2018年のツーリング

グレートツーリング '18 in 近畿地方

メンバー(マシン) ウメ(K1300S)、カッキー(ZX-10R)、ヒロ(GPZ900R)、ヨージ(ZX-6R)、スペシャルゲスト:サト(STREET TRIPLE R)
5月3日(木) 天気:曇りのち晴れ
 10時30分、長野自動車道みどり湖PAにウメ、ヒロが集合。見送りにトモアッキィとマコちゃんも来てくれた。
 トモアッキィは今回のツーリングの計画初期段階では参加予定だったが、仕事の関係上行けなくなってしまったので、タイトルイラストは彼と愛車のままとなっている。
 記念撮影して出発。岡谷JCTで中央自動車道に入り、50km先の駒ケ岳SAまで進んで小休止。気温は22℃。この先の天気予報だと、これ以上は上昇しない、というかむしろ下がるようだ。

駒ヶ岳SA
 ここのスマートICでトモアッキィとマコちゃんは高速道路を一旦降り、Uターンして帰る。その2人を逆見送りしたウメ、ヒロは、中央自動車道を先に進んだ。
 恵那峡SAで休憩後、小牧JCTから名神高速を走って13時30分に養老SA着。既に着いていたヨージとサトが、おにぎりをかじりながら出迎えてくれた。
 ウメとヒロはカレーショップでささっと昼食を済ませてバイクに戻ってきたら、13時52分にカッキーがやって来た。集合予定時間は14時なので、ここまでは上出来だ。
 関東出発のカッキー、ヨージ、サトは距離が遠いので、ここまでの行程は次のようになっている。(5月2日は午後から荒れ模様で、3日の明け方まで雨がザーザー降っていた。)


【カッキー】
 激しい雨と風の中、3時25分に出発(千葉県八千代市)。レインボーブリッジでは転倒するかと思う程の強風だった。首都高からは中央自動車道→小牧JCT→名神高速→養老JCT→東海環状自動車道で進み、終点の養老ICで一旦高速を降りると、11時から2時間半位温泉施設で休憩&昼食。再び養老ICで高速に入って、6km先の養老SAに移動(13時52分着)。

【ヨージ】
 前日の5月2日、会社が終わってから19時30分に出発(東京都江戸川区)。首都高の大橋JCT辺りでひどい渋滞に遭った。その後は東名高速道路を西に走り、静岡県富士市にあるビジネスホテルに到着したのが23時頃。
 3日は8時40分に出発し、東名高速道路→小牧JCT→名神高速で、13時10分に養老SA着。

【サト】
 2日、会社が終わってから21時に出発(東京都多摩市)。ひたすら一般道(R1)を西進。朝6時頃に雨は止み、名古屋市に突入!熱田神宮と名古屋城を観光して、岡崎市のネットカフェで3時間位仮眠してから養老SAに移動(12時50分着)。

 給油後、養老SAを14時5分に出発。隊列はウメ、カッキー、ヨージ、サト、ヒロの順。関ヶ原ICで高速を降り、R365と県道229号線を走って、岐阜県不破郡関ケ原町にある、関ヶ原鍾乳洞の駐車場に14時20分着。気温は19℃で涼しい。


関ヶ原鍾乳洞駐車場
 鍾乳洞は後のお楽しみとして、まずはこの辺りに散在する名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠の遺構を見学した。
 関ヶ原分廠は大正3年(1914年)に開設された旧日本軍の火薬庫跡で、周囲6km、面積270ヘクタールという東洋一の規模を有し、昭和20年(1945年)まで約30年間使用されていた。ここに火薬庫が造られたのは、交通の利便性や、自然の地形を利用して施設を建設するのに適していたからだ。頑丈なコンクリート製の火薬庫は、開設から100年以上経った現在も、多くがほぼ当時の形状のまま残っている。
 全て散策するには時間が足りない為、鍾乳洞近くにある立哨台(歩哨が詰めていたボックス型の小屋)や、洞窟式火薬庫を訪れた。火薬庫は小山を掘って内部に(湿度や温度変化から火薬を守る為に)二重構造のコンクリート壁として施工したもので、室内の高さは3.4m、奥行が24mある。このように規格化された火薬庫が周辺にいくつもあった。ひとつだけは案内板付きできちんと整備されていて、火薬庫自体は柵で入れないようにしてあったが、他のはご自由にどうぞ状態だったので、携帯電話のLED照明を頼りに歩き回った。二重構造の隙間部分は人が歩けるようになっていて、裏側部分は照明がないと完全に暗闇となる。なかなかスリリングであった。アクセスがいい場所にしてはマイナーなのか、他に数人の見学者がいただけで、ひっそりとしていた。

立哨台跡

火薬庫跡
 さて、いよいよ東海の奇勝と言われる全長518mの関ヶ原鍾乳洞である。ホームページによると「夏は涼しく冬暖かい、鍾乳洞内は鍾乳石だけじゃなく、湧き出す清水にはニジマスが泳ぎ、古生代の化石がいっぱい、思わぬ発見の連続です。自然がいっぱいの関ヶ原鍾乳洞をご満喫ください。」とあり、期待が高まる。700円を支払って中に入った。(ホームページの割引券を印刷して持参すれば100円引きになったのを後で知った。)

関ヶ原鍾乳洞入口
 約20分後、出口から出てきた一行の顔は一様に渋かった…。洞窟内は掘削工事によって広げられ、コンクリートで補強しているので、まるで鉱山の坑道のようだった。鍾乳石は数か所見ることができるものの、保護の為に素人っぽい施工の金網が張られていて、化石(ウミユリのが2箇所だけだったような気が…)は濁ったアクリル板で覆われていて鮮明に見えず、ニジマスは通路に沿って整備されたような川に泳いでいた。そもそもここで自然発生した魚ではあるまい。「不老泉」には謎のバルブと配管があり、まさかバルブを閉めると水が止まるとか!?
 観光客が期待するのは、いかにも自然な感じの高低差がある洞窟を進んでいくと、突然目の前にライトアップされたホールが広がる様であろう。そこには無数の鍾乳石が垂れ下がり、地表は水をたたえた千枚田のようなリムストーン(畦池)があるのだ。そこまでいかずとも、せめてもう少し冒険心をくすぐるような工夫があったらよかった。
 関ヶ原と言えば、安土桃山時代に合戦が行われ、ここの近くには、各勢力の陣地跡や決戦の地がある。しかし、先程見た火薬庫と違って、当時を偲ばせる痕跡が残っているわけではなく、よほどの歴史好きでもなければわざわざ訪れないのではないだろうか。(火薬庫跡もマニア受けするだけの遺構だが…。) 近くの県道229号線沿いには廃墟と化した観光施設もあったりして、このエリアの観光地としての未来はなかなか厳しいものがある。
 15時35分に出発。県道229号線を一旦東に走り、R21(関ケ原バイパス)→県道53号線→県道254号線→R303という、伊吹山を反時計回りに大きく回り込むルートで、滋賀県長浜市木之本町にある宿「長治庵」へと向かう。気温は15℃まで下がり、走っていると涼しいを通り越して寒かった。
 R303は横山ダムから交通量が一気に減って、しばらくはワインディングが続き、その後はのどかな田舎道といった感じで快調に進んだ。16時50分に宿着。
 本日の走行距離:321km(ウメ@安曇野市)※/556km(カッキー@八千代市)/305km(ヒロ@松本市)※/336km(ヨージ@江戸川区)
※長野自動車道みどり湖PAからは292km
宿データ 宿名 長治庵
場所 滋賀県長浜市木之本町杉野2702
感想 古民家を改造した静かな山あいの風情がある宿。周辺には棚田が広がり(多くは休耕田となっていたが)、懐かしい感覚を味わうことができるであろう。料理はとてもおいしいし、気配りも申し分ない。リピーターが多いというのも頷ける。古い建物故に、館内の保温性に難があるのは仕方のないところ。
1泊2食付き:11,880円(税込み)

長治庵
5月4日(金) 天気:晴れ一時雨
 今日の工程はボリュームがあるので早めに出発したかったのだが、なんやかんやで9時近くになってしまった。(宿の居心地がよかったというのもある。) 気温は14℃で肌寒い。
 県道284号線からR365に出て、北陸自動車道沿いに北上。県道140号線に右折してすぐ、「柳ヶ瀬トンネル」の入り口で信号機に引っ掛かった。(トンネルがR365の地下を西に横切るレイアウトになっている。)
 このトンネルは明治時代に掘削された約1.3kmある旧国鉄北陸本線の鉄道トンネル(単線)をそのまま自動車用に転用しているので、道幅が狭く、片側交互通行となっているのだ。赤信号では最大6分30秒も待つことになる。(タイミングが悪かったのか、それに近い位待たされた。) トンネル内部は照明が少ない為薄暗く、路面が濡れている。自転車等の軽車輛・歩行者は通行禁止で、心霊スポットにもなっているのであった。
 トンネルで待たされてからはR8→R27→県道244号線と順調に走って、三方五湖レインボーライン料金所へ。730円払って快適なワインディングを攻めるも、追い越し禁止区間が多く、やがて前のクルマに追いつくと、山頂公園駐車場までおとなしく走った(9時50分着)。
 三方五湖とは、三方湖(みかたこ)、水月湖(すいげつこ)、菅湖(すがこ)、久々子湖(くぐしこ)、日向湖(ひるがこ)の五つの湖のことだが、これらを一望にできる場所は山頂公園にしかなく、公園には駐車場からリフト(800円)に乗って移動することになる。歩道はない。うまい商売である。
 昨日の関ヶ原鍾乳洞(700円)とは異なり、こちらは期待通り、リフトを降りると料金に見合った絶景が広がる。天気がいいので、遠くの景色までクリアに見通せた。水質(塩分濃度)と水深の違いから、湖面の色が微妙に違うらしいのだが、そんな気もする…、といった程度だった。景色を眺めながらの足湯もあり、ゆっくり訪れるのがよかろう。しかし、あまり長居はしていられなかったので、10時35分に駐車場を出発。

三方五湖山頂公園
 ここでヒロとはお別れである。彼は1泊2日のツーリングなので、今日中に帰るには、この辺りが限界地点なのだ。ヒロの見送りを受けながら出発した残りの4人は、レインボーラインを先に進んだ。そして県道216号線→R162→県道22号線→若狭上中IC→舞鶴若狭自動車道→舞鶴東IC→府道28号線→R27という経路で走り、11時45分に舞鶴赤レンガパーク着。
 舞鶴市には、明治34年(1901年)に旧海軍舞鶴鎮守府が開庁して以降、大正期までに建設された赤レンガの建造物が数多く残っている。ここには旧海軍の兵器廠倉庫として使用されていたものも含めて、12棟からなる赤レンガの倉庫群があり、いくつかは内部を商業施設として公開している。戦時中を題材とした映画のロケ地としても有名だ。コンクリートもそうだが、レンガも丈夫で劣化に強く、昔の面影をそのまま残している。ここはゴールデンウィークとあって、多くの観光客で賑わっていた。広い駐車場は満車で、すんなり停められたのはバイクの特権である。

舞鶴赤レンガパーク
 昼食タイムなので倉庫の中で食した、海軍カレーならぬ「まいづる海自カレー」はとてもおいしかった。舞鶴赤レンガパークの隣には海上自衛隊舞鶴基地があり、護衛艦の体験乗艦イベントをやっていた。事前に下調べしていなかったのが悔やまれる。ウメと、彼に負けず劣らずミリタリー好きなサトは地団駄を踏んで悔しがったが、時間がないので基地見学は諦めて出発することになった。

「まいづる海自カレー」を喰らう

海上自衛隊舞鶴基地
 いざバイクに跨ろうとしたところで、どす黒い雲が上空を覆うなり、ポツンと水滴が…。あっというまにザーザー降りとなった。本日の天気予報は晴れで、所によってにわか雨があるとのことだったのだが、その通りになってしまった。しばらく待っても、止みそうになく、仕方なく雨用の装備で13時10分に出発。次の目的地は天橋立を見下ろすことができる天橋立ビューランドだ。
 R27→R175と走り、由良川を渡る頃には雨が止んで太陽が顔を出した。R178沿いのガソリンスタンドで給油中、店員に聞いたら、ここは今日全く雨が降っていないという。
 更に進んでR176に入ると、交通量が一気に増えた。そして京都丹後鉄道宮豊線の宮津駅付近でついに渋滞となった。しばらくはすり抜けで進むことができたものの、天橋立ビューランドまであと僅かという一方通行の道で、ついに進退窮まった。駐車場待ちのクルマが長〜い列を作っているのだ。道沿いにある宿屋や個人の家が有料駐車場として営業していて、どこも満車状態。入れ替わるのを待つしかない。気温が20℃でそれほど暑くなかった為、エンジンの熱気には耐えられたが、これが真夏だったら熱中症になってしまうかもしれない。いつまで待たされるのやらと途方に暮れていたら、すぐ先の駐車場にバイクなら置けるとのことで、案内された。

駐車場待ちの渋滞で動けず
 天橋立ビューランドも先程寄った三方五湖山頂公園と同じく、入園料を払ってリフトで展望台まで上がるシステムとなっている。料金も850円ということで似通っている。駐車場からは近く、早速リフト乗り場に行くと、長蛇の列が!! ここまで来て引き返せるかと約1時間並んで山頂へ…。ようやく日本三景のひとつである天橋立を見下ろすことができたのは、16時になってからだった。

天橋立ビューランド
 この時点で、もはや明るいうちに兵庫県たつの市にある宿「志んぐ荘」に着くのは絶望的だった。何しろ、今いるのは日本海側なのに、宿はほとんど太平洋側にあるのだから…。眺めは素晴らしいのに、滞在時間は僅かだった。それでも、天橋立を逆さに眺めると、龍が天に舞い上がるように見えるという「股のぞき台」での股のぞきと、全長約250mの空中展望回廊「飛龍観回廊」はしっかりと押さえた。
 駐車場に戻ったのは16時55分。次は竹田城に寄るという当初のプランは完全に崩れ去った。それでもせめて予定ルート沿いにある「神子畑(みこばた)鋳鉄橋」と「神子畑選鉱場跡」は見ようと、出発した。
 R176を南下し、福知山市の雲原郵便局前で府道63号線に右折。この府道はなかなか走り甲斐があって楽しめた。その後、R9とR312で兵庫県朝来市に入り、「和田山インター前」の信号を左折。和田山ICから播但連絡有料道路を使って、朝来ICまで距離と時間を稼ぐのだ。
 しかし、ここでウメは致命的なミスを犯してしまった。行先の分岐点を前にして、逆光で標識がよく見えない中、カーナビが「まもなく分岐を右方向です」とアナウンスするのでその声に従って右側に侵入したら、全くの逆方向(北近畿豊岡自動車道)だった。後続はウメを信じてついていくしかない。仕方なく、次の山東ICで一旦降りて反対車線側のICで入り直して正規のルートに戻った。余計な距離(約12km)を走り、ただでさえ押していた貴重な時間を無駄にしてしまったことにウメは反省。北近畿豊岡自動車道は無料区間だったことがせめてもの救いだった。
 朝来ICからはR429を西に6km程走り、18時30分に神子畑鋳鉄橋に到着。
 この橋は全てが鋳鉄製の橋としては日本で最も古い歴史を持つ。明治16年(1883年)に造られた、鉱石の運搬道に架けられた橋のひとつで、フランス人技師が指導したと言われている単径間アーチ橋だ。現在も完全な形で残っており、実際に歩いて渡ることができるようになっていて、なかなか風情があった。

神子畑鋳鉄橋
 ここで本日の宿「志んぐ荘」に到着時間が遅くなってしまうことを伝えるべく、ウメはスマホから電話した。すると、受付と思しき女性は、怪訝そうな声で、そもそも予約を確認できないと言い出すではないか!? 予約は2月中旬にメールで行い、確認のやり取りもあったので、安心していた。しかし、残念ながら自宅のパソコンからだったので、この場では履歴を見ることができない。宿側で調べてもらうほかにないのである。確認しますのでしばらくお待ちくださいと言われて一旦電話を切って待つこと約10分。まさか別の宿を勘違いして予約していたのでは?最悪の場合今晩は野宿!? 「(サト)野宿もおつでいいものですよ〜。」「(他の一同)できるか〜っ!?」幸い、先方のミスで予約はちゃんとされていたが、更に貴重な時間が失われ、そろそろ辺りは薄暗くなってきた。神子畑鋳鉄橋から僅か1.7km先の神子畑選鉱場跡に移動。
 神子畑選鉱場は兵庫県朝来市の山間部にあり、金・銀・銅・鉛・錫などを産出した明延鉱山の選鉱施設として建設された。大正8年(1919年)に本格的な稼働を始め、山の斜面を利用した機械式選鉱場で、規模・産出量ともに「東洋一」と謳われた。昭和62年(1987年)に明延鉱山が閉山されたのに伴い、選鉱場も閉鎖。現在は鉄筋コンクリートの構造物基礎部分と、インクライン(傾斜面にレールを敷き、台車を動力で移動させて荷物を運搬する装置)のレール跡が残され、一帯が史跡公園となっている。

神子畑選鉱場跡
 薄暗く静まり返った中、急ぎ足で見て回った。神子畑選鉱場跡はツーリングで行ったことのある佐渡の北沢浮遊選鉱場跡よりも規模が大きく、要塞っぽい迫力がある。ここもかつては鉱山で、明治時代に鉱山事務所となっていた「ムーセ旧居」は今も資料館として残っているが、とっくに閉館時間を過ぎていた。明延から神子畑まで運航していた「明神電車」は屋外展示で中にも入ることができた。その他、明治33年(1900年)に創立し、最盛期には200名以上の子ども達が通っていたという小学校の体育館が廃墟として残っていて、思わず探検したくなったものの、既に完全な夜の暗闇となってしまっていて、危険なので諦めた。
 19時5分に神子畑選鉱場跡を出発。R429を南下する。しばらくはワインディングが続いたのだが、初めて走る道でこうも暗いと楽しむことなんてできやしない。GTECのツーリングで夜間に走ることはまれで、先頭のウメは今のバイクで初めてハイビームを使用したのであった。引き続き県道6号線→R29→県道26号線と淡々と走って、やっとのことで20時30分に宿着。気温は11℃まで下がっていた。
 ヒロは三方五湖から若狭美浜IC→舞鶴若狭自動車道→敦賀JCT→北陸自動車道→福井北JCT→中部縦貫自動車道→大野IC→R158→白鳥西IC→東海北陸自動車道→飛騨清見IC→高山IC→R158というルートで東へと走り、18時10分に帰宅した。山間部では5℃まで気温が下がり、震えながら走ったのであった。
 さて、道を間違えたことに納得できなかったウメは、夕食と風呂を済ませた後の酒盛りの席で、カーナビに同じルートを設定してシミュレーションさせてみたが、やはり音声では右方向を案内された。しかし、カーナビに任せてシミュレーション画面で進んで行くと、分岐を左方向に入っていくではないかっ!? 付近に案内すべき別の分岐はない。謎である。「(ヨージ)そんなことは気にしないで、ガンガン飲むっス!」「(カッキー)竹田城と神子畑選鉱場はいつかリベンジですね!」

(ヨージ)もっとでかい盃持ってくるっス!
 本日の走行距離:299km/380km(ヒロ@松本市)
宿データ 宿名 志んぐ荘
場所 兵庫県たつの市新宮町新宮1093
感想 遅く着いて迷惑を掛けてしまったが、予約の扱いが雑だったのでお互い様ってことで。揖保川沿いに位置する国民宿舎で、周辺には東山公園、揖保川に架かる長さ158m、幅2mの歩行者用吊り橋「東山公園橋」がある。紅葉シーズンはきれいらしい。
1泊2食付き:10,520円(税込み)
5月5日(土) 天気:晴れ
 朝、東山公園橋等を散策してから9時に出発。気温は13℃。今日はゆっくり立ち寄る場所は姫路城だけで、その後は滋賀県彦根市にある宿「彦根ビューホテル」に向かう。高速道路だけで行くのは容易いが、それだと面白みに欠ける為、内陸を走り、京都市の北側を抜けていくコースをチョイスした。
 県道724号線→R29→県道724号線→R2と約20km走って、姫路市の大手前公園地下駐車場にバイクを停めた。ここの駐車場はバイク専用のゲートと専用駐車スペースがあった。“専用”という響きは何とも心地良い。
 階段で地上に出ると、そこは大手前公園の真っ只中。姫路城の広い敷地と小高い丘の上に建てられた天守閣が見えた。2015年に平成の大修理を終えた姫路城の天守閣は、屋根瓦に盛った白い漆喰によって、全体的に白っぽく見えるのが印象的だ。屋根はあと数年で黒ずんでくるらしい。
 堀に架かった櫻門橋を渡って門をくぐり、三の丸広場で記念撮影していると、入場口付近に長蛇の列ができているのが見え、急いで並んだ。開場が9時なのに対して現在は10時。まだそんなに混んでいないであろうと思っていたが、甘かった。昨日の天橋立のように、1箇所で多くの時間を取られ、その後の行程が狂わされることにならなければいいが…。という願いもむなしく、天守閣まで90分待ちのアナウンスが無情にも響き渡っていた。とにかく、千円払って城内に入り、天守閣への待ち行列の最後尾についた。

姫路城(三の丸広場)
 姫路城は敷地が広く、構造物も多い為、天守閣までの順路でも見どころは多い。例えば石垣に石臼が、門の敷石に灯籠が使われていたりと、築城ラッシュで石材の調達に苦労した名残りが見て取れたりする。また、城内ではスマートフォンに専用のアプリケーションをインストールして、チェックポイントにあるマークにカメラを向けることで、動画つきの解説が見れるサービスを行っており、待ち時間も大して飽きることはなかった。とはいえ、自分のペースで回れないというのは、何ともストレスが溜まるものである。

天守閣まで1時間半待ち
 長時間に及ぶ見学を終え、駐車場近くの(地元ではメジャーらしい)うどん屋で昼食とし、バイクで出発したのが13時40分。渋滞がなければ、なんとか明るいうちに宿まで着けそうだが…。気温は24℃まで上昇していた。
 R312を北上し、給油してから砥堀ICで播但連絡有料道路に入り、福崎JCT→中国自動車道→吉川JCT→舞鶴若狭自動車道と走って、上荒川PAで休憩。丹南篠山口ICで高速を降りると、県道306号線→R372→府道54号線→府道19号線(道の駅「スプリングスひよし」で休憩)→府道78号線→府道366号線というルートで、のどかな田舎道をひたすら東へ東へと進んだ。
 そしてR477に入ると、徐々に山間部のワインディング路となり、部分的に狭い箇所はあるものの、各自のペースでそこそこ楽しく走ることができた。しかし、この国道に入ってから26km先にある、府道38号線との分岐点で大きく左折するのだが、その交差点は「百井別れ」と呼ばれ、“最凶の酷道”とまで揶揄される所以になっているのであった。
 百井別れでは左に180度ターンすることになり、国道のくせに道幅が極端に狭くなり、4輪は切り返さないと曲がれない。いや、2輪ですら厳しい。進入角度に注意しないと曲がり切れないかもしれない。下りの斜面になっている為、一旦後退して切り返すことも困難だ。GTECの4人もガードレールが迫る中、ほとんどハンドルをフルロックして冷や冷やしながら曲がったのであった。そこから先は路面が荒れ放題で、対向車が来たらどうしよう…と不安になるような見通しの悪いコーナーが連続する。それでも、結構なペースで飛ばしてくれるモタード軍団の後ろについたので、先の状況は分かり易くて助かったが、噂にたがわぬ、2度と走りたくない酷道だった。
 R367に出て少し走ると、トンネルの入り口付近で渋滞していた。この「途中トンネル」の向こう側、およそ600m先の交差点の信号で、R477に右折するレーンが混んでいる為だった。ひっきりなしに対向車が来るのに信号は時差式になっておらず、赤になるまでに右折できる車両は数台だけなのだ。トンネル内は路肩が狭くてすり抜けできないので、ここはひたすら耐えて右折。(ここからのR477は“酷道”ではなく、センターラインのあるごく普通の国道だ。)
 ホッとしたのもつかの間、また渋滞が始まった。今度はおそらく渋滞で有名な琵琶湖大橋有料道路まで続いているものと思われるが、橋までまだ6km位ある。今日も宿まで長い戦いとなりそうだ。今度はひたすらすり抜けして、路肩が狭い区間はカーナビを頼りにバイクの機動力を生かした脇道作戦で先に進み、琵琶湖大橋を目前にしたコンビニで休憩。時刻は18時5分。ここで昨日に続いて宿に到着が遅くなる旨の連絡を入れた。(今回はすぐに予約の確認ができた。)
 結局渋滞は橋を越えた先の料金所まで続いていた(通行料金は100円)。クルマでまともに並んでいたらと思うと、気が遠くなる。

琵琶湖大橋まで続く渋滞
 すっかり暗くなった中、後はひたすら湖岸沿いに走り、途中で給油して19時30分に宿着。今日はこの時間でも20℃あり、ツーリングにはちょうどいい感じの気候だった。
 本日の走行距離:251km
宿データ 宿名 彦根ビューホテル
場所 滋賀県彦根市松原町網代口1435-91
感想 「グレートツーリング '14 in 中国地方」でも泊ったことがある、琵琶湖に面した観光ホテル。周辺には高い建物がなく、8階の角にある広い部屋を割り当てられたので、彦根城と琵琶湖がよく見えた。食事はバイキング形式となっていて、メニューが豊富。夕食はアルコールも飲み放題!生ビール、各種酎ハイ、日本酒が選べる。(今回も)ヨージは喜んで、浴びるように飲んでいた。その鬼気迫る飲みっぷりは、“あの伝説の男が帰って来た!”と、ホテルの従業員に畏れられたとか…。
1泊2食付き:11,340円(税込み)

部屋からの眺め
5月6日(日) 天気:晴れ
 ここ数日寒い位の日が続いたが、今朝は朝から20℃あり、ようやくゴールデンウィークらしい陽気となった。
 9時15分出発。今日は帰るだけだ。彦根ICから名神高速に乗り、養老SAで解散式が行われた。

養老SA
 その後、小牧JCTでウメは中央自動車道へ、他の3人は東名高速道路を進んだ。各自高速をひた走り、全員無事に帰宅。帰宅時間は次の通り。
  ・ウメ:12時45分
  ・カッキー:16時35分
  ・ヨージ:16時
  ・サト:15時50分
 今回のツーリングは、走ったことのない一般道を優先した行程で計画した為、時間が読み難くなり、またメジャーな観光地の激混みにも遭って、予定していた立ち寄り地を諦めたりもした。GTECの30年近くに及ぶツーリングの経験を以ってしても、結果的には計画が甘かったと言わざるを得ない。機会があれば消化不良だった部分を再チャレンジしたいものである。
 本日の走行距離:276km(ウメ@安曇野市)/469km(カッキー@八千代市)/461km(ヨージ@江戸川区)
レポート by ウメ


グレートツーリング外伝 '18 in みなかみ温泉
メンバー(マシン) ウメ(K1300S)、カッキー(ZX-10R)、カンちゃん(アドレス125)、トモアッキィ(V-Strom650)、ヒロ(GPZ900R)、ヨージ(ZX-6R)、スペシャルゲスト(2名):コダジー(CB1300SB)、サト(STREET TRIPLE R)
9月23日(日) 天気:晴れ時々曇り
 9時15分、R254三才山トンネル料金所付近にある休憩所にウメ、ヒロ、そして見送りに来てくれたマコちゃんが集合した。気温は20℃。カンちゃんとトモアッキィは家の事情で出発時間が遅くなることから、群馬県利根郡みなかみ町の宿へ直行する予定である。

三才山トンネル付近
 記念撮影をしてから3台で出発。R254→県道174号線→R152→県道81号線を進み、上信越自動車道東部湯の丸IC近くでマコちゃんと別れた。「(マコちゃん)お気をつけて!」
 引き続き県道80号線→R18と快調に走り、軽井沢からは184箇所のタイトなコーナーが続く碓氷峠(バイパスじゃない方)を越えて、11時15分にJR横川駅に到着。近くのキャンプ場で前泊していたコダジーとサトが出迎えてくれた。すぐ後にカッキー(千葉県八千代市を8時5分出発)、11時30分の集合時間にギリギリ間に合ったかと思ったら場所を間違えて10分遅れたヨージ(東京都江戸川区を8時30分出発)も来て、ここでの集合メンバーは全員揃った。
 ヨージは数週間前に右手が橈骨(とうこつ)神経麻痺となり、手首と指が垂れ下がった状態になっていた。恐らく変な体勢で寝ていた為に圧迫してしまったものと思われる。痛くはないものの、手首を動かすことができない。当然アクセルとブレーキの操作に支障をきたすのだが、「(ヨージ)これくらいのハンディーがあったほうが峠を攻める時ちょうどいいっス。これで他のメンバーとイーブンっス。」と嘯いた。
 横川駅には「SLレトロ碓氷」の蒸気機関車D51が停車していた。観光用に高崎駅から約1時間掛けて運行しているのだ。横川駅には「碓氷峠鉄道文化むら」も併設されていて、3連休とあって周辺は観光客が多かった。売店で名物「峠の釜めし」を買い、駅前のテーブル付きベンチで昼食タイム。

D51(横川駅)

横川駅出発前の集合写真
 12時10分に出発。隊列はウメ、カッキー、ヨージ、サト、コダジー、ヒロの順。すぐ近くのガソリンスタンドで給油して、R18を東進し、安中市役所入口の信号を左折。県道211号線→県道33号線を進んで榛名湖を目指した。
 やがて榛名神社手前の交差点(信号なしのT字路)に差し掛かったところで、ウメは路面にペイントされている直進のマーキングが目に入り、カーナビの画面を確認するまでもなく「ああ、直進なんだ」と文字通りまっすぐ進んだ。ところがそれは榛名神社の境内に続く袋小路の道であり、実際は左へ直角に曲がる必要があったのだった。(交差点の手前を工事していて、見通しが悪かったのも災いした。)

直進してしまった交差点手前の様子
 すぐに道を間違えたことに気付いたウメは、適当に左側の(土産物屋の)駐車場に入ってUターンした。後続もそれに続く。ところが斜面に造られた駐車場は微妙に傾斜があり、ヒロ(GPZ900R)がバランスを崩して右側に立ちゴケ!右側のウィンカーカバーが前後とも割れ、フロント側はウィンカーのフィラメントがむき出しの状態で点灯しなくなってしまった。つまり、車検が通らないレベルの損害状況である。これはまずい!とはいえ、ここではどうすることもできないので、とりあえず破片を回収して出発した。コダジーの後ろを走っている限り、フロントウィンカーはごまかせる。

割れたGPZ900Rのウィンカー
 先頭のウメはカーナビを装備しているとはいえ、知らない土地で道を間違えることは度々ある。しかし立ちゴケのきっかけを作ってしまったことに申し訳なく思った。「グレートツーリング '00 in 四国」でもウメは道を間違えてUターンする時に、自らZZ-R1100で立ちゴケしてしまい、傷ついたバイクを前に肩を落とし、「こんなバイク、買い替えてやる〜!」と言って、その3か月後、(GSX1300R隼に)本当に買い替えてしまったのであった。GPZ900Rは購入してから今年でちょうど20年。既に経年劣化による部品交換等もちらほら行っている。しかしヒロの性格上、修理不能の故障にでもならない限り、乗り続けることであろう。
 榛名神社から上はワインディング路なのだが、残念ながら追い越し禁止区間な上に、遅〜い車が先導してくれた。
 すると、この時は4番手を走っていたコダジ―が、前のヨージ(ZX-6R)のリヤシート上に装着されているバッグから、何と500ccのペットボトルが飛び出してくるのを目撃した!先程ヒロのバイクを待っている間に水分補給した後、ちゃんと閉めていなかったのだ。幸いその爆弾による被害はなく、道路脇に転がっていったのだが、ここでコダジ―は考えた。横川駅で食べた釜めしの釜は持ち帰りOKなので、自分は土産にした。ヨージはどうしたのだろう?まさかこの後は釜爆弾!? さすがにそれは危険過ぎる!すかさずヨージの横に並び、大声で教えて、一旦路肩に停車してバッグを閉めたのであった(ヨージは釜を持参してはいなかった)。ウメとカッキーは後続が突然消えたので不思議に思っていたものの、前が詰まっていた為、隊列はすぐに元通りになった。
 13時30分、榛名湖畔の休憩所に到着。20分位休憩して次の目的地である赤城山を目指し、湖東側の県道33号線を下った。

榛名湖畔
 群馬県渋川市の伊香保温泉街のガソリンスタンドに寄り、GPZ900Rの交換用ウィンカーの電球を購入。専用品ではなく、クルマ用と互換性があるので難なく装着できた。また、店員さんの計らいによって、回収していたウィンカーカバーも透明テープで貼り付けてくれて、機能はひとまず復活したのであった。これで帰宅するまでは問題あるまい。

応急修理完了!
 気温は24℃まで上昇、走っている限りはちょうどいい感じなのだが、ガソリンスタンドを出てしばらく走り、セブンイレブン渋川折原店の前を通過したとたん、渋滞にハマった。路肩が狭くて、すり抜けができない為、ひたすらノロノロと(エンジンの熱風攻撃に耐えながら)ストップアンドゴーを繰り返す。渋滞の原因は2km先の工事用信号だった。この渋滞を抜けるまでに20分を要した結果、体力も消耗してしまい、榛名湖から赤城山まで一気に行こうと計画していたのを変更し、利根川を渡ってR353に入ってから道の駅「ふじみ」で臨時休憩を入れた。これで更に時間のロスが累積されて、明るいうちに宿に着けるか微妙になってしまった。
 15時40分に道の駅を出発。赤城山方面に目をやると、山が暗い雲の中に隠れていて見えない。雨が降っていなければいいのだが…。
 赤城山へ南側からクルマで登るには、県道4号線と県道16号線の2本のルートがある。県道4号線は終始センターラインのある整備された道路なので、こちらが一般的に使われるであろう。しかし、県道4号線は終始追い越し禁止なのだ。そこで、今回はあえて道幅が狭い代わりに追い越し可能な県道16号線をチョイスした。これなら遅いクルマに追い付いてストレスが溜まりまくることはない筈だ。
 県道16号線はクルマの擦れ違いすら困難な区間が多く、タイトなコーナーのワインディングが延々と続いた。GTECメンバーにしてみれば、この手の道は慣れたものだ。ところが、想定外に交通量が多い!結構頻繁に対向車が現れてビクッとする。それでも各自のペースでガンガン進むと、標高が高くなるにつれて霧が出てきた。やがてそれはすぐ先もよく見えないくらい濃く立ち込め、さすがにペースを落とさざるを得なかった。

霧の県道16号線
 赤城大沼(赤城山のカルデラ湖)の湖畔に位置する赤城神社に16時25分着。ここも霧で周囲がよく見えなかった。幻想的と言えばこれはこれでアリかも知れない。スマホを確認すると、LINEでカンちゃんとトモアッキィがみなかみ町の宿に着いたと連絡が入っていた。
 16時45分に赤城神社を出発して、赤城山北側の県道251号線を下った。すぐに霧は晴れて視界良好。後は宿を目指すのみ。整備された道を快調に走る。
 引き続き県道62号線→県道265号線→県道61号線でR291に入って給油後、本日の宿「谷川岳ラズベリーユースホステル」に17時50分着。辺りはすっかり暗くなっていた。
 さて、カンちゃんはチョイ乗り用に購入したばかりのアドレス125(スズキ)で参戦。(YZF1000Rは手放したわけではない。) もちろん、排気量制限で高速道路は使えない為、塩尻市の自宅を12時10分に出発すると、岡谷市を経由してR142→県道94号線を北東に進み、R144→R145→R291という一般道のルートでやって来た(16時30分宿着)。
 トモアッキィも一般道で向かうこととして、安曇野市の自宅を12時40分に出発。東御市辺りまではウメ達と同じコースで、後は県道94号線→R144→R145→R291という、カンちゃんの足跡をトレースして16時50分宿に到着。
 本日の走行距離:252km(ウメ@安曇野市)/375km(カッキー@八千代市)/173km(カンちゃん@塩尻市)/157km(トモアッキィ@安曇野市)/251km(ヒロ@松本市)/326km(ヨージ@江戸川区)
宿データ 宿名 谷川岳ラズベリーユースホステル
場所 群馬県利根郡みなかみ町谷川75-5
感想 「グレートツーリング外伝 '14 in みなかみ温泉」で泊ったことがある。部屋は基本的に洋室。家族部屋は洋室(ベッド)+和室で広い。残念ながらこの宿の風呂は温泉ではない。しかし夕食後に送迎バスで近くの温泉入浴施設「湯テルメ・谷川」に宿泊客を連れて行ってくれた。食事はおいしいし、夕食後の「お茶会」では、滅多に飲めない幻の「米で作られたお茶」を格安で提供してくれたりと、コストパフォーマンスは抜群である。
1泊2食付き(税込み):6,750円(個室)、7,250円(ゲストルーム)

(ヨージ)幸せっス!
9月24日(月) 天気:晴れ時々曇り
 今日は富岡製糸場を見学して、現地解散の予定だ。8時30分出発。気温は20℃。ただし、高速道路を利用できないカンちゃんは、一般道だけで向かうべく、一足先に出ていた。富岡製糸場内で会えればよしといったところだ。

今回のツーリングで唯一の全員集合写真
 R291を5.5km南下して、水上ICから関越自動車道に乗る。藤岡JCTで上信越自動車道に入り、富岡ICで高速を降りて2kmで富岡製糸場のバイク置き場に9時30分着。宿からここまではアクセスがいい(カンちゃんを除いて)。
 …と、ここで悲劇が起きた。バイク置き場はそれなりに先客がいて、空いている所に分散すれば、GTECメンバー全員がなんとか停めれそうな状況だった。カッキーは一番右端のスペースに侵入。すると後ろにヒロが来ていて、カッキーの左側に(隙間が微妙なので)置こうか迷っていた。そこで、カッキーは気を利かして、ギリギリまで端に寄せようとZX-10Rを切り返していたところ、バランスを崩して右側に立ちゴケ!しかも運が悪いことに、端には水道の洗い場があり、その角にフロントカウルを当てながら倒れてしまったのである。カウルの一部は割れ、フロントフォークも含め、広範囲に渡って傷が付いてしまった。一瞬にして愛車が傷だらけになってしまって呆然とするカッキー。「(サト)カッキーさん、私も一昨日キャンプ場で立ちゴケしたんでお互い様ですよ〜。」そんな慰めの言葉はカッキーの耳に届いていなかった…。ちなみにサトの立ちゴケは土の上だったのでほとんど傷も付かなかったが、昨日のヒロの悲劇に3日連続で続いてしまったカタチだ。すっかり気持ちが折れてしまったカッキーは、富岡製糸場には寄らず、駐車場に併設されている売店でお土産を買ってから帰ることにして、他のメンバーとお別れをした(12時30分には帰宅した)。

損傷したカッキーのZX-10R
 富岡製糸場は日本で最初の本格的な器械製糸工場で、1872年(明治5年)開業当時の繰糸所や繭の倉庫等が現存している。敷地を含む全体が国の史跡に、建造物群は国宝や重要文化財に指定されている。更に、2014年には「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録された。

富岡製糸場
 外観で印象深いのは、何といってもレンガ造りの建造物であろう。建物も含めて工場はフランスの技術を導入している。ただし、建物の屋根は日本瓦なので、和洋折衷の独特な味わいがある。
 見学エリアは広範囲に及んでボリューム満点。保存状態は良好で、展示内容も丁寧。じっくり見学していると半日は掛かる。
 世界遺産登録当時はすごい人でごった返していたそうだが、3連休なのに見学している人は大して多くなかった。世界遺産に登録されると観光客を期待して、地域を挙げてのお祭り騒ぎとなり、大々的に費用を投じて周辺を整備する。しかし、城や名勝ならともかく、この手の施設は1度訪れれば満足してしまうと思われる。リターン客を如何にして獲得するかも課題であろう。
 一通り見学した一行がベンチで休んでいると、カンちゃんがやって来た。完全にタイミングがずれているので一緒に見学するのは無理である。実質ここでバイバイとなった。そして駐車場に戻ると、ツーリング自体、ここで解散とした。
 東京都多摩市在住のコダジ―とサトは一般道で最短ルートを南下。ウメ、トモアッキィ、ヒロは上信越自動車道(東部湯の丸ICで下りて、後は昨日と逆コース)、ヨージは関越自動車道で帰路についた。そして、長野県組、関東組ともに15時〜16時の間に、ひたすらR254を走ったカンちゃんも16時30分には帰宅した。
 本日の走行距離:216km(ウメ@安曇野市)/267km(カッキー@八千代市)/207km(カンちゃん@塩尻市)/217km(トモアッキィ@安曇野市)/215km(ヒロ@松本市)/240km(ヨージ@江戸川区)

レポート by ウメ


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