが、だんだんと道幅が狭くなっていく。途中トンネルが何ヶ所かあり、トンネル内ではクルマ同士の擦れ違いはとても無理である。ところがトンネルはクネクネと曲がっており、まあバイクなら問題ないにしても、対向車がいつ現れるか、スリル満点なのだ。
開聞岳周遊道路
ほどなく薩摩半島最南端の長崎鼻に到着。開聞岳をバックに記念撮影した。東側には、これから向かう大隈半島最南端の佐多岬が見える。
長崎鼻
12時に山川港に到着し、乗船手続き後、フェリー乗り場近くの小さな食堂でちゃんぽんを食べた(これがなかなかいける!)。そして13時20分、フェリーは根占目指して出港した。所要時間はわずか40分。天気もいいし、波も穏やかだった。これで鹿児島湾をショートカットできる。
山川港
根占に上陸後、根占港のすぐ近くにある本日の宿、「錦江湾サウスロードユースホステル」に荷物を置かせていただき、4人は本土最南端の佐多岬に向かって出発した。
R269は適度に追い越し車線のある国道で、遅いクルマをパスできる。そのうち、いい感じのコーナーが増えてきて、自然とペースが上がってきた。っと前にとてつもなく遅いクルマが立ちふさがる。しかし先頭のウメは抜けなかった。さすがに一般道でパトカーは…。佐多岬まではまだ結構あるのに、このパトカー、結局岬の手前までGTECを先導してくれたのである。ストレス溜まりまくりである。
駐車場にバイクを停めて、入場料を払ってトンネルに入る。このトンネル、歩行者専用なのだが、明らかに自動車用に作られている。トンネルを抜けると、広かった道がプッツリと途切れ、熱帯、亜熱帯性の植物が生い茂るジャングルが立ちはだかる。どうやら、当初の開発計画が何らかの理由で挫折したようである。ジャングルの中の歩道を10分ほど歩くと、カラフルな御岬神社が現れた。いかにも観光用に無理矢理作られた神社といった感じである。更に少し歩くと、廃墟と化した観光センターがあり、そこから急な上り坂がしばらく続き、佐多岬展望台にたどり着く。この鉄筋コンクリートの展望台は、先程の観光センターと同時期に建てられたものと思われ、老朽化が進んでいる。とはいえ、眺めは最高である。眼下に灯台のある大輪島、西には午前中に寄った長崎鼻と開聞岳、南にはうっすらと種子島、屋久島のシルエットが見える。しかしよくもまあこんな足場の悪い山の上にいくつも施設を造ったものだ。採算は取れていないようだが…。
佐多岬展望台からの絶景
宿への帰り道は、往路のストレスを発散するべく、超ハイペースで飛ばした。
本日の走行距離:170km
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宿データ |
宿名 |
錦江湾サウスロードユースホステル |
場所 |
鹿児島県肝属郡根占町川南718-2 |
感想 |
山川行きフェリー乗り場の目の前に位置する。近くに温泉があり、割引券をくれる。無難なユースホステルだ。
1泊2食付き:4,500円
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5月4日(金) |
天気:晴れ |
昨日に引き続き、絶好のツーリング日和である。
まずは鹿屋市の「海上自衛隊鹿屋航空基地資料館」に寄った。第2次世界大戦中、鹿児島には知覧、加世田など、いくつかの特攻基地があったが、鹿屋からも1,000人を超える若者が、敵艦に体当たりするべく飛び立って行った。かつての特攻基地が海上自衛隊鹿屋航空基地となっているのだ。屋外には現役を退いた軍用機が多数展示されており、これだけでも見ごたえがある。更に館内には旧日本海軍の歴史が、豊富な展示資料によって詳しく紹介されている。目玉は鹿児島湾で引き上げられた零式艦上戦闘機の復元展示である。これらの展示物に、ミリタリーものに目のないウメとヒロは狂喜乱舞し、入り浸ってしまった。このままでは時間の関係上、次に向かう予定だった鉄道記念館に寄れなくなってしまう。鉄道ファンのマコちゃんは居ても経っても居られなくなり、先に出発してしまった。確かに、全ての展示物をじっくり見るには半日以上かかりそうだ。やむなく他の3人もペースを早め、2000点余りにも及ぶ特攻隊員の遺品展示は丸々諦めざるを得なかった。売店で本物のゼロ戦のフレームから作られたキーホルダーを買ってから、マコちゃんを追った。
海上自衛隊鹿屋航空基地資料館
基地資料館からバイクでわずか5分くらいの市役所隣りに、鉄道博物館はあった。博物館といっても、旧国鉄鹿屋駅跡に建てられた小さな建物で、かつてここに大隈線が走っていた頃の歴史を物語る、約400点の資料が展示されているのである。GTEC4人の他には1家族が見学しているだけで、観光名所から外れた穴場といえる。説明員の御老体が暇だったのか、親切に色々と説明してくれ、普段は非公開な、しかし鉄道マニアが泣いて喜ぶような品も見せてくれた。
ちなみにこれら2つの施設は入場無料である。
鉄道博物館
R504を北上し、大隈湖の少し北の百引から県道72号線に入り、牛根峠を越える。この峠道は舗装はされているものの、センターラインのない細いクネクネ道で、雨水が流れた跡には砂利が残っており、けっこう神経を使った。やがて鹿児島湾に突き当たった時にはとうに12時を過ぎており、ガソリンスタンドで今後の行動について協議した。今朝の予定では、九州上陸初日に行けなかった霧島を経由して宮崎に行き、19時10分発の大阪行きフェリーに乗るつもりであった。遅くとも18時までにはフェリー埠頭に着いていなくてはならない。皆腹をすかしていたが、ここでのんきに昼食を食べていては、霧島をゆっくりと見てから宮崎に行くのは難しいかもしれない。昼食は時間的余裕が出来てから食べることにして、とにかく霧島に向けて出発した。
R220を北上し、隼人町でR223に入る。温泉街が近付くと、さすがに渋滞してきた。しかし、時間的には思っていたより順調に来てしまった。霧島スカイライン(国道1号線)に入った直後、ウメの前を走っていたクルマが、目の前で追突事故を起こした。大したことはなさそうだったので、脇を通過して先を急ぐ。
ひとくちに霧島といっても、かなり広い範囲を指す。GTECが見たかったのは、えびの高原の賽の河原である。えびの高原の駐車場にバイクを置き、急斜面を登ること15分余りで、韓国岳をバックにした賽の河原が見えてきた。ここら辺一帯は、見渡す限り岩と火山灰の景色で、硫黄の匂いが立ち込め、所々蒸気が噴出している。まさに荒涼という言葉がピッタリだ。たわむれに硫黄の黄色い結晶にライターで火をつけてみたら、燃える燃える!!背の高い植物は皆無なので、見晴らしがいい。霧島見物はこれでよしとしよう。
えびの高原賽の河原
ここから小林ICまでの県道1号線は、想像通りの快適なワインディングで、下りなのが惜しまれた。5日前、雨が降ってさえいなければ…。小林ICから宮崎自動車道に乗ってすぐに霧島SAに寄り、遅い昼食を食べた。ここまで来れば、後は余裕であろう。
宮崎ICを目指す途中、100km/hで巡航している4人を抜きにかかっていたファミリーカーが、目の前で覆面パトカーに捕まった。(最近の覆面は外見からではもはや一般車との見分けがつかないからやっかいだ。) パトカーは基本的に追い越し車線をひたすら走り続ける車輌をターゲットとする。よって、高速道路においてパトカーに捕まらないコツは、追い越し車線を走り続けないことである。また、どの車線を走っていようとも、もの凄い勢いで追い上げてくるクルマは要注意。一旦やり過ごすべし。それでもダメだった場合は、ぶっちぎる(もちろん、実際にやってはダメよ)!200km/h以上で逃げれば、まずは追ってこない(ナンバー控えられて、かつ危険行為に取られれば、自宅まで来るかもしれないぞ)。とはいっても、今回のマシンの中で(性能的に)それができるのは、ウメの隼くらいなものではあるが…。その隼が本領を発揮する機会がすぐにやってきた。
田野ICを過ぎた辺り、走行車線を100km/hで巡航しているGTEC4台の横を、物凄いスピードでポルシェが追い抜いていった。相対速度は100km/h以上と思われる。ウメは「待ってました!」とばかりに後を追う。他の3人は…、来るわけもなかった。
慣らしの終わった隼は、あっという間にポルシェに追い付いた。といってもこのポルシェですら、220km/hくらいで巡航している。特徴的な2本出しマフラーに2段式ウィング、テールランプの形状から察するに、どうやら相手は911ターボ(Type996)のようだ(っていうか「TURBO」って書いてあるし…)。「グレートツーリング '00 in 四国」の帰りの名神高速でも、ひとつ前の型の911ターボ(Type993)と対戦し、左側からぶち抜いてやった。あの時は200km/hからの加速勝負で、バイクはZZ-R1100(D3)であった。ウメは「ついてる。」と思った。今回のツーリングでは何台かポルシェを見かけたが、このように気合を入れて走ってくれる奴はいなかったし、ましてや911ターボになんか滅多にお目にかかれるものではない。アドレナリンがコポコポと音を立てている。
このポルシェ、ウメに気付いたらしく、加速し始めた。しかし隼にしてみれば“どうってことない”加速である。もしかしたら、バイク相手に本気は出していないのかもしれない。「(ウメ)どうした?こんなものか?」と車間を詰める。メーターが260km/hを超えようとした時、遅いクルマ(この2台の次元で見ての話だが)に引っ掛かり、一旦120km/hまでスピードを落とした。前方がクリアとなり、再び加速。これもどうってことはない…。やはりなめられているのか?それともこんなものが実力なのか?そうはいっても、ウメの所有するクルマ(300馬力オーバー/最高速270km/hオーバー)では太刀打ちできない加速のレベルではある。そのうち、また遅いクルマの為に速度が落ちる。そして直線、視界内オールクリアという最高のシチュエーションが整った。
今度は先程と桁違いの加速を見せてくれた。おそらく本気を出したのだろう(もちろんそんなことは運転している本人に聞いてみないと分からない)。それでも隼はアクセルを全開にはできない。そんなことをしたら、ポルシェのケツに突っ込んでしまう。200…220…240…260km/h。まだ加速していく。ZZ-R1100の時は、250km/hからの加速にキレがなかった。相手に敗北感を味あわせてやる為には、圧倒的速度差で追い抜かなくてはならない。これ以上スピードが上がってからではさすがにきついと思い、ウメは左側から抜きにかかった。ところがそれはまるで、200km/hからの加速のように凄まじいものであった。あっという間にポルシェの前に出て、更に加速を続ける隼。ウメは奇声を発しながら6速でアクセルを開け続けた。何しろツーリング中である。タンクバッグの為に完全に伏せることができず、ヘルメットが風圧で後ろにもっていかれそうになる。後ろの荷物は大丈夫であろうか?と一瞬メーターに目をやると、なんと320km/hを指している!ポルシェはもはやミラーに写ってはいなかった。(この速度域でミラーがその役割を果たしているのも驚きである。)「もう充分だ。」走行車線に戻り、一気に100km/hまでスピードを落とす。その横をポルシェは抜いていったが、すぐにスピードダウンして走行車線に入った。料金所がすぐそこまで迫ってきた為と思われる。
もしもあのまま前方がクリアな直線が続き、前に出たウメが300km/hオーバーで走り続けていたら、最高速で勝るポルシェ911ターボにやがては追い付かれてしまったかもしれない。もちろん、スペック的に互いの最高速は分かっているのに、そんな愚かな最高速バトルを仕掛けるようなことはしない。バイクの武器である加速力を見せ付け、相手を点にしたらとっとと引く。ずるがしこいウメの勝利といえよう。実際問題、バイクで300km/hオーバーをずっと維持するのは体力的に至難の業であり、シチュエーション的にも高速道路を貸し切りにでもしない限りほとんど無理である。
ウメは宮崎ICの料金所を出るとバイクを路肩に寄せ、他の3人を待ちながら各部のチェックをした。バイク、荷物共に異常なさそうである。ただし、ジャケットのチャックが風圧で全開になっていた。貴重品を入れておかなくてよかった。首も痛い。ZZ-R1100で最高速アタックをした時には、荷物は一切なく、ミラーもたたんだ。それでもなかなかメーターが300km/hに達してくれず、「怖かった」という印象が強い。(風圧でミラーのネジを覆うカバーが飛んでいった。) ところが隼ときたら、シングルカウルも装着せず、荷物を積んだツーリングスタイルで300km/h以上出てしまうのだ。しかもZZ-R1100の250km/hくらいの感覚で…。ウメの体重が軽く(55kg)て空気抵抗も少ないのが効いているのかもしれないが、とにかく隼はとんでもないマシンである。
もう宮崎港はすぐそこだ。4人揃ったところで高速を降り、途中でコンビニに寄って夕食等を買い込み、フェリーターミナルに到着。18時までには乗船手続きを終えることができた。
さらば九州!!
本日の走行距離:231km
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宿データ |
宿名 |
マリンエキスプレス「みやざきエキスプレス」 |
場所 |
宮崎→大阪の太平洋上 |
感想 |
「おおさかエキスプレス」の双子船。4月28日のデータを参照のこと。
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5月5日(土) |
天気:晴れ |
いよいよ最終日。7時30分に大阪南港に上陸。往路と逆方向にひた走る。大した渋滞もなく、昼食を中央自動車道駒ケ岳SAで食べた後、解散となった。
今回のツーリングは前半雨に降られたが、レンタカーを借りたりして、旅としては十分エンジョイできた。天気予報が雨でも、柔軟に対応できるノウハウが身に付いてきたようだ。
本日の走行距離:396km(長野自動車道みどり湖PAまで)
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10月6日(土) |
天気:晴れ |
6時30分、穂高町にあるヒデの会社の駐車場に全員集合!6台で走るのは久しぶりだ。あれ?ヒデがファイヤーブレードではなく、VT250 SPADAに乗って来たぞ!?どういうことであろうか?「(ヒデ)なぜかってぇ?そりゃ、エピソード“ツーリングに行けないヒデ、アゲイン?”を読んでくれればわかるぜ。くぅ〜…なんてこったい!!」
天気予報は2日間とも晴れなので、雨の心配はいらないだろう。隊列はウメ、オユタ、ヒロ、マコちゃん、カンちゃん、ヒデの順番である。
高瀬川沿いの、俗に言うオリンピック道路(1998年の長野冬季オリンピック時に整備された道)を北上する。ほとんど信号がない直線道路で、大町まで快適に走ることができる。少し前までは、ほぼ全ての区間が追い越し可能であったのだが、今では8割くらいが追い越し禁止になってしまった。これでは遅いクルマをなかなかパスできないではないか。幸い、朝早いこともあって道はすいており、一気に大町に到達することができた。
大町でR148に入って更に北上を続ける。白馬を過ぎてトンネル区間が多くなると、遅い大型トラックが黒煙を撒き散らしながら行く手を阻む。健康に悪いので、追い越し可能な区間になったら、一気に抜き去る。が、ビッグマシン達が一瞬でその行為を終えるのに比べ、250ccのカンちゃんとヒデは、レッドゾーンまで回してやっと…といった感じである。カンちゃんはともかく、ヒデは本当ならファイヤーブレードで参加するはずだったので、やりきれない思いを抱いていた。
糸魚川ICから北陸道に入る。ウメ、オユタは富山方向に向かってランプウェイを加速した。3番手のヒロは入り口で通行券を取るのに手間取り、前のオユタは既に視界から消えていた。そして、「富山方面」「新潟方面」の分かれ道で、彼は何を思ったのか、新潟方面に向かって行くではないか!?あわてて後ろからマコちゃんがホーンを鳴らす。危く反対方面に入るところであった。ヒロが方向音痴なのは周知の事実ではあるが、ここまでひどいとは…とマコちゃんは呆れ果てた。
富山県の小矢部砺波ジャンクションで能越自動車道に入る。バトルをするような相手も現れなかったので、福岡ICで高速を降りるまで、終始100km/hで巡航した。
七塚町までR8とR159を走って、白尾ICから能登有料道路に入り、北上する。高松SA(道の駅高松)でちょうど12時となったので、ここで昼食にした。イカ墨ラーメンの麺は、なるほど黒かった。
昼食を済ますと、能登有料道路終点(此木IC)まで一気に走り、県道1号線で輪島に到着。時間は14時。まずまずである。更にR249を10km程北東に走って、輪島市指定名勝地「千枚田」を見下ろすことのできる、道の駅千枚田ポケットパークに寄った。
千枚田とは、斜面に大小2,092枚ものミニ水田が連なっているもので、田の枚数が多いから、あるいは“狭い田”だから千枚田と称するらしい。既に稲刈りは終わっていたので、景色としては少し寂しかったのが残念だ。
「千枚田」の看板前で記念撮影しているGTEC達のすぐ近くの歩道には、ウメと同じカラーリングの隼が停まっていた。ライダーはソロツーリングらしい。駐車場に停めればいいものを、わざわざこんな不安定(少し坂道になっている)な歩道に乗り入れたのは、恐らく、千枚田を背景にバイクの写真を撮りたいが為と思われる。
ここからマコちゃんとヒデは、輪島までR249を少し戻って、キリコ会館でゆっくりと輪島塗りを見てから宿に向かうことにし、残りのメンバーはこのままR249を時計回りに走ることになった。いざウメ達が出発しようと駐車場の出口に向かって走り出した時、先程の歩道に停まっていた隼に目をやると…、倒れている隼を必死に起こそうとするライダーの姿が目に飛び込んできた!言わんこっちゃない。坂の下り側に倒れたものだから、えらく難儀しているようだ。こんな姿、他のライダーには見られたくはあるまい。ましてや同じ隼乗りには…。大型2輪免許を持っているのだから、自分のマシンくらい引き起こせないでどうする。ということで、4人が手を貸そうか躊躇していると、何とか1人で起こすことに成功した。しかし、肩を落とし、しゃがみこんで傷の程度を見つめる彼に哀れみを感じた4人は、すぐさま発進して姿を消してあげた。明日は我が身かもしれない。気を付けよう!
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(ウメ、オユタ、カンちゃん、ヒロ)
まずは千枚田から7〜8kmほど走ったところにある窓岩に寄った。ここは文字通り、巨大な岩が波の侵蝕によって穴が開き、窓のように見えることから名付けられた。西日でシルエットがくっきりと浮かび上がり、キレイなのだが、おかげで写真は思いっきり逆光である。
更に海岸線を走る。ほとんどが追い越しOKなので、遅いクルマはパスし、快適に飛ばすことができた。やがてR249は海岸を背にして大谷峠へ。このまま県道28号線に入って海岸線沿いにぐるりと走るのもおもしろそうだが、とてもそんな時間はありそうになかった。大谷峠は、峠といっても、山の標高自体がそれほど高くはないので、すぐに下り坂になってしまい、ほどなく東側の海岸線に出た。
5kmほど南下すると、見附島に到着。海岸から100mくらい離れた所にあるこの島は、別名“軍艦島”とも呼ばれ、なるほど(日露戦争当時の)軍艦っぽいシルエットである。ちょうど干潮時だったので、島のすぐそばまで歩くことができた。艦首(?)をバックに記念撮影。
見附島から少し南に走って弁天島にも寄った。この島は陸と橋で繋がっている小さな島で、ぽつんと神社が建っている。松島の五大堂に匹敵する、なかなか絵になる風景だ。見附島もそうであったが、観光客はほとんどいなくて、景色を堪能できた。
あとは柳田村にある本日の宿「国民宿舎やなぎだ荘」に直行するのみ。R249を少し南下してから県道57号線に右折して西進する。センターラインのある快適なワインディングが15kmほど続いた。遅いクルマが走っていると、抜く。そこそこ速いクルマが走っていても、抜く。ビッグマシンのウメ、オユタ、ヒロにとっては造作もないことなのだが、250ccのカンちゃんは、「ゲッ!また抜くの〜!?」と、付いていくのが大変である。やがて県道6号線に入ってから約3kmで宿に到着。いい気になって飛ばして来たから、弁天島からはあっという間であった。駐車場に入ると、ちょうどマコちゃんとヒデも到着したばかりで、バイクを停めようとしていた。何たる偶然!
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(マコちゃん、ヒデ)
入場料500円を払ってキリコ会館に入ると、能登地方の祭りで使うキリコ(お神輿と灯篭をあわせたようなもの)が、薄暗い空間にずらりと並べられている。間近で見ると迫力はあるが、やはりお祭りで威勢良く担がれている様を見るべきだろう。2階には地方の風習や奇祭を紹介するコーナーと、地元出身の横綱輪島を紹介するコーナーが設けられていた。江戸時代、厳しい年貢の取り立てに耐える農民が、正月くらい満腹になるまで白米を食べたい、ということで始まったとされる行事では、大人も、子供も大盛のご飯(大きなお椀にその外周と同じ径で、垂直に20cmはそそり立って円柱状に大盛りに盛られたご飯…半端な量じゃない)を食べるのだと言う。2人は驚きと共に、地方文化への見識を深めた。
続いて、隣接する輪島塗りの工房(土産店に併設)を見学。分業で全て手作業。あれだけ手間をかければ高価になる訳だ。100万円のちゃぶ台を横目に、マコちゃんは輪島塗りの箸をお土産とする。「1つんっ!万円のお椀で雑煮が食えるかっ!?」などと話しながら輪島を後にする。
R249を東に進み(千枚田までは1往復半してしまったことになる)、ウメ達が去った後の窓岩を見て、県道6号線経由で柳田温泉へ。田舎の道なのに(田舎の道だからか?)、よく整備されている。長野県の道路事情がいかに悪いか、県の道路行政担当者に思い知らせてやりたいものである。
ほどなくして柳田温泉に到着。駐車場でどこにバイクを置こうか迷っていると、怪しげな4人組がバイクでやって来た。
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柳田温泉にある国民宿舎やなぎだ荘。充実した設備の建物は比較的新しく、従業員の対応もいい。予約を入れたのは、僅か1週間前であった。その時にはさすがに空き部屋はないと、半ば諦めながら電話をした。すると、「大広間しか開いていないのですが、そこでもよろしいでしょうか?」と、申し訳なさそうに言われた。部屋に入ると、さっそくその理由が分かった。何と、24畳もある小宴会場だったのだ。テレビ2台にカラオケにステージまである。宿泊設備は他の部屋と変わらないみたいだし、カラオケ(無料)は自由に使ってくれていいという。申し訳ないどころか、むしろラッキーではないか。
温泉に浸かり、風呂上りに生ビールで乾杯!疲れは一気に吹き飛んだ。夕食は1人1,000円上乗せして、刺身の船盛りを付けてもらった。その刺身も、通常の料理もおいしい。
夜は大カラオケ大会が催され、曲の入力が途切れることはなかった。
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宿データ |
宿名 |
国民宿舎やなぎだ荘 |
場所 |
石川県鳳至郡柳田村字柳田知部1番地 |
感想 |
レポートの通り、設備、サービスがいい。しかも料金が安い!
1泊2食付き:8,900円。(特別料理料金及び生ビール中ジョッキ1杯を含む。)
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10月7日(日) |
天気:晴れ |
8時30分出発。今日もいい天気だ。
県道57〜1号線を穴水まで走る。センターラインのある快適な道である。途中、クルマ10台くらいの集団の後ろに付いた。先頭は大型トラックで、どうやらこいつがストッパーになっているようだ。この「xx牛乳」のトラック、決して道を譲ろうとはせず、企業イメージの低下に貢献している。追い越しOK区間になると、トラックの後続車達はけっこう強引に追い越していく。安全な追い越しとは、いかに右側車線にいる時間を短くできるかにかかっている。その点、加速力に優れるバイクは有利なのだ。今また登り坂の直線で、1台のファミリーカーが抜きにかかった。しかしアクセルはベタ踏みなのだろうか、なかなか左車線に戻れず、そのうち対向車が接近してきた!幸い、道幅が広かったので、抜きながらの擦れ違いができ、正面衝突は避けられたが、後ろで見ているGTEC達は歯がゆかった。何をトロトロやっていやがるんだ!残りのクルマはあと7台。GTECの番が来るのは、まだ当分先になりそうだ。別に急いでいるわけではない。バイク乗りにも色々いるだろうが、GTEC達は渋滞にまともにハマッたり、このようにすぐ前がオールグリーンで、なおかつ追い越しOKなのに、遅いクルマの流れに甘んじることはないのだ。
ウメは減速してオユタと並び、「行っちゃおうか?」と叫んだ。オユタがうなずいた瞬間、ウメの隼は加速して右側車線に出ると、全てのクルマを一気に抜かし、あっという間にトラックの前に出てしまった。「(ウメ)どうだぁ〜っ!?ゼロヨン9秒台の加速を見たかぁ〜っ!?」ウメがこのような暴挙(?)に出ることはしょっちゅうあるが、決して他の全員に強要しているわけではない。抜かしたくなければ抜かなければいいし、1台1台慎重に抜いてもいい。各自の判断にまかされているのだ。どの道、休憩ポイントで合流はできる。しかし、追い越し禁止区間になってしまう時以外は、いつだって他のメンバーも後に続くのである。もちろん、馬力に差があるので、一気に抜けない者もいる。ウメは当然、次に来るのはオユタのファイヤーブレードだと思っていた。ところが、バックミラーに近付いてきたマシンは…、ヒデのスパーダだった!!
オユタ、ヒロ、マコちゃん、そしてヒデは、ウメのすぐ後に続いて抜きにかかったのだが、ちょうどゆるやかな左カーブに差し掛かったところで、トラックのせいで一瞬先が見えなくなってしまい、オユタは安全の為に一旦左側車線(トラックの後ろ)に戻った。ヒロ、マコちゃんもそれに従ったのだが、ヒデは「このマシン(スパーダ)では、一旦減速してしまったら再加速するのが一苦労じゃん!」と思い、そのままトラックを一気に抜いたのであった。250ccとはいえ、一旦スピードが乗ってくればあなどれないものがある。なんやかんやでGTECの全員が抜かすことには成功し、穴水までは快適に走ることができた。
穴水からR249を海沿いに南下する。途中、マコちゃんは前の3台が右に大きく膨らんで何かをよけるので、何だろうと思って目を凝らした。しかし、別に障害物は見当たらないのでそのまま進んだ。強いて言えば、道が濡れていることくらいか…っと、突然波しぶきをあびてしまった!「(マコちゃん)なるほど、そういうことね。トホホ…。」天気はいいし、風もそれほどないのに…、R249恐るべし!満潮時はいつもこうなのか?
七尾でR160に入って更に南下。やがて氷見市に入った。目的の寿司屋に行く前に、氷見港に寄って、新鮮な海の幸をお土産とした。
そして、ヒデ推薦のR160沿いにある「きときと寿し」に到着。ちょうど12時だ。少し並んだが、運良くテーブル席に着けた。直後、店の前は長蛇の列。いい時に来た。さっそく食べまくる。食通のヒデが言うだけあって、なかなかいける。本日のおすすめ品、いわしやさんまの刺身もうまかった。しかし、大トロにすじがあったのが惜しい。
満腹になった6人は、R160→R8→R472とアクセスし、家路についた。R472は、それまで片側2車線だったものが、北陸道をくぐった辺りから突然細くなり、やがてクルマ同士の擦れ違いも困難ほどの道幅な峠道になった。ここまで細いと、いくらワインディングでも楽しくなんかない。おまけにカーブミラーが少なく、対向車を察知しづらい。ひどい国道であった。
大沢野町の辺りでR41に出たとたん、信号のたびに引っ掛かる。信号は約100mおきに延々とあり、ストップアンドゴーをひたすら繰り返す。何者かの陰謀に違いない。
R471に入ると交通量もぐっと減り、追い越し可能な区間が適度にあるので、いいペースで走ることができた。道の駅奥飛騨温泉郷上宝で休憩。あとは安房トンネルを通って帰るのみ。順調だ。余裕で明るいうちに家に着くであろう。
ところが、500円払って安房トンネルを通過した瞬間、R158は大渋滞であった!上高地や乗鞍は紅葉が始まっており、しかも3連休とあれば、ある程度覚悟はしていたが、予想を遥かに上回っていた。動きもしない。道幅が狭く、すり抜けもままならない。R158の上高地〜稲核ダムは、トンネル連続区間である。トンネルの中は排気ガスで思わす咳き込んでしまう。これはマジに身体に悪い。いくら交通量が多いとはいえ、信号がほとんどないこの国道がなぜこんなに混むのかというと、トンネル内のカーブで、大型バス同士がまともに擦れ違いできないからである。もともとこれらのトンネルは、近年の背がやたらと高い大型バスのことなど考えて設計はされていない。というか、バスの背が高過ぎるのだ。そんなバスがここを走るな!てなわけで、対向車も滅多にはやって来ないので、バンバン右側車線を走って、なんとか渋滞を切り抜けた。そういえば、数ヶ月前、東北の交通機動隊隊員が、休暇のツーリング中にこの道を走り、やはり同じシチュエーションで右側車線を走っていてトンネル内で対向車と正面衝突し、命を落としてしまった。相手側にとっては迷惑な話だ。バイクに乗ったことのない人は、こういった危険な行為を取り締まるべきだと唱えるかもしれない。だが、それ以前に、渋滞がなければこのような事故は起きなかったのだ。根本的に考えると、いつも悪いのは、道を塞ぐクルマ達である。上高地だって、マイカーを規制しても、観光バスがわんさかと入って来ては駐車場待ちで延々と道端に並んで、アイドリングのまま黒い排気ガスを撒き散らしている。誰だって目の前に排気ガス発生装置があれば、その場所にいたくはないであろう。身体をさらして走るライダーは、渋滞が最大の敵なのかもしれない。
道の駅風穴の里で最後の休憩。みんな、もうヘトヘトであった。最後の最後で最大の試練が待っていようとは…。既に薄暗くなっている。それでも、ここまで全員無事で何よりだし、2日間とも天気に恵まれてよかった。この渋滞が雨の中だったら…、思わずぞっとする。
あとは大した渋滞もないはずだ。「グレートツーリング外伝 '01 in能登」はここで解散となった。
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