1990年のツーリング

グレートツーリング '90 in 北海道

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メンバー(マシン) ウメ(FZR400RR-SP)、オユタ(GSX-R400)、ヒロ(ZX-4)、マコちゃん(GSX-R250)
 GTECメンバーによる初めての宿泊を伴ったツーリングは、当初ウメ、オユタ、カンちゃん、ヒデ、ヒロ、マコちゃんの大学生6人で、いきなり約半月かけて北海道に行くという壮大なものであった。しかし、とにかく経験不足であり、コースは適当、宿は予約なしという、実にアバウトなものでもあった。そういったツーリングを好むライダーもいるであろうが、問題はフェリーである。理想的には、八戸(青森県)に住んでいるオユタは、青森か大間から函館に渡り、残りのメンバーは東京か直江津、あるいは新潟からフェリーに乗り、北海道のどこかでオユタと落ち合うことであった。
 ヒデの「フェリーの予約は1ヶ月前からだぞ〜。」という言葉を信じ、ウメが7月7日に予約を取ろうとしたら、各フェリー会社とも予約は3ヶ月前からで、ただでさえ混む時期に、もはや予約など取れる筈もなかった。仙台もダメ。青森もダメ、そしてようやく本州最北端の大間で8月8日に空きがあった。ちょうどその頃、ウメとカンちゃんが些細なことで口論となり、カンちゃんが行かないと言い出した。お互い頑固なので引くに引けなくなり、予約は5人で取った。
 8月に入り、実家に帰省していたヒデは、ツーリングの準備の為に松本までBROSで買い物に行った。その帰り道、脇見をしていて橋の欄干に激突!フロントフォークが曲がり、ツーリングを断念せざるを得なくなった。1人空きができたので、ウメは和解していたカンちゃんを誘うが、さすがに決行数日前では今更参加できず、最終的に4人で行くことになったのだ。
 いつまで滞在するかは明確に決めていないので、帰りのフェリーは予約していない。帰りは何とかなるだろうと安易に考えていた。
8月7日(火) 天気:晴れ
 フェリーの予約が本州最北端である青森県の大間しか取れなかったので、そこまで自走していかなくてはならない。それでも、オユタ以外は東北ツーリングもできてお得と考えており、東北自動車道を北上し、要所要所で名所でも見て行こうかと話していた。
 前日のうちに神奈川県海老名市にあるウメのアパートにヒロ、マコちゃんは移動を終えていた。オユタとは明日、下宿先の八戸で合流予定だ。
 9時、3人はアパートを出発した。まずは厚木のセブンイレブンで朝食。今日は仙台辺りで適当に宿を探して泊まるつもりである。ウメ、マコちゃん、ヒロの順番で東北自動車道岩槻ICを目指してR16をひた走る。R16は渋滞で有名な国道であるが、平日なら余裕だろうと3人は考えていた。よって、カネのかかる東名高速道路→首都高速経由という考えは全く浮かばなかった。しかし、それはシロップを一気飲みするくらい甘い考えだったのである。
 いきなり激しく渋滞している!中途半端な広さの片側2車線道路なので、すり抜けも困難だ。この日は真夏日で、アスファルトの照り返しとエンジンの熱が容赦なく襲ってきて、そのうちにマジで3人とも意識がもうろうとしてきた。その為、コンビニが見える度に立ち寄って、体の冷却及び水分補給をした。結果的にこの日が今回のツーリング中、最もハードだったのではなかろうか。もはや優雅な東北ツーリングという考えは消え去っていた。
 やっとの思いで岩槻ICにたどり着いたのは13時頃。既に、ここで泊まってもいいくらい疲れ果てていた。それでも、気力を振り絞ってとにかく北を目差す。東北は遠い…。走っても走っても仙台は近付いて来ないように感じる。東北の入り口である福島県に入った時点で日も傾いてきたので、仙台まで行くのは諦め、今日はここら辺で泊まろうということになり、とりあえず福島西ICで降りた。さて、どこに泊まろうか?協議の結果、もうヘトヘトだから、ちょっとリッチに温泉旅館なんていいね、ということになった。ICを出てすぐにT字路の信号に突き当たった(R115)。そこで目に飛び込んできた「土湯温泉左折」の看板。決まった!
 土湯温泉はICから10kmくらい走った所にあった。温泉街入り口の案内図を見ていると、北海道帰りだというソロライダーがやって来て、彼も宿を探しているところだったので、一緒にどうですかということになった。これで北海道情報が聞けるぞ!とはいったものの、予約もしていないのに大丈夫かな?と適当に停まった宿の前で思案していると、その宿の人が出てきて、「宿を探しているのなら、部屋空いてるよ。」と話し掛けてきた。しかも学生だと言うと、8,000円のところを7,000円にまけてくれるというではないか。異論はなかった。よし、ここに決めよう!ところが先程の北海道帰りのライダーは、「高くてとても泊まれないから、橋の下にでもテントを張るよ。」と言って消えていったのである。ウメ曰く「あの時のうらめしそうに我々を見る彼の目が印象的だった。そうか、我々はリッチな学生だったのか…。」テント持参でキャンプなんて、やってみようとも思わなかったし、7,000円もあれば、北海道のライダーハウスで何泊できることか…。
 平日の為か、宿はガラガラであり、うまい食事と温泉のおかげで疲れは一気に消し飛んでしまった。
 ちなみに土湯温泉は日本でも有数のこけしの里だという。宿にも無数の大小様々なこけしが、所狭しと飾られていた。
宿データ 宿名 旅館ニュー扇屋
場所 福島県土湯温泉町
感想 従業員が皆親切丁寧に接してくれたのが印象的であった。部屋も温泉浴場も料理も文句なかったと記憶している(とにかく疲れきっていたから)。このツーリング後に分かったのだが、偶然泊まったこの旅館、ウメの両親もはるか昔に旅行で泊まったことがあったのだ。その時も“ニュー”扇屋だったそうだ。
8月8日(水) 天気:晴れ
 今日の目的地は青森県八戸市。オユタの下宿に泊めてもらう予定である。
 9時に宿を出発し、まずはせっかくだから猪苗代湖をちょっと見ようと、R115を南下する。福島県の地図といえば、高速道路でもらった料金表の裏に印刷された、大まかなものしかない。それよると、えらく近くに感じられたのだ。道はすぐにワインディングになり、思わぬ収穫とばかりに、各自攻めた。しかし、2番手を走る、4スト250ccのマコちゃんはやはり苦戦し、ウメに大きく遅れた。自他共に認める方向音痴のヒロは、マコちゃんを抜くに抜けず、3番手を維持した。先行したウメは、土湯トンネルを抜けた所にある大きな駐車場に入って、後続を待った。しかしマコちゃんは、これだけ走ってもウメが待っていないのはおかしいと思い、トンネルの手前にある駐車場に入ってウメを探した。「(マコちゃん)いないな。おかしい、どちらかが道を間違えたか?お、白バイがトンネルに入って行く…。あ、別な白バイがトンネルから出てきた。こりゃあ、ここら辺で獲物を待ち構えているな。ひょっとして、ウメは白バイに追いかけられて、どこかに行ってしまったか?」「(ヒロ)トイレ!トイレ!」
 だいぶ経ってから、ようやくウメの待つ駐車場に2人は姿を現した。これでけっこう時間をロスしたし、猪苗代湖はまだまだ先の気配がしたので、3人は引き返すことにした。実際、湖はそこから20km以上先にあったので、“ちょっと見て行こう”というレベルのものではなかったのである。それでも、峠を攻めることができたのでよしとしよう。
 福島西ICから再び東北自動車道に入る。途中で高速を降り、どこかを見ていこうという気は失せていたので、八戸まで直行。この日も暑かったが、高速道路を巡航している限り、それは大して気にならなかった。それにしても、仙台でようやく“東北自動車道中間地点”の標識を見た時には気が遠くなった。ひたすら単調な景色が続くので、走っていても面白味がない。
 八戸自動車道に入ると、とたんにクルマがいなくなった。なんともさびしい道である。路面上にカラスが何やら群れていた。
 八戸市街の焼肉屋の駐車場で、初お披露目のGSX-R400にまたがったオユタと合流。オユタが気軽に実家に帰省できないのがよく分かった。ここはあまりにも遠過ぎる!
 一旦オユタが下宿している「正和荘」に行って荷物を降ろし、少し休憩した後、夕食を食べにバイクで出た。まだ外は明るい。夕食の前にガソリンスタンドで給油。この出光のガソリンスタンドには、オユタが惚れている“なおちゃん”がバイトで働いている。予めオユタは片想いの彼女に、他の3人とはどういう関係で、どこから来て、これから4人で北海道に行くこと等を話しておいたのに、「(なおちゃん)あの3人、北海道から来たのに、また北海道に行くの?」と全く理解していなかった…。「(オユタ)ああ、このお間抜けなところがまた好きだ!」
 オユタがよく行くラーメン屋で夕食を食べ、正和荘の6畳間に4人で泊まった。狭かったが、さすがにここまで来ると涼しく、ぐっすりと眠れた。
宿データ 宿名 正和荘(オユタの下宿)
場所 青森県三戸郡階上町(はしかみちょう)
感想 いたってオーソドックスな下宿であるが、ごみ置き場周辺に手書きで「ここにゴミを拾ってるな」(しかもたぶん“捨”の間違い)「燃いないゴミ」などと書かれていたのに東北っぽさがにじみ出ていた。いや、おやじの教養のなさが漂っていた。
8月9日(木) 天気:晴れ
 朝、5時15分にオユタの下宿を出発した。隊列はウメ、オユタ、マコちゃん、ヒロの順。目差すは下北半島大間のフェリー埠頭。本州最北端の地である。朝早いこともあって道はすいていたが、ダンプカーがたくさん、やたらと飛ばしていた。信号なんてあってなきがごとしで、赤信号待ちをしている4人の脇をものすごい勢いで抜いていったりする。青森は恐ろしい所である。
 R338で下北半島を北上する。途中、六ヶ所村の辺りで、滅多にない信号にオユタから後ろが引っ掛かってしまい、ウメが少し先で停止して待っていると、どこからともなく数頭の野良犬(たぶん)が「ウ〜。」と唸りながら近寄って来て、彼を取り囲んだ。遊んで欲しいのかと顔を見ると、目が血走っている。威嚇しているようにしか見えない。まるで、獲物を取り囲んだ狼の群れだ。今にも飛びかかってきそうな勢いである。アクセルを開けて走り出せば容易に脱出できそうなのだが、ウメはこのシチュエーションを楽しんでいた。「(ウメ)何だ?やろうってのか!?」と空ぶかしをすると、ビクッと後ずさりするものの、エンジン音に対抗するように、「ワンワン!」と吠えた。そこに後続の3台がやって来るなり、ビビッたのか、犬達は散った。その場を後にし、バックミラーに目をやると、次第に小さくなりながらも、必死で追いかけてくるやつらの姿が映っていた。きっと人間に捨てられ、疑心暗鬼になってもなお、人が恋しかったのだろう。いや、本当に喰らおうとしていたのかもしれない…。青森は恐ろしい所である。
 むつ市でR279に入り、更に北上。10時前に大間港着。大間崎からは北海道がよく見えた。周辺には本州最北端の記念碑があるくらいで、その他はさびれた漁村(失礼)という感じである。
 11時25分発のフェリー「ばあゆ」で函館を目指す。波は穏やかで天気も最高!フェリー内で協議した結果、今日は函館でゆっくり過ごすことになった。
 そして約1時間40分後、ついに函館に上陸!4人とも北海道はもとより、本州以外の地を踏むのも初めてであり、感慨深げであった。まずは宿探し。ツーリングガイドに載っていた函館港の外れ、弁天町にあるライダーハウス「ミートハウス」を確保した。
 そこから歩いてコインランドリーに行って、初日に汗で塩がビッシリ付着した衣類を洗濯し、帰り道に銭湯にも寄った。湯船で地元の船乗りだという人(40代?)に話し掛けられ、海のことや函館のことについての話を色々と聞いた。そして、そろそろ出ましょうかとみんなで脱衣所に入ったところでヒロが足を滑らせ、仰向けに転倒!オ○ン○ンをさらけ出したまま「いってぇ〜…。」としばらく動けなかった。その見事なまでの毛深さに、船乗りの人は一瞬目を奪われ、「あ、おおっ…。」と一声発しただけで、何とリアクションしていいのか困っていた…。そんな感じで(?)午後はのんびりと過ごした。レンガ造りの倉庫群の辺りは、なんともいい雰囲気を醸し出している。
 夕方、バイクで函館山ロープウェイ乗り場に向かった。函館山から見る函館の夜景は絶対に外せまい。ロープウェイはそれほど混んでおらず、上に着いた頃にはちょうど暗くなっていた。風が強かったが、夜景はきれいに見えた。まさに絵ハガキの通りである。
 夕食は倉庫群近くの寿司屋で新鮮な海の幸をふんだんに使った(と思われる)寿司を食べた。うまかったが、握る合間にたばこを吸うのはやめてくれと寿司職人に言いたかった。
宿データ 宿名 ミートハウス
場所 函館市弁天町
感想 典型的、模範的ライダーハウス。安心して泊まれた。1泊800円。
8月10日(金) 天気:曇りのち雨
 台風11号が接近中だ。台風が北海道に上陸するのはまれなのだそうだが、天気予報によると上陸は必至のようだ。朝から空はどんよりとしており、今にも降り出しそうな感じである。早いところ出発しよう。今日は苫小牧あたりで泊まろうと考えていた。
 R5を北上し、小沼近くのコンビニと隣り合わせのパン屋さんで、焼き立てパンの朝食。森町からR5はひたすら海沿いの道となる。海岸線はやたらと風が強くて恐かった。景色も荒々しい。交通量がけっこう多く、ペースが上がらない。
 朝食からまだ2時間くらいしか経っていないが、長万部でカニ屋さんが国道沿いにたくさんあったので思わず寄り、そこで形が悪くて土産用にならないような毛ガニ(安い!)をたらふく食べた。しかし後で聞いた話だと、どうやら長万部でカニが捕れるのではないようである。昔は何もない所で、観光客獲得の為にカニを売り始めたらしい。
 長万部からR37に入って更に北上し、美しい羊蹄山をバックにする洞爺湖を見て、そのすぐ近くにある昭和新山に行った。昭和新山は1943年12月28日、突然麦畑や松林が隆起してできた、標高407mの活火山なのだ。緑のない赤茶けた岩肌の山からは、到る所からもうもうと水蒸気が吹き出ていた。硫黄の臭いが鼻を突く。昔ここが平らな土地だったとは信じがたい。
 苫小牧を目指し、昭和新山を後にしたところで、ついに雨が降り出した。高架橋の下にバイクを停め、カッパを着ながら本日の宿泊地を協議する。なんていったって台風だ。無理をせずに室蘭で泊まろうということになり、R37で室蘭に向かう。
 室蘭市街に入る頃には雨風がかなり強くなり、とてもツーリングどころではない状況になりつつあった。とりあえず室蘭駅にバイクを停め、周辺のライダーハウスを何軒か当たってみたが、どれも満室!さしずめ、ライダーの避難所と化していた。旅館とかホテルを廻ってみるか?しかしこの雨の中じゃ…。と目に飛び込んできたのが駅前の旅行案内所。ここでは予算に応じた宿を紹介してくれるのだ。なんともあっさりと安い宿を紹介してもらえた。市街の海に面した場所に立つ「室蘭港湾福祉センター」である。旅行案内所がこんなにも使えるものとは…。ここでひとつノウハウを得た。
 夜、台風の影響で外は荒れ狂っていた。これが昼間だったらと思うとぞっとする。
宿データ 宿名 室蘭港湾福祉センター
場所 室蘭市
感想 1泊2食付きで3,294円!ユースホステル並みの安さでテレビ付きの広いきれいな個室に泊まれた。しかも室蘭駅のそば。台風でげっそりしていた4人にとっては天国の気分であった。食事は学校の給食といった感じ。特に不満なし。
8月11日(土) 天気:晴れ
 台風は根室方面に抜けつつある。室蘭は台風一過、晴れ渡ったさわやかな朝を迎えた。「室蘭港湾福祉センター」は海に面した場所に立つ施設で、しかも夜の雨風の為、バイクのチェーンはみごとに錆びていた。さっそくチェーンオイルをくれてやる。
 オユタがヒロのZX-4のリヤタイヤを見ながら、「(オユタ)おい、溝がないんじゃないの?」と言った。ウメとマコちゃんも覗き込むと、ほとんどセンターの溝が消えかけている。「(ヒロ)大丈夫でしょ。ま、もつんじゃないの?」「(ウメ)スリックタイヤみたいで、かえってグリップいいかもな!」まだ4人は若く、経験も浅く、安全に対する意識も低かった…。溝のなくなりかけているタイヤでロングツーリングに臨むとは、自殺行為といっていい。
 ここは晴れているが、道東は未だ台風による雨風が激しいらしい。今日はあまり東進しない方がよさそうだ。というわけで、本日の目的地は支笏湖に決定。社会人と違って、休みは腐るほどある(カネはそれほどないが)。のんびりといこう。
 まずは室蘭の南端にある地球岬に行った。100mくらいの断崖上にある灯台を背景にして広がる太平洋の眺めは素晴らしかった。まさに地球を丸く感じることができる。
 この年発売されたばかりであるウメのFZR400RR-SPは、限定1,000台のレース用ベース車である。その多くはレースに使用される(と思われる)ので、公道でお目にかかることは滅多にない稀少車だとウメは信じていた。ましてや荷掛けフックが装備されているとはいえ、シングルシートでポジションがキツイこのマシンでツーリングに行く物好きなど、ウメくらいなのでは?「(ウメ)ひょっとしてこの瞬間、北海道でツーリングしているFZR400RR-SPは、オレのマシン1台だけかもな。」と話していると、駐車場に向かって来るツーリング集団の先頭を走っているあのマシンは…、全く同じFZRであった…。「(ウメ)1万台くらい作っているんじゃねえのかぁ!?」この当時はレーサーレプリカブーム絶頂期。北海道にツーリングで来ているバイクも、そのほとんどがカウル付きだった。
 地球岬を後にし、R36を東に走って苫小牧でR276に入り、支笏湖へ。交通量が少なくて走り易く、あっという間に到着してしまった。まだ午前中。いくらなんでも早く着き過ぎである。東が台風でダメなら、富良野あたりまで北上するか?しかし4人は既にのんびりモードに入ってしまっており、体がここから動くことを拒否していた。
 まずは宿の確保。湖畔のライダーハウス「樽前荘」に決定。なんでも夜は治安が悪いらしく、バイクにはチェーンで鍵をかけてもらいたいということであった。鍵付きチェーンは貸してくれたのだが、最初の説明時、「(ヒロ)鍵かうんですか?」「(宿のおばあさん)い〜え〜、買わなくてもいいんですよう。」というやりとりがあった。実はこの場合のヒロが言った「かう」とは長野県松本エリアの方言で「かける」という意味なのである。(「ボタンをかう」とも使われる。)
 昼食を近くの食堂で済ませてから、時間はたっぷりあったので、湖南にある苔の洞門を見に行った。溶岩の割れ目が侵蝕してできた狭い谷の底に歩道があり、両側の岩肌にびっしりと苔が生えている。見ているだけでも涼しくなってくる。
 その後は、湖畔でとうもろこし(現地では「とうきび」と呼ぶ)をかじったり、ぼけ〜っと巨大な湖を眺めていた。
 夕食は宿の売店で売っている大盛りカップラーメンで済ませた。しかしどうもオユタは物足りないらしく、再び売店を物色していた。すると宿のおばあさんが「おにぎりがあるけど、120円(2個)でどう?」と言ってきたので、喜んで買った。おにぎりをかじりながら出て行くオユタを見送りながらおばあさんが、「ヒッヒッ…、残り物の御飯、おにぎりにして120円で売れたよ。」とうれしそうに娘さん(孫?)に話しているのをヒロは聞き逃さなかった。とにかくこのおばあさん、なんとも味があるお方である。
 夜、4人は遅くまで備え付けの五目並べに熱中した。
宿データ 宿名 樽前荘
場所 支笏湖畔モラップ旧国道沿い
感想 施設は古い。その昔は国道に面した観光みやげ店として一世を風靡していたのであろうが、旧道となってしまった今では、ライダーハウスに生まれ変わって第二の余生を送っている、とみた。トタンで囲まれたシャワールームもあるが、かなりきている。お湯と水が交互に襲ってくるぞ!1泊700円
8月12日(日) 天気:晴れ
 バイクはイタズラもされず、無事であった。協議の結果、今日はできる限り東に向かうことになった。できれば釧路で泊まるつもりである。
 出発の準備をしていると、東京から来たというカップルライダーズと話が弾んだ。先に出発するこの2人を見送った後、樽前荘に残っているのはGTEC4人だけとなった。このライダーハウスは男女別々の部室だったのだが、女性部屋に泊まっていたのは、先程のカップルの彼女だけだった。開け放たれた女性部屋の入り口付近で立ち話をするウメとオユタ。「(ウメ)彼女、かわいかったな。」「(オユタ)むう?ウメよ、あのゴミ箱の中、見てみたくはないか?」「(ウメ)何を馬鹿な!?お前そうとう溜まっているな?」と言いながら2人はゴミ箱を物色していた。すると何やら白い丸められた綿状の物体が出てきた。「(オユタ)こ、これは!!もしや!?」「(ウメ)やめろぉ〜!広げるなぁ〜!」「(2人)おお〜!」このおぞましい行為を遠巻きに見ていたヒロは、「ダメだ、オレはあそこまで落ちることはできない…。」と唇を噛み締めた。
 昨日来た道を苫小牧まで戻り、R36→R234→R235とひたすら海岸沿いを走って襟裳岬を目差す。交通量が少なく、快適に飛ばせた。むろん、ねずみ捕りやパトカーには細心の注意を払う。ウメはバイク用レーダー探知機を装備していた。
 途中、国道沿いに牧場がいくつかあって、柵の内側にただずむ馬を発見すると、思わず写真を撮りたくなり、4人はバイクを停めて柵に近付いていった。人間を見ると好奇心旺盛なのか、馬達は続々と集まって来た。触っても全然平気で、中には頭や衣服をかじってくる馬もいた。それどころか「ケケケケケ!」と前足をばたつかせて、彼らを馬鹿にしているように見える馬もいた。このエリアは競走馬の育成牧場が多いと聞く。確かにこいつら、スタイルも毛並もいい。この中から将来ハイセイコー並みの競走馬が誕生するのだろうか…。いずれにせよ、写真は難なく撮れた。
 国道沿いの食堂で昼食を済ませ、襟裳岬まであと僅かという所で、突然最後尾を走っていた筈のヒロが、もの凄い勢いで先頭のウメを抜いて行った!普段はおとなしい走りのヒロも、ついにやる気になったか!?とウメは思い、戦闘モードに入りかけた。ところがヒロは前に出てから急停車し、狂ったようにもがいてヘルメットを脱ぎながら、彼の後ろに停車したウメの所に走り寄ってくる。「髪の毛!髪の毛!」と叫ぶのでウメが見てみると、蜂がブ〜ンと頭から飛び立っていった。走行中にヘルメットの中に巻き込んでしまったのだ。しかもしっかりと刺されており、大丈夫かと心配したが、少なくともスズメバチではなかったので、虫刺され用の薬でよしとした。
 襟裳岬は荒涼とした(殺風景な)景色の中にあり、風が絶えず強く吹き付け、地球岬に比べると荒々しい印象を受けるが、岬の先端から延々と海に岩礁が延びている様の雄大さに圧倒される。写真を撮って出発。この時点で、今日はとても釧路までは行けそうもないので、今夜の宿は帯広に決定!
 R336は襟裳岬までの道中と一変し、断崖に荒波の打ち寄せる、トンネルもある海岸線の道路だった。この国道は黄金道路と呼ばれている。それは、難工事の為に、資金が湯水のように投入されたことに由来するらしい。名前の響きとは裏腹の、しかし由来を知ると納得のできる道であった。
 帯広には16時頃に到着した。とりあえず駅に向かうと、クルマに乗った地元の人に「泊まる所教えてあげるよ。付いておいで。」と言われ、駅のそばのライダーハウスに案内された。ところがそこは仮設テントのなんともチープなライダーハウスで、いくら安くても泊まる気にはならなかった。地元民には、ライダー=貧乏という公式が成り立っているのだろうか?先程の人には申し訳ないが、駅前の観光案内所に行ってビジネスホテルを紹介してもらった。
 夜は居酒屋のビールで乾杯!盛り上がってきた頃、オユタがカクテルを注文した。最初にメニューを見た時から目を付けていたものだ。見るからに甘くとろけてしまいそうなカクテル、その名は「ピンクシャワシャワ」。おそらく、イチゴミルクのカクテルと思われる。ピンクシャワシャワが目の前に来た時、オユタはまずウメの飲んでいるチューハイを味見させろと手を伸ばし、肘にピンクシャワシャワを当てて床に落としてしまい、見事にグラスは割れた。自らの行為に反省した彼は、飲み物の追加注文をしなかった…。
宿データ 宿名 ホテルニューはとや
場所 帯広駅前
感想 普通のビジネスホテル。しかし安い。ここに限らず北海道は宿泊費が安くて助かる。1泊3,500円
8月13日(月) 天気:曇りのち雨
 ホテルは全員同じ階の隣り合ったシングルルームで、モーニングコールを頼んであった。
 朝、マコちゃんは隣りのウメに対するモーニングコールで目が覚めた。壁を隔てていても、あのけたたましい電話の音は聞こえてくるのだ。次は自分か。案の定そうだった。「おはようございます。」とフロントから直接かかってきた。マコちゃんと反対隣りはヒロだ。壁越しに聞こえてきたのは、プルルル…、ドシン!!という音(振動)であった。ヒロは寝ぼけながら受話器を取ろうとして、ベッドから転げ落ちたのだ。バイクの前に集合した時、彼は腰を痛そうに押さえていた…。
 バイクに荷物を装着している時、オユタは自分のGSX-Rの隣りに停めてあるNSR250Rが気になっていた。アンダーカウルの途中で、横に妙な白いストライプが入っている。カラーリングとはマッチしていないし、何かのパーツか?と、何気なく触ってみたところ、その部分からアンダーカウルがポロッと落ちてしまった!白いストライプは単に白のガムテープで、割れたカウルを応急修理していただけだったのだ!触ったくらいでこんなんじゃ実用には耐えられまい。むしろこのまま落下させておいた方が本人の為だ。しかし厄介ごとは御免こうむる。4人は見つからないうちにさっさとホテルを後にした。
 今日のメインは釧路湿原だ。R36からR38に入り、一路釧路市に向かう。あいにく低気圧が近付いており、雨こそ降っていなかったものの、霧が濃い。
 国道沿いのドライブインで休憩して出発する時、マコちゃんが唐突に立ちゴケ。カウルに傷が付き、彼はガックリと肩を落とした。
 釧路市に入ると、ついに雨が降り出した。雨宿りも兼ねて、市内の大型スーパー内にある軽食コーナーで昼食。もはや雨は止みそうにない。意を決してR391を北上し、釧路湿原へ。しかし、雨と深い霧の為、湿原どころか道もよく見えなかった。ライダーにとって、雨は最悪である。視界は悪く、タイヤは一気にグリップ力を失い、濡れたカッパ姿ではどこに寄っても嫌な顔をされる。写真を撮るのもままならない。この状況では、例え写真を撮ったとしても、写っているのは白い霧だけだ。
 湿原を諦めてそのまま北上し、弟子屈町の旅行案内所で早々に宿を確保した。摩周温泉「泉荘」である。宿に荷物の搬入が終わった頃、雨が止んだ。
 宿のオーナーに駐車場の水道を使っていいと言われたので、汚れたバイクを洗車させていただくことに。ありがたい。洗車中、ウメはFZRのリヤタイヤからなにやら“シュ〜”という嫌な音を聞いた。見ると、ガラスの破片が突き刺さっている。さっそく持っていたパンク修理キットで修理し、近くのガソリンスタンドで空気圧を調整してもらった。ミシュランのハイスポートラジアルは、グリップは目茶苦茶いいのだが、ゴムが軟らか過ぎて異物を拾い易いのが難点だ(減りも早い)。
 そうこうしていると、路面がドライになってきた。まだ明るく、夕食まで時間も充分にあったので、近くにある摩周湖に行くことにした。湖を見下ろせる第一展望台の駐車場に到着すると、マコちゃんがこの日2回目の立ちゴケ。ご丁寧に、午前中と反対側に…。彼は相当ショックを受けたようで、カウルに付いた傷を見つめ、しばらくショボンとうなだれていた。見かねたオユタが「気にするなマコちゃん。最初は痛いが、すぐに気持ちよくなるって。さあ、湖を見に行こう。」と意味不明のことを言って慰めていた。
 霧の摩周湖とはよくいったものだ。本当に霧で何も見えなかった。おそらく湖があるであろう方向を背景に記念撮影。
 夜になると再び雨が降り出した。低気圧は北海道上空に停滞するらしい(ひどい!)。そこで、明日はそんなに移動しないで網走見物をすることで意見が一致し、宿も予約しておくことにした。ツーリングガイドに載っていた網走湖畔の「わにの家」というペンションが取れ、まずは一安心。
宿データ 宿名 摩周温泉「泉荘」
場所 弟子屈町
感想 ペンションとライダーハウスが中で区切られている。4人が泊まったのはペンションの方で、1泊2食付き4,800円。快適だった。露天風呂もある。
8月14日(火) 天気:雨のち曇り
 朝から雨だ。止む気配もない。天気予報通りとはいえ、せめて移動する間だけでも降っていなければ…、と淡い期待を抱いていた4人の気持ちは沈んでいった。仕方なくカッパを着て出発。
 まずはR243を10kmほど西に走って屈斜路湖に寄った。しかし、ここに来たぞという証拠写真を1枚撮っただけ。雨の中ではカメラを出し、写真撮影するのも一苦労である。
 屈斜路湖からは更にR243を進み、美幌峠を越えた。峠といっても攻め甲斐のあるものではなく、なだらかなコーナー、ゆるやかな斜度である(どの道雨で攻められないが)。峠頂上付近のドライブインでひと休み。さすがは北海道、雨の中だと涼しさを通り越して寒い!ホットコーヒーがとてもおいしく感じられた。
 美幌町からR39に入り、少し走ると左手に網走湖が見えてきた。ここも証拠写真だけ撮ってよしとした。
 ペンション「わにの家」は網走湖からすぐ山側に入った所にあった。まだ12時頃だったので、荷物を置かせていただいて再びバイクにまたがると、網走市見物に出た。
 市街に着いた頃には雨は上がっていた。またいつ降り始めるか分からない空模様だったが、意を決してカッパを脱ぐ。とにかく、カッパを着ていると非常に疲れるのだ。
 まずは網走刑務所。本当は昔使っていた刑務所を公開している博物館(博物館網走監獄)に行きたかったのだが、着いてみればバリバリの現役網走刑務所!博物館は全く違う場所にあるらしい。しかし、せっかく来たんだからと敷地内に入る。どうやら一般の人も入れるようになっており、土産物屋まであるではないか。刑務所の門(これ以上は進入禁止)で「網走刑務所」の看板をバックに記念撮影。後で知ったことに、博物館網走監獄は宿のすぐ近くだった!しっかりガイドブックを読んでおくべきだった。
 網走駅に移動してバイクを置き、駅近くの食堂で昼食タイム。カニラーメンはうまかった。ここで次はどこに行こうか協議。まだ雨の心配があったので、あまり遠くに行かず、近場で何か眺めのいい所にしようということになった。というわけで能取岬に決定。
 網走駅から道道76号線で10kmくらい北上し、能取岬に到着。ここはアザラシの群棲地らしい。しかしそれらしき生物は見当たらなかった。冬じゃないといないのかもしれない。とにかく雨が降っていないのが奇跡と思われるくらいの悪天候なので、景色はイマイチであった。
 オユタは「そういえば…。」と、ヒロのZX-4のリヤタイヤを、室蘭以来どのくらい減ったか覗き込んで確かめた。「(オユタ)!!」何と、ワイヤーが見え始めている!さすがにヒロは焦りだした。しかし北海道で交換する気はさらさらなく、「(ヒロ)ま、安全運転で家まで持たせるさ。」
宿データ 宿名 わにの家
場所 網走市呼人63-12
感想 夫婦で経営しているペンション。名前の由来は、ワニのように食らいついてお客さんを離さないという意味だそうだ。立地条件の悪さから水道の水圧が低く、水が豊富に使えない。よって水は貴重品であり、無駄使いしていると注意される。夕食はけっこうゴージャス。どちらかというと、宿泊客のプライバシーを尊重するタイプの宿なので、ユースホステル派にはちょっと辛いかもしれない。朝食は「わにパン」という、ワニの形をした手作りパンが出てくる。食事はおいしい。1泊2食付き5,500円。
8月15日(水) 天気:雨のち曇り
 今日も雨。それでもせっかくここまで来たのだからと、知床半島を目差して出発した(R244)。
 小清水町からR244に平行する2本南側の道を走った。ひたすらまっすぐな、いかにも北海道らしい道で、雨の中のオアシスであった。
 R334(知床国道)で海岸線を走る。雨足は激しさを増し、打ち寄せる波も荒い。ヘルメットのシールド内は曇り、視界は最悪。オシンコシンの滝とかは全てパス。もう、それどころではなかった。走るだけで精一杯である。
 北海道はまっすぐな道は多くても、攻めがいのあるワインディングはあまりない。そんなわけで、地図上でもクネクネしている知床峠は貴重な存在だ。なるほど確かにクネクネしていて、晴れていればさぞかし楽しいであろう。しかし雨だけならまだしも、標高が上がるに従って、深い霧が立ち込めてきた。まるで雲の中を走っているかのようだ。ウメは何度も突然現れるガードレールに突っ込みそうになった。先の道がどういう状況なのか分からない。彼は思った。「俺が崖に突っ込んだら、後ろの連中も間違いなく後に続くだろうな…。」幾多の危機を乗り越え、死ぬ思いでなんとかクリア。峠を下った所のドライブインで昼食。
 羅臼でR335に入って海沿いを南下。雨のツーリングは本当に疲れる。今までの疲れも溜まっているのだろう。既にヘトヘトのヨレヨレだ。今日の目的は何だったのか?そうだ、知床峠を越えることだった。もうそれは果たした。早いところ宿を探して体を休めよう。ということで、R272で中標津に行き、廃線となった中標津駅前のビジネスホテルを確保。部屋に入るなり、ほっとしてみんな横になってしばらく休んだ。
 夕方になると雨が上がり、4人は近くのコインランドリーで洗濯をした。ここでヒロは雨で濡れたシューズを乾燥機で乾かして、周りから白い目で見られていた。その行為自体ヒンシュクものなのに、「ゴトンゴトン」とうるさいったらありゃあしない。
 夕食はR272沿いの定食屋で食べた。
 ちなみに廃屋と化した駅では、ライダーとチャリダーが多数テントを張っていた。
宿データ 宿名 ホテルマルワ
場所 中標津町旧中標津駅前
感想 ほとんどライダーハウス状態の古いビジネスホテル。1泊2,900円
8月16日(木) 天気:曇り時々雨
 朝、どんよりと曇ってはいたが、雨は降っていなかった。
 まず、10kmほど北上した所にある開陽台へ行って地平線を見た。日本で地平線を拝める場所は滅多にない。北海道のスケールの大きさを体感できる。こればかりは写真に撮ったところで、その感動は伝わらないであろう。“目に焼き付ける”という言葉がピッタリだ。いくらメディアが発達しても、実際に見た者のみが味わえる特権までは再現できまい。売店で絞りたての牛乳を飲んだ後、出発した。
 開陽台に至る道はひたすら直線が続き、しかもアップダウンがある。開陽台側から見ると、まるで絵ハガキのようで絶好の撮影ポイントだ。4人は道端にバイクを停めると、記念撮影に没頭した。すると、彼らにつられてか、そのうち続々とツーリングライダーがやって来て、同じく写真を撮りはじめた。仲間同士で走っているところを撮ろうと、行ったり来たりする奴も現れ、もはや風情どころではない。とはいえ、GTEC達は既に目的を達成していたので、とっととその場を後にした。
 今日の目的地は北見市。そろそろ帰国(?)に向けて西進することにしたのだ。小樽からフェリーで帰るつもりである(予約なし)。
 まずはR272を西進し、道道13号線に入って弟子屈に行った。今にも雨が降り出しそうな天気であったが、摩周湖に再チャレンジ。15日と同じ第一展望台から摩周湖を見下ろした。幸い霧は出ておらず、今度はバッチリ見渡せた。ところが、写真を撮った直後に雨が激しく降り出したので、近くのレストランに非難して昼食タイムとした。ここの1,000円のジンギスカンは量も多くてうまかった。
 雨の降り方はまるで夕立のようで、しばらくすると止んだ。これはラッキー!ひょっとして、今日はカッパを着ないで済むかも…と期待しつつ、次の目的地、阿寒湖に向けて出発。しかし出発して10分後くらいに再び降り出した。仕方なくカッパを装着。
 R241を36kmくらい走ってR240に入ると、右手に阿寒湖が見えてきた。が、阿寒湖は雨でアカンわ。雨の中、写真だけ撮って出発。
 津別町に入ると、雨が上がって道がドライになった。ゆるやかなコーナーが続く。突然、4人をものすごい勢いでFZR250RとZEPHYR400が抜き去っていった。地元ライダーのようである。この時、待ってましたとばかりにオユタが戦闘モードに入ったことにより、バトルが始まった。
 ウメは2台の地元ライダーに抜かれても、まだカッパを着たままだし、もうしばらく行った見幌町でR39に左折しなくてはならないので、「ガマンガマン…。」と自分に言い聞かせた。すると更にもう1台抜いていく。どこかで見たマシンだ。オユタである!彼は左折するポイントを知らない(だいたいが、地図を持っているのがウメとマコちゃんだけとはどういうこと!?)。仕方なくウメはオユタを追いかけ、残る2台も後に続いたが、マコちゃんは1人引き離されつつ、つくづく250ccの非力さを痛感した。これが2ストだったら、互角に渡り合えたかもしれない。ところが、同じ4スト250ccの筈のFZR250Rは、目茶苦茶速かったのである。
 ウメとオユタはZEPHYRにすぐに追い付き、コーナーの出口でこれをパスし、FZRに手を伸ばした。と、相手もこちらに気付いたらしく、ペースがグッと上がった。2人は付いていくのがやっとである!かなり走り込んでいるらしく、見事なライン取りでコーナーをクリアしていく。この時点で、出遅れたヒロは遥か後方であった。それでも、自分のタイヤがワイヤーを露出させるほど減っているということはすっかり忘れ、アクセルを開け続けた。
 ウメはFZR400RR-SPの名にかけて、負けるわけにはいかなかった。そして道が長い直線になった時に、彼は勝利を確信した。「抜ける!」しかし、突然ウメのFZRは加速が止まった。スピードリミッターが効いてしまったのである!みるみる引き離されていくウメを尻目に、リミッターの付いていないオユタのGSX-R400はアタックを試みた。追い越したクルマはあっという間にミラーの視界から消え、対向車は見えた瞬間にすれ違う!スピードメーターは振り切って真下を指している(実測200km/h以上は確実!)のに、何と追い付けない!こうなりゃ単純に腕の差ではない。何なんだあのマシンは!?そうこうしているうちにそのFZRはペースダウンし、やがて道路沿いの駐車スペースに入っていった。どうやら信号やら建物がちらほらと出てきたから、バトル終了となったようである。オユタも少し先で停止し、ウメ達を待った。
 ウメはFZR250Rの脇に立ち、ヘルメットを脱いでこちらに手を振っている40代くらいのオジサンを見た。飛ばせる所でしか攻めない、走りのつぼを心得た地元のオジサンライダーに完敗した。曲がるポイントはオユタの停まった所から、僅か数十m先であった…。
 ちなみにこの時のオユタは、安物の所々破れた(ガムテープで補修)カッパを着て、足にはスニーカー(ブーツではない!しかもかかとなし!)が濡れないようにかぶせた黒のポリ袋をガムテープで固定し、色落ちするのがいやでグローブをせず、素手で運転していた。恐ろしい…。
 R39に入ってしばらく走るとまた雨。カッパを脱がなくてよかった。北見駅の観光案内所でホテル「黒部」を紹介してもらった。
 夕食は別のホテルで催されていたバイキングに行った。この企画、1,800円で和洋中、あらゆる料理が食べ放題で、今夜が最終日なのであった。
 オユタは今回のツーリングに、おしりが破れたジーンズを穿いてきていた。破れているとはいっても、最初はほつれていた程度だったのだが、洗濯を繰り返すうちに、段々その穴は大きくなり、ついに昨日の洗濯でパンツが少し見える程になってしまった。しかし、「(オユタ)言われなければ分からないでしょ。もったいないから、もう1回穿こう。」と、今日も穿いていた。バイキング会場の中央のテーブルに並べられた料理をオユタが皿に盛っていたところ、すぐそばで小学校低学年くらいの女の子が彼を指差し「あ〜っ!!このオジサン、オシリが破れてパンツが見えてる〜!!」と大声で叫んだ。それまで騒がしかった会場内が、一瞬シーンと静まり返り、全員の視線がオユタのおしりに集中する。オユタは「このクソガキャ〜!これはファッションなの!大体、な〜にが“オジサン”だ!? 実にショックだな、それは。」と心の中で思ったが、おしりを隠しながらそそくさと料理を持ってテーブルに移動し、ひっそりと食べていた。無論、他のGTECメンバーは大笑いであった。
 終了は20時までなのだが、入った時にはたくさんいた客も、19時の時点でこの4人だけとなってしまった。恥ずかしくて料理を取りにいけなかったオユタも復活し、黙々と食べ続ける4人。GTEC1人につき、1名以上のウェイターが後ろで待機し、空いた皿をすかさず下げていく。単純に客が減ったからか、早く帰れという意味なのかは不明ながら、20時ギリギリまでねばり、食べた食べた。4人とも苦しくってホテル「黒部」への帰り道は口数が少なかった…。
宿データ 宿名 ホテル「黒部」
場所 北見市駅の近く
感想 4人で広い和室に泊まった。ま、無難なホテルですな。1泊3,250円。
8月17日(金) 天気:曇り時々雨
 朝、(部屋のトイレがふさがっていたので)廊下にある共同トイレで“大”を終えたウメは、そこのドアを開ける時、勢い余って金具(バッグとか掛けておく、アレね)が壁にめり込んでしまった。本来それを防止するはずのストッパーが、ネジが緩んでプラプラ状態だったようだ。「こ、これは設備管理不行き届きのせいだ!」と、見つからないうちに急いで部屋に戻った彼は、布団をきちんとたたんで枕カバーを剥がしているオユタを見た。夜は従業員が敷きに来てくれたのだから、ある程度まとめておくだけでいいと思い、「(ウメ)そこまでしなくもいいんじゃないか?」と言った瞬間、枕カバーは“ビリッ”という音と共に破れた…。い、いかん!これ以上破壊しないうちにここを立ち去ろう。黒部のみなさん、すいませんでした。
 ちなみにこのツーリング以降、GTECのメンバーは頻繁にユースホステルを利用するようになり、夜は自分達で布団を敷いてシーツや枕カバーを装着し、朝は逆のことを行うという行為が、当たり前のこととして身に付いたのである。
 今日の目的は、層雲峡をゆっくりと見ること。出発時の天気は曇りであった。R39を西に進むこと1時間半で層雲峡エリアに到着。と、突然雨が降り出した!それもどしゃ降りである。先程までは曇りとはいえ、雨が降る雰囲気はなかったのに…。カッパを着ながら4人は、「もういいかげん勘弁してくれ!」と毎日の雨に憤りを隠せなかった。こんな中では景色を見る気もおきず、そのまま通過したら、ピタッと雨は止んでしまった。ありゃ?にわか雨か?とカッパを脱いでしばらく待ってから、Uターンして再び層雲峡に入ろうとすると、また降り出した。層雲峡の所だけ雨が降っている!もういい。諦めよう…。
 そのままR39を進み、旭川で昼食(旭川ラーメン)を食べ、今日の宿泊先をどこにするか協議した。そしてテレビドラマ「北の国から」が大好きなウメの提案により、今日は富良野に泊まることになった。
 R273を南下して富良野に向かう。途中でまたもや雨。17時頃に富良野駅に到着し、近くのライダーハウス「いつかきた道」で1泊することとした。
 富良野市街の銭湯で1日の疲れを取り、ライダーハウスで夕食にカレーを食べ、みんな疲れが相当溜まっていたので、早々に寝た。
 今日は淡々と走っただけで、なんとも面白味のない1日であった。
宿データ 宿名 いつかきた道
場所 富良野駅の近く
感想 カレーショップと一緒になっている。激辛カレーは強烈!1泊600円
8月18日(土) 天気:晴れ
 今日の計画はフェリーの予約次第で決定する。もし月曜日に小樽発新潟行きのフェリーが取れたら、今日中に小樽まで行かなくてはならない。早速富良野駅前の旅行代理店に行って問い合わせてみた。ところが!新潟行きのフェリーは23日(木)まで満席!本格的なツーリングが初めてだった4人にとっては、今回の北海道ツーリングで今後に生かされる様々なノウハウを得た。フェリーの件もそうである。本当に甘かった。4人で協議していると、苫小牧発東京行きなら21日(火)に空きがあると言われたので、東京経由で実家に帰ることにした。東京着は翌日の夕方だから、ウメのアパートに4人で1泊しよう。
 余談ではあるが、これはウメにとっては助かる結果となった。それは出発の数日前、彼は大学に行く途中にねずみ捕りで赤切符を切られており(今回装着していたレーダー探知機は、切符を切られた後に急遽購入したものである)、ツーリングから帰ってアパートに行ったら“召喚状”が届いていたからだ。しかも期限は迫っていたので、もしも新潟経由で実家に帰ってしまっていたら、やっかいなことになっていたであろう。そしてウメは保土ヶ谷の交通簡易裁判所に出頭し、他の3人はひと足早く実家に帰ることになるのである。(詳しくはエピソード「地獄のうめき声で北海道に行けない」を参照のこと。)
 というわけで、時間もたっぷりあるので、もう1泊富良野に泊まることにした。これで今日はゆっくりできる。しかも久しぶりに青空だ。
 まず、駅にあるJRで経営しているライダーハウス「ツーリングトレイン」で宿泊手続きを済ませて荷物を置き、麓郷の森に向かった。日差しは強く、今までの涼しさとはうって変わって暑かった。
 麓郷の森にあとわずかという所を走行中、ウメは胸に何か物体が当たったと思った直後、激痛が走った。ヒロに引き続き、どうやら今度はウメが蜂に刺されたようだ。暑いからといって、胸をはだけていたのがいけなかった。
 麓郷の森は、TVドラマ「北の国から」のロケで有名な地だが、ファンでもなければとりたてて何も感じることはないであろう。この程度であれば、安曇野周辺でも味わえる景色だ。しかし、ウメにとっては感慨深いものがあったようだ。目に涙を浮かべながら、黒板五郎3番目の家を眺めていた(蜂に刺された所が痛かったからという説もある)。近くの食堂で昼食を食べ、午後は周辺を散策した。
 テレビでよく目にしたり、大抵の人がイメージする北海道として、きれいに整備された広大な畑がアップダウンしながら延々と続く風景があるのではないだろうか。それをお望みなら、美瑛がお勧めである。麓郷一帯も広大な畑が広がるが、美瑛に比べれば少々荒削りという感じである。それは、入植者が苦労して開拓してきた歴史の重みがにじみ出ているのかもしれない。それはもう、相当大変だったらしい。
 適当に脇道に入って誰もいない広大な畑に囲まれ、“ぼ〜っ”としながら開拓の歴史に思いを馳せる。なんとも贅沢な時間の過ごし方である。畑を横切るそよ風がまた心地いい。欲張って様々な観光名所をハシゴする為に、分刻みのスケジュールで移動を繰り返す旅行とは正反対だ。フェリーの予約が取れなかったおかげで、今日は富良野を満喫できた。
宿データ 宿名 富良野駅「ツーリングトレイン」
場所 富良野駅
感想 いらなくなった電車を改造したライダーハウス。2両編成で、畳と絨毯の車両に分かれている。改造してまだ新しかったのか、とてもきれいであった。1泊700円。
8月19日(日) 天気:晴れのち曇り
 今日は岩見沢まで行く予定だ。昨日、ツーリングガイドに載っていた宿を予約してはあった。しかし、オーナーが急病で、応対をしてくれたのは看病の人なのであった。午前中にもう1度確認の連絡をすることになっている。
 R38をひた走り、滝川市でR12に入った所で、マコちゃんが宿に確認の電話。すると、な、なんと!オーナーは亡くなってしまっていたのである(少なくともマコちゃんにはそう聞こえた)!看病していた人は岩見沢市内にある「阿弥陀寺」の住職さんで、今夜はお寺に泊めていただけることになった。とりあえず阿弥陀寺目指して出発。
 R12は交通量が多かったが、岩見沢までの約45kmはよく整備され、ひたすらまっすぐな道であった。このエリアの道路は計画的に造られており、碁盤の目のようになっている。昨日に引き続き、暑い。
 阿弥陀寺は岩見沢駅の近くにあったが、泊まるのは納骨堂である!とはいったものの、1階が簡易宿泊施設になっており、建物も新しいので、納骨堂という事実さえ考えなければ全く申し分ない(詳しくはエピソード「恐怖!納骨堂で1泊!」を参照のこと)。まだ午前中だったので、荷物をお寺に置かせていただき、近くのラーメン屋で昼食を食べた後、夕張に向かった。
 夕張に続く道道38号線は、ヘアピンカーブの連続する峠道であった。地元の走り屋が至る所にたむろしており、否応なしに気合いが入る。こういった道が北海道にもあったとは意外な収穫であった。荷物を宿に置いてきていたので、各自全開で攻めることができた。
 夕張では石炭の歴史村を見たり、炭坑跡の遊園地でジェットコースターに乗ったりした。(この手の乗り物に弱いヒロは下で見ていた。)
 帰り道、先程の峠を降りる途中、クルマがガードレールに突っ込んでおり、更に下ではバイクとクルマの接触事故(ほとんど正面衝突!)が発生していた。パトカーやら救急車がけたたましく登って来る。こういった事故が続くと、そのうちに危険だからという理由で、まずバイクが通行禁止になったりする。そうならない為にも、安全マージンはとって走ってもらいたいものである。
 夕食は、お寺近くのケンタッキーで済ませた。納骨堂で寝るなんてそうそう体験できるものではない。ありがたや(?)。
宿データ 宿名 阿弥陀寺
場所 岩見沢市
感想 新築の納骨堂は、1階が簡易宿泊施設になっており、2階にお骨が納められている。布団は新しくてふかふかだし、恐怖心さえ克服すれば、快適なライダーハウスである。施設使用料として、650円で泊めてくれた。
8月20日(月) 天気:曇り時々雨
 朝起きると外は雨…。しかし降水確率は低い。9時過ぎまで待っていると、雨は上がって道はドライになった。すかさず出発し、R12で札幌駅に向かう。
 40分程で札幌駅に到着。邪魔にならないような所にバイクを置き、地下鉄で「すすきの」まで移動し、ラーメン横丁に行った。よく“ラーメン横丁に地元の人は行かない”と聞く。さほどうまくないかららしいが、本当だろうか?4人は別々なラーメン屋に入った。果たして結果は?以下が感想である。

ウメ:なかなかうまかったが、たばこを吸いながら作るのはやめてくれ。
オユタ、ヒロ:適当に入ったら全国チェーンのラーメン屋だった。つまり、どこでも食べられる味ってこと。わざわざ北海道まで来たのに…。まあまあうまかったけど。
マコちゃん:まあまあ。

 少なくともまずくはなかったようだ。
 すすきのからは駅に向かってブラブラ歩いた。大通り公園も見た。時計台も見た。時計台は期待していたのだが、ビルの間にポツンと取り残された古い建物といった感じで、あまり趣きはなかった。
 札幌はでかい街だ。しかし、ただそれだけ。北海道の大自然を満喫する為にツーリングに来たライダーが、好んで立ち寄る場所ではない。4人は駅前でお土産を買うと、札幌を後にした。
 R453を南下する。途中は霧と雨。森を抜けると、10日ぶりの支笏湖が姿を現した。樽前荘のおばあさんも元気そうで何よりですな。
宿データ 宿名 樽前荘
場所 支笏湖畔モラップ旧国道沿い
感想 8月11日のデータを参照のこと。
8月21日(火) 天気:晴れ
 ついに北海道最後の朝がやってきた。8時30分に樽前荘を出発。R276を走り、約30分で苫小牧港に到着した。
 乗船手続きをする為、カウンターに並びながら、オユタは迷っていた。「(オユタ)何だか実家に帰るのが面倒くさいなあ。夏休みの終わりには、また苦労して自走で八戸まで行かなくちゃならないし。このまま函館まで走って、大間に渡っちゃおうかな…。なおちゃんにも会いたいし。」自分の順番がやってきた。「予約はキャンセルできますか?」「当日のキャンセルは、料金の30%をいただきます。」迷いは消えた。彼はフェリーの切符を買って、実家に帰る決意をしたのである。この時オユタは、単純にキャンセル料を取られるのが嫌でフェリーに乗ることにしたのだが、結果的には正しい判断をしたといっていい。青森県のアルバイトの自給は目茶苦茶安い。残りの1ヶ月以上の休みを、実家の方でバイトした方が、遥かにカネになるのだ。
 ヒロは出港前、売店で酔い止めを買いながらオロオロしていた。彼は揺れる乗り物に弱い。それなのに台風が北上中なのである。このままいけば、東京に着く前に台風の近くを通過することになりそうだ。
 11時45分、フェリーは出港した。さらば北海道!雨にばかり降られたが、いやそれ故に4人とも「また来るぞ!」とリベンジに燃えていた。
宿データ 宿名 えりも丸
場所 苫小牧→東京の太平洋上
感想 ラウンジとか、設備はきれいでけっこうゴージャス。レストランの食事もおいしい。
8月22日(水) 天気:晴れ
 2等のザコ寝だったが、よく眠れた。この分なら船酔いもなく着けそうだ。
 「(ウメ)お、なんだここ、誰もいないじゃん!」「(オユタ)このソファー、座り心地よさそうだな。」「(マコちゃん)テレビで映画やってるぞ。」と、ブリッジ下にあるラウンジでヒロ以外の3人は、映画を観たり、雑誌を読んだりしてくつろいでいた。なぜ満席のフェリーで誰もここにいないのか、すぐに気付くべきだったが、何せ長距離フェリー自体初めての彼らである。「気持ち悪い…。」3人はみごとに酔った。船首の方にあるこのラウンジは、上下方向にけっこう揺れるのだ。気付いた時には遅かった。乗船前にオロオロしていたヒロが結果的には一番元気であった。
 フェリーは台風を避ける為に巡航速度を上げ、結局予定よりも約1時間早い15時30分に東京に着いた。台風自体速度を落とし、またコースも変わった為、関東は晴れていた。
 首都高から神奈川高速に入り、ベイブリッジを渡ったりして、なんとか明るい内に海老名市のウメのアパートに到着!ツーリング後半、北海道も暑いと感じていた4人であったが、この暑さに比べればどうってことはない、というくらい関東は暑かった。
 明日は、召喚状を見て青くなっているウメを残して、長野県の実家に帰るのみだ。本当にお疲れさん!

 なお、ヒロのZX-4のリヤタイヤは、もはや予断を許さぬ状態であった。後日、タイヤを交換したバイク屋の店員は、「おいおい!こんなんで走ってきたの〜!?よく帰って来れたねぇ…。」と目を丸くしていたという…。
宿データ 宿名 アイリスアルファ(ウメのアパート)
場所 神奈川県海老名市
感想 ウメのアパート。新築3DKで家族向けの部屋なのだが、ウメの友人と2人で借りていた。しかしその友人は現役で大学に入っており、1浪のウメは大学4年生の1年間、ここに1人で住んでいた。なんとも贅沢な奴である。駐車場まで付いている。
レポート by ウメ


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