2005年のツーリング

グレートツーリング '05 in 九州
メンバー(マシン) ウメ(GSX1300R)、オユタ(RGV250γ)、カンちゃん(YZF1000R)、ヒロ(GPZ900R)
4月30日(土) 天気:晴れ
 10時、長野自動車道みどり湖PAに集合。今回のツーリングには参加できないが、見送りに来てくれたヒデの帽振れを受けながら出発。隊列はウメ、カンちゃん、ヒロ、オユタの順番である。

みどり湖PA
 長野自動車道→中央自動車道→名神高速と順調に走る。休憩地点は中央自動車道恵那峡SA、名神高速養老SA(昼食)、大津SA。フェリーの出航は18時30分なので、17時位にフェリー埠頭に到着すれば問題ないであろう。西宮で高速を降りると、R43で六甲アイランドを目指した。
 予定通り、17時に六甲アイランドにある阪九フェリーのターミナルに到着。しかし、なんと、既にバイクの搬入が開始されている!フェリーへの車両搬入は、大抵4輪よりも2輪が先である。それは分かっていたし、阪九フェリーだってもう何度も利用しているのに、具体的な搬入開始時間までは誰も覚えていなかった。いつも早く着き過ぎていたので、今回はゆっくり出発したのだ。慌てて乗船手続きを取る為に窓口に並ぶが、長蛇の列。やはり何ごともゆとりが大切である。現地で暇をもてあそぶ位のスケジュールでいいのだ。復路は気を付けよう。
 18時30分、フェリーは六甲アイランドを後にした。明日の福岡県、熊本県の天気予報はズバリ雨。メンバーは意気消沈していた。
 本日の走行距離:396km(長野自動車道みどり湖PAから)
宿データ 宿名 阪九フェリー「すおう」
場所 神戸→新門司の瀬戸内海上
感想 瀬戸内海だけあって、フェリーに乗っていることを忘れてしまうくらい穏やかな航海であった。設備も充実していてきれいな船だった。乗船2ヶ月前に予約したのに、2等寝台は満席。2等のザコ寝となった。2等は寝心地が悪いし、セキュリティー上も不安があり、安さ以外にメリットはない。
2等プラス単車:9,270円(750cc未満)及び10,440円(750cc以上)←インターネット予約割引
5月1日(日) 天気:雨
 6時30分、新門司上陸。予報通り雨が降っている。当然カッパを着ての出発だ。

雨の中の九州上陸
 当初の予定ルートは、新門司から県道25号線→R322→久留米市→R209→R443→柳川市→R208→R501→県道28号線→熊本市というもので、柳川では、どんこ舟で優雅に川下りをしようと考えていた。しかし、雨の中では舟どころではない。バイクで雨の中を走るに当たって、何か楽しいことはあるだろうか?「(GTEC)ない!」ただ辛いだけである。という訳で、フェリーターミナルから程近い九州自動車道新門司ICから一気に本日の宿泊予定地である熊本市まで走り、熊本市内見物をしようということになった。
 古賀SAで朝食。オユタは今回のツーリング用にカッパを新調していた。ところが、古賀SAに着いた時、カッパのチャックをしっかりと締め切っていなかったことに気が付いた。どうりで胸がスース―していた訳だ。カッパの内側に着ていたジャケットは無情にもびしょ濡れになっていた…。朝食を終えると、予約している本日の宿「ユートピア熊本ユースホステル」に電話をし、バイクと荷物を預かってもらえることになった。
 あとは一気に熊本ICまで走ったのだが、道中は激しい雨に見舞われた。ウメの目の前を走っている日産エルグランドが、ハイドロプレーニング現象でズズーッと横滑りし、ヒヤリとするなんてこともあった程だ。
 9時45分、宿着。荷物を預かってもらい、まずはガイドブックで目を付けていた、熊本駅近くにあるラーメン屋「黒亭」に行くことにした。行列ができる店のようなので、昼飯の時間帯になんて行ったらえらいことになるに違いない。急がねば。
 宿から熊本駅まではけっこうな距離がある。最寄りの路面電車の駅まで歩いて15分程だが、雨+徒歩+路面電車とタクシーを秤にかけた結果、後者(タクシー)で熊本駅に向かうことにした。1人当たりの支払額は、路面電車で行った場合+100円といったところか。熊本駅周辺は想像と違って閑散としていた。熊本市の繁華街は、どうやら熊本城南東側辺りのようだ。
 10時50分、黒亭着。既に何人か店の外に列ができている。黒亭は1957年創業の老舗で、豚の頭のみを使用した豚骨スープ、ラードで揚げたニンニクのこってりした熊本ラーメンなのだそうだ。期待に胸が膨らむ。そして11時10分、GTEC達の目の前にお目当てのラーメンが置かれた。お味は!?
 ラーメンは人それぞれ好みが違うので、万人がうまいというものはなかなか存在しないであろう。しかし、4人とも感想は同じだった。「まずくはないんだけど、しょっぱい…。」4年前に(今回の参加メンバーの中ではウメ、カンちゃん、ヒロが)鹿児島市の有名なラーメン屋「くろいわ」で食べた鹿児島ラーメンもそうだったが、どうも九州のラーメンは彼らからしてみれば、スープの味付けが濃いようだ。こってり=濃いとは違うような気がするものの、とにかく長野県人の口には合わなかったということか。
 お次は熊本駅前から路面電車に乗り、熊本城へ。とにかく敷地が広い。大天守、小天守や数々の櫓(やぐら)をじっくりと見学。これで500円とは安過ぎる。雨のせいか、観光客は多くなかった。GTEC達の地元にある松本城は国宝であるが、それは天守閣だけであり、敷地に関しては狭く、熊本城の比ではない。城本来の目的である防御、威厳ということからすれば、熊本城はみごとにその役割を果たしている。実際、西南戦争では西郷隆盛率いる薩軍に対し、政府軍は熊本城に約50日間篭城し、ついに落城しなかった。

熊本城天守閣(この時は霧雨)
 熊本城には4時間位いた。時刻は16時過ぎ。時間があったら行くつもりでいた水前寺公園は、どうせ雨だしとキャンセル。繁華街をブラブラと歩いてから路面電車で宿に帰った。
 宿で夕食は予約していなかった。近場の居酒屋で地元のうまい食べ物に舌鼓を打とうという訳だ。しかし、いざ夜になって繰り出して見ると、宿の周辺にその手の店は何もない。また繁華街まで行くか?いや、熊本城見学でず〜っと立ち通しだった彼らに、もはやその気力はなかった。結局、スーパーで惣菜とビールを買い、部屋で宴会と相成った。これはこれで楽しかったといえよう。
 本日の走行距離:184km
宿データ 宿名 ユートピア熊本ユースホステル
場所 熊本県熊本市水前寺3-17-15
感想 水前寺公園の近くにある。熊本城や繁華街までにはちと遠く、気軽には行けない。設備は申し分なし。受付の女性が超かわいかった。いや、マジで。
1泊朝食付き:3,780円
5月2日(月) 天気:曇りのち晴れ
 今日は天草からフェリーで島原に渡り、長崎に泊まる予定だ。このエリアの天気予報は曇りのち晴れ。8時の時点で宿の窓から外を眺めると、雨は上がっているが、路面はまだウェットである。とにかくバイクに荷物を装着し、出発の準備は済ませることにした。
 9時20分、薄日も差し始め、路面はドライになった。よし、出発だ!
 R3からR57に入り、天草を南下する。大矢野島、上島、下島など大小約120の島からなる天草諸島を貫く国道は、天草五橋と呼ばれる橋で結ばれている。さすがはゴールデンウィークだけあってか交通量が多く、ペースが上がらない。11時10分、上島の千厳山(せんがんざん)展望所に寄った。
 千厳山からは、今まで走ってきた天草五橋を含め、大小さまざまな島々が眼下に広がり、すばらしい眺めだ。メジャーなガイドブックにも載っているのに、なぜかさびれており、他に観光客は数名のみだった(おかげで静かなのはよかったのだが)。

千厳山展望所
 千厳山からはR324を走り、12時45分に下島の五和町にある鬼池港に到着。ここから島鉄フェリーで長崎県島原半島南端にある口之津港までショートカットする。フェリーは1時間おきに出ており、次は13時15分発だ。既に何台かバイクが停まっている。係員に誘導されて駐輪すると、GTEC4人までで次便のバイクは満車となった。危うくもう後数分遅れただけで、1時間以上のタイムロスになるところだった。実際、次から次へと後続のバイクがやって来て、次には乗れないことを聞いて肩を落としていた。クルマはバイク以上に混雑していた。乗船券+2輪の料金は750cc未満が1,040円、750cc以上が1,280円だ。
 予定ではフェリーを待っている間に昼食にするつもりだったのだが、あいにく周辺はさびれており、営業している飲食施設はない。仕方がないので、島原上陸後に食べることにした。
 口之津港行きのフェリーは給油の為に、予定より20分遅れての出航となった。乗船時間はほんの30分。あっという間に口之津港に入港。
 さて、これで熊本県から長崎県に入った訳だ。島原に上陸した瞬間に、カンちゃんのバイクによる47都道府県制覇が達成された!GTECではウメ、ヒロ、マコちゃんに続いて4人目の快挙だ。港近くの公園で、達成記念の撮影会が催された。

47都道府県制覇達成!
 そういえば昼食がまだだった。R251を長崎方面に走るものの、ドライブインすらない。いいかげん空腹に耐えかね、コンビニに寄って弁当を買い、駐車場で食べた。もう15時だ。おやつの時間である。
 今日まともに観光した所といえば、千厳山展望所だけだし、走行距離も大したことはないのに、他に寄り道する時間的余裕はなさそうだ。やはり出発時間が遅かったことと、フェリーの待ち時間、航行時間が影響したようだ。これでもう1本待たされていたらどうなっていたことか…。
 引き続きR251→R34と走り、長崎市街へ。長崎駅の近くにある本日の宿「なかさと旅館」に着いたのは17時だった。
 夜、駅前の土産物屋で各自お土産を購入し、自宅に発送した。長崎といえば「ちゃんぽん」「皿うどん」「カステラ」「隠岐の焼酎」「からすみ」「中華菓子」など、名産が多い。これほど食べ物に関して名の通った特産物が多い所も珍しいのではなかろうか。
 その後は居酒屋でカンちゃんの全国制覇を祝う酒池肉林の宴が催され、しこたま飲んだ。
 本日の走行距離:179km
宿データ 宿名 なかさと旅館
場所 長崎県長崎市五島町2-9
感想 家族で経営していると思われるビジネスホテル兼旅館。施設は古い。特に各部屋にある風呂はかなりきている。アットホームな雰囲気があるので、まるで下宿でもしているような気分になる。長崎駅に近く、立地条件は申し分ない。
1泊:3,360円(駐車場代込み)
5月3日(火) 天気:晴れ
 7時40分出発。まずは宿の近くにある眼鏡橋で記念撮影。朝早いこともあってか、観光客はほとんどいなかった。この手の石橋が長崎にはゴロゴロしており、異国との交流が盛んだったことを伺わせる。

眼鏡橋
 お次はR499を、西側に端島(通称「軍艦島」)が間近に見える位置まで南下した。軍艦島はかつて炭鉱の島として栄えた半人工島で、周囲わずか1.2kmに全盛期には5千人以上が暮らしていた。島影が戦艦「土佐」に似ていたのでこのような呼び方をされている。1974年に閉山してから、高層アパート群等を含めて当時のまま放置されており、廃墟マニアにとっては聖地のようなもので、まさに「キングオブ廃墟」と言えよう。確かに海を隔てても、その威容は伝わってくる。実際に上陸したいところだが、合法的には非常に難しい。しばらく海岸で眺めた後、長崎市街までR499を戻り、長崎原爆資料館に行った。

軍艦島
 長崎原爆資料館は、1945年8月9日11時2分に長崎市へ投下された原子爆弾の惨状や歴史的背景が展示されている。原爆と言えば死傷者数が多かったという点で広島の方が有名かも知れない。しかし、広島の原爆(リトルボーイ=ウラニウム型)よりも長崎の方(ファットマン=プルトニウム型)が破壊力はずっと大きかったのだ。展示内容は充実しており、核兵器のもたらす悲劇がよく伝わってくる。抑止力としての核兵器は、今も世界中に膨大な数が存在し、しかも数多くが実際に実験で使用されている。それらは人に対して使わなかっただけで、自然環境には深刻な影響を与えている。そんなものに多くのカネを割き、自らを窮地に追い込むとは、人間とはなんとも愚かな生き物だと考えさせられる。この手の資料館は、世界中の人々に見てもらいたいものだ。
 各自じっくり見学していたら、もう昼飯時ではないか!?急いで平和公園まで歩いて行き、最近修復工事が終わってきれいになった平和祈念像の前で記念撮影した後、平和公園のすぐ近くにある「一(かず)ちゃん」というラーメン屋で長崎ちゃんぽんを食べた。またしょっぱい味なのではないかと各自覚悟して食べたのだが、ここのちゃんぽんのスープは程よい濃さで、すんなり受け入れられた。

平和公園
 昼食後、爆心地も見学してからバイクまで戻ったのが12時45分。今日はこの後、蛎浦島(かきのうらじま)にある炭鉱跡に関連した廃墟を見る予定だったのだが、宿のある田平町までの行程を考えると、とてもそんな時間はない。GTEC達が資料館に立ち寄ると、展示物をなぶりあげるように見学してしまうということを考慮していなかったのがいけなかった。無念ではあるが、蛎浦島は諦め、R206を北上し、佐世保に向かった。
 途中、R202の針尾瀬戸にあるドライブインで休憩。ここから北側に見える巨大な3本のコンクリート製の塔は、旧日本軍が使用していた高さ140mもあるアンテナで、かの有名な「ニイタカヤマノボレ1208(ヒトフタマルハチ)」の暗号はここから発信されたのだ。この1922年製の針尾送信所、99年にウメ、オユタ、ヒロが来た時はきれいに見えたのに、現在はドライブインとアンテナの間に橋を建造中で、橋のアーチに阻まれてよく見えなかったのが残念だ。
 R202は針尾瀬戸の西海橋を中心に、南北に激しく渋滞していた。幸いここまではすり抜けですんなり来れたが、対向車線側の渋滞は、延々と数km続いていた。しかも路肩が狭く、すり抜けが厳しい状態。逆コースでなくてよかったと思う4人であった。
 佐世保市街を通過して県道11号線に入り、針尾瀬戸同様、やはり99年にカンちゃん以外のメンバーが立ち寄った石岳展望台を目指す。ここからの眺めは格別なのだ。6年前に来た時には、道が非常に分かりにくく、たどり着くのに難儀したものだ。しかし、そこは2度目だけあって、いくら6年のブランクがあろうとも、ウメは道をしっかり覚えており、一発で到着!
 天草の千厳山展望所もなかなかの眺めであったが、石岳展望台は別格だ。西に九十九島の美しい景色、東には佐世保市街と佐世保港が一望でき、自らは雲の上に立ったような気分になれる。カネを払ってでも見る価値のある景色だ。…が、この展望台、隠れた名所なのか、他に観光客はほとんどいなかった。

石岳展望台からの眺め
 16時30分に石岳展望台を後にし、県道11号線→県道139号線→県道18号線→R204と海岸線沿いに宿を目指す。交通量は少なく、適度なワインディングでなかなか快適だった。
 夕日をバックにした平戸大橋を眺めた後、18時、本日の宿「たびら平戸口ユースホステル」に到着。
 本日の走行距離:189km
宿データ 宿名 たびら平戸口ユースホステル
場所 長崎県北松浦郡田平町大久保免1111-3
感想 場所が分かりにくい(ホームページの地図はアバウト)。県道から施設が見えないのに、ユースホステルの案内板がない。このユースホステルは「グラスハウス」という旅館と兼ねており、グラスハウスの大きな案内板はある。そんなことは知らなかったGTEC達は、一旦通り過ぎてしまった。併記してくれればいいのに。施設は申し分ない。食事も旅館並みでおいしい。温泉風呂の男湯は、併設されているキャンプ場からガラス越しに丸見え。露天風呂はもはや露出風呂となっている。ナニに自信のない人は勇気がいるぞ!
1泊2食付き:5,190円
5月4日(水) 天気:晴れ
 8時40分出発。まずは平戸大橋を渡って平戸島の幸橋(さいわいばし)へ。
 幸橋は1702年に造られた石造りのアーチ橋で、別名オランダ橋という、長崎の眼鏡橋に匹敵する程の歴史のある橋なのだ。市街地にある眼鏡橋と違って、比較的ひっそりとした場所にある幸橋は、なかなか趣がある。観光客もほとんどいない。橋の下には何やら魚がうじゃうじゃ群れており、口をパクパクしていて気持ち悪かった。

幸橋
 お次はすぐ近くの平戸城。平戸瀬戸に面した小高い丘の上にあり、展示資料はショボイが、天守閣からの眺めはめっぽうイケてる。こちらもまだ朝早い為か、観光客は少なく、静かに見学できた。

平戸城
 10時30分、平戸島を後にし、R204を東に走る。50分位走って佐賀県に突入。…っと左手にツタに覆われた巨大な廃墟が!思わず立ち寄るGTEC達。特に立ち入り禁止にもなっていない。長崎では炭鉱に関連した廃墟を事前にチェックしていたのだが、佐賀県は未チェックだった。きっと有名な場所に違いない。
 内部に足を踏み入れる。かなり大きなコンクリート製の工場跡らしい。天井はすすけており、火事にでも遭ったのであろうか?えらく年月が経過しているようだ。そこに若い女性廃墟マニアが数名登場!これ幸いにと、彼女達にこの工場跡について聞いてみた。廃墟を見ると胸がキュンとなるというこのかわいらしい女性達によると、ここはかつて造船所だったのだそうだ。その名は川南(かわなみ)造船所。元はガラスを造る工場だったのが、1940年に閉鎖された後、川南工業株式会社浦之崎造船所が操業を始め、主に貨物船を建造していた。1943年に軍需工場の指定を受けて工場を拡張。従業員数約2,500名という大きな工場になった。朝鮮半島から強制的に連れてこられた人達も多く働いていたらしい。建造は輸送船等が中心だったが、終戦間近には人間魚雷や水上特攻船も造られたという。1945年の終戦と共に軍需工場の指定は解け、1946年に株式会社浦之崎造船所になり、その後更に伊万里湾重工業株式会社に名称を改めて再出発。船の建造や修理、機械の製造及び加工を行っていたものの、1955年ついに閉鎖。そして現在に至る…。

川南造船所跡内部
 造船所だけあって、工場は海岸に面している。ちょうど引き潮だったので、ドックの跡にも歩いて行けた。GTEC一同終始感激。どこから見ても隙がない。すばらしいの一言である。施設は老朽化が激しく、至る所に危険はある。なめてかかると死ぬかもしれない。こういった全身で感じる緊張感は、バイクに乗っている時と共通するものがある。「もっとアクセルを!」だ。だから躊躇なく足を踏み入れるのだろう。

川南造船所ドック跡
 今日はひたすら海岸線沿いに福岡まで走る予定であり、決してゆとりあるスケジュールではないのに、1時間以上ここをウロウロしていた。おかげで東松浦半島北部(呼子方面)は諦め、R204の途中、伊万里市最北端から県道33号線で唐津までショートカットすることにしたのだが、悔いはなかった。それほどこの廃墟はよかった。「(ヒロ)いいねぇ。がぜんツーリングらしくなってきたぜ!」
 13時、伊万里駅着。ここで昼食とした。伊万里駅はウメ、オユタ、ヒロの3人にとって「グレートツーリング '99 in 九州」以来6年ぶりだったのだが、駅舎が新しくなり、周辺も整備されていて、その変貌ぶりに驚いた。さすがは焼き物の街だけあって、歩道の舗装には陶器のかけらが混ざっている。失敗作の有効利用か?
 14時30分、唐津城着。周辺は城の駐車場待ちのクルマで大渋滞。GTEC達はフリーパスで城の入り口付近に駐輪成功。
 唐津城も平戸城のように海(唐津湾)に面した小高い丘の上にあり、天守閣からは玄界灘や松浦潟のすばらしい眺めが眼下に広がる…ハズなのだが、資料館を兼ねた天守閣には時間がないので入らなかった。そんなことをしたら、例によってじっくりと見学してしまうので、福岡に着くのが夜になってしまうからだ。先述の眺めは城内の公園からでも楽しめたし、藤やつつじの花が見頃でよかった。しかし、暑いわ観光客でごったがえしているわで、情緒には欠けていた。

唐津城
 15時20分、城に近いガソリンスタンドで給油中、従業員から耳寄りな情報を入手。それは、二丈浜玉有料道路に入り、ふたつ目のトンネル出口ですぐ左に降りると、料金所手前までタダで走れる。そこから一旦R202に出て筑前深江駅の辺りからR497に入る。そして西九州自動車道の側道を使って福岡市街まで走るというものだ。これなら快適に福岡まで走れるらしい。当初はR202でひたすら福岡を目指すつもりだったが、時間的に厳しくなってきたので、有料道路を使いまくろうと考えていた。しかし、ここは教えてもらった道を試してみることにした。
 実際、これらの道はスムーズに流れ、ストレスなく福岡市街地まで走れた。17時、本日の宿、東横イン博多西中洲に到着。
 今日は博多どんたく最終日。チェックイン後、さっそく街に繰り出した。思った通りすごい人の数だ。参加どんたく隊のべ約580団体、出場者約3万1千人、見物客約200万人。ゴールデンウィーク期間中、日本で一番の祭りと言われるだけのことはある。踊る方も老若男女、パワー全開で祭りを盛り上げている。
 夕食は天神にある「楽天地」に行った。ここは大盛りのニラが入ったもつ鍋が有名で、ウメ、オユタ、ヒロは6年前にも来ている。その時の話を聞いたカンちゃんが「ぜひ!」とリクエストしていたのだ。従業員も作り方を知らされていない秘伝のスープは、相変わらずおいしかった。最後はちゃんぽん玉で締めくくり、腹一杯となった。
 2次会は適当に入った居酒屋。楽天地の時もそうだったが、店内はどんたくの打ち上げ客で大盛り上がりだった。
 本日の走行距離:151km
宿データ 宿名 東横イン博多西中洲
場所 福岡県福岡市中央区西中洲1-16
感想 天神駅の近くにあり、市内観光に便利。設備は申し分なし。ツインルーム2部屋で予約し、かつウメとカンちゃんが東横インの会員だったこともあり、1人当たり2,572円という破格値だった。しかも朝食付き!
5月5日(木) 天気:晴れのち曇り
 今日の予定コースは太宰府天満宮→小倉城→門司港→下関→新門司。新門司のフェリーターミナルに16時頃に着けばいいので、余裕と思われる。
 8時40分出発。R3を南東に向かう。まずは太宰府天満宮のすぐ近くにある太宰府政庁跡を見学。ホテルから20分程で到着した。
 太宰府政庁は、7世紀後半から九州全体を治めていた役所で、大陸との外交窓口の拠点でもあった。現在は広い公園内に礎石があるだけだが、逆にごちゃごちゃしたものは何もないので、当時の施設の広大さがよく分かる。ここは時間があれば、のんびりぼけ〜っと過ごしたい場所だ。

太宰府政庁跡
 9時50分、太宰府天満宮着。ウメ、ヒロは3回目、オユタは2回目。そしてカンちゃんは初めてだ。流派風造りの本殿がみごとな太宰府天満宮は、怪しげな牛の着ぐるみをまとった輩が境内を徘徊し、相変わらず池には亀がうじゃうじゃ泳いでいた。境内約6千本の梅はとっくに咲き終わり、3万本もの菖蒲の花は、5月下旬〜6月中旬頃が見頃となる。残念。

怪しげな牛
 ここでヒロはふとある驚愕の事実に気が付いた。「(ヒロ)今回のツーリングのメンバーって、オレ以外全員妻子持ちじゃん!」そう、GTEC内の結婚ラッシュから数年が経過しており、残るヒデとヒロは、彼女の噂すらない。大学の頃はよく徹夜で一緒にゲームをやった仲間も、今や守るべき家族がいるとは…。そんな家族を置いて自分達だけツーリングを楽しんでいるのはいかがなものかというのはさておき、ヒロはひとり感傷的になっていた。そして本殿でお賽銭を投げ入れ、素敵な出会いがあることを一心に祈った。しかしここは縁結びの神様ではなかった(学問の神様です)。まあ、祈願の受付内容は何でもござれだったが。
 敷地内の休憩所でお茶を飲みながら梅ヶ枝餅(うめがえもち)を食べ、10時30分に出発。「(ヒロ)ああ〜っ!!おみくじ引くの忘れた〜っ!!」

梅ヶ枝餅を喰らう
 県道65号線→県道90号線→R200と小倉目指して北上する。県道はすいていて、遅いクルマも追い越し可能区間でパスできた。R200はほとんどが片側2車線で超快適。ストレスなく八幡西区まで到達。これでもう少し涼しかったら完璧だ(80km/h位で走っていても暑い)。
 八幡西区でR3に右折。この国道も片側2車線だが、交通量は多く、信号待ちのすり抜けを多用した。
 12時20分、小倉城着。駐輪所や駐車場は満車なので、人通りの少ない広い歩道の片隅にバイクを停めた。ところが、この場所は小倉北警察署の目の前だった。どうりでパトカーや白バイが頻繁に往来している訳だ。まあ、クルマが走れる位広い歩道だし、明らかに歩行者や車椅子の邪魔にならないように停めてあるのだから、まず切符を切られることはないでしょ。
 小倉城は1602年築城の南蛮造りの珍しい天守閣(1959年再建)で、内部はハイテクを駆使した資料館となっており、実に興味深いのだが、残念ながら見ている時間はなかった。よって、かつて明治政府軍の司令部が置かれていた城の敷地内の公園で、天守閣を背景に記念撮影をしたに留めた。ここで昼食を摂る為に飲食店を探すも、見渡す中で目に入ったのは1軒のそば屋のみ。そばの本場、長野県から来たGTEC達をうならせるのは、並大抵のことではないよと、冷やかし半分に入る。実はこの店、長野県の戸隠に本店がある、戸隠そばの店「つき見亭」で、味はなかなかのものであった。

小倉城
 13時30分に小倉を後にし、R3を下関方面に進む。交通量は多い。
 14時10分、門司港駅着。ここの駅舎は1914年に建てられ、鉄道駅として初めて国の重要文化財に指定されている。西洋風でなかなか洒落ており、駅舎正面にある公園の噴水越しに見ると、実に絵になる。

門司港駅
 駅のすぐそばにある旧門司三井倶楽部も見た。1921年に三井物産がVIPの為に建てた木造2階建ての社交クラブで、アインシュタイン夫婦も訪れたそうだ。どれもゆっくりと見学したいところだが、16時頃には新門司フェリーターミナルへ着きたかったので、下関へ向かう。
 関門トンネルを抜け、本州上陸!15時に下関の「みもすそ公園」に着いた。ここからは関門橋の下に広がる関門海峡を見ることができる。この辺り一帯は源平合戦「壇ノ浦の戦い」(1185年)があった場所だ。こんな潮の流れが速い海峡で合戦が繰り広げられたとは…。鎧なんて着たまま海に転落したら、まず助からなかったのではなかろうか。また、幕末に長州藩が外国船への警戒から、海峡を挟んで砲台をいくつも設置していた。その関係で公園には天保製長州砲のレプリカが展示してある。この公園、「グレートツーリング '92 in 九州 & 沖縄」でウメ、ヒロは来たことがある。13年ぶりに訪れてみると、当時1門だった長州砲は合計6門になっていた。

関門海峡

長州砲のレプリカ
 公園の隣には関門トンネル人道の出入り口もある。九州と本州を結ぶ歩行者、自転車、原付バイク専用トンネルなのだ。
 あとは新門司に行くのみ。40分位公園をうろついて出発。
 再び関門トンネルを通って九州に向かうが、トンネル内は大渋滞。路肩が狭く、すり抜けが困難だ。大型車で完全にせき止められ、排気ガスとエンジンの熱に苦しめられた。トンネルを抜けてからは順調に走り、県道25号線を南下し、16時20分に新門司フェリーターミナル着。
 さっそく乗船手続きを済ます。出航時間は18時30分。まだ時間的余裕があったので、窓口はすいていた。17時10分、クルマや一般乗船客の先陣を切ってバイクの搬入開始。客室に荷物を下ろすと、4人はすぐさま風呂に向かった。案の定、誰も入っていない。彼らが出るまでは、ほとんど貸しきり状態だった。もう数分もすれば、激しい混雑が始まるであろう。
 予定通り18時30分出航。さらば九州!明日の天気予報は、神戸から長野にかけてズバリ雨!覚悟を決めた。
 本日の走行距離:137km
宿データ 宿名 阪九フェリー「すおう」
場所 新門司→神戸の瀬戸内海上
感想 2等寝台。瀬戸内海だけあって、フェリーに乗っていることを忘れてしまうくらい穏やかな航海であった。設備も充実していてきれいな船だった。
2等寝台プラス単車:10,240円(750cc未満)及び11,280円(750cc以上)←復路割引
5月6日(金) 天気:雨
 予定より15分遅れの6時45分、六甲アイランド着。予報通り、雨が降っている。どうせ今日は帰るだけと、既に各自割り切っている。カッパを着込んで出発。九州上陸初日には、九州自動車道の古賀SAで朝食にした。しかし、今日は一刻も早く家に帰ろうということで、フェリーのレストランで既に朝食は済ませていた。
 往路と全くの逆コースで家路に着く。雨の中、400kmもの距離をバイクで走るのは、もはや修行だ。名神高速吹田SA、養老SAで休憩し、最後の休憩ポイントである中央自動車道駒ケ岳SAで解散とした。12時過ぎに全員無事家に到着。こうしてツーリングは終了した。

お疲れさん!(駒ケ岳SAにて)
 本日の走行距離:396km(長野自動車道みどり湖PAまで)

レポート by ウメ


グレートツーリング外伝 '05 in 草津
メンバー(マシン) ウメ(GSX1300R)、オユタ(RGV250γ)、カンちゃん(YZF1000R)、ヒデ(CBR900RR)、ヒロ(GPZ900R)、マコちゃん(R1100RS)
10月22日(土) 天気:曇り
 6時30分、R254三才山トンネル料金所付近にある休憩所に集合。数日前から、朝晩めっきり冷え込むようになり、天気図は冬型の気圧配置となっていた。今日の天気予報によると、日本海側は雨で、南に下がるにしたがって曇りである。目的の草津エリアは非常に微妙な位置にあった。
 ヒロは先日海外出張で行ったマレーシア及び中国で、メンバー全員分のお土産として、扇子とお菓子を購入しており、ここで皆に配った。「(マコちゃん)さすがはヒロ、気が利くじゃないか!」「(ヒロ)当然!」「(ヒデ)ウメよ、そういえば来月ドイツに出張だったな。土産ヨ・ロ・シ・ク。」「(ウメ)くっ…。」扇子を広げて記念撮影。

集合!
 集合場所に来る途中、オユタはRGV250γに異変を感じた。突然エンジンが、まるで1気筒死んでいるかのようにパワーが出なくなってしまったのである。しかし、一時的なものかもしれないと、軽い気持ちでツーリングを続行した。結果的には、やはり1気筒死んでいた。それどころか、致命傷であった!結果的にγのラストツーリングとなってしまったのである。(詳しくはエピソード「三才山に散ったγ」を参照のこと。)
 6時50分出発。隊列はウメ、ヒデ、カンちゃん、ヒロ、マコちゃん、オユタの順。R254→県道174号線→R152→県道175号線→R144を淡々と走る。
 小県郡真田町。R144とR406の分岐する信号が赤だったので、ウメは数台のクルマをすり抜けして前に出た。さすがにバイク6台の隊列ともなると、全員が前に出るのはなかなか難易度が高いので、そこそこのペースで流れている時はこのようなことはしないのだが、車列の先頭はそれまで巡航速度を著しく低下させていた元凶である遅いトラックだったのだ。他のメンバーもウメに続いてトラックの前に出る。ところが最後尾のオユタがすり抜けている最中に信号が青に変わってしまった。オユタ以外のメンバーは発進加速であっという間に消えていく。普段であればオユタもそのまま加速してトラックの前に出てしまうところだが、1気筒だけで走っているγは、単純に45馬力の半分のパワーが出ているという訳ではなく、まるで50CCギア付き原チャリにでも乗っているかの感覚であった。発進加速でトラックに先行されてしまい、直線でなんとかスピードにのせて追い越した。高いギアにシフトアップするとすぐにパワーが抜けてしまうから、低めのギアで高回転をキープ。もはやこのγで走るには、職人技を必要としていた。とても他のマシンと同じペースでは走れない。また、この時点で、そこまでひどい状態だとは、他のメンバーは知らなかった。
 一方、トラックでせき止められていた為か、先行するウメ達の前はしばらくオールグリーンだった。鳥居峠は紅葉も始まっており、快適に走ることができた。ウメの隼の後ろには、ヒデのファイヤーブレードがピッタリと貼り付く。が、その後ろのカンちゃん(サンダーエース)は遥か後方にあった。先頭の2台はそれほど速いペースで走っている訳ではない。数年前までであれば、カンちゃんもしっかり付いて来ていたであろう。ところが、彼はある時コーナーで滑って怖い思いをしてからというもの、極端にワインディングを警戒するようになってしまったようだ。また、それはマコちゃんも同様で、R1100RSに乗り始めの頃、気合を入れて峠でハングオンしたら、水平対抗エンジンの張り出したクランクケースがアスファルトに接触してしまい、そこを軸に回転しながら転倒するという事故に遭った。このバイクならではの乗り方というものがあるのに気付くには高い代償であったが、やはりそれ以来、コーナーは慎重になったのだ。方向音痴のヒロは、迷子になったら困るので、基本的に前を追い抜かない。オユタは…、速く走りたくても瀕死のγでは無理であった…。
 9時、群馬県嬬恋村のコンビニで休憩。天気は持ちそうなので、R144から県道28号線を走って榛名湖に行くことにした。しかし、オユタはさすがにγをこのまま走らせるのは無理と悟り、公衆電話の電話帳で最寄りのバイク屋を探した。
 中之条町のバイク屋に行くことにしたオユタとR144の途中で分かれ、5人は榛名湖に向かった。特に落ち合う約束はしていなかった。お互いの時間が読めないし、最終的には宿に行けばいいのである。一応ケリがついたら、オユタからウメの携帯電話に連絡を入れることにはしておいた。
 県道28号線の登りは登坂車線がず〜っとあり、快適に走ることができた。ところが、湖が近付くに従って濃い霧が立ち込め、路面もセミウェットになってしまった。
 案の定、榛名湖では霧の為に対岸は全く見えない。晴れていれば榛名富士を拝むことができる筈の絶好の場所にある土産物屋「ロマンス亭」で休憩。お汁粉を食べて体を温めた。

霧の榛名湖
 県道33号線で峠を降り、とりあえずオユタと合流できるかも知れないので、沼尾川沿いに北上してR353に出て、中之条駅を目指す。東村まで走ると、太陽が顔を出した。気温はみるみる上昇し、ポカポカ陽気になった。だが、榛名湖方面は相変わらず雲の中だし、これから行く草津方面もどんよりと曇っていた。スポット的に天気がいいだけのようだ。
 中之条町のR145バイパス分岐点で右折し、中之条駅までの道中、通り沿いに2軒のバイク屋を発見したが、オユタの姿はなかった。12時、中之条駅到着。駅前の駐車スペースにバイクを停め、ウメが携帯電話を確認すると、オユタから留守電メッセージが入っていた。それは20分くらい前のもので、R145バイパス沿いのコンビニでパンを買ってかぶりついているという内容のものであった。近い!まだいるかもしれない。すかさずオユタに連絡を入れたいところだが、彼は携帯電話を持参していなかった。いや、正確には、「持って来てはいるが、時計や電卓代わりに使用している。」のであった。もともとオユタと彼の妻それぞれが所持してはいたものの、普段の使用状況から1台あれば充分ということになり、オユタの携帯電話の契約を解除したのだ。つまり、連絡は一方通行ということになる。という訳で、唯一すぐに発進できる状態にいたヒロがオユタを探すことになった。全員で移動しないのは、オユタが駅にも顔を出すかもしれないと考えた為だ。
 “先程走って来た道をR145バイパス分岐点まで戻り、両脇のコンビニに注意しつつバイパスをしばらく走って、オユタがいなければ引き返して来る”というウメからのシンプルな指令であったが、自他共に認める方向音痴のヒロは、「バイパスの分岐点ってどこだったっけ?」という最初の難関に直面していた。それでも何やら標識がある交差点を「きっとここだ!ままよ!」と、意を決して右折し、みごとこれをクリアした。後の彼の自伝によると、「人生においては様々な分岐点に直面することがある。この時の判断が正しかったことを神に感謝したい。」と回想している。
 間もなくコンビニを発見。しかしオユタの姿はなかった。更に進むと、はるか前方に右折中のγらしきバイクが!間一髪オユタを確保した。もう少し遅かったら会えなかったことだろう。
 「四の五の言わずに黙ってオレについて来い!」さっそうと今来た道を、オユタを引き連れて逆戻りする。任務を完遂したヒロは満足げだった。さぞ今宵の酒はうまいことであろう。だがしかし、オユタが曲がろうとしていたのは、中之条駅への最短ルートだった。「(オユタ)中之条駅への標識が出ていたのに、なんでこんなに遠回りしたのだろうか、ヒロは…。」

オユタの帰還
 全員揃ったところで昼食。駅前を見渡すと、それほど選択肢はなさそうだ。適当に入ったラーメン屋で済ませた。
 13時、中之条駅出発。R353→県道55号線→R292で草津温泉に向かう。終始山間部を貫くワインディングで、民家はほとんどなく、センターラインのある整備された部分と、クルマの擦れ違いもできないくらいの道幅が交互に繰り返されるという、変化に富んだ道だった。交通量は少なく、各自のペースで楽しく走ることができた。(オユタを除いては…。)
 14時20分、宿着。チェックインすると、周辺を散策した。有名な湯畑や賽の河原は、さすがに紅葉シーズンだけあって、観光客でごった返していた。各自お土産を購入後、温泉に浸かってのんびり過ごす。日が沈むと、気温はみるみる下がっていった。夜は「湯あがり涼風」なる地ビールで乾杯。
 本日の走行距離:180km(三才山トンネル料金所から)
宿データ 宿名 草津温泉ペンション五郎次
場所 群馬県吾妻郡草津町草津322-1
感想 草津温泉街の中心付近にあり、温泉めぐりの基地にもってこい。宿にも露天風呂を完備している。食事もボリュームがあっておいしく、なかなかリーズナブルな旅館といえる。ただし、周辺は丘陵地帯で道幅が狭く、一方通行も多いので、クルマでのアクセスは難易度が高い。
1泊2食付き:10,900円(消費税込み)
10月23日(日) 天気:晴れ時々曇り
 今日はR292の渋峠を越え、志賀高原経由で信州中野ICから長野自動車道に乗り、南下して帰る予定だった。ところが!朝、窓から渋峠方面の山を見ると、昨日と打って変わって雪景色ではないか!?初雪だそうである。広報のスピーカーが、渋峠へ登るR292は通行止めであることを告げていた。温泉街は夜、雨だったらしく、路面はウェット。日は出ているので、周辺の道は間もなく乾くと思われる。
 天気予報は昨日と同じで、相変わらず冬型の気圧配置だ。ひょっとしたら志賀高原は雪か雨かもしれない。一体どうしたものか。全員で他のルートを色々と検討するが、どれも面白みに欠ける。この位置からだと、昨日の逆ルート以外は、なかなか応用が効かないのだ。
 そうこうしているうちに通行止めが解除されたというアナウンスが…。見渡す限り青空だし、路面さえ雪がなければいいのだ。行ける所まで行ってみるか!ということになった。
 9時50分、出発。R292で渋峠を目指す。気温は低かったが、太陽が出ているおかげか、充分耐えられるものだった。紅葉がなかなかきれいだなぁ…などと、クルマの流れに従ってのんびり走っていると、やがて背の高い木々はなくなり、雪の間から岩肌が覗く荒涼とした景色が広がってきた。と同時に冷たい強風が吹き付ける。ここまでドライだった路面も、日陰では融け切っておらず、何やらうっすらと氷も!?
 もはやこの時点で先頭のウメは引き返す決断を下していた。ところが、Uターンできるような場所がなかなか見付からない。かなり標高の高い所まで来て、ようやく駐車場を発見!寒さは半端ではなく、クラッチを切る指も凍えてしまう。しかも、駐輪するのが怖いくらいの強風だ。震えながら記念写真だけ撮って、すぐさまもと来た道を引き返したのであった。その際、たくさんのツーリングバイクと擦れ違った。彼らはこれから直面する試練を知らない。健闘を祈る!

雪の渋峠
 草津国際スキー場下の駐車場で休憩し、今後のコースを再検討した。(ここまで下ると寒くはなかった。) その間に、先程擦れ違ったバイク達が続々と降りて来る。やはりあの先をチャレンジする強者(つわもの)はいないようだ。オユタのγの調子は相変わらずで、彼はここまで戻って来れてよかったとしみじみ思った。「(オユタ)もしも上で動かなくなってしまったら凍死していたに違いない!」
 結局、草津温泉から南下して県道59号線に入り、R144に出てからは昨日のコースを逆に走って帰ることになった。
 県道59号線は交通量が少なく、先程とは一転したポカポカ陽気の中を快適に走る。浅間山も雪景色になっていた。嬬恋村のJR吾妻線万座鹿沢口駅近くの「三原屋食堂」で昼食。
 あとは昨日と逆コースを淡々と走り、昨日の集合場所で解散した。今日は何とも不完全燃焼な日であった。天気が1日ずれていたら、予定通りのコースを走ることができたであろう。まさにピンポイントで秋と冬の境目に遭遇したのだった…。
 本日の走行距離:107km(三才山トンネル料金所まで)

レポート by ウメ


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