2017年のツーリング

グレートツーリング '17 in 佐渡

メンバー(マシン) ウメ(K1300S)、カッキー(ZX-10R)、ヒロ(GPZ900R)、ヨージ(ZX-6R)、スペシャルゲスト(3名):コダジー(CB1300SB)、サト(STREET TRIPLE R)、ヘメ(250TR)
 「グレートツーリング '12 in 佐渡」では毎日雨に降られ、せっかく楽しみにしていた佐渡の魅力が半減してしまった。そこで、今年のゴールデンウィークは佐渡リベンジツーリングを実施することになった。
 およそ半世紀を生きているGTEC結成当初からの最古参メンバー(オリジナルメンバー)達は、そりゃ〜長く生きていると、家庭の事情とか仕事の関係やら色々とあって、ここ数年ツーリングへの参加率が低下しまくっている。昨年のゴールデンウィークなんて、オリジナルメンバーからの参加はウメだけだった。子供が手離れするか、定年退職して自由な時間が持てれば状況は変わってくるのかもしれないが…。
 その代わり、カッキーやヨージといった若い世代のメンバーは、今が旬と言わんばかりにツーリングを、何よりバイクを楽しんでいるので心強い。
 そしてバイクという共通の趣味は、人脈を広げる手助けにもなる。今回スペシャルゲストとして、関東から「コダジー」「サト」「ヘメ」の3名を迎えた結果、5年前の佐渡ツーリングと同じ人数(7名)となった。実はヒロ以外同じ会社の社員だったりするが、バイクというキーワードがなければ、単なる仕事上の付き合いしかなかったかもしれない。
5月3日(水) 天気:晴れ
 7時30分、長野自動車道筑北PAにヒロ(長野県松本市)と、見送りに来てくれたトモアッキィ(長野県安曇野市)が集合していた。気温は12℃で肌寒い。
 5分遅れてウメ(長野県安曇野市)参上。ずいぶん前に注文していたのに、ツーリング直前になってようやく納品されたデイタイムランプ機能付きのLEDウィンカーを、出発直前までK1300Sに組み込んでいた為の遅れだった。

道筑北PA
 記念撮影をしてから出発。長野自動車道→上信越自動車道を北上する。トモアッキィは上越JCTまで一緒に走り、糸魚川経由でR148を南下して帰る予定である。
 上信越自動車道の妙高SAで休憩。今のところ順調だ。ところが、何気にこの先の道路交通情報を見ると、なんと中郷ICと上越高田ICの間が事故で通行止めになっているではないか!? 中郷ICつったら、この次だ。つまり、一旦降りて迂回せねばならない。トイレだけ済ませて慌てて出発。
 幸い、中郷ICからはR18の上新バイパスが並行している。強制的に高速道路から締め出されたクルマで所々渋滞はしていたものの、路肩がとても広かったので、すり抜けを駆使して上越高田ICまでスムーズに走ることができた。
 トモアッキィは高速に乗らずにそのままR18を北上して、R8に左折後、道の駅能生で休憩。後は当初の予定通りのコースで帰宅した。
 ウメとヒロは上越JCTから北陸自動車道を新潟方面へと走り、関越自動車道と合流後は交通量が増えたものの、特に渋滞もなく、10時10分に栄PAに到着した。関東方面から参加する他のメンバーとは、ここで10時30分に集合する予定だ。カッキー(千葉県八千代市)、コダジー(東京都多摩市)、サト(東京都多摩市)、ヘメ(千葉県船橋市)は既に着いていた。
 そして集合時間ちょうどにニューマシンZX-6Rを駆ってヨージ(東京都江戸川区)参上!「(カッキー)へぇ〜。ZX-10Rとパッと見、違いが分からないねぇ。」「(ヨージ)GTEC峠最速の伝説が今ここに始まるっス。」「(カッキー)ああ、テールランプ周りは結構違うか。でも正面から見たら、ウィンカーの位置くらいしか差がないねぇ。」「(ヨージ)ちんたら前走ってたらぶち抜くっスよ。」「(カッキー)人の話を聞いてない!?」

ヨージのZX-6R
 ヒロはコダジー、サト、ヘメと初対面なので、挨拶の後出発。ここからの隊列は基本的にウメ、カッキー、ヨージ、ヒロ、サト、コダジー、ヘメの順である。気温は22℃まで上昇していた。
 栄PAから高速道路本線に入ると、いきなり渋滞している!? 車線の間を延々とすり抜けして走ったら、渋滞の原因は事故による車線規制だった。クルマだったらえらい時間のロスになっていたことであろう。
 新潟西ICで高速を降り、R116を北上。途中で給油してから、信濃川沿いを走って新潟港フェリーターミナルに着いたのが11時40分。フェリーの出航予定時刻は12時35分だ。
 各自予め乗船券の予約とクレジットカードによる支払いを済ませており、その際に入手した明細を印刷して持参していた。そこに記載されているバーコードを「らくらくチェックイン」というシステムの機械で読み込ませるだけで乗船券が出てくるという、書類に記入して窓口に並ばなくても、文字通り超簡単に乗船手続きを済ませることができるシステムだった。
 11時50分、4輪より先にバイクの乗船が始まった。2等船室だったが、一般客も乗船前だったので、ガラガラの状態。好きな場所を確保することができた。(出航後は満席となった。)
 新潟港から佐渡の両津港までのフェリーは、佐渡汽船の「おけさ丸」(1993年建造、全長134.7m、5,862t、最大旅客定員1,705人)だった。佐渡汽船が運航するカーフェリー「おけさ丸」「ときわ丸」「あかね」には、今流行の萌え系イメージキャラクターが設定されている。それによると、三姉妹の長女「おけさ」は、見た目はおしとやかだが、姉妹の中では一番パワフル。佐渡おけさの腕前は“プロ級”で、お気に入りの白い浴衣で歌いながら踊っている…とある。実際のところ、建造から24年が経過しており、肌の衰えは隠せない…といったところか。何しろ一般的に大型船舶の寿命は30年程度と言われているので、人間だともはや老人(老婆?)なのだ。
 昼食は船内のレストランで済ませた。天気に恵まれ、穏やかな航海の末、15時5分に佐渡上陸!気温は17℃でやや涼しい。

佐渡島上陸!(両津港)
 フェリー埠頭で写真撮影を行った後、いよいよ佐渡でのライディングが始まった。まずは県道45号線を東に3km走り、県道319号線のワインディング路を南下。
 佐渡島(周囲262.7km)の形をカタカナの“エ”に見立てると、2本の横線は山地である。特に北側に険しい山々が連なっているのだが、それらを横切る道路はほぼワインディング路なのだ。(今日は南側の山地を走る。) 今回のメンバーは、マシンスペックはもちろんのこと、バイク歴も様々なので、各自のペースで楽しんだ。ゴールデンウィークとはいえ、町中以外の道路はどこも閑散としていて走り易い。本土からフェリーで入ってくるクルマの台数はたかが知れている。島内の車両が大幅に増えることはないのだ。そして多くのエリアが追い越し可能となっている。
 一旦海岸線に出て、再び県道45号線を11km南下後、県道181号線で内陸部へ。しばらく走って県道から外れると、小倉ダム近くの山の斜面に小さな田んぼ群が見えてきた。ここは最初の目的地、江戸時代に開墾された佐渡の代表的な棚田の小倉千枚田だ。観光地化されておらず、アクセス路はクルマのすれ違いが困難な道幅となっている為か、他に見学者はいなかった。山肌には所々に桜が咲いており、なかなかの風情である。とはいえ、棚田の雰囲気をカメラに収めるのは困難だ。傾斜がきつ過ぎて、上から見下ろしても手前の数枚しか写らないのである。アクセスや棚田としての見栄えが良いという点では、能登半島(輪島)の千枚田がお奨めだ。

小倉千枚田
 県道181号線に戻り、4km北上して次の、そして本日最後の目的地、長谷寺に16時30分着。長谷寺と書いて「ちょうこくじ」と読むのだが、奈良県の長谷寺(はせでら)を模して建立されたと言われている。
 仁王門に安置された金剛力士立像の制作年代はとても古く、平安時代と考えられている。見るからに劣化が著しいものの、当時のままだとすれば、下手に手を入れないほうが好ましい。仁王門から上にある観音堂まで、苔むした階段が延々と続く様はなかなか絵になる。観音堂の左手には長谷寺の目玉、多宝塔とも呼ばれる五智堂がある。塔の2層目部分が円形に造られており、このような例は全国的にも数少ない。技法も実に手が込んでいて見応えがあった。

長谷寺
 散策中にサトが言った。「(サト)あ、ウメさんのジャケットの背中にはGTECのロゴが刺繍してあるんですね〜。カッコいい〜な〜。“SINCE1990”って、結成が1990年なんですか〜?」「(ウメ)いわゆる“オリジナルメンバー”による初めての宿泊を伴ったロングツーリングを実施したのが1990年なんでね。いきなり約半月の北海道ツーリングだったんだよ。」「(サト)へぇ〜。ボク生まれていないです〜。」「(ウメ&ヒロ)な、なにぃ〜っ!?」サトは若干23才で、彼の母親ですら年下だと知って驚愕する最古参メンバーであった。(親子でツーリングしているようなものだ。) その他、奥の院等を見て17時に出発。
 約15分で本日の宿「民宿 桃華園」に着いた。割り当てられた部屋は、他の客室と隔離された別館の広間だった。チェックイン後、冷蔵庫も完備されていることを確認するなり、みんなでR350沿いのコンビニに出向いて、夜の宴会用に酒を大量購入。毎晩酒池肉林の宴が催されるのであった。

「(ヨージ)今日のところは軽く飲むっス。」
 本日の走行距離:長野自動車道安曇野ICから323km(ウメ)/421km(カッキー)/長野自動車道松本ICから330km(ヒロ)/417km(ヨージ)
宿データ 宿名 民宿 桃華園
場所 新潟県佐渡市金井新保乙1636-1
感想 アットホームな民宿。設備は古いながら不満はなし。スタッフ一同で何かと親身に接してくれ、屋根付駐車場にもバイクを停めてもらって助かった(特に最終日)。食事はボリューム満点。
1泊2食付き:8,800円(税込み)
5月4日(木) 天気:晴れ
 8時50分出発。気温は18℃。連泊故、必要な荷物だけを装備しての軽快なツーリングである。もちろん雨具は必要ない。雲ひとつない快晴なのだ
 まずはR350を両津方面に走る。当初の計画では、県道81号線でドンデン山を越えて、島の西側まで出る予定だった。およそ900mの山3つを合わせた高原一帯を「ドンデン山」と呼んでおり、正式名はタダラ峰という。ところが、山頂ゲートから西側は、6月まで積雪の為に通行止めということが昨日になって判明した。この時期の東北ツーリングでも、冬季通行止めというのはあまり聞かないだけに、特に下調べもしていなかったのだ。たかが900mの山と侮ってはいけなかった。ここは島なので、気候が本州と異なるのである。そこで、せめてワインディングだけでも楽しもうと、通行可能なドンデン山荘まで登って引き返すことにした。
 県道81号線に入ると、程なくワインディング路に。各自攻めモードでアクセルを開ける。ところが、それも束の間、“タイト過ぎる”コーナーの連続区間となった。この道は道幅が狭い上に、180度きっかり曲がるコーナー部分が網目の入ったコンクリートで、これがバイクにとってどうにも走り難い。特にホイールベースの長いウメのBMW K1300Sのようなバイクは、対向車を警戒してコンパクトにコーナリングしようとすると苦戦した。気付くといつの間にやらヨージがケツに喰らい付いているではないか!? 「(ウメ)なにぃ〜っ!? カッキーのZX-10Rをパスして来たというのか〜っ!?」「(ヨージ)この道最高っス!まさにZX-6Rの為のステージっス!もうクルクル回っちゃうっス!GTEC最速の伝説が…(以下略)。」

迫り来るヨージ!
 9時30分、各自熱い走りを堪能(?)してドンデン山荘の駐車場に到着。この辺りは高山植物や山野草の宝庫で、トレッキング客で賑わっていた。(おかげで駐車場が混みあっていて、バイクを停めるのに苦労した。) なるほど、山肌にはたっぷり雪が残っている。山荘からの眺めは素晴らしかった。真野湾から両津湾まで、美しい田園風景が広がる佐渡の“くびれ”を見渡すことができる。ただし、バランス的には5年前に寄った白雲台交流センターからの眺めの方が上かもしれない。ちなみに白雲台はこの後行く予定だ。

ドンデン山荘からの眺め
 来た道を引き返し、県道45号線に出ると、海沿いを北上。県道45号線は、島の海岸線をほぼ1周する、日本一長い県道なのである。その県道を自転車で走って佐渡島1周にチャレンジする人が多く、ソロやグループとたくさんすれ違ったり、追い抜いたりした。今回利用した宿にもサイクリングの団体さんが宿泊していた。体力次第ではあるが、1日あれば充分1周できるそうだ。
 10時45分、二ツ亀近くのホテル駐車場に着いた。ここから高低差のある遊歩道をしばらく歩くと、二匹の亀がうずくまっているような島の目の前に出た。海水の透明度が佐渡随一を誇る二ツ亀海水浴場は、「日本の快水浴場100選」にも選ばれているという。なるほど海がとてもきれいだ。

二ツ亀
 お次は二ツ亀から僅か2.5kmの大野亀ドライブイン駐車場に11時20分着。二ツ亀は島だったが、こちらは海に突き出している標高167mの巨大な一枚岩だ。頂上からは外海府を一望できるとガイドブックに書いてあったので楽しみにしていたら、残念ながら崩落の為に立ち入リ禁止となっていて、登頂できなかった。周辺はトビシマカンゾウの群生地で、6月には黄色い花が一面に広がるとのこと。散策していたらちょうどお昼時となった為、ここのドライブインで昼食とした。

大野亀
 充分休養してから8km南下し、12時50分に海府大橋(かいふおおはし)着。新潟県で最も高いこの橋からの眺めは抜群!橋の中央から下を見ると、吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥ること請け合いだ。自殺者が多いと言われているのも頷ける。

海府大橋
 引き続き県道45号線を南下する。気温は20℃でちょうどよく、信号がほとんどない快適路だ。海府大橋から26.5km走って、13時40分に波蝕甌穴郡(はしょくおうけつぐん)に到着。
 この辺りの海岸一帯は、海側から陸に倒れ掛かったかのような巨大な板状の岩で形成されており、その表面は波浪によって生じる岩盤浸蝕現象で、直径数センチから数メートルにも及ぶ無数の円形のくぼみ(=甌穴)がある。廃墟と化したドライブインの横が駐車場となっていて、控え目な看板を見逃したら通り過ぎてしまうであろう。実際、観光客はGTECの他に数人だけだった。しかし、岩場に下りると、マイナーな観光地にしておくのがもったいない位スケールが大きく、見応えがある。干潮によってできた自然のプールを覗くと、取り残されたウニやカニといった様々な海洋生物を観察することができた。

波蝕甌穴郡
 更に12km先の北沢浮遊選鉱場(きたざわふゆうせんこうば)跡に着いたのは14時30分。ここは「東洋一」の生産量を誇った佐渡金山の選鉱場施設の跡である。コンクリート部分だけ残っていて、稼働当時の姿とはまるで異なっている。「かつて砲台がズラリと並んでいた要塞の跡…」と言われると納得してしまいそうな外観だ。隣接するシックナーは、選鉱場と同時期の1940年(昭和15年)に完成した直径50mの巨大な泥鉱濃縮装置で、金銀を含んだ泥状の鉱石の水分を分離するのに使われた。1908年(明治41年)に建てられたレンガ造りの火力発電所も残っている。ユネスコの世界遺産登録申請の対象となっている史跡なので、さすがに観光客が多かった。

北沢浮遊選鉱場
 30分程見学した後、これらの施設を上側から見下ろすことができる場所にバイクで移動。単なる道路脇からの眺めではあるが、施設跡一帯を一望できた。シックナーが円状なのもよく分かった。

北沢浮遊選鉱場とシックナーを見下ろす
 お次は県道31号線で真野湾まで出てから県道45号線を時計回りに走り、七浦海岸の夫婦岩がよく見えるドライブインに15時40分到着。隆起海岸の複雑な地形の中で寄り添うようにそびえる二つの巨岩。向かって右側が夫の岩で、左側が妻の岩だと。そりゃ〜岩の形を見れば納得だ。野郎が7人集まれば、卑猥な話で盛り上がるのも無理なかろう。

夫婦岩
 そして本日最後を締めくくるべく、大佐渡スカイラインへ。県道45号線を北上し、県道31号線で相川城址公園の横を走ってトンネルを抜けるとすぐに右折。佐渡金山の前を通過したら、いよいよワインディングの始まりだ。序盤からタイトなコーナーの連続だが、ドンデン山の道と違ってこちらはセンターラインのある舗装路なので、安心して攻略することができる。標高が上がるに従って適度な高速コーナー区間となり、妙見山の近くにある白雲台交流センターまで、各自のペースで存分に楽しんだ。ここまで佐渡金山から約14km。先頭と最後尾では4分位の開きがあった。
 白雲台からの眺めはやや霞んでいたものの、真野湾と両津湾を左右に配し、佐渡島の南側を奥に見渡すそのバランスの良さは、ヤッパシ格別だ。佐渡に行ったらここには必ず訪れることをお奨めする。

白雲台からの眺め
 後は東側に8km下った宿に向かうだけ。いやいや、その前に酒の補充が必要だ。大佐渡スカイラインの続きである妙見山から東側のワインディングは、延々と網目模様の入ったコンクリート敷きなので、常にハンドルガタガタ。ちっとも楽しくはない。一旦宿の前を通り過ぎ、昨日と同じR350沿いのコンビニで酒を購入して引き返し、17時35分に宿着。
 とまあ、今日は「グレートツーリング '12 in 佐渡」で雨の中見た場所を再訪して回ったわけだが、今回は天候に恵まれたおかげで、もはや思い残すことなし!だった。
 本日の走行距離:173km
宿データ 宿名 民宿 桃華園
場所 新潟県佐渡市金井新保乙1636-1
感想 5月3日のデータを参照のこと。
5月5日(金) 天気:晴れ時々曇り
 今日はヒロとヘメが一足速く、両津港9時15時発のフェリーで本州に戻る。帰りのチケットは購入済みで、乗船手続きも不要な為、2人は他のメンバーからの帽振れを受けて8時20分に出発。

ヒロ&ヘメ発進!
 20分程度で両津港に着いたら、ちょうどバイクの乗船が始まるところだった。5年前も同じ宿&フェリーだったが、宿を8時30分に出発し、フェリーターミナル着は8時50分で、その時は乗船まで余裕があった。それでもと今日は10分早く出発したのが幸いした。以前の実績が必ずしも当てはまるとは限らない。何事もゆとりが大切なのだ。
 新潟に入港した後、ヒロは往路と逆方向に帰り、ヘメは石川県の友人宅に移動し、更に2泊する予定だ。
 残りの5人はまず佐渡金山に向かう。10時から「ガイド付山師ツアー」という上級者向けコース(1,400円/人)を予約してある。佐渡金山の坑道は総延長400kmにも及ぶと言われているが、その中でも江戸初期に開削され、明治時代以降も掘り続けられた大切山坑(おおぎりやまこう)の中を歩いて入ることができるツアーなのだ。
 9時に出発。まずはR350まで出てガソリンを補給。昨日と逆コースで大佐渡スカイラインの下り側を攻めて、9時40分に佐渡金山着。
 さっそくツアーのチケットを購入して指定の場所で待っていると、マイクロバスがやって来た。バスに乗車し、大切山坑の入り口付近まで移動。GTEC達の他にも10人程見学客がいた。ヘルメット、懐中電灯、長靴、雨具(カッパ)は貸し出ししてくれる。若いお兄さん2人が2グループに分けてガイドを担当した。
 入り口の鍵を外し、扉を開けると、中からひんやりとした空気が流れ出ているのが分かる。外気温20℃に対し、坑道内は年中約10℃とのこと。今の季節は肌寒く感じるが、冬は逆に坑道内の方が暖かいことになる。

大切山坑の入り口
 備え付けの照明は入り口付近にあるのみで、少し進むと灯りなしではとても歩けなくなる。LED式の懐中電灯をONにして、ガイドの説明を聞きながら奥へ。明治時代以降の拡張工事によって、人が立って歩くには充分な空間があるものの、所々天井が低くなっている。いくら気を付けていても、この暗がりでは四方に注意が行き届かず、案の定ゴンッ!とやらかす者が続出した。「(ウメ)ヘルメットがなければ即死だったよ。私もよくよく運のない男だな…。」「(カッキー)若さ故の過ちというやつですね。」足元はぬかるみ、水滴も落ちてくる。長靴とカッパは確かに必要だ。佐渡金山は岩盤が固いことで有名で、手で触った感覚でもそれは分かる。壁面は手彫りの跡も残っており、さぞかし大変だったと容易に想像できる。酸欠防止で空気を循環させる為に2本の平行坑道となっていて、途中で数ヶ所繋がっていた。終点は近代に入ってから拡張された採掘現場の跡で、ほとんど価値のない岩石の山と、トロッコやそのレール、採掘機器の備品などが朽ち果てた状態で残っていた。まだ先はあるが、ツアーで入れるのはここまでである。

大切山坑内部
 Uターンして出口に向かって歩く途中。ガイドの指示で一斉にライトを消して“真の暗闇”を体験。確かに、どんなに目を慣らそうとしても、全く何も見えなかった。そして江戸時代の照明の再現として、ライターの火を点けてくれた。たかがライターの灯りでも、他に光源が全くない暗闇の中だと、意外と周囲は見えるものだった。それでも再びLEDライトを点灯すると、あまりのギャップに改めて現代のテクノロジーの偉大さを実感する。
 外に出て装備を返却。カッパは簡易的な使い捨てタイプだったので、薄っペラのペラペラ。再利用はせず廃棄するとのこと。それでもと持ち帰る男が1人…。ヨージである。理由は最終日に明らかとなる。
 ツアーの集合場所まで戻って来た後、お次は道遊坑(どうゆうこう)コースに入った。こちらは平成元年の操業停止まで使われていた近代的な主要運搬坑道を歩く自由見学コースだ。旧機械工場の内部には、坑内で使われていた機械類も良好な保存状態で展示してある。山の中央がV字型に立ち割れた佐渡金山のシンボル、道遊の割戸(どうゆうのわれと)もこのコースで見ることができる。

道遊の割戸
 続いて宗太夫坑(そうだゆうこう)を見学(道遊坑と宗太夫坑両方の見学はセット料金で1,400円/人)。宗太夫坑は主に江戸時代の金採掘の様子を、実際の坑道跡を利用した資料館として紹介している。薄暗い坑道内を進むと、江戸時代の採掘の様子を再現した、怪しげに蠢く人形群が現れた。これら人形達については5年前に来た時と同じだったので、当時の写真をリンクしておこう。

宗太夫坑の人形群
 この写真の中でエクソシストのリーガンばりに首がグルグルと1周することがある人形を掲載しているが、実はその瞬間を目撃したのはカッキーだけだったので、「本当なのか〜?」と彼は周りから疑いの目で見られていたのであった。ところが、今回はウメもバッチリ見てしまった!「(ウメ)ほ、本当だったんだ…。」
 よしそれではと、カメラで動画撮影に挑むメンバー達。この人形、通常は首が正面と左90度の間で定期的に向きを変える。しかし、いくら粘っても360度回ることはなかった。

粘ってはみたが、あざ笑うが如く…
 坑道を抜けるとその先は資料館に繋がっていて、豊富なジオラマで金山の歴史を学ぶことができる。するとここでコダジーが、例のエクソシスト人形についてある仮説を語り始めた。
 各コーナーにある人形は、付近に人がいなくなってしばらく経つと、動作を停止するようになっているようだ。センサーが人の接近を検知すると動き出すわけだが、停止時の状態によっては初期化する為の動作が入り、あのように一旦グルグルと首が回る人形もあるのではないか…というのである。「(コダジー)検証してきます!」そう言うなり、彼はカメラを片手に来た道を戻って行った。そして、何度かタイミングを見てチャレンジしたものの…敗北した。「(コダジー)無念です…。」
 資料館からの出口は土産物屋に直通している。すると、ウメは販売員の中に見覚えのある女性を発見した。「グレートツーリング '12 in 佐渡」で佐渡金山を訪れた際、産業遺産散策コースをガイドしてくれた女性その人であった。ウメ好みの熟女だったのでよく覚えていたのだが、5年経った今も変わりない容姿にウメは興奮しつつ話し掛け、しばし談笑した。(彼女の方はウメを全く覚えていなかったのは無理もあるまい。)
 さて、各自土産を購入して外に出ると、先程山師コースをガイドしてくれたお兄さんが駐車場の整理係をしていた。そうだ!とエクソシスト人形のことを聞いてみたところ、このネタは有名なのだそうで、仕様(?)を説明してくれた。それはまさにコダジーの仮説そのものだった。ただし、条件はかなりシビアなので、滅多に見ることができないそうだ。「(カッキー)ウメさん、私達ラッキーでしたねぇ!」他のメンバーは地団太を踏んで悔しがったという…。
 佐渡金山直営の食事処でちょっと遅めの昼食タイムとしてから、14時に出発。
 県道31号線→県道45号線→R350と走って、14時25分に妙宣寺(みょうせんじ)着。
 妙宣寺は鎌倉時代における日蓮大聖人の直弟子である阿仏房日得(あぶつぼうにっとく)の自宅を阿仏寺としたものが前身とされる。見どころは境内にある新潟県唯一の五重塔で、日光東照宮のそれを模したとされている。 庭はきれいに手入れが行き届いており、他に参拝者が数人いるのみの境内を30分程歩いて駐車場に戻ったら、観光バスが数台やって来て、団体客で一気に賑やかとなった。

妙宣寺(五重塔)
 ここからはコダジーのリクエストで島の南側を走るべく、R350を南下。素浜海岸沿いも走ったりして、小木から県道45号線に入り、海を右手にして進む。部分的に道が細くなるものの、ほとんどは交通量が少ない快適路だった。気温は22℃。初日に小倉千枚田や長谷寺へのルートで走った県道181号線に(初日とは逆方面側から)曲がり、しばしワインディングを楽しんだ。
 16時10分、本日最後の目的地である清水寺(せいすいじ)着。ここは真言宗豊山派の寺院で、文字通り京都の清水寺(きよみずでら)を模して建造された救世殿(ぐぜでん)があることで有名…らしい。初日に寄った長谷寺(ちょうこくじ)といい、オリジナルと読み方を意図的に変えているのだろうか。何とも紛らわしい。それはさておき、佐渡の観光に関するガイドブックやホームページでは、清水の舞台さながらの見事な救世殿の写真が載っており、期待させるのである。
 ところが、山門からして朽ち果てており、既に長い間手入れがされていないと思われる。竹林など荒れ放題。肝心の救世殿も、一見みごとに見えるものの、近付くと劣化が著しい。塗料は剥げが進行中で、床は腐り始めている。廃墟として見れば、なかなかイケているのであった。先程の妙宣寺とは違ってまともな駐車場もない。

清水寺(救世殿)

近付いてみると…
 ここから宿までは約11km。途中、佐渡最後の夜を大いに盛り上げる為、スーパーで酒とつまみをしこたま買い込んで、17時15分に宿へと帰還した。

「(ヨージ)全然足りないっス!みんなのもよこすっス!」
 さて、時は遡り、11時50分頃本州に上陸したヒロとヘメは、昼食にラーメンを食べ、新潟西ICからはそれぞれのペースで進むこととし、事実上の解散となった。そして自他共に認める方向音痴のヒロは、心配していた北陸自動車道と関越自動車道との分岐点で、ヘメから念入りに教わっていたにも関わらず、間違えて関東方面に入ってしまうという痴態をやらかしてしまった。(小千谷IC→R291→柏崎ICで北陸道に復帰。) ヒロは後にこう語っている。「ええ、あの時は何かこう…、そう、自分の本能に従ったのです。結果的に間違った選択をしてしまいましたが、後悔はしていません。ただ、帰りはソロだったので、慰めてくれるメンバーがいなくて淋しかったですね。」
 本日の走行距離:125km/長野自動車道松本ICまで296km(ヒロ)
宿データ 宿名 民宿 桃華園
場所 新潟県佐渡市金井新保乙1636-1
感想 5月3日のデータを参照のこと。
5月6日(土) 天気:雨のち晴れ
 朝からザーザー雨が降っていた。これは週間天気予報でツーリング前から分かっており、見事的中したかたちだ。しかし今日は帰るだけだし、昨日までの天気続きで充分満足していた為、暗い雰囲気もなく、各自淡々と身支度をする。ところがここでヨージが爆弾発言。「(ヨージ)カッパ持って来てないっス。」「(カッキー)雨降るの分かってたじゃん。」「(ヨージ)軽量化の邪魔っス。峠最速の伝説を作る為に、あえて持って来なかったっス。」「(カッキー)正直に忘れたって言え〜っ!」
 ここでヨージが取り出したのは、昨日の山師ツアーでゲットしておいた簡易雨カッパ。使い捨てタイプなので、究極に薄いビニール&上着のみなのだが、ないよりはマシか。

出発の準備
 昨日ヘメからの報告で、早目に出発した方が良いということが分かっていた為、8時10分に出発。8時30分に両津港に着いた。雨の中、10分位待っていたらバイクの乗船開始となった。
 フェリーの車両甲板は、水に濡れると大変滑り易い。特に切り返し時は要注意だ。案の定、ハーレーの大型バイクが転倒していた。アーメン。
 9時15時出航。復路のフェリーは「ときわ丸」(2014年建造、全長125m、5,380t、最大旅客定員1,500人)。カーフェリー三姉妹の次女でまとめ役の「ときわ」は、面倒見がよく、ちょっとのことでは動じない。いつも胸にトキのブローチをつけ、家の玄関にもトキの絵を飾っているほどのトキ好き…だそうだ。建造間もないので、船内はとてもきれい。設備も充実していて快適だった。
 11時50分頃新潟上陸。その場でお互いの安全とますますのご発展、ご健勝を祈念して解散となった。
 カッキーとヨージは基本的に関越自動車道で帰る(渋滞区間は一般道に降りて回避)のだが、まずは腹ごしらえをと、新潟名物「へぎそば」を出す店に行った。2階が店舗でその下が駐車場だったので助かった。昼食中が激しい降りとなったのだ。
 その激しい雨の中、ウメは新潟西ICから往路と逆コースで帰路に就いた。水しぶきで前のクルマがよく見えないほどだった為、ツーリング直前に装着したLEDウィンカーのバックフォグ機能をオンにした。
 コダジーとサトはまだ走り足りずに(?)R49で会津若松まで行き、その後R121→R4で南下して帰った。(彼らは疲れを知らないのかっ!?)
 雨は主に日本海側で降っていた。関東や福島県、長野県に入ると止んで一気に晴れたのであった。
 本日の走行距離:長野自動車道安曇野ICまで268km(ウメ)/370km(カッキー)/365km(ヨージ)
佐渡の軌跡
レポート by ウメ


グレートツーリング外伝 '17 in 那須塩原
メンバー(マシン) ウメ(K1300S)、トモアッキィ(V-Strom650)、ヒロ(GPZ900R)、ヨージ(ZX-6R)
10月8日(日) 天気:晴れ
 7時30分、長野自動車道筑北PAにウメ、トモアッキィ、ヒロ、そして見送りに来てくれたマコちゃんが集合していた。気温は16℃。

道筑北PA
 記念撮影をしてから出発。長野自動車道→上信越自動車道(高崎方面)を進み、佐久ICでマコちゃんとお別れ。彼はこの後、八ヶ岳の東側を南下してから中央自動車道で帰る予定である。
 ウメ、トモアッキィ、ヒロは横川SAで休憩。と、ここでトモアッキィがリヤシート左側に付けていたサイドバッグを確認したところ、装着用ベルトのひとつをセットし忘れていることに気付いた。時既に遅く、バッグの表面がタイヤに接触していたようで、ポッカリと数cmの穴が空いていた。防水二重構造の内側まで見事に貫通している。幸い、お土産を入れることを考慮しての装着だった為、中はカラッポだったのだが、もはや使いものになりそうにない。巻き込んで事故にならなかっただけよしとしよう。
 藤岡JCTから関越自動車道→北関東自動車道→東北自動車道をひた走り、10時10分に都賀西方PA着。
 ここで「グレートツーリング '17 in 佐渡」にスペシャルゲストとして参加していたサトが待っていた。「(サト)見送りに来ましたよ〜。途中まではご一緒させてくださいね〜。」「(ウメ)どこまで一緒に行くの?」「(サト)宿まで行きますよ〜。」「(ヒロ)ゴールじゃん…。」
 ヨージは東京都江戸川区の自宅を8時15分に出発。清新町ICから首都高速中央環状線→首都高速川口線→東北自動車道という経路で走るも、事故渋滞によりナビに誘導されて岩槻ICで高速を下り、R122と県道3号線を使って久喜ICから東北自動車道に再び入って、10時20分都賀西方PAに到着した。これで全員揃ったことになる。
 10時35分に都賀西方PAを出発。隊列はウメ、ヨージ、サト、トモアッキィ、ヒロの順。気温は24℃まで上昇していた。空は晴れ渡り、絶好のツーリング日和だ。
 鹿沼ICで高速を降りてすぐに給油後、10km程北上して、11時15分に大谷(おおや)資料館着。
 この辺りは大谷石(おおやいし)という軽石凝灰岩が石材として採掘される。軽く、耐火性に優れ、加工が容易な為、昔から外壁や石塀等の建材に使われてきた。ウメの自宅の塀も大谷石だったりする。
 大谷資料館は大谷石の採掘場跡に造られた施設なのだ。採掘した石だけを展示しても、訪れる人はあまりいないであろうが、ハイライトは何と言っても採掘場跡を公開した地下空間であり、それ目当てと思われる観光客で、駐車場はほぼ満車状態だった。ちなみにヨージだけこの資料館を訪れるのは2度目だ。「(ヨージ)ここら辺は他に見所が何もないっスからね。みんなこの穴に吸い込まれるように来るっス。」

【地下採掘場跡の説明=資料館ホームページから転載】
大谷資料館の地下採掘場跡は、1919年(大正8年)から1986年(昭和61年)までの約70年をかけて、 大谷石を掘り出して出来た巨大な地下空間です。その広さは、2万平方メートル(140m×150m)にもおよび、野球場が一つ入ってしまう大きさです。なお、坑内の年平均気温は8℃前後で、地下の大きな冷蔵庫といった感じです。戦争中は地下の秘密工場として、戦後は政府米の貯蔵庫として利用され、現在では、コンサートや美術展、演劇場、 地下の教会として、また写真や映画のスタジオとしても注目を集めています。


 入場料800円を支払い、まずは大谷石の採掘に関する資料の展示を見学した後、いよいよ階段を下って地下採掘場跡へ。一気に気温は下がり、寒いくらいだ。そして突然巨大な空間が目の前に広がった。秋吉台のような、いかにも自然の成せる業を感じる鍾乳洞とは異なり、直方体の空間を計画的に組み合わせた、あからさまに人工的な構造となっている。そして見学客のおかげでその巨大さがよく分かる。「(ヒロ)見ろぉ〜、人がゴミのようだぁ〜!」Googleのストリートビューだと内部は明るく見えるが、実際は薄暗く、放棄されたかつての秘密基地…といった廃墟感を味わうことができる(実際太平洋戦争中は軍事施設としても使用されていた)。見学順路に沿って歩くと、結構な距離でいい運動になった。

大谷資料館前

大谷資料館地下採掘場跡
 ゆっくり見学して地上に戻ると、ちょうどお昼時。しかし、この資料館には喫茶店しか併設されていないようなので、先へと進むことにした。12時30分に大谷資料館を出発。
 R293を少し北上して、道の駅「うつのみや ろまんちっく村」で昼食タイム。ここではちょうど「トラックの日感謝デー」のイベントを開催していて、大いに賑わっていた。13時15分出発。
 県道63号線を北上すると、徐々に山間部へと入り、センターラインがある追い越し可能な快適路となった。この先、日塩有料道路までクネクネのワインディング路となる筈だ。走りのステージに期待が膨らむ。とその前に、東荒川ダム公園で休憩。
 この公園には全国名水百選に選ばれている「尚仁沢湧水」があるので、ペットボトル等を手にした人達が、ひっきりなしに来ていた。

東荒川ダム公園
 そして各自気合を入れていよいよワインディングに突入!ところが一気に道幅が狭くなり、鬱蒼とした木々の下にあるアスファルトは、昨日降った雨の影響か、常にハーフウェット。しかも、路肩近くは落ち葉が堆積していて、対向車とすれ違う時は特に気を使った。所々小枝も落ちていたりする。これでは気持ちよく攻めるどころではない。
 そんな中、先頭のウメは、コーナリング途中でうっかり厚く積もった(湿った)砂に前輪を取られ、危うく転倒しかけて冷や汗をかいた。「(ウメ)こ…、転ばなければどうということはない!」とにかく酷い道である。
 なんとか日塩有料道路(二輪:410円)にアクセスし、気を取り直して…と思ったら、この道はひたすら追い越し禁止で、遅いクルマがペースカーとして安全に一行を有料道路終点まで先導してくれた。ありがたや!?
 そんなわけで、不完全燃焼のまま15時45分に塩原温泉の宿に着いたのであった。
 サトとはここでお別れ。自宅に向けて出発するのを4人で見送った。彼は若い。体力的には問題なかろう。(この後、東京都多摩市の自宅まで一般道で帰ったそうだ。)
 夜はゆっくり温泉に浸かっておいしい料理に舌鼓を打ち、酒池肉林の宴へと突入した。

(ヨージ)ビンビンにそそり立ってるっス!
 本日の走行距離:長野自動車道安曇野ICから347km(ウメ、トモアッキィ)/長野自動車道松本ICから354km(ヒロ)/222km(ヨージ)
宿データ 宿名 柏屋旅館
場所 栃木県那須塩原市塩原364
感想 塩原温泉の渓谷沿いにある老舗旅館。よくぞこんな急斜面に建てたものだと感心する。しかしその為、館内の構造が複雑で、風呂への移動は入り組んだ通路と階段を歩くことになる。特に館外の貸し切り露天風呂へは、結構な距離がある通路の傾斜が急過ぎて、お年寄りにはキツイと思われる。こういった立地条件に建っている施設は、湿気の影響で劣化が早い。案の定、壁紙は所々剥がれ、外壁は苔だらけだ。携帯電話の電波が弱く、部屋の中でも完全に圏外となる位置がある。維持していくのに精一杯で、リニューアルする気配はない。反面、食事はおいしかったし、接客態度も大変よろしかった。部屋は全て鹿股川に面していて、紅葉の季節には目の前に迫る対岸の景色がさぞ素晴らしいことであろう。源泉掛け流しの湯に浸かりながら、川のせせらぎに耳を傾けることができるのは、この立地条件だからこそなのだ。
1泊2食付き(税込み):14,190円
10月9日(月) 天気:晴れ
 9時出発。県道56号線を矢板市目指してひた走る。気温は17℃。
 ところが、昨日の県道63号線と似たような感じで、酷い道だった。これが延々と続くのか!? 5km位走ると(直進と右折の)T字路があり、道路標識には右に曲がると日塩有料道路と記載されていた(一行は直進)。そこから先はほぼセンターラインがあるワインディング路に変貌!走り屋もよく来るらしくタイヤ痕だらけだった。交通量も一気に増え、頻繁に対向車とすれ違うようになった。なるほど、県道56号線は矢板市側から登ると日塩有料道路にアクセスする結構メジャーな道のようだ。しかし、塩原温泉からのルートだと、道が広くなってからはほとんど下りとなる為、やはり不完全燃焼だった…。
 県道30号線を南下し、矢坂ICから東北自動車道に。上河内SAで給油し、昨日の集合場所、都賀西方PAの上り線側で休憩。ここでヨージとはお別れ。
 ヨージは往路と逆ルートで(ただし久喜IC→岩槻IC間は降りずに)走り、12時40分に自宅着。
 残りのメンバーも往路と逆ルートで帰路に。上信越自動車道横川SAで昼食、長野自動車道姨捨SAで最後の休憩をして解散。各自15時頃には帰り着いた。安曇野〜松本市エリアは30℃近くあって暑かった。
 本日の走行距離:長野自動車道安曇野ICまで314km(ウメ、トモアッキィ)/長野自動車道松本ICまで321km(ヒロ)/186km(ヨージ)

レポート by ウメ


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