2006年のツーリング

グレートツーリング '06 in 北海道 & 東北
メンバー(マシン) ウメ(GSX1300R)、オユタ(バンディット250)、カンちゃん(YZF1000R)、ヒデ(CBR900RR)、ヒロ(GPZ900R)
 GTECメンバーの野郎の中で、まだ47都道府県を制覇していないのは、オユタ(残り沖縄県)とヒデ(残り北海道)の2人だけである。そこで、今年のゴールデンウィークのグレートツーリングは、どちらかの制覇を優先したコースで検討することになった。とはいったものの、ゴールデンウィークの北海道はまだ寒い。場所によっては雪が降ることもある。ヒデは北海道にいずれソロでも行く気満々なので、迷わず沖縄に決定。ウメ、カンちゃん、ヒデは3年前にも沖縄ツーリングに行ったのだが、好印象で、また行きたいと思っていた。
 沖縄に行くには有村産業かマルエーフェリーのフェリーを利用することになる。何しろ長い船旅である。スケジュール的に可能なのは、有村産業のみだった。ところが、3ヶ月前にいざフェリーの予約を取ろうとしたら、なんと、その便は運休なのであった!急遽目的地を北海道に変更。
 北海道は寒いであろうから道南に絞り、なおかつ、なるべくヒデ以外のメンバーが走ったことのないコースをセッティングした。更に函館から本州最北端の大間に渡り、東北の太平洋岸を南下して帰ってくることにした。2002年の東北ツーリングでは、弘前城の桜がとっくに散っていたのは残念だったものの、暖かかな陽気の中を快適に走ることができたのだが、さあ今回はどうだ?
4月30日(日) 天気:晴れ時々曇り
 4月も終わりなのに、朝晩は冷え込む。今年の春は、全国的に遅いようだ。「春の訪れが遅い」とは、バイクでゴールデンウィークにツーリングするようになってからの経験上言えることであって、「平年と比べて」ということになると、1971年から2000年までの30年間の気候的出現率と照らし合わせなくてはならず、GTECメンバーにとってはどうでもいいデータとなる。
 6時、長野自動車道姨捨SA集合。早朝とはいえ、とてもバイクに乗る気分にはならないほど低い気温だ。吐く息も白い。この寒い中、マコちゃんがR1100RSでわざわざ見送りに来てくれた。彼は5月4日から2泊3日で福島県へソロツーリングに行き、5月5日の宿で他のメンバーと落ち合うことになっている。

姨捨SA
 そういえば、オユタのマシンは初登場のSUZUKIバンディット250だ。昨年RGV250γが廃車になってしまい、次のマシンを探していたものの、資金難の為になかなか話が進まず、妹のバンディットを借用しての参戦である。(妹はほとんど乗っておらず、しかももうすぐ結婚してしまうので、実質的にもらったようなものだ。)
 6時20分、マコちゃんの見送りを受けながら、新潟港に向けて出発。隊列はウメ、ヒデ、ヒロ、オユタ、カンちゃんの順。長野自動車道→上信越自動車道を北上する。途中休憩した妙高SA周辺は雪がたくさん残っていて、いくらここの標高が高いとはいえ、北海道は大丈夫かいなと不安になってくる。
 カンちゃんは2週間位前から左の肩甲骨周辺が痛くなり、整骨院に通っていた。どうやら運動不足が原因らしいが、治りは悪く、クラッチレバーを握るのはおろか、乗車姿勢を維持するのも辛い。「(カンちゃん)今からこれでは先が思いやられるなぁ…。」高速道路はシフトチェンジの必要がほとんどないのが救いだ。
 上越JCTから北陸自動車道に入ると、寒さはだいぶ和らいできた。9時30分、新潟港フェリーターミナル着。乗船手続きを取る。(実は到着予定時間を30分オーバー。6時に出発する予定で6時に集合というのは無理があった…。)
 10時30分、新日本海フェリー「ゆうかり」は出航した。小樽入港予定は1日の4時10分。17時間40分の船旅だ。GTECの他にもバイクはたくさん積み込まれていた。
 小樽入港が4時10分ということは、3時過ぎには起床しなくてはならない。日中は北海道のガイドブックを読んだりしてぼ〜っと過ごし、20時には全員就寝した。
 明日の道南の天気予報は曇り時々雨で、降水確率は80%。カッパを着ての上陸は覚悟していた。
 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICから273km/長野自動車道塩尻北ICから289km
宿データ 宿名 新日本海フェリー「ゆうかり」
場所 新潟→小樽の日本海上
感想 就航したばかりの全長200mもある大型フェリー。きれいで設備も充実しており、快適な船旅が楽しめた。
2003年就航。18,300トン。
2等寝台プラス2輪:12,600円(750cc未満)、14,200円(750cc以上)
5月1日(月) 天気:曇り時々雨
 4時過ぎ、予定通り小樽に入港。雨は降っていない。それどころか、青空が見えている。早朝にもかかわらず、寒さも想像していたほどではない。これは、快適な北海道ツーリングになるのではないかと、各自期待した。

小樽港
 5時、クルマに引き続いてバイクも下船。この瞬間、ヒデの47都道府県制覇が達成された!雨が降っていないおかげで、ヒデ作成の凝った横断幕を広げての記念撮影が行われた。

ヒデ47都道府県制覇!!
 まずは小樽駅に向かう。地図によると、駅の横には朝市(三角市場)があるので、そこで朝食にしようというのだ。業者が利用する食堂で、新鮮な海の幸を使った丼ものでも食べられれば…なんて思い描いていた。考えただけでもよだれが出る。
 アスファルトはセミウェットで、乾きつつある。小樽駅に向かう途中、小樽運河と倉庫街に寄った。早朝とあって人影はほとんどなく、なかなか趣のある写真が撮れた。

小樽倉庫街
 小樽駅前の駐輪スペースにバイクを置き、さっそくそのすぐそばにある三角市場に行った。屋根付きの細く、長い通路沿いに、たくさんの店が並んでいた。ところが…、どこもシャッターが閉まっている!し〜んと静まり返った市場で呆然とする一同。今日は休みなのか?市場で朝食という目論見は崩れ去り、コンビニで軽食を購入し、駅構内の待合室で食したのであった。
 6時40分、出発。今日は積丹半島をグルリと周り、ひたすら海沿いに八雲町まで走る。最初の目的地は蝋燭岩。
 R5はほとんどドライになっていた。余市でR229に入ると、トンネルの連続区間が始まり、トンネルとトンネルの間、気を付けていなければ通り過ぎてしまう場所に蝋燭岩はあった(標識もなし)。いや、実際、先頭のウメは気を付けていたにもかかわらず、巡航スピードが速過ぎて、「あれがそうか?」と思った瞬間に、すぐ次のトンネルに入ってしまった。安全にUターンできる場所がなかなかなく、けっこう先まで走ってしまったのであった。
 その昔、ニシンが群れを成してやって来て、鱗が岩にこびり付き、ローソクのように光ったという伝説の残る蝋燭岩は、なるほどローソクのような形をしている。この岩は少し陸から離れており、間近で見る為には、閉鎖されている旧道を歩かなければならない。フェンスで完璧に塞がれており、バイクの通行は不可。徒歩で荒れ果てた旧道を進む。斜面にはまだ雪が厚く積もっている。

蝋燭岩
 蝋燭岩を背景に記念写真を撮っていると、みるみる空が暗くなり、ポツリ…ポツリ…と雨が降り出した。「“ポツリ”で終わってくれ〜!」という彼らの期待も虚しく、雨は本降りになった。仕方なくカッパを装着し、出発。
 積丹半島を進んで行くうちに気温は低下し、強い風が吹き付けてきた。積丹町に入ると一時的に山間部を走る。この辺りは、道路以外雪景色で、寒さはピークに達した。指先が凍えるようだ。特にオユタのマシンはネイキッドなので、カウルがあるとないとではここまで違うものなのかと実感しながら、全身を寒風に晒していた。
 8時40分、積丹岬着。駐車場から歩いて暗い歩行者用トンネルを抜けると、日本の渚百選にも選ばれた島武意海岸が眼下に広がった。正面の岩場には海鳥が群れており、その数の多さに驚かされる。北海道で唯一海中公園に指定されているほど透明度の高い積丹半島の海なので期待していたのだが、この天気では荒海しか拝むことはできなかった。

積丹岬
 お次は15分ほど走った所にある神威(カムイ)岬だ。難所故に、神のみが立ち入ったとされ、断崖、奇岩は絶景らしい。しかし、恐ろしい位の強風の為に遊歩道は閉鎖されており、残念ながら岬の先端までは行けなかった。

神威岬
 R229を淡々と走り10時50分に岩内の道の駅「いわない」に着いた時には、雨が止んでいた。ただし、進行方向の空は暗く、カッパは脱げそうもない。ここで昼食タイム。
 今、北海道で旬なのはイカだそうである。そこで、駐車場に隣接されている小さな食堂で、全員イカの刺身定食を注文した。これが期待通りおいしく、しばし寒さを忘れることができた。ここからはニセコのスキー場が見えるのだが、山もゲレンデもまだ雪がたっぷりとある。
 給油を行い、12時に岩内出発。その直後、また雨が降り出した。幸い、岩内から南のR299は整備された走り易い国道で、交通量も少なく、追い越し可能区間が多かったので、(ただひたすら寒さに耐えながら走る以外は)雨でもそれほど気を使う必要はなかった。道の駅「よってけ!島牧」で休憩し、本日の宿である国民宿舎「ひらたない荘」には15時30分に到着した。岩内からは休憩を挟んで1時間半ずつ走ったのだが、信号に引っ掛かることもほとんどなく、バイクを降りると久しぶりに地面を踏んだ気になる。
 ニュースによると、東京の最高気温は31℃、甲府なんて33℃!和歌山ではセミが鳴いたそうだ。なんたる違い。道東は氷点下で、雪が降った所もあるらしい。それに比べれば雨で済んだだけまだマシか…。
 本日の走行距離:308km
宿データ 宿名 国民宿舎ひらたない荘
場所 北海道二海郡八雲町熊石平町329
感想 日本海を見下ろす小高い丘に建つ、天然温泉とあわび料理がウリの宿。あわびづくしの特別食、あわびフルコースはおいしかった。普通、旅館などで特別食を頼むと、量がやたらと多くて食べ切れない場合が多いものだが、これはほどよい量であった。宿の注目は“あわびの湯”だ。大量の生あわびがボトボトと湯に投げ込まれ、生臭いったらありゃぁしない。というのはウソで、名前は確かにあわびの湯でも、それは外来者OKの施設があわびをモチーフにしていたり、館内にあわびの生態等の資料が展示されているからである。もちろん、湯にあわびは混入されておらず、サウナや露天風呂付きの快適な風呂だ。
1泊2食付き:9,960円(酒代を除く)
5月2日(火) 天気:晴れ
 宿の玄関脇には水道があり、出発前に前日の雨で汚れたマシンを洗車させていただいた。海岸線を走ってきたおかげで、砂が多くこびり付いていた。
 8時20分出発。R229をひたすら海沿いに走る。太陽が出ており、路面はドライ。しかし、風は相変わらず強く、寒かった。
 小樽から西側の海沿いを南下するという今回のルートは、地図で見る限りクネクネしていたのだが、実際は大したコーナーはなく、GTEC達の地元である長野県では考えられないような(北海道らしい?)長い直線もあったりして、終始快適に走ることができた。左肩を痛めているカンちゃんにも負担は少なかった。しかし、250ccのオユタは、追い越し時にレッドゾーンまで回さなくては付いていけず、バンディットの非力さにうんざりしていた。しかも、いくら加速時にはエンジンをブン回しているとはいえ、異常に燃費が悪い。20km/リットルを軽く超えると予想していたバンディットの燃費は、高速道路、一般道ともに14km/リットル位だ。これでは前のバイク(RGV250γ)より悪いではないか。出発前にバイク屋でオーバーホールを受けたばかりなのに…。
 江差の復元された開陽丸前で休憩。開陽丸のことをよく知らない人は、ここのプレートに“動乱の幕末にすべてを賭けて戦った開陽丸 蝦夷共和国を夢見て、2千人の兵士と怒涛の海を北へと舵を取る…1868年江差の海に散る”と書かれているのを見て、壮絶な海戦の末に撃沈されたに違いない、と思うであろう。しかし、歴史を知る者からすると、「なんてまぎらわしい書き方をするのだ?」と苦笑するのだ。
 開陽丸は徳川幕府が発注し、1866年にオランダで造られ、翌年日本に到着した、当時の世界では最新鋭の軍艦だ。徳川幕府では間違いなく最強の軍艦であったことだろう。その後すぐに幕府が力を失い、新政府が樹立すると、反政府軍は開陽丸を奪って蝦夷地(北海道)へ逃亡した。その途中で台風に遭い、舵が壊れるなど損傷し、松島で修理。ここで会津藩士らと合流してなんとか蝦夷地に到着。江差を攻略する反政府軍を支援する為、江差沖で待機している間にシケに遭い、座礁、あえなく沈没した。つくづく天候に恵まれず、本来の力を発揮しないまま沈んでしまった不運な船である。当初、開陽丸を始めとする反政府軍の艦隊は、政府軍(官軍)よりも強力だったのに、戦いもせずに嵐で次々と沈み、士気は大いに低下したらしい。なお、復元された開陽丸の内部は(時間がなかったので見なかったが)資料館になっている。先ほど記載したプレートとは、この資料館の入口にある。(あの勇ましい内容は客引きの為と思われる。) とはいえ、復元された開陽丸はかっこいい。江差を通る時は必見だ。公園には海底から引き上げられた各種大砲等が展示されている。

復元された開陽丸
 江差から南、R228の海岸線は入り組んだ地形をしているのだが、くぼみの間を陸橋で繋いでいる為、タイトなコーナーはない。陸橋で左側を向くと、廃墟と化した旧道が見える。昔、この海岸線の地形に沿った道を走るのはさぞ大変だったろう。このエリアはほとんどクルマが走っておらず、警察もわざわざこんな所でねずみ捕りをするとも思えなかったので、つい巡航速度が上がる。
 11時、白神岬着。ここは北海道最南端の地。しかし、それを誇らしげに語る標識はなく、こじんまりした休憩所があるのみ。海の向こうには、青森県の津軽半島が間近に見える。4年前に立ち寄った竜飛崎の風力発電用の風車群も見えた。

白神岬(岩の上はヒデ)
 更にR228を先に進み、道の駅「しりうち」で昼食とした。ここは青函トンネルを青森県側から抜けてきた列車がトンネルを抜けてすぐの場所(JR知内駅の隣り)にあり、2階レストランの窓から線路が間近に見える。食事中も特急や貨物列車が行ったり来たりしていた。鉄道ファンのマコちゃんがここにいたら、窓に釘付けになっていたに違いない。ところが、肝心の食事の方はイマイチで、特にオリジナルメニューである「しりうちラーメン」は、お世辞にもうまいとは言えない。ここで麺類を注文するのはやめておいた方が無難だ。
 13時、道の駅を出発し、函館を目指す。海岸線に出ると、やがて函館湾を挟んで函館山が見えてきた。函館市が近付くに従って交通量が増えていく。
 14時20分、五稜郭着。さっそく先月完成したばかりの、高さ107mの五稜郭タワーに登った(840円)。41年間に渡って親しまれてきて、かつてウメとカンちゃんも登ったことがある旧タワー(60m)は、既に解体工事が始まっていた。新タワーからは、五稜郭はもちろん、函館市街や函館山、津軽海峡、横津連峰の山並が一望できる。天気にも恵まれ、360度の大パノラマを満喫することができた。
 お次は五稜郭内の散策。ここは江戸時代末期に建造された城だ。城といっても、天守閣はなく、大砲による戦闘が一般化した後のヨーロッパにおける星型稜堡式の築城様式を採用した、実戦的な要塞なのだ。箱館戦争最後の戦いの地として有名である。地上からは独特の形を実感することはできない。やはり、タワーとセットで楽しむべきだ。土手には桜の木がたくさん植えられていて、満開時はさぞかしきれいであろうが、花はまだつぼみの状態で、一輪たりとも咲いていなかった。それでも、シートを敷いて宴会を開いている奇特な一団がいた。

五稜郭
 16時、あとは函館市宝来町にある本日の宿、函館ユースゲストハウスに向かうのみ。五稜郭からは10分位の距離だ。…と、ここでヒデがヤマダ電機でデジカメの充電器を購入したいと言い出した。1GBのメモリを装着し、写真を撮りまくろうと気合を入れていた彼は、こともあろうに充電器を家に忘れてきたのであった。既に電池マークは半分の表示。とてもツーリング中はもちそうもない。先ほどの五稜郭タワーから、北西方面にヤマダ電機が見えたのだが、宿とは反対の方向だ。「(ウメ)では先にチェックインしているぜ。」「(ヒデ)薄情だなぁ。いいじゃ〜ん。」というわけで、全員でヤマダ電機へ向かった。メンバー持参の地図には載っていないので、タワーから見えた方向でアタリを付け、ウメの勘を頼りに走ると、一発で到着!
 ここで、ついでにオユタも自分のデジカメ用の充電池を購入した。フル充電しても1日もたないほど劣化していたからだ。しかし、既に発売の終わっているヒデのデジカメ用の充電器は、残念ながら取り扱っていなかった。店員から、近くにカメラのキタムラもあることを教えてもらったので、最後の望みを託して行ったものの、やはり置いていなかった…。ところが、キタムラの店員が念の為にマニュアルを参照してくれた結果、衝撃的な事実が判明した。汎用電池(2CR5)でも動作するのだ!ヒデは専用充電式電池でなくてはダメだと思い込んでいた。2CR5なんて、コンビニでも売っているではないか。そもそも、このデジカメに買い換えた理由というのが、その前まで使っていたデジカメと電池の互換性があるからだったのに、その電池に関して無頓着だったということになる。早いところ宿にチェックインしてゆっくり土産を購入しようと目論んでいた他のメンバーは、無駄に時間をロスしたことに対し、不満をあらわにした。「(ヒデ)みんな、すまねぇ〜…。」
 17時20分、宿にチェックイン。本来であれば、風呂に入って一日の疲れを癒し、さっぱりしてから街に繰り出したいところだが、そのような時間はない。ヒデは函館山の夜景を観に向かい(メンバーの中で唯一函館山に登ったことがないのだ)、他の4人は買い物をするべく路面電車で函館駅に向かった。
 陽が沈んでから急激に気温は下がり、風も一段と激しさを増した。宿から函館山ロープウェイまでは歩いて行ける距離にある。ヒデはゴールデンウィークでさぞかし混み合うと予想していたものの、大して待たず、2回目にして乗ることができた。山頂に到着してみるとそこは人の山…。日本語に混じって中国語とハングル語がかなり聞こえてくる。施設のガラス越しに眺める観光客がほとんどだった。それもそのはず、外に出てみると風が強く、寒い!ジャケットを羽織って来て正解だった。まだ夜景と呼ぶには少し早いが、写真撮影の為にはこのベストポジションを離れるわけにはいかない。震えながら10分ほど我慢。お陰でよい写真が取れ、百万ドルの夜景を目に刻み込むことができた。
 帰りのロープウェイは3回待ち。降りると、上り用乗り場の列が更に長くなっていた。いい時間に見て来たと言えよう。宿への道中、スーパーでコアップガラナを発見!すかさず購入。ヤッパ北海道はこれでしょ!

百万ドルの夜景
 ヒデ以外の4人は19時位に函館駅に着き、さっそく土産物屋を物色したものの、ゆっくり買い物とはいかなかった。閉店時間が迫っていた為だ。それでも、店の人が閉店時間を遅らせてくれたおかげで、急ぎ足ではあったが、なんとか予定をクリアした。再び路面電車で宿に向かう。
 20時30分、先に宿に戻っていたヒデと合流した後、近くの居酒屋「ぎんか」で夕食。とにかく夜は寒く、観光気分にはなれなかった。
 本日の走行距離:220km
宿データ 宿名 函館ユースゲストハウス
場所 北海道函館市宝来町17-6
感想 狭いビジネスホテルといった感じ。装備に不満はないものの、部屋はベッドがほとんどを占め、荷物の置き場に困る。駐車場も狭い。食事のサービスはない。函館山に近いということで予約したのだが、それ以外にメリットはない。
1泊:4,700円。
5月3日(水) 天気:晴れ
 5時、ヒデは函館駅前の朝市にバイクで行った。本当はこのような観光客目当ての市場ではなく、業者向けの鮮魚市場に行きたかったのだが、休日であったので諦めたのだ。観光客目当ての市場で良いところは、色々試食をさせてくれることである。市場内の店を廻り、カニ、ホタテ、イカ等を試食させてもらい、朝食に待望のうに丼をゲット!その後、誰もいないレンガ倉庫街を30分ほど散策し、7時に宿へ帰還。
 他のメンバーは、前日コンビニにて購入していた軽食で朝食を済ませた。
 7時30分出発。20分で東日本フェリーのフェリーターミナルに到着。ここからフェリーで本州最北端の地、大間に渡るのだ。
 天気はいいが、やはり寒い。ヒロはターミナル内の自動販売機でホットコーヒーを探した。ところが、全て「つめたい」である。最近缶コーヒーマニアと化しつつあるヒロは、ホットでなくてはダメだというこだわりを持っていた。小樽上陸後、休憩した場所で必ず自販機を物色したのだが、まだこんなに寒いのに、ついにコーヒーも含めて、ホットの缶飲料は全くなかった。そういえば、寒さ対策にコンビニで使い捨てカイロを探した時も、品揃えがほとんどなかった。恐るべし北海道民!真冬でもこうなのか!?
 9時、フェリーは函館を後にした。小樽行きのフェリーではライダーがたくさん乗船していたのに、上陸後は他のツーリングバイクにほとんど出くわさなかった。やはり、まだシーズンには早いようだ。そして1時間40分後、大間入港。残念ながら寒さは大して変わらなかった。
 さっそく本州最北端の碑や、最近できたまぐろのオブジェがある場所に移動。ウメ、オユタ、ヒロは16年ぶり。カンちゃん、ヒデは4年ぶりとなる。600m沖合に浮かぶ小さな弁天島の向こう側、大間から17.5km先に函館市汐首岬がよく見える。

大間
 最北端周辺には土産物屋が集中しており、その中の食堂で昼食とした。ここからは次のように別行動となる。

・ウメ、オユタ、ヒロ:
 下北半島をむつ市まで反時計回りに走り、仏ヶ浦や恐山を観て六ヶ所村の宿へ。
・カンちゃん、ヒデ:
 仏ヶ浦や恐山は4年前のツーリングで行ったので、六ヶ所村の原燃PRセンターに直行。ここを見学後、カンちゃんはウメ達と同じ宿へ泊まり、ヒデは青森市へ。ヒデは他のメンバーと翌日、釜石で合流する。

 まぐろ、いくら、うに等のどんぶりや刺身は期待以上においしく、腹の膨れたところで、12時頃に2チームは出発した。
(ウメ、オユタ、ヒロ)
 出発前、ヒロは自動販売機を見付けると、すかさず近付いてホットコーヒーを発見!腰に手を当て、満面の笑みを浮かべながら飲み干した。「(ヒロ)やっぱ、缶コーヒーはホットに限るねぇ〜。」
 R338を海沿いに南下。隊列はウメ、オユタ、ヒロの順。さすがに今回北海道で走ってきた国道とは違い、センターラインはあるものの、狭いワインディングが延々と続く。がしかし、彼らにとっては快適な道。思う存分攻め続けた。抜いたクルマは数知れず。オユタは長年培ってきたテクニックにより、隼に遅れを取らない走りで終始ヒロをリードした。(実は、いつオーバーヒートするのではないかというほど、マシンを酷使していた。) やがて仏ヶ浦を見下ろす展望台に到着。
 仏ヶ浦は、荒波によって侵食されて奇異な形状をした凝灰岩の断崖が2kmに渡って連なる。それぞれの岩には、如来の首、五百羅漢、十三仏観音岩といった名前が付けられ、極楽浄土のイメージを重ねている。なるほどこれは絶景だ。引き続き仏ヶ浦の駐車場まで走り、遊歩道を歩いて極楽浜に降りた。
 下には、遊覧船の発着場があり、よくぞこんなところに桟橋を造ったものだと感心する。その桟橋の先端に行くと、仏ヶ浦を一望できる。天気はいいものの、風が強く、波が荒い。極楽浄土とはよく言ったものだ。これはなかなか絵になる景色だ。この荒々しさがなんともいい。しばらく岩場を歩いて奇岩を眺めてから駐車場に戻った。遊歩道脇にはかたくりの花が群生しており、きれいに咲いていた。

仏ヶ浦
 駐車場と浜は高低差がけっこうある。予めカンちゃんとヒデから「遊歩道は辛いぞ〜。」と脅されていたのだが、確かに急な階段がしばらく続くものの、どうということはなかった。むしろ、長時間乗車姿勢を維持していた体をほぐすにはちょうどよかったと言えよう。「(3人)あいつらは運動不足だな〜。」
 14時10分に仏ヶ浦駐車場を出発。更に南下し、50分位走ったところで、突然自衛隊のヘリコプターが道路脇に展示されているのが目に飛び込んできた先頭のウメは、思わず立ち寄った。
 ここは海上自衛隊大湊(おおみなと)航空基地だ。対潜哨戒ヘリコプター「SH-60J」によって、主に津軽海峡の哨戒を行っているらしい。ゲート前に現役を引退した「HS-2B」哨戒ヘリコプターや連絡機が展示されていた。ヘリの前で記念撮影し、出発。

海上自衛隊大湊航空基地
 お次は恐山だ。4年前に行ったカンちゃんとヒデからこれまた「ただの観光地だよ〜。」と脅されて(?)いたので、おどろおどろしいイメージは既に消し飛んでいたが、実際はどうなのだろう。R338から恐山への快適なワインディングを攻めるものの、道路以外は雪景色…。寒い!もうかんべんしてくれとペースダウンすると、突然平らな景色が広がり、カルデラ湖の宇曽利(うそり)湖と、その先に恐山が見えた。
 恐山は、高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場のひとつである。そもそも恐山は、宇曽利湖を中心とした数々の外輪山の総称であり、恐山という名称の山はない。ここで言う恐山とは、霊場一帯のことだ。
 入山料500円を支払って中に入る。薬師堂でお参りをし、奥に進むと、テレビで見ておどろおどろしいと感じた、あの景色が広がっていた。至る所に火山岩がケルンのように積み上げられ、硫黄の匂いが立ち込めている。所々で水蒸気が噴出し、風車が「カラカラカラ…」と風に吹かれて回っている。今まで3人が味わったことのない、何とも独特の世界だ。がしかし、多くの観光客が徘徊しており、怖さは微塵もなかった。宇曽利湖の極楽浜は、先ほど行った仏ヶ浦の極楽浜とは対照的。あちらは動で、こちらは静といった感じで、どちらも美しかった。もう17時だ。そろそろ六ヶ所村にある本日の宿「やまいちホテル」に向かわねば。

恐山
 むつ市で給油してから、R338をひたすら走った。むつ市からのR338は整備された快適な国道で、ほとんどが追い越しOK。平均時速80km/hで走り、18時に宿着。カンちゃんは当然先に着いていた。
 本日の走行距離:184km
宿データ 宿名 やまいちホテル
場所 青森県上北郡六ヶ所村泊川原1441
感想 六ヶ所村の核関連施設の北10km位に位置するホテル。施設関係者がよく利用するようで、長期滞在にも対応している。食事はバイキング形式。和室のシングル部屋は、大人3人までOKと思われるほど広い。周囲には何もないので、夜飲みに出るなんて気にはならないであろう。
1泊2食付き:6,800円
(カンちゃん、ヒデ)
 六ヶ所村原燃PRセンターを目指し、R279を南下。PRセンターでは15時からコンパニオンによるガイドを予約してあったので、4年前のように、閉館後に着くなんて失態は許されない。カンちゃんとヒデといえば因縁の組み合わせ。いやな予感がする…。(詳しくは「グレートツーリング '02 in 東北」5月2日のレポートを参照。)
 前回はむつ市から陸奥湾側のR279を使ったが、街中の国道であった為、信号によるストップ・アンド・ゴーの連続で、えらく時間が掛かったものだ。そこで今回は太平洋側のR338を選択した。R338はR279と違い、ほとんど信号なし!一部細い個所もあったが、バイクには全く問題なし。途中、4年前に見間違えて時間をロスした原発PR館「東通原子力発電所 トントゥビレッジ」横を通過した。時間的に余裕があった為、立ち寄るかどうかヒデがカンちゃんに相談したところ、カンちゃんの肩の痛みはヒデが想像するよりキツイらしく、「一刻も早く目的地に着きたい!」という切実な要望によって、無念ではあるがパスすることにした。
 その結果、14時前には原燃PRセンターに到着してしまった。前回、恐山から原燃PRセンターまで約100kmで、今回は大間崎から約150kmだったのにもかかわらず、所要時間はほぼ同じ2時間だった。ルートの選択が効を奏したのか、いや、時空の歪を通ったに違いない。さすがは神聖なる地、下北!
 とは言え1時間も前に到着してしまっても特にやることがない。ここまでほとんど休憩なしで先を急いだので、とりあえず別館の喫茶店で一服し、10分位前に受付に行けばどうかと提案するヒデに対し、普段先頭に立つことのないカンちゃんが、何と窓口で交渉して時間を繰り上げてくれるよう話を着けてきた。ゴールデンウィークだというのに、ガイドのお姉さんはよほど暇なのだろうか?いやいや、カンちゃんの痛みに耐えながらの説得、切なる願いに押し切られたのに違いない。ともあれ時間を無駄に過ごすこともなくガイド付きで館内を案内してもらった。
 六ヶ所村には原子燃料サイクル施設がある。原子力発電所で使い終わった燃料(使用済み燃料)には、再生利用できるウランやプルトニウムが約97%も残っている。再処理工場でそれらを取り出し、再び燃料に加工し、原子力発電所で使うのだ。原燃PRセンターでは、再処理工場を8割大の模型で工程ごとに再現し、どのように使用済み燃料からウランやプルトニウムを取り出すのかを紹介している。内容は非常に興味深いものであったが、サイクル施設の本格的な稼動は来年からで、そこで作られた燃料を利用する予定の原発はまだ1箇所しか決まっていないらしい。いかに安全性を訴えても、ウランやプルトニウムはやばい代物というイメージがある(実際相当やばいが)。聞いただけで反発する人もいるだろうし、なかなか難しいようだ。
 原発も含め、設計上は完璧でも、施設を造るのは職人だ。彼らもしょせんは人間。全員のスキルが常にハイレベルと言えるのだろうか?安全と思われていた新幹線や高速道路の橋脚でも、手抜き工事が相次いで発覚している。完全なものなどない!もしも原子力発電並みの効率で、なおかつ汚染物質がゼロの発電システムが開発されたら、誰も文句は言うまい。
 ちなみにコンパニオンは美人タイプ、というわけではなかったが、愛想もよく、親近感のある癒し系といった感じで、楽しい1時間を過ごした。ただし、ガイド内容や質問に対する回答は更なる努力をしてもらいたいものであった。そう、2人による難易度の高い意地悪な質問攻めにも対応する為の努力を…。
 ガイド終了後、館内をもう1時間掛けて1周し、各種イベントを楽しんだ。

原子燃料サイクル施設(展望台から)
 カンちゃんはこの近くにあるビジネスホテル「やまいちホテル」でウメ達と合流予定なので、ここでお別れ、1人ホテルに向かった。
 ヒデはカンちゃんを見送った後、更に南下。県道180号線→R279→R4経由で青森市を目指す。R4に入った所で夕暮れの陸奥湾越しに見える恐山が見え、圧巻だった。
 本日の宿は4年前にも利用したハイパーホテル青森。市内に入ると道を思い出し、迷うことなくホテルの駐車場へ。18時到着。
 さて、晩飯である。ヒデは1人なので何でもいいやと思いながらホテルを出ると、道向かいに「すし屋の家族」が目に入った。お世辞にも派手な店構えとは言えないが、4年前この店に入ろうとした時は、かなりの客で賑わっていて、席が空いていなかった。その時の無念が記憶に残っており、迷わず暖簾をくぐってみると、客は1人もいない…。少し不安になりながらもカウンターの奥へ。よく考えてみると今日は祝日。前回は休日前だった。オフィス街ともあればそんなものだ。ラッキー!40代前半位の若旦那も昔はバイクに乗っていたそうで、話が弾み、またネタも新鮮で美味かった。何よりカウンターに座って好き放題食べて焼酎2杯飲んで5千円とは、何ともリーズナブル!次に来た時も必ず寄りますと約束して店を後に。1人だったが楽しい夕食であった。
 本日の走行距離:189km(ヒデ)
宿データ 宿名 ハイパーホテル青森
場所 青森県青森市橋本1-1-7
感想 2002年のツーリングでも利用したホテル。設備は充実しており、朝食付き。コストパフォーマンスに優れている。難点は駅からちと遠いくらいか。
1泊朝食付き:シングル5,040円
5月4日(木) 天気:晴れ
 カンちゃんの肩の痛みは増すばかり。今日もメニューが盛りだくさんだが、ここはぐっとこらえて、本日の宿、釜石市にある「ホテルマルエ」に直行し、早々にチェックインして休養を取ることにした。8時30分、ウメ、オユタ、ヒロの見送りを受けて出発し、ひたすらR45を南下。給油や休憩を除いてどこにも寄らず、15時には釜石市に到着したのであった。
(ウメ、オユタ、ヒロ)
 カンちゃんを見送った後、8時40分に出発。まずは昨日カンちゃんとヒデが行った原燃PRセンターに向かう。
 R338を南下中、見通しのいい直線で、先頭のウメは対向して来るミニバンの動きが妙なのに気が付いた。蛇行している…。ドライバーの姿が確認できるほど接近した瞬間、そのミニバンはセンターラインをはみ出してきた!ウメは慌てて回避しつつ、携帯電話を掛けながら脇見運転をしているドライバーを見た。まったく…、ぼ〜っと走っていたら、正面衝突していたところだ。
 ホテルから10分と掛からずに到着。9時の開館と同時に受付に行き、予約してあったコンパニオンのガイドを受けながら館内を見学した。

放射性廃棄物と共に…
 ひと通り説明を受けて館内を一周した後、3階の展望台に行って360度の大パノラマを楽しんだりしているうちに、出発時間が10時35分になってしまった。(予定では10時出発。)
 この後は、かつて大学時代の4年間を八戸で過ごしたオユタ思い出の場所を廻る。R338を南下して三沢市を抜け、百石町でR45に入ると、片側2車線道路となり、八戸市が近付くにつれて交通量が増えていく。八戸市でウメは先頭をオユタに譲った。
 オユタの案内で、まずは通っていた大学に寄った。親しい教授や教職員がいたわけでもないので、構内を懐かしさに浸りながら眺めただけだが、ここまで南下して初めて(それなりに咲いている)桜の花を拝んだ。まだ5分咲きといったところか。
 お次はオユタの事故現場。大学3年の冬、彼は大学から下宿へ向かう途中に事故を起こして3ヶ月間入院していたのであった。(詳細はエピソード“手記「GSXと私の入院生活の楽しい思い出」”を参照のこと。) 事故現場周辺は当時何もなかったのに、今では住宅地と化していた。こんな見通しの悪いカーブによくもスピードを出して進入したものだと、若かりし日の無謀な行為にあきれる3人であった。

事故の様子を再現するオユタ
 事故現場から500m位走って、世話になった下宿に到着。一見当時のままなので、まだ営業しているのかと思い、オユタは函館で購入した土産を手に、大家さん宅を訪問した。アポなしではあったが、幸い大家さん夫婦は家にいた。14年ぶりとはいえ、ちゃんとオユタのことを覚えてくれており、昔話に花が咲く。1990年の北海道ツーリングの時、オユタの部屋に泊めてもらったことがあるウメとヒロも暖かく迎えてくれた。残念ながらご主人の方は病気で手術をしたことにより、数年前から下宿は休業中なのだそうだ。(本当は廃業にしたいのに、大学側からの強い要望で休業扱いとしているとのことである。) 時刻は既に13時。先は長い。大家さん夫婦に別れを告げ、下宿を後にした。
 再びR45を南下し、道の駅「はしかみ」で昼食タイム。天気がよく、じっとしていると暖かなのだが、走り出すと寒い。北海道上陸以来、防寒対策は最大装備のままである。
 リアス式海岸を肌で感じながら走ろうと、久慈市で県道268号線(野田長内線)に入る。地図で見る限り、それほど遠回りではないと思われた。しかし、最初は海岸線が美しく見え、センターラインのある広い道だったのに、突然クルマのすれ違いも困難なほどの道幅になり、見通しの悪いタイトなコーナーがひたすら続く。やがて海も全く見えなくなってしまった。ここまで道が悪いとは予想しておらず、走っていても楽しくない。貴重な時間をロスしてたまるかと、飛ばしまくってR45に復帰。もしもカンちゃんが一緒だったら、肩が悲鳴を上げていたに違いない。
 野田村において給油後、普代村で県道44号線(岩泉平井賀普代線)に左折。黒崎、北山崎を目指す。どちらも全長200kmにも及ぶ断崖が屏風のように続く絶景を拝むことができるらしい。県道44号線は先ほどの県道268号線とは違い、終始センターラインのある広いワインディングで、快適だった。
 まず立ち寄った黒崎展望台では、高さ約200mの断崖が海に向かって垂直に落ち込み、久慈へと延びる海岸線が一望できる。展望台から少し離れた所には、灯台と北緯40度のシンボル塔、そして、戊辰戦争の際、反政府軍に属していた南部藩が、北上して来る官軍艦船を砲撃したとされる砲台跡がある。灯台脇からの眺めもすばらしかった。黒崎は地形的に展望台がこぢんまりとしている関係か、ひっそりとしており、観光客はまばらであった。
 次に移動した(黒崎の南約5kmにある)北山崎からは、南側に延々と続く断崖、巨岩や海蝕洞門がすばらしかった。絶景度は黒崎と甲乙つけがたく、セットで訪れることをおすすめする。北山崎は平坦な土地にあるので、観光地化されており、土産物屋も並び、広い駐車場は満車に近かった。駐車場と展望台の間にある公園に植えられた桜は、ほぼ満開。ここまで南下してようやく桜前線とまともに交わった。ゆっくりとしたいところだが、先を急がねば。16時20分に北山崎を出発。浄土ヶ浜を目指す。

北山崎
 時間がなくなってくると、ついつい巡航速度が上がっていく。もしも浄土ヶ浜が釜石へのルートのすぐ脇になかったら、宿へ直行していたであろうが、ここまでわざわざ来て、横目に見ながら通り過ぎるなんてできなかった。(実際には国道から見えないが…。)
 17時20分、浄土ヶ浜着。駐車場から浄土ヶ浜までは、仏ヶ浦のようにけっこうな高低差があり、遊歩道あるいは車道(4月から10月までの間は許可車両以外の一般車両の乗り入れはできない)を使って降りなくてはならない。まごまごしていたら暗くなってしまうので、車道を(足で)走って降りた。
 ラクダのコブのような石英粗面岩が沖に続く浄土ヶ浜は、その昔、宮古山常安寺の霊鏡竜湖(1727年没)が、「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名前が付いたと言われている。

浄土ヶ浜
 この絶景を目に焼き付け、先を急がねばと、バイクの停めてある駐車場まで戻ろうとしたら、干潮でできた海水のプールが彼らの目に留まった。足元には波によって砕けた岩が平たい石となって堆積している。気が付くと、3人は水切りに没頭していた。面白いように石が海面を跳ねていく。

水切りに没頭
 肩が痛くなるまで石を投げまくり、遊歩道(車道より近道だった)を歩いて駐車場に戻って来たのが18時15分。もはや明るいうちに宿に到着するのは無理。カンちゃんはもちろん、きっとヒデもチェックインは済ませていることだろう。ヒデの携帯電話に夕食は先に済ませてくれて構わないと連絡を入れ、釜石市に向けて出発。(宿は夕食の提供なし。)
 ここまで間食も取らずにいたものだから、もう腹がペコペコ。しかし、まだ釜石市までは50km以上あるので、宮古市のコンビニの駐車場に入った。その直後、3人のすぐ後ろを走っていたクルマがパトカーに捕まり、コンビニ脇の道路に停止させられた。違反内容は不明だが、切符を切られているようだ。スピード違反?さもあらん。交通の流れは80km/hを軽く超えていたから。明日は我が身かもしれないのに、「かわいそ〜に。」とパンをかじりながらニヤニヤと眺めていた。
 その後は更に巡航速度を上げ、19時30分に宿に到着した。カンちゃんとヒデは夕食を食べずに待っていてくれた。
 本日の走行距離:317km
(ヒデ)
 今回のツーリングにおいて、ヒデは四つの目的を持っていた。「47都道府県制覇達成」「うに丼ゲット」「弘前城の桜」「本州最東端制覇」である。既に二つは達成した。残りは本日成し遂げる予定だ。
 本日の行程は青森朝市→弘前城址公園→盛岡→宮古(浄土ヶ浜、トドヶ崎)→釜石とハードな行程。本ツーリング第三の目的である弘前城址公園の桜を満喫するのに、より多くの時間を割くべく5時出発。
 まずは最初の目的地、青森駅脇の朝市へ。4年前も訪れた「青森生鮮食品センター」と「青森魚菜センター」へ行ってみたが、ほとんどの店が閉店状態。前回も今日と同じ祝日だったのに、わずか4年でここまで衰退しているとは…。気を落としてバイクに戻り、何気に反対方向のビルを見ると、早朝にもかかわらず、地下に多くの人が出入りしている…。これは何やら怪しい集会か?と好奇心に釣られて行ってみると、入口に目立たない小さな看板で「Festival City アウガ」とあった。ビルの地下には4年前に見た市場と同じような活気のある光景が!後で調べて分かったのだが、AUGAの大半の店の営業時間は5時からで、それに対して青森生鮮食品センターと青森魚菜センターは6時30分からだった。そう、時間が早過ぎたのだ。1時間ほど買い物を堪能し、次の弘前城址公園へ移動。
 弘前城までは約40kmの行程だ。先のことを考え、高速を使おうか迷ったが、とりあえずR7で行くことにした。さすがは1桁国道で、しかも早朝であった為、ハイペースで走ることができた。ところが、その流れをせき止める遅いクルマが!いつもなら構わず抜いてしまうヒデであったが、このクルマは抜くことができなかった。パトカーに追いついてしまったのだ…。約20分後、いいかげんヒデがしびれを切らした頃、そのパトカーは突然何もない場所でパトライトを回し、Uターンを始めた。Uターンするには充分過ぎるほど広い道なのに、なんと2回も切り返し。田舎警察恐るるに足りず!ともあれ先導車がいなくなったので、そこからはペースアップして弘前へ。
 市街地に入る手前で、2kmにも及ぼうかというほどの見事な桜並木が満開でヒデを迎えてくれた。
 7時前に弘前城址公園に到着。しかし、既に結構人が…。前回は八重桜のみが満開で、他は葉桜であったが、今回はソメイヨシノが丁度満開になり始めたところ。絶妙のタイミングに訪問してしまった。「(ヒデ)素晴らしい!」ここはツーリングにおけるひとつの通過点であることが悔やまれる。ここに滞在し、全ての桜の咲き移りを堪能したい気分になるヒデであった。1時間半位観賞した後、後ろ髪を引かれる思いで次の目的地(浄土ヶ浜)へ向けて出発した。

弘前城址公園
 大鰐弘前ICから東北自動車道に入った。1人なので無理せず、100km/hキープで…と思った途端、追い越し車線をもの凄い勢いで2台のクルマが通過していった。国産高級車を後ろのアウディTTクーペが煽っているようだ。野生の本能にスイッチが入ったヒデは、アクセルを開けて追い越し車線に移り、あっという間に追い付いた。しばらく様子を伺う。巡航速度は180km/h。つまり、先頭のクルマはリミッタ―によってこれ以上スピードが出ないわけだ。そのうち、諦めてその国産車は車線を譲った。TTクーペはここぞとばかりに加速してぶち抜いていく。ヒデは「煽られる者の気持ちにもなってみろ!」と、どこでこのドライバーが音を上げるか、そのまま後ろに張り付くことにした。
 こいつはどうやらTTクワトロスポーツ(240ps/32.6kg-m)のようだ。0〜100km/h加速:5.9秒で、最高速:約250km/h。スペック上は加速、最高速ともにヒデのファイヤーブレード(0〜100km/h加速:2秒台、最高速:約280km/h)の敵ではない。そもそも、そこそこの交通量である高速道路で最高速領域にクルマが届くことは難しい。それほど長い区間オールクリアにならないし、遅い(?)車輌に追い付く度、加減速を繰り返すことになるのだ。とにかく、ヒデが負ける要素はゼロである。それでも、さすがはアウトバーンのお国のクルマ、そこそこよい加速で、230km/hまでは出ていた。盛岡南ICまで所要時間40分弱。もっと続けてやってもよかったが、ここで降りないことには宮古に行けないので仕方なく勘弁してやることに。
 実は、これだけ煽られてもTTがどかないのは、こちらに気付いていないのか、バイクはなめられているのか、真剣に逃げ切ろうとしていたのか不明ながら、もしどいたらどいたで、譲ってもらった限りは、相手以上のスピードで走るのが礼儀というもの。250km/hオーバーを何十分も続けては体が持たなかったなぁ…と内心これでよかったと胸を撫で下ろすヒデであった。
 盛岡から宮古までのR106は山の中の川沿いに造られた道で、路面状態も良好な上に信号も少なく、高速コーナーありという、地元R19(安曇野⇔長野)のような道だった。これが約90kmも続くのだが、適度に追い越し可なので、自分のペースで走ることができ、実に楽しい道だった。それはそれでよかったものの、お昼時だというのにメシを食べるところがない…。やっと見つけた蕎麦屋も丁度昼時で満員。みんな考えることは同じかと思いながら、隣にあったコンビニで弁当を買い、天気もいいことだし、近くのベンチで休息とした。よく考えたら朝食も食べず、休憩もなく走るか歩くかしていた。おかげで気付くと小1時間ぼ〜っとしていた。充電完了!
 宮古に近付くにつれて交通量が多くなり、渋滞が始まったが、そこはバイクの利点、すり抜けを駆使。浄土ヶ浜でも駐車場待ちするクルマ達を横目に、すんなり駐輪。しかし駐車場から浜までは結構な距離があり、写真が撮れればいいやと思っていたのに、ここでの滞在時間約40分、その多くが歩いた時間であった…。
 そして本州最東端制覇を成すべく、重茂(おもえ)半島にあるトドヶ崎へ。(“トド”は魚偏に毛と書いて一文字なのだが、WindowsではUnicode形式の文字であり、ワープロソフトで表示はできても、HTMLドキュメントとして保存することができないようだ。)
 R45を南下し、津軽石から県道41号線に入る。途端に心細くなった道が、更にそこから分岐していき、大丈夫かと不安になりつつ、姉吉漁港へ到着。ここから先トドヶ崎灯台までの約4kmは、幅50cmほどの山道となる。ちょっとしたトレッキングコースで、当然車両は完全通行止めということになっていたが、止めなくても入れやしないって。
 ブーツからシューズに履き替え、いざトドヶ崎へ出発!リアス式海岸なので、海の際にもかかわらず、道は雑木林の中。しかも海面からかなり高い位置にあり、波の音すら聞こえない。なんとも不思議な気分だった。灯台に辿り着く最後の最後まで海は見えなかった…。灯台の脇にある本州最東端の碑で証拠写真を撮り、すかさず引き返す。もっとゆっくりしたかったが、もう16時過ぎだ。そろそろ出発せねば、暗くなる前に宿に着けなくなってしまう。徒歩往復8kmで、所要約1時間半。現地滞在時間15分…。バイクに辿り着いた時にはさすがにバテバテであった。

本州最東端の碑

疲れ果てた…
 これを読んでもなお挑戦しようとする勇者達へヒデからアドバイス!

一、 そこは灯台と本州最東端の碑以外は何もない。苦労が報われるほどの絶景でもない。ただ到達意欲のある人のみ受入れられる聖地だ!
一、 駐車場からの道中、目的地、最寄りの駐車場の姉吉漁港どころか県道41号線に入ると販売機がない!必ず事前に飲料を確保すべし。
一、 道中は照明が一切ないので、日没まで2時間を切ったら諦めるべし。
一、 8km歩けないような子供と行ってはならない。共倒れすること間違いなし!


 そして県道41号線を南下し、再びR45に出る。そこからは快適な道が続き、本日の宿、釜石市の「ホテルマルエ」には18時20分に到着。
 ホテルに到着した時、カンちゃんは既にひと風呂浴びていた。ウメ達も遅くなりそうなので、先に風呂に入ることに。嬉しいことにこのホテルには大浴場があり、今日の疲れを充分に癒すことができた。
 本日の走行距離:390km、歩行距離:15km以上、所要時間:13時間20分。(こんなに歩いたツーリングは過去記憶がない…。)
 全員揃ったところで釜石市街に繰り出した。まずは釜石駅前に行くものの、周りに飲み屋は愚か、営業中の食事処もなし。繁華街もひっそりとしており、人影はほとんどない。けっこう歩いてようやく飲み屋街を発見。とはいっても、全国チェーンの居酒屋以外は、店の前に若いね〜ちゃんが立っている。まあ、そっち系でもいいような気はするが、まともな食事はできそうもないので、前者の居酒屋で夕食とした。

釜石市の夜桜
宿データ 宿名 ホテルマルエ
場所 岩手県釜石市大渡町3-10-4
感想 釜石駅の近くにある。入口に「別館」と書かれているが、本館はない…。施設は古いものの、特に不満もなかった。
1泊朝食付き:洋室4,725円、和室5,250円
5月5日(金) 天気:晴れ
 カンちゃんは昨日宿に直行して休養を取ったのが効いたか、肩の痛みは相変わらずなものの、あと2日はなんとか気合で乗り切れそうだ。
 釜石といえば、鉄で有名だ。1857年12月1日、近代製鉄の父と言われる大島高任が西洋式の炉を造り、日本で初めて鉱石製錬に成功した地である。「鉄の歴史館」を見てから出発したいところだが、開館は9時。今日は福島県の土湯温泉に宿を取ってあり、そこでマコちゃんと合流予定だ。夕食提供なしのビジネスホテルなら何時に着いても構わないであろう。しかし、今日はそこそこの旅館で、福島牛の特別食を予約してある。温泉にもゆっくり浸かりたいので、少なくとも18時までには着かなくてはならない。よって、鉄の歴史館は諦め、8時に出発。R45を南下する。寒さは相変わらずだ。
 大船渡市では、自動車専用道路のバイパス(大船渡三陸道路)が山間部を貫き、まるで高速道路のように快適に続く。短時間に距離が稼げてよかった。
 9時30分、気仙沼着。気仙沼といえば鮫。港に面した海鮮市場「海の市」内の食堂で、まだ昼食には早いが、フカヒレラーメン(1,600円)を喰らった。本当はガイドブックにも載っている有名なラーメン屋に行きたかったのだが、まだ開店していなかった。ところがどっこい、麺もスープも、そしてフカヒレも実にうまかった。グルメなヒデも納得の味である。

気仙沼ラーメン
 走っていて暖かいと感じるようになったのは宮城県に入ってからだ。志津川町でR398に入り、神割崎に寄った。境界争いをしていた人々に対し、神が岬を割ってその仲裁をしたとの伝説が残っている。なるほど、みごとに二つに割れた岩の間からは、沖から波が打ち寄せ、勢いよく通り抜けてくる。干潮だったので、間近で眺めていたが、なかなか迫力がある。満潮で波が高い時は危険らしい。ちょうど潮騒祭りが開催されており、付近は多くの観光客でにぎわっていた。神割崎出発時刻は13時15分。今のところ順調だ。

神割崎
 北上町に入ると、R398は北上川に沿ってひたすら直線となった。見通しがよく、追い越しも可だ。おまけに交通量も少ないときた。これはもうアクセルを開けるっきゃない。巡航速度は3ケタに達し、あまりにも調子よく走っていたせいで、そのままR398を進むつもりが、左折するポイントを通り越してしまい、いつの間にやら県道197号線(北上河北線)になっていた。今更引き返せないほど進み過ぎていたので、R45に出て南下した。次の目的地である松島まで、時間的にはこちらの方が早い。ひたすら海沿いに走ろうとしていたのが当初のプランなのだ。
 松島が近付くに従って交通量は増え、やがて今回のツーリングで初めての大渋滞となった。すかさずすり抜けモードに移行。路肩が狭くて難儀したものの、15時に松島五大堂前着。宮島、天橋立と並んで日本三景のひとつと言われる松島のシンボルである五大堂は、五大明王像を安置したことからそう呼ばれている。さすがにメジャーな観光地だけのことはあり、観光客でごった返し、狭い五大堂の敷地内では、落ち着いて記念撮影もできなかった。沖ではジェットスキーがうるさく走り回り、とても風景を楽しむ雰囲気でもない。東北を南下するに従って、観光客の数が増えていくのが実感できる。

松島五大堂前
 後は宿に向かうだけだ。15時30分に松島を出発。松島海岸ICから三陸自動車道に乗り、東北自動車道にアクセスする予定だ。その前に給油しなくては。ところが、インターチェンジまでガソリンスタンドがなく、乗ってしまってからでは、サービスエリアまでとても燃料がもたない。仕方がないので、三陸自動車道に沿って走る県道8号線(仙台松島線)を利府中ICまで進み、ようやくガソリンスタンドを発見。ここまでは交通量が多く、だいぶ時間をロスしてしまった。
 利府中ICから三陸自動車道に乗り、仙台南部道路を経由して東北自動車道に入った。菅生PAで休憩中、17時にマコちゃんの携帯に電話してみると、ちょうど宿に着いたところだった。
 マコちゃんは5月4日に出発。長野自動車道→上信越自動車道→北陸自動車道→関越自動車道と走り、堀之内ICから会津若松に向かうべく、R252を進んだ。ところが、15kmほど東へ進んだところで、その先の六十里越峠が冬期通行止めとなっていて、しかも迂回路なし。仕方なく、再び堀之内ICに戻って北上、北陸自動車道→磐越自動車道で会津若松まで走った(走行距離550km)。翌日、つまり今日は、午前中に会津若松市内観光(鶴ヶ城、白虎隊史跡など)をして、R121で喜多方へ移動。喜多方ラーメンを食べ、SL磐越物語号を撮影した後、R459→桧原湖→磐梯吾妻レークライン→R115→土湯温泉というルートだった。
 5人が福島西ICで高速を降り、R115を11kmほど走って土湯温泉に着いたのは18時。時間的マージンは全くなし。しかし、今日の行程を考えると上出来だろう。マコちゃんの出迎えを受け、なんとか夕食前に温泉に浸かることができた。

マコちゃんと再会
 本日の走行距離:336km
宿データ 宿名 ニュー扇屋
場所 福島県福島市土湯温泉町字下の町18
感想 1990年8月7日、北海道ツーリングの初日にウメ、マコちゃん、ヒロが泊まったことのある旅館である。印象がよかったので再び予約した。大幅に改装され、さすがに宿泊料も大幅に値上がりしていたものの、サービスは相変わらず行き届いており、温泉風呂が7つもある。食事(福島牛コース)もおいしかった。
1泊朝食付き:15,000円(酒代を除く)
5月6日(土) 天気:晴れ
 早朝、カンちゃん、マコちゃん、ヒデの“早起き3人組”は土湯温泉足湯めぐりを楽しんだ。先日までの寒さとは打って変わって、すがすがしい。(他の3人は朝食前まで寝ていた。)
 10時出発。今日は自宅に帰るだけだ。R115で猪苗代湖方面に向かう。土湯峠からは磐梯山がよく見えた。この峠もまだ雪がたっぷりある。

土湯峠にて
 猪苗代磐梯高原ICから磐越自動車道に入った。ここからは北陸自動車道→上信越自動車道→長野自動車道をひたすら走る。
 北陸自動車道黒崎PAのモスバーガーで昼食にし、あとは各自のペースで帰ることにした。実質的にここで解散である。こうして16時30分には全員無事、帰還した。

黒崎PA
 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICまで421km/長野自動車道塩尻北ICまで436km

 4年前の東北ツーリングが暖かだったので楽観的だったのだが、岩手県までは寒さに震えながら走った。北海道では、もはや修行に近かった。防寒対策の為に荷物も増える。二度とゴールデンウィークに北海道はもちろん、東北にも行かないぞと誓ったGTEC達であった。

 5月13日の朝日新聞より抜粋「北海道函館市の桜の名所・五稜郭公園で12日、1600本余りのソメイヨシノが満開を迎えた。南に立つ五稜郭タワーでは、観光客らが地上90メートルの展望台から、星型の西洋城郭を淡いピンクに彩った桜を楽しんでいる。」無念…。

 後日、カンちゃんの肩の痛みは、腕に繋がる神経が圧迫されることによって起こる変形性系頚椎症によるものだと判明。通院の日々が続いた。なんでも、40歳過ぎに多い病気らしい。「(カンちゃん)オレも歳だなぁ…。」

レポート by ウメ


グレートツーリング外伝 '06 in 岐阜 & 富山
メンバー(マシン) ウメ(GSX1300R)、オユタ(バンディット250)、ヒデ(CBR900RR)、ヒロ(GPZ900R)
 今年のラストツーリングはどこにしようかと皆が悩んでいる頃、マコちゃんは何気に開いたJAF Mate(JAFの情報誌)10月号を読んで、「これだぁ〜!」と叫んだ。紅葉を楽しみながら走る道路の特集の中に、「飛騨せせらぎ街道」というのが載っていたのだ。高山近くから南下するその道をそのまま進めば、郡上八幡に出る。郡上八幡はGTECメンバーが未制覇の街だ。そこから北上して白川郷や五箇山を経由し、日本海側から帰って来るというのはどうだろう?我ながらナイスアイディアじゃあないか。
 さっそくインターネット上の掲示板で提案すると、地区の役員で忙しく、ツーリングどころではないカンちゃんを除いた他のGTEC野郎4人は賛同した。
 しかし、運命とは時に残酷なものだ。ツーリング直前になってマコちゃんの子供が病気で入院してしまい、提案者本人が行けなくなってしまったのであった…。(病気は全快したのでよかったが。)
10月14日(土) 天気:晴れ
 7時、松本市新村のR158沿いにあるローソンに集合。さすがにこの時期のこの時間なので肌寒いものの、天気は申し分なし。明日の予報も晴れだ。
 7時20分出発。R158を西に進む。隊列はウメ、ヒデ、オユタ、ヒロの順。上高地や乗鞍高原の紅葉は始まっており、朝早いとはいえ、観光客のクルマでけっこう道が混んでいた。それも沢渡の駐車場までで、そこからは快適に飛ばすことができた。安房トンネルを抜けてトイレ休憩。ここまで約45分。順調だ。
 引き続きR158を走る。9時、本日のメインイベントである飛騨せせらぎ街道を目前にして、高山市内のコンビニで休憩した時には適度に気温が上昇しており、ツーリングに絶好のコンディションとなった。
 高山市から清見村に入った所でR158を左折し、いよいよ飛騨せせらぎ街道(県道73号線+R472)に進入。地図上ではえらく細いように見えたのだが、センターラインのある整備された道であった。信号もほとんどなく、アップダウンの少ないほどよいワインディングで、適度に追い越し車線がある為、実に快適に走ることができた。これでもう少し紅葉が進んでいれば申し分ない。道の駅「パスカル清見」までの約35kmを30分掛からずに走破。(ここまでは、今回のメンバーの中で、ヒデだけ走った経験あり。)
 道の駅で休憩後、飛騨美濃道路(有料)を走って程なく郡上八幡に到着。まずは郡上八幡城を見る。
 11時頃、山内一豊と妻の像がある本丸御殿跡近くの駐車場にバイクを停め、古道を登って城に向かう。天守閣は小高い山の上にあり、本丸御殿跡はその中腹に位置する。マイカーですぐ城の脇まで行くことはできるのだが、江戸時代からある古道を使って登り、当時の雰囲気を味わおうというのだ。がしかし、残念ながらその古道は自動車用道路によって至る所で寸断され、わずか数ヵ所で当時の石段を見ることができるに留まっていた。

山内一豊と妻の像
 郡上八幡城は、戦国時代末期の1559年、遠藤盛数が砦を築いたのがはじまりとされる。その後、廃藩置県で廃城となり、石垣を残して取り壊されたが、昭和8年(1933年)に再建された。天守閣は木造で、木造再建城としては日本で最も古い城なのだ。
 郡上八幡城には天守閣最上階で必見のものがふたつある。ひとつ目は南側の窓から見下ろす郡上八幡の街並みが魚の形に見えることだ。なるほど吉田川と山に囲まれた家々が魚の形に見えるではないか!?城自体山の上にあるので、最上階からは360度の大パノラマが広がる。

魚の形に見える?
 ふたつ目は「日本一」だ。何が日本一かというと、1856年に江戸下屋敷にある槙の木が倒れ、その中から「日本一」の文字が現れたそうな。それを見た八幡藩主の青山幸哉が吉兆の知らせということで、八幡城のふもとにある積翠神社に祭ったものを展示しているのだ。「(ウメ)すばらしい!これぞまさに自然の織り成す奇跡。感動した!」「(ヒロ)い、いや…、これってどう見ても人が手で彫ったんじゃないかと思われ…。」

日本一!
 バイクを引き続き駐輪したまま、京都に似た古い家並みを見ながら宗祇水まで歩いた。宗祇水は名水百選に選ばれた湧き水場で、吉田川等周辺も含めて水環境が整備されていてきれいだった。

宗祇水
 時刻は12時30分。昼食タイムだが、見渡す限り、まっとうな食事処は1件の蕎麦屋のみ。しかし混んでいて、行列ができていた。時間がもったいないから並んでまでは食べたくないねぇ…、と立ち止まったのが、「本当に営業しているのか?」と敬遠しそうなくらい古びれてこじんまりとした飲食店の前。とにかく食べれればいいやと、薄暗い店内に入った。
 その店は80才代と思われる老夫婦が営んでいた。各自違うメニューを頼むのも悪いと思い、全員ラーメンを注文した(500円)。オーソドックスなしょうゆラーメンで、果たしてお味は、まあ無難だった。
 その後、宗祇水近くの売店でお土産に肉桂玉(飴)を買い、焼きたて煎餅をかじりながら歩いて、郡上八幡博覧館に行った。ここは「水」「歴史」「わざ」「踊り実演(郡上踊り)」のコーナーに分かれ、郡上八幡の魅力を知るのにうってつけの施設である。建物は大正時代の旧税務署を利用していて、なかなか趣がある。
 入館するなり、ショーウィンドーに食品サンプルが並んでいた。「なんだ、この中にレストランがあったのか〜!ここで食べればよかった。」とよく見ると、食品サンプルを“展示”しているのであった。もともと食品サンプルのアイディアはこの町で生まれ、今では全国生産の7割を誇っているそうだ。「こりゃまたよくできたサンプルだなぁ…。爬虫類も作ってるのか。」とリアルなヤモリに触れると…、動いた!本物だぁ!
 館内は「水とおどりの城下町」のキャッチフレーズ通り、テーマ別に分かり易く展示されていた。

いい仕事してるねぇ…
 最後に見た郡上踊りの実演は、「こんなもん、1回踊っただけでヘトヘトになるのでは?」というくらいテンポが途中で激しく変わるその動きに圧倒された。
 14時30分に郡上八幡を出発。給油後、郡上八幡ICから東海北陸自動車道を北上する。ほとんどが対面通行のこの高速道路は、遅いクルマがいると数珠繋ぎになってしまうので、たまにあるゆずり車線区間で250km/hくらいまで加速し、一気に前に出る…ことができるのは、ウメとヒデのみ。250ccで、しかもネイキッドのオユタと、900ccとはいえ、リミッター付き国内仕様のヒロは、持てるポテンシャルの範囲内でがんばるしかなかった。
 荘川ICで高速を降り、R156を北上する。時間があれば白川郷に寄ろうと思っていたのだが、本日の宿がある富山県南砺市までの行程を考慮すると、見ることができるのはせいぜいあと1ヶ所だ。白川郷は全員かつて訪れたことがあるので素通りし、五箇山のどこかに絞ることとした。そして、少しでも宿に近い場所を、ということで、相倉の合掌造り集落に決定。(ウメとヒデは2回目で、他のメンバーは始めてだ。)
 R156は交通量が少なく順調に流れ、16時15分に相倉着。
 五箇山相倉集落の歴史は約450年前に始まったとされ、“倉(クラ)”は岩壁を意味するらしい。その名が示すように、集落が広がる細長い土地は、急傾斜地に囲まれている。現在約三十戸が集落を形成し、約80名が実際に生活をしている。合掌造りの家屋の多くは江戸時代末期から明治時代に建てられたものということだが、最も古いものは17世紀頃らしい。集落は1995年に世界遺産に登録された。
 世界遺産記念碑の前で記念撮影後、一行は集落が一望できる場所に徒歩で移動した。ガイドブックに紹介されている写真と同じアングルで撮影したかったのだ。畑の点在する細い道を歩くこと約5分で、撮影ポイントに到着した。確かに絵になる風景なのだが、奥に陣取る大きな近代的建築物が景観を損ねていた…。その建築物とは「五箇山青少年ふるさとセンター」。なんでも、年金福祉事業団の融資施設らしい。年金の無駄使いの予感が…。

五箇山集落
 時間も遅かったので、集落には足を踏み入れず、駐車場に併設された売店で栃の実まんじゅうを喰らい、17時に相倉を後にした。
 相倉からR304を北上し、17時15分に本日の宿、万水閣に到着。
 本日の走行距離:283km(新村のローソンから)
宿データ 宿名 万水閣
場所 富山県南砺市城端町立野原東1525
感想 五箇山の国民宿舎が満室だった為、インターネットで探して決定した宿。万水閣のホームページに紹介されている施設の写真を見る限り、そこそこの旅館と思っていたのだが、いざ訪れてみると、先頭のウメは場所を間違えたと思って引き返そうとした程、外観は老朽化が進んでいる。それは館内も同様であった。後でホームページの写真をよくよく見直してみると、ごまかしに昔の写真を掲載しているようではなかった。写真の撮り方がうまいことと、画像サイズが小さくてよく分からなかったということか。こいつはハズレの旅館に泊まってしまったぞと皆でがっかりしていたところ、夕食時にその気分は一転した。料理がどれもうまいのだ!アットホームなサービスと料理のうまさで、結果的には、まあ価格相応といった宿である。窓からは桜ヶ池が間近に見え、桜や紅葉シーズンはお奨めだ。
1泊2食付き:9,450円(税込み・ビール代含まず・食事:縄ケ池水芭蕉コース)
10月15日(日) 天気:晴れ
 事前に決めていなかった2日目のコースを、昨日の夕食後に皆で練った。ここからなら能登半島南部も射程圏内となるが、ヒロはできれば16時までには帰宅したいということなので、色々と欲張らずに、富山で昼食に寿司を食べ、糸魚川からR148で南下して帰還することになった。その為、朝はゆっくりできる。
 朝食後、宿から歩いて桜ヶ池周辺を散策した。桜ヶ池は灌漑用水ダムでできた人造の池だ。周辺は公園として整備されている。ウメは取り付かれたように水切りをして遊んでいた。

水切りに没頭
 10時出発。給油後、福光ICから東海北陸自動車道に乗り、小矢部戸砺波ジャンクションで北陸自動車道に入って、富山ICを目指す。このペースでは寿司屋の開店時間前に着いてしまうので、呉羽PAで休憩し、時間調整した。
 寿司といっても回転寿司屋だ。北陸の回転寿司屋はあなどれない。GTECメンバーはかつて北陸の「祭ばやし」や「きときと寿し」で寿司を食して以来、地元(長野県松本エリア)の寿司屋には行けなくなってしまった程だ。
 PAでは他にもツーリングバイクがたくさん停まっていた。がしかし、ライダーは皆同世代か、むしろ上っぽい。90年代初頭、若かりし頃のGTEC達がツーリングに行くと、行く先々で出会うライダーはやはり(当時の彼らと)同世代だった。つまり、そのままシフトしているにも関わらず、後継者が少ないということになるのだ。日本のツーリングスタイルは明らかに変化しつつある。それは、決して明るいものではないように感じる…。
 11時15分、富山IC近くのR41沿いにある「きときと寿し」に到着。他にもうまい寿司屋は色々とあるだろうが、今回は冒険するのはやめて、実績のある店とした。開店直後で店内はすいていた。今朝の宿での食事はボリュームがあり、「朝っぱらからこんなに食えるか〜っ!」と言いつつ、全員全部平らげた。おいしかったのだ!ご飯のおかわりまでしてしまった。それから3時間ちょっとしか経過していないのに、寿司が腹に入らないのではないかと危惧していたのだが、それは余計な心配だったようだ。各自思う存分自分の好きなネタを食すことができた。12時5分に出発。その頃には満席になっていた。

きときと寿し
 さてお次は…、ただ帰るのみ。再び富山ICまで戻って、北陸自動車道を糸魚川ICまで走り、R148を南下する。
 白馬までのR148は信号がほとんどない。しかし交通量が多く、遅いクルマの後にはズラッと長い車列ができていた。せっかく飛ばせる道なのに、カーブの度に自転車並の速度までスピードが落ちるのだ。このようなクルマの流れに身を任せるのは、実にストレスが溜まる。前のクルマが整備不良のディーゼル車だったりすると、まともに黒鉛を吸い込むことになり、健康を損ねる恐れもある。よって、延々と抜かしまくって先に進む!
 青木湖からR148の旧道に入り、鹿島槍スキー場で休憩。ここはスキーシーズン以外は牧場になっている。紅葉が進んでいて、実に秋らしい風景だった。あと2ヶ月もすれば、ここも雪のゲレンデと化すであろう。実質的にここで解散。

鹿島槍スキー場
 後は山麓線を走って、安曇野市に自宅があるウメ、ヒデがまず別れ、更に20km以上南の松本市在住のオユタとヒロも、16時頃には帰宅した。
 本日の走行距離:243km(ウメ宅まで)

 「(ウメ)今回のツーリングのハイライトは、何と言っても郡上八幡城の“日本一”。自然の力ってすごいよな!」「(ヒデ)生きててよかった〜っ…て感じたぜ。」「(オユタ)そんなにすごかったのか〜。展示されていたの気付かなかった…。見たかったな〜!」「(ヒロ)だから〜…、あれは絶対人の造りし物だってぇ。」

レポート by ウメ


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