グレートツーリング '16 in 九州 |
メンバー(マシン) | ウメ(K1300S)、ヨージ(ZXR250) |
4月29日(金) | 天気:晴れのち曇り一時雨 | ||||||||
15時55分、名神高速大津SAでウメとヨージは合流した。(計画では15時30分集合。) 各自のここまでの行程は下記の通りである。
【ウメ】 10時30分、安曇野市にある自宅を出発し、長野自動車道→中央自動車道→名神高速をひた走り、14時50分に大津SA着。 【ヨージ】 東京都江戸川区の自宅を6時15分に出発。葛西ICから首都高速湾岸線→首都高速1号羽田線→首都高速神奈川1号横羽線→横浜新道→保土谷バイパス→東名高速道路→伊勢湾岸自動車道(あまりの強風で怖くなった為、一部一般道を使用)→東名阪自動車道→新名神高速を経由して名神高速に入り、大津SAに15時55分着。ルート変更や所々で渋滞にハマった為、少し遅れてしまった。
16時30分に大津SAを出発。道中渋滞に遭遇するもすり抜けで回避して、西宮ICで高速を降り、R43を西進。途中で給油してから六甲大橋を渡って六甲アイランドに。17時40分、「フェリーさんふらわあ」のターミナルに到着。 バイクの乗船開始はクルマに先駆けて18時30分からだった。一般の乗客もまだだったので、客室にチェックイン後、速攻で風呂場へ突撃。すいている内に湯船に浸かることができた。 19時50分、フェリーは六甲アイランドを出航した。 本日の走行距離:長野自動車道安曇野ICから407km(ウメの自宅からだと+4km)/553km(ヨージ) | |||||||||
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4月30日(土) | 天気:晴れ | ||||||||
7時20分、フェリーは大分港に定刻通り入港した。バイクの搬出はクルマの後となり、上陸したのは7時40分だった。記念撮影後、出発。気温は14℃。
ただし、“自粛により中止”というのはあり得なかった。九州各地では、直接被害がなかった観光地でも、ゴールデンウィークのツアーや宿泊予約のキャンセルが相次いでいた。観光産業は大打撃。つまり、間接的な被災者も大勢いるのだ。こんな時だからこそ、そういった方々への支援になれば幸いなのである。 R210を西進。交通量が多く、車の流れに従って淡々と走る。道の駅「ゆふいん」で休憩して、更にR210を西へと進む。 JR九州の久大本線北山田駅を過ぎた辺りで県道54号線に右折。R210をそのまま進むよりも3km位ショートカットするこの道は、これがなかなかのワインディングで面白かった。豊後中川駅付近でR210に復帰後は、だいぶ交通量が減っていたので順調に進んだ。道の駅「うきは」で休憩。 しかし、久留米市街地に入るとすり抜けが困難な道幅なのに、信号機による渋滞が断続的に続き、ストップアンドゴーの繰り返しでペースが著しく落ちた。気温は24℃に上昇し、出発時の服装では走行していないと暑くて体力も消耗した。 R264、県道22号線を経て、12時5分に佐賀県の神埼市と吉野ヶ里町にまたがった吉野ヶ里歴史公園に到着。ここは、「グレートツーリング '10 in 九州」の5月3日にウメが単身で訪れたことがあるものの、早朝だった為にゲートが閉まっていて中に入れなかったという、苦い思い出がある。6年目にしてリベンジが達成された。 まずはここの施設内にあるレストランで昼食を済ませ、420円払って園内へ。 吉野ヶ里遺跡は、弥生時代の遺跡の中でも国内最大規模であり、帯状の段丘に集落や田畑の跡が発見されていて、それらがまとまって「クニ」を形成していたものと考えられている。その一帯を丸ごと歴史公園としているので、確かに、この手の公園としてはスケールがでかい。自然公園として楽しむこともできるから、観光目的だけではなく、ピクニック気分で訪れるのもいいだろう。 園内には復元された建物が数多くあり、(身分の)階層ごとに区分けされていて、それぞれは趣が異なる。特に木の柵で囲われた北内郭(まつりごとの場所)はアニメ映画「もの○け姫」で登場するタタラ場そのまんまといった感じだった。物見櫓には実際に登ることができる。なるほど本来の役割を満たしており、そこからの眺めは素晴らしい。
太平洋戦争中、この辺りには旧日本陸軍の大刀洗陸軍飛行場と大刀洗陸軍飛行学校があった。この歴史資料館には、現存する世界唯一の実機である九七式戦闘機と零戦三二型が展示されている。また、空襲の資料や、その犠牲者(撃墜された米軍爆撃機の搭乗員も含む)の遺影等も見学した。 零戦三二型は空母で運用し易くする為に、翼の両端がそれまでよりも50cmずつ短く、多くの人が零戦と聞いてイメージする翼とは異なる角ばった形状となっている。(資料館の2階から見下ろすとよく分かる。) それ故に運動性能が悪化して、この型はパイロットから不評だっだことから、すぐに丸みを帯びた元の形状に改められたというレアな型式なのである。
菅原道真を祭神として祀る太宰府天満宮は、前回(グレートツーリング '05 in 九州)ウメが訪れた時、池にミドリガメがうじゃうじゃといたのだが、さすがに駆除されたのか、数匹確認できただけだった。とはいえ、相変わらず池の水は濁っていて汚い。境内約6千本の梅はとっくに咲き終わり、3万本もの菖蒲の花は、5月下旬〜6月中旬頃が見頃となる。茶屋で梅ヶ枝餅を喰らってから17時に出発。
この遺構は地下430mの坑道まで採炭夫を昇降させたり、石炭を搬出する為の鉄筋コンクリート製で高さ47.65mの櫓である。1943年(昭和18年)に完成し、閉山される1964年(昭和39年)まで活躍した。周辺には鉱山の入り口が何ヶ所か(もちろん入れないように塞がれているが)残っている。
夕食は博多駅東口の「楽天地」に行ってビールで乾杯。大盛りのニラが入ったもつ鍋に火を入れると、やがて秘伝のスープの中に沈んでいき、食べ頃となる。最後はちゃんぽん玉で締めくくって、腹一杯となった。
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5月1日(日) | 天気:晴れ | ||||||||
今日は博多港から10時出航のフェリー(九州郵船)で対馬に渡る予定だ。しかし、九州郵船のフェリーは二輪車の予約ができない。基本的に先着順なので、もしもフェリーに乗れなかったらえらいことになる。この便を逃せば、次は夜中の出航となり、実質的にバイクでの対馬行きは諦めないといけない。 宿を8時5分に出発。博多港には10分位で着いた。九州郵船のフェリーターミナル駐車場にバイクを停めると、すかさずチケット窓口へ…。 結果として、対馬へ行けるのかという心配は杞憂に終わった。対馬を訪れる観光客の多くは、ジェットフォイルを利用するようだ。フェリーは主に生活の足として使われる為、車両の多くは商用車で、二輪は10台にも満たなかった。
ちなみに対馬地元のクルマは後ろに追い付くと、大抵は(気持ちよく?)道を譲ってくれるので、強引に抜いたり、煽り倒して譲らせるということは島の滞在中になかった。そもそも島内で原チャリ以外のバイクは珍しいようだ。 港から31km走って15時40分に豆酘崎(つつざき)着。気温は20℃。 豆酘崎は対馬の南西端に位置し、灯台周辺に遊歩道が整備されている。岬の先端部は断崖となっていて、雄大な光景が広がる。他に観光客は数人のみだったので、ほぼ貸し切り状態の展望台を満喫した。
対馬には要塞跡がたくさんある。朝鮮半島に近い島である対馬は、古代から国防の要の地なのだ。鎌倉時代にモンゴル帝国とその属国である高麗王国による侵攻を受けた「元寇」は有名な話だ。幕末から第2次世界大戦にかけては、島の要所に要塞(砲台)が築かれた。近代のものは保存状態がよく、今回のツーリングではその中の何箇所かを廻る予定だ。 ここ豆酘崎には砲台跡、弾薬庫、探照灯格納庫が良好な保存状態で残っている。遊歩道も実はかつて軍道だったのである。
上見坂公園には浅茅(あそう)湾を一望できる展望所があり、なかなかの眺望ではあったが、やはりここの目的も戦跡見学にある。 公園を少し奥に歩くと、日露戦争前に建造された上見坂堡塁(ほうるい)が姿を現した。先程の豆酘崎砲台跡のように、“砲台”とは海岸近くに設置され、その目標は主に海上の敵艦船なのだが、“堡塁”は上陸してきた敵を攻撃する為のものである。よって、砲床を有する固定式の砲塔と違い、移動可能な重砲を用いるのが一般的だ。その砲座や塹壕、砲兵詰所、兵舎といった施設が残っている。ここも閑散としていたので、廃墟の雰囲気を存分に味わうこともできた。
夜は地元の居酒屋で魚料理に舌鼓を打った。繁華街と呼べるエリアは小さいのだが、そこかしこに韓国人がたむろしていた。韓国人旅行客が多いというのを実感。 本日の走行距離:83km | |||||||||
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5月2日(月) | 天気:晴れ | ||||||||
今日も同じホテルに泊まるので、荷物はタンクバッグだけにして軽装備で8時5分出発。気温は20℃。厳原よりも北側を1日かけて廻る予定だ。 R382をひたすら北上。R382は島の南北を貫く主要道で、センターラインのある整備された道で走り易い。 対馬の“くびれ”のすぐ北側、豊玉(とよたま)町で一旦海沿いに出て、9時に和多都美(わたづみ)神社着。 和多都美神社は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祭る海宮で、竜宮伝説が残されている。特徴的なのは本殿正面から海に向かって延びる5つの鳥居で、そのうち2つは、海中に建っているのだ。他には誰もおらず、ひっそりとした雰囲気の中で、神秘的な眺めを楽しむことができた。潮の満ち引きで印象がだいぶ違うものと思われる。
対馬のほぼ中央に広がる浅茅湾の北側にある烏帽子岳は、周囲にこれより高い山がない為、駐車場から歩いて数分の展望台からは、360度の大パノラマが広がる。延々と続くリアス式海岸と大小様々な島々…。対馬ってこんなに複雑に入り組んだ島なのだと実感する。実際、対馬は本島以外に100以上の小島から構成されている。対馬に観光で訪れたら、烏帽子岳展望台は絶対に行くべきだ。その際は、和多都美神社の前も通ることになるから、セットで楽しむのがいい。
対馬野生生物保護センターは、対馬の希少野生生物の保護と現状の説明、生態の紹介を行っている施設である。今回訪問の目的は、レッドリスト「絶滅危惧IA類」の希少野生生物であるツシマヤマネコを見ることだ。 実はここ、平日の月曜日が休館日なのである。そして今日は平日の月曜日…。事前にそこまで調べていなかった為、残念でしたという結果でも仕方なかったが、幸い、ゴールデンウィーク期間中は開館していた。 ツシマヤマネコは、対馬だけに生息する野生のネコで、10万年程前に陸続きだった大陸から渡ってきたベンガルヤマネコの亜種と考えられている。 福岡市動物園で絶滅を防ぐ目的で行われている繁殖事業において生まれた「福馬」ちゃん(福岡生まれで対馬育ちだからのネーミング)が、ここでは飼われている。説明員からの話でイエネコとの違いや特長を聞いてはいたものの、猫を飼ったことがない2人からすれば、タダの猫にしか見えなかった…。
お次は韓国展望所。文字通り韓国を間近に感じることができる展望台だ。R382に戻って更に北上。県道182号線で対馬のほとんど北端付近まで走って11時50分到着。 さっそくソウルのパゴタ公園にある施設をモデルにしたという展望台から韓国方面を眺めた。何しろ、韓国までは僅か50km程度しか離れていないので、気象条件がよければ釜山市の街並みが望めるとのことだが…。残念ながら天気はいいものの、水平線は霞んでいて見えなかった。晴れていればいいというものではないのだ。
ここの砲台は1934年(昭和9年)に完成したので、対馬では比較的新しい。なんと、この砲台に据えられていたのは、天城型巡洋戦艦の2番艦として起工したものの、世界軍縮会議で空母に改装された「赤城」の主砲で、当時は世界最大の巨砲だった。(「長門」「土佐」の主砲という説もあり。) 射程は30kmもあったことから、周辺海域に敵艦は迂闊に近付けなかった。おかげで(?)豊砲台は、実戦で一度も発射することがなかったという。抑止力としては充分その存在意義があったわけだ。 戦艦の主砲を運用するとなると、かなり大掛かりな設備が必要である。ここにはそれらの建物がたくさん残っていて、中に入ることができる。入り口のスイッチを押すとLED照明が点き、タイマーで30分後に自動消灯するようになっていた。もちろん砲塔は撤去されているが、設置跡の中心に立って上を見上げると、そのスケールの大きさに圧倒される。そして対馬における戦跡見学で感じたこととしては、「コンクリートは丈夫」ということだった。
とっくにお昼どきを過ぎているのに、食事ができそうな場所は目に入ってこなかった。コンビニすらない。13時10分に、ようやく比田勝(ひたかつ)港近くのこじんまりとした食堂を発見し、ラーメンを食べた。
島の西側に沿う県道39号線は、R382と違って細い田舎道だ。この道を比田勝から8km程南下して、少し海側に入ったところにそれはあった。 オメガ塔とは、オメガ航法システムの為に1975年(昭和50年)、海上保安庁が対馬の地に完成させた、高さが455mもある鉄塔である。世界に8つあり、ふたつのオメガ塔(オメガ局)から発する電波の位相差によって距離を求めることで、船舶や航空機が自身の位置を測位できたのだ。しかし衛星を使ったGPSが普及したことによって、やがてその存在意義を失い、対馬のオメガ塔は16年前に解体された。その跡地が公園に整備され、基部がモニュメントとして残っている。スカイツリー(634m)が完成するまでは日本一の高さだったわけだ。(2人とも知らなかった!) 公園はきれいに手入れがされているが、他に観光客は誰もおらず、ひっそりとしていた。塔の基部だけを見ると、この上に455mもの鉄塔があったなんて想像できない位コンパクトに感じた。鋼管の直径は僅か3mで、頂部から半径1kmに空中ワイヤー16本を張り巡らして固定していたのだそうだ。「(ヨージ)オメガ感ハンパないっス!オメガ最高っス!」
16時10分に資料館着。ところが、入り口は閉ざされていた…。休館日である。島で一番の街中にあるくせに、対馬野生生物保護センターのような配慮はなかった。 時間はまだあるので、近くの万松院(ばんしょういん)に行った。ここは1615年(元和元年)、対馬府中藩第2代藩主の宗義成が、初代藩主の追善供養の為に建立した天台宗の寺院である。以来、宗家歴代藩主の墓所となっている。山門と仁王像は対馬最古の建物で、墓所にある樹齢(推定)1200年の大スギは、対馬一の樹齢と言われている。うっそうとした木々の中、石段の上に広がる立派な墓石群は、いかにも400年に渡る歴史が刻まれているという雰囲気を醸し出している。万松院の見学は予定外だったが、なかなかよかった。思わぬ拾い物をしたといった感じだ。
本日の走行距離:202km | |||||||||
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5月3日(火) | 天気:雨のち曇り | ||||||||
通常、博多行きフェリーは厳原港を8時50分に出航するのだが、5月3日と4日は特別配船日で、早朝6時出航となっている(壱岐には寄らず、博多に直行)。ただでさえ朝早いのに、往路と同じく二輪車の予約ができない為、受付窓口が開く5時(←対馬上陸時に調べておいた)より前にフェリーターミナルへ到着しなくてはならない。往路の混雑状況を考慮すれば、あまり心配しなくても大丈夫かと思われたものの、万全を期す必要はあろう。 というわけで、4時45分に宿を出発した。予報通り既に雨が降っている。しかも激しく!風も強い…。そもそもフェリーが欠航になってしまったらという不安も出てきた。 フェリーターミナルまでは僅か600mなので、すぐに着いた。まだ窓口にはほとんど人が並んでおらず、受付開始後に難なくチケットをゲット。ひとまずほっとした。しかし乗船前に激しい雨風の中で待機しているのは苦痛だった。 6時、予定通り出航。車両甲板は往路に比べてえらく閑散としていた。そして案の定、船はけっこう揺れた。こんな中で本でも読んだら、船内で食べた朝食を戻してしまうに違いない。 9時50分、福岡港に入港。相変わらずの雨風の中を出発。福岡都市高速1号線香椎線を香椎東ICまで走り、R495を海沿いに進む。11時5分、宗像市の釣川を渡った所にある道の駅「むなかた」で休憩。雨の日のツーリングは、コンビニにすら入るのが一苦労だ。まさかヘルメットを被ったままというわけにもいかず、かといって脱いだヘルメットをバイクのミラーに引っ掛けると、内側が濡れる。カッパを着たまま店内を歩くのは仕方ないにしても、水滴がしたたり落ちて床を汚す。それはどんな施設でも同様で、とにかく肩身が狭く、行動が制限されてしまう。 幸いなことに、ここの道の駅では(屋外だが)屋根の下にあるテーブルを確保できたので、カッパを脱いでしばしリラックス。ついでに昼食とした。人気スポットのようで、鮮魚をメインとした物産店があったりして、駐車場はほぼ満車状態だった。 更にR495を雨に耐えながら1時間位走り、コンビニで休憩。道の駅「むなかた」に続いての幸運で、店内に休憩コーナーがあって助かった。しかし、出発時に床を見たら水溜りができていた…。店員さんにごめんなさいして先へと進む。 13時30分、北九州市の響灘(ひびきなだ)東部地区にある通称「軍艦防波堤」着。 戦後、北九州港の防波堤(770m)のうち約400mを、旧日本海軍の駆逐艦「涼月」「冬月」「柳」3隻を沈設して作った。 その後、「涼月」「冬月」は完全に埋没してしまったが、「柳」の船体を見ることができるのだ。
GTEC26年に渡るツーリングの歴史において、こんなに激しい雨の中を長時間走った記憶はない。まるで耐水試験でもしているかのようであった。バイク用防水シューズは徐々に浸水し、最終的には靴下がずぶ濡れになって、歩けばチャプチャプといやらしい音がした。カッパの弱い部分からも水が浸入して拡散。特に下半身は被害が大きかった。更にヨージのインカム(一応防水仕様だが完全防水ではない)が作動しなくなった。 もう宿に行ってしまいたいとも思ったが、さすがに時間が早過ぎる。天気予報を信じれば、16時頃には雨が止むので、徐々に小降りになっていくことが期待された。そこで、計画通り次の目的地、山口県下関市にある火の山公園へ向かうことにした。本州に渡るのにはR2の関門トンネルを使う。 北九州都市高速道路2号線とR199で海沿いを走り、門司港手前でR2に。トンネルはもうすぐだ。 ところがR2に曲がったとたん、渋滞に遭遇。トンネル入り口付近にいくつか信号があり、こちら(直進方向)側が赤の時に脇道からクルマがガンガン流れ込んで詰まってしまい、青になってもなかなか先に進めないのである。もちろんその間も雨に打たれ続けているわけで、もはや修行だ。 ようやく100円払ってトンネルへ。およそ3.5kmのトンネル内を走行中は雨やどりすることができた。反対車線側(九州方面)を見ると、あちら側もひたすら渋滞している。 本州(下関)に入ってすぐ、火の山公園への登り道で、どうやら雨風がピークに達したようだ。バイクが右に左に揺さぶられて怖かった。おまけに霧まで発生!もう勘弁してくれ状態である。 それでも、この日3度目の幸いなことに、駐車場は屋内だった。これは大変助かる。ヘルメットを脱ぎ、傘を差して展望台へ…。この公園は火の山山頂にあり、視界がよければ下関市街地や関門橋、関門海峡を挟んで門司港を一望にできるのだが、霧のせいで何も見えやしない…。いくらゴールデンウィーク期間中とはいえ、こんな天気の日にここを訪れる奇特な観光客はほとんどいなかった。売店も閑古鳥が鳴いている。 仕方ないのでもうひとつの目的である、下関要塞跡を見学した。火の山公園内には明治時代に造られた砲台跡と、関連する施設群が残されている。雨と霧の中に佇むこれらの遺構は、これはこれでなかなか趣が…いや、雨水で足元がぬかるんでいたりして、歩くのも嫌になってきたし、強風で傘がおちょこになることも度々…。見学を中断したのであった。
下関ICから九州自動車道に乗り、関門橋で関門海峡を渡って九州に戻った。門司JCTから北九州都市高速道路4号線を走り、大谷ICで高速を降りてすぐ、本日の宿、北九州ユースホステル アロハスピリットに16時40分着。 一旦チェックインした後、ヨージだけは宿の近く(約4km)にあったバイク用品店に行って、壊れたのと同型のインカムを購入した。 本日の走行距離:147km | |||||||||
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5月4日(水) | 天気:晴れ | ||||||||
風は強めだが、昨日の雨は何だったんだ?というくらい、朝からいい天気だ。しかしシューズは乾き切っておらず、既に嫌な臭いを発している…。 8時20分出発。今日のメニューは盛りだくさんだ。河内貯水池を左手にして県道62号線を走る。気温は20℃ですがすがしい。R322、県道28号線と順調に走って9時20分に平尾台着。 平尾台は結晶質石灰岩からなる九州一のカルスト台地で、山口県の秋吉台、愛媛県の四国カルストと並んで、日本三大カルストのひとつに数えられている。しかし、ここ「平尾台自然の郷」内にある展望台からの眺めを台無しにしているものが…。それは西に目を向けると見える石灰岩の採掘場だ。削り取られた山が無残な姿をさらしている。衛星写真で見れば、いかに採掘規模が広範囲かがよく分かる。アクセスと眺めの良さを考慮すると、キング・オブ・カルストは秋吉台に決定だ。 何はともあれ、ウメのカメラでセルフタイマーによる写真撮影。「(ヨージ)三脚が風でプルプルしてるっス。やばいっス!」「(ウメ)だ〜いじょ〜ぶ。ま〜かせて!」しかしこのやり取りは、後のアクシデントへの伏線になるのであった。
4月30日に見た旧志免鉱業所竪坑櫓はコンクリート製だったが、こちらは鋼製で、現存する明治期の竪坑櫓としては最大級の規模だそうだ(総高28m)。近くには巨大なレンガ造りの伊田竪坑第一、第二煙突が残っていて、産業ふれあい館の横には石炭の運搬に使用された9600形蒸気機関車も展示されていた。一帯は石炭文化を後世に残すべく、公園として整備されている。その一角にある博物館は、改修工事の為に休館中。そのせいか、連休真っ只中でこんなにいい天気なのに、人がまばらでひっそりしていた。
猿飛千壺峡は山国川の河床一帯に広がる甌穴群で、清流が長い年月をかけて創り出した芸術品だ。紅葉の時期は更に素晴らしい景観スポットとなろう。ちなみに「猿飛」という名前は、昔、猿が岩の間を飛び回っていたことから名付けられたそうだ。
前回の説明を引用すると、その昔、この付近は巨大な岸壁で、通行人は鎖を伝って往来していた。その為、人馬が足を踏み外して転落し、死傷することが多かったという。それを見た禅海和尚は1730年頃から、独り鑿(のみ)と槌(つち)で岸壁に向かい、30年をかけてトンネルを掘ったのである。禅海和尚が通行人から、ちゃっかり通行料を徴収したという話が伝えられており、青の洞門は日本最古の有料道路と言われている。現在は自動車道(旧R212)のトンネルで拡張されているが、一部にノミの跡が残る、当時の面影を偲ぶ区間を見学することができる。ここは耶馬日田英彦山国定公園に指定されていて、紅葉シーズンはさぞかし見ごたえがありそうだ。気温は26℃まで上昇していた。
猿飛千壺峡と競秀峰は山国川だが、深耶馬溪はその支流である山移川沿いの渓谷だ。展望台からは海望嶺、仙人岩、嘯猿山、夫婦岩、群猿山、烏帽子岩、雄鹿長尾嶺、鷲の巣山と名付けられた絶壁が一望できることから「一目八景」と呼ばれている。しかし、年々樹木に覆われて岸壁が見えなくなってくると、“ただの山”状態となってしまい、近年大規模な修景が行われた。
お目当ては旧豊後森機関庫。豊後森機関庫は1934年(昭和9年)の久大線全線開通に伴い、豊後森駅の東側に完成した蒸気機関車の基地である。ディーゼル機関車への移行に伴い、1971年(昭和46年)に廃止された。最盛期には21台もの機関車が格納されていた扇形の機関庫と転車台、そして9600形蒸気機関車が残っている。本日2台目の登場となる9600形蒸気機関車はきれいに修復されているのだが、その他の遺構は基本的に廃止された当時のままなので、戦時中に米軍機から受けた機銃掃射の痕が壁に残っていたりする。
40分位滞在して出発。R210に出ると、後は4月30日と逆ルートで大分港を目指す。 道の駅「ゆふいん」で休憩後、交通量がいきなり増え、断続的な渋滞に遭った。幸い路肩が広かったので、ひたすらすり抜けでクリアし、17時55分にフェリー埠頭に着くと、ちょうどバイクの搬入が開始されるところだった。乗船手続きに時間を要した為、残念ながら、初日のように一番風呂というわけにはいかなかった。 19時15分、フェリーは九州を後にした。さらば九州! 本日の走行距離:226km | |||||||||
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5月5日(木) | 天気:晴れ | ||||||||
6時35分、六甲アイランドに入港。6時55分上陸。
後は各々基本的に初日と逆コースを走り(風が穏やかだったのでヨージは伊勢湾岸自動車道を全線利用)、ウメは11時45分、ヨージは16時に帰宅した。 結果的に九州滞在時に余震を体感することはなく、見た目で地震の痕跡を感じさせるものといえば、たまに見かける災害派遣の自衛隊の車両程度だった。とにかく、無事帰って来れてよかった。 本日の走行距離:長野自動車道安曇野ICまで411km(ウメの自宅までだと+4km)/585km(ヨージ) |
グレートツーリング外伝 '16 in 伊豆 |
メンバー(マシン) | ウメ(K1300S)、カッキー(ZX-10R)、ヒロ(GPZ900R)、ヨージ(ZXR250)、スペシャルゲスト:フクちゃん(R1200R) |
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