2009年のツーリング

グレートツーリング '09 in 四国 & 九州 & 中国地方

メンバー(マシン) ウメ(GSX1300R)、オユタ(バンディット250)、カンちゃん(YZF1000R)、ヒデ(CBR900RR)、ヒロ(GPZ900R)
 ここ数年のグレートツーリングは、ツーリング制覇マップの中で走ったことのない道を埋めるのが主な目的になってきている。もちろん、全ての道を制覇するなんて不可能なので、まずは北海道、本州、四国、九州、沖縄の海岸線をほぼ埋め尽くそうというわけだ。ただし、北海道は惜しいところまできているものの、ゴールデンウィークに行くのは気候的に厳しいであろう。(2006年のツーリングで寒くて懲りた。)
 そこで、まだ誰も走ったことのない、九州の国東半島エリア北東部と山口県南部の瀬戸内海沿いをターゲットとした。九州へは、ヒデ以外未到達の佐田岬半島(愛媛県)経由で大分県に上陸する。明石海峡大橋で四国北側をず〜っと走れば、瀬戸内海を完全に包囲するようにぐるっと廻るルートとなるのだが、さすがに体力的、スケジュール的に厳しい。よって、大阪南港から松山港まではフェリーを利用することにした。
4月29日(水) 天気:晴れ
 10時50分、長野自動車道みどり湖PAにウメ、オユタ、カンちゃん、ヒロは集合していた。ヒデは前日の晩、愛知県で催された会社の元同僚との飲み会に出席しており、そこから本日の目的地である大阪南港コスモフェリーターミナルに直接移動することになっている。

集合!
 10時55分、みどり湖PAを出発。隊列はウメ、オユタ、カンちゃん、ヒロの順番である。中央自動車道恵那峡SA、名神高速養老SA(昼食)で休憩し、草津PAで給油。
 「捨ててしまいたい位ひどいマシン」とオユタに言わしめたほど調子の悪かった彼のバンディット250は、ツーリング前のオーバーホールでみごと復活を果たしていた。
 今年の3月28日から、新たな経済対策に関する政府与党会議、経済対策閣僚会議合同会議等に基づいた生活対策として、2011年の3月27日までの期間、土日祝日の高速道路上限料金を1,000円とする割引が実施された。ただしETC装着車に限られ、東京、大阪近郊エリアは別料金が適用される等の条件がある。今回参加するGTECのメンバーでバイクにETCを装着しているのは、ウメ、オユタ、ヒデの3台だ。計画している行程におけるETC非装着車との料金の差額は、約12,000円になる予定であり、この3人にとっては喜ばしい値下げとなった。反面、休日には交通量が増加することによる渋滞が心配された。本日は18時頃までにフェリーターミナルへ到着すればOKで、例年であれば12時に出発してちょうどといった感じなのだが、渋滞を懸念して、集合時間を1時間早めたのだ。ここまでのところ、渋滞はない。
 草津PAの次は吹田SAで休憩するつもりだった。しかし給油後にヒロが「トイレに行きたい…。」とのことなので、(ここのガソリンスタンドからはレイアウト上、休憩施設までだいぶ逆走することになって危険な為)大津SAに寄ることにした。
 15時過ぎに大津SA着。ティータイム後、ここから一気にフェリーターミナルを目指す。休憩中、ヒデからフェリーターミナル到着のメールがウメの携帯電話に入った。
 15時50分、大津SA出発。豊中ジャンクションから阪神高速に入る。途中の料金所でETC非装着車のカンちゃんとヒロは、前のクルマのドライバーが料金徴収員に長々と道を聞いていた為、えらくタイムロスとなってしまい、走行車線を流れに乗って走り続けるウメとオユタに追い付けなかったというハプニングもあったが、最終的には4人共16時55分までに大阪南港コスモフェリーターミナルに到着した。結局、ここまで渋滞はなかった。先に到着していたヒデと合流。
 乗船手続きは19時からということなので、隣接するアジア太平洋トレードセンター(ATC)に行って暇つぶしをした。ATCは様々なアメニティ施設やアウトレットモールなどを有する大規模なスペースで、ウメ、カンちゃん、ヒデの3人は「グレートツーリング '03 in 沖縄 & 九州」の初日に、やはり時間調整を行う為に寄っている。

ATC
 18時過ぎにATC内の洋食店で夕食。食べ終わってから、この店ではフェリーのチケットを見せると料金が1割引になることを知って一同悔しがった。乗船手続き後に食事にすればよかった!
 20時、バイクの搬入開始。20時30分、出航。明日の朝は四国(松山)上陸だ。
 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICから419km/長野自動車道塩尻北ICから403km
宿データ 宿名 ダイヤモンドフェリー「さんふらわあ こがね」
場所 大阪→松山の瀬戸内海上
感想 1992年就航、2003年改造。全長150.9m、総トン数9,710t、旅客定員942名。元々は関西汽船所有の船だったが、2008年からダイヤモンドフェリー船籍となっている。大阪南港と大分港を結ぶ便で、神戸、今治、松山に寄港する。高速道路の休日ETC利用車上限1,000円化によって、フェリー業界は大打撃を被っているらしい。大阪南港と神戸からの積載車両は少なく、1部屋12名収容可能な2等寝台の客室は、しかしGTEC5名以外に乗客がいなかった。向かい側の2等部屋(ザコ寝)は修学旅行なのか中学校の生徒が占有しており、それを除けば、船内は閑散としていた。2等寝台はスリッパが用意されているものの、テレビやコンセント、洗面所はない。収納スペースも少ない。満室だったらさぞかし窮屈であったことだろう。もっとも、移動する宿と思えば安いものだ。
2等寝台+2輪:9,520円(750cc未満)、10,320円(750cc以上)←インターネット割引適用
4月30日(木) 天気:晴れ
 7時50分、定刻通り松山港入港。朝食は船内で済ませていたので、上陸後、四国最西端の佐田岬に向けて出発した。隊列はウメ、ヒデ、オユタ、カンちゃん、ヒロの順。

フェリーから見上げるしまなみ海道

四国上陸!(松山港)
 新調したウメのカーナビに従い、松山市の西側を南下する。時間的には多少遠回りでもR56を利用した方が早かったかもしれないが、なるべく海岸線に近い道路を(ツーリング制覇マップを埋めるべく)走ることにしたのだ。
 カーナビは使いこなせなければ便利である。しかし、例えば周辺に有料道路のないAからB地点に移動する場合、県道が最短距離で地図上の道幅も太く見える場合、どんな検索条件にしても、その県道を走るように指示されるであろう。しかし、実際には明らかに県道よりも太く、距離が多少長くなっても快適で時間短縮になるような地方道があっても、ほとんどのカーナビは検索してくれないと思われる。もちろん、地図の鮮度も関わってくるが、そういった融通のきかないシチュエーションが今回のツーリングで何度かあった。それでも先頭を走るウメからしてみれば、カーナビがない頃に比べると、見知らぬ土地の地図を頭に叩き込むという事前準備の負担が格段に減っており、もはやカーナビなしのツーリングは考えられなくなってしまった。反面、“走った”という実感が希薄になり、“走らされた”と感じるようになってしまったのが悩みどころだ。「(オユタ)オレなんか、いつだって前のバイクのタイヤしか見てないよ。」
 伊予市でR378に入り、海沿いをひた走る。交通量は少ない。佐田岬半島への通常ルートは、八幡浜市でR378からR197に右折することであろうが、それだと半島南側の付け根まで一旦南下することになる。そこで、走りのステージを兼ねて、ひたすらワインディングの県道255号線をあえてチョイスした。
 県道255号線はセンターラインがほとんどなく、時にはクルマ同士の擦れ違いに気を使うレベルの道幅ではあったものの、天気に恵まれ、交通量も皆無に等しかったことから、そこそこ楽しめた。(ただし、クルマで走っても決して楽しくはないだろう。)
 10時、佐田岬半島の途中にある道の駅「きらら館」着(伊方町)。売店で「じゃこ天」を食す。じゃこ天は魚のすり身を板状に延ばして揚げた物で、なかなか美味だ。展望台からは四国電力伊方(原子力)発電所を見下ろすことができる。道の駅には原発のPR施設が併設されており、ちょっとだけ見学した。

じゃこ天を喰らう
 30分程休憩した後に出発。ここからはR197を進む。原発のおかげか、この国道は整備されていて走り易い。
 三崎港を通り過ぎ、佐田岬へ。終点は断崖に面した駐車場で、ここから片道約20分歩かないと灯台のある岬先端までは行けない。灯台付近には旧日本軍の要塞跡もあるらしく、ぜひ行ってみたいのだが、今日は三崎港からフェリーで大分県(佐賀関港)に渡り、国東半島の北側まで走らねばならないので、ゆっくりはできない。岬を背景に記念撮影し、地元のおばあさんが駐車場で売り歩いていた、この付近で採れたというみかんを半ば強引に購入させられた後、次のフェリーの便に乗るべく佐田岬駐車場を後にした。先程通過した三崎港に戻り、12時30分発の国道九四フェリーに乗船。2等+2輪:2,540円(750cc未満)、3,040円(750cc以上)。

佐田岬(奥)

国道九四フェリー(三崎港)
 フェリーの中で昼食(売店がないので、自販機のカップラーメン)とし、食後のデザートに先程のみかんを食べたのだが、少し酸っぱかった!試食させてくれたみかんはえらく甘くておいしかった為、10個1,000円で購入、5人で分けたのであった(1人200円)。まあ、おばあさんへのお小遣いだと思えばいいか…。
 およそ70分の船旅後、大分県大分市の佐賀関港に入港。九州上陸!R197を西に走る。

九州上陸!(佐賀関港)
 大分川手前で左折、県道56号線を南下して、14時45分、滝尾中学校に到着。この中学校の校庭横にある「滝尾百穴横穴古墳群」という遺跡を見学するのである。バイクを職員室横に置き、教員に遺跡を見せてもらいたいとお願いしてから、生徒が野球をしているグランドに面した崖に向かう。
 横穴古墳(横穴墓)は6世紀後半を中心とした約100年間に多く造られた墓であり、滝尾百穴横穴古墳群は総計84基を数える大規模なものである。庶民の家族墓と考えられているが、かつて内部は荒らされ、物置等の用途にも使われたりした為、遺物は残っていない。九州には他に石貫ナギノ横穴古墳群(熊本県)等の有名な横穴墓がある。ここはマイナーなので滅多に観光客は来ないらしく、ファールボールの直撃で壁面が削られてもおかまいなしである。

滝尾百穴横穴古墳群
 後は国東半島北側にある宿を目指して淡々と走るのみ。R10を北上して別府市を抜け、R213で国東半島を海沿いに北上。17時30分、宿着。
 本日の走行距離:252km
宿データ 宿名 国東半島国見ユースホステル
場所 大分県国東市国見町伊美3750
感想 伊美港の近く、「権現崎ふるさと自然公園」の中にあるユースホステル。ロケーションはまずまず。施設は古いが、特に不満なし。収容可能人数60名に対して、GTECの他に2人しか宿泊していなかったが、日本ユースホステル協会の直営なので、なんとかやっていけるのであろう。
1泊2食付き:4,400円(税込み)
5月1日(金) 天気:晴れ
 朝食の前に、徒歩にて伊美別宮社(いみべつぐうしゃ)へ行った。この神社は平安時代の886年に、石清水八幡宮の分霊を祀ったことが始まりだと言われている。境内にある、国重要文化財に指定されている国東半島最大の国東塔(国東半島を中心に分布する宝塔の一種)や、子授け、安産の神として崇められている陰陽神を見学した。早朝なのでひっそりしているかと思いきや、境内では地元のご老人達による早朝の掃き掃除が行われており、それぞれの由来等についてお話を聞くことができた。その中でも興味深かったのが陰陽神のことで、その昔は境内でも違う場所に祀られていたらしい。戦後、進駐軍の米軍がここまで来て、陰陽神をハレンチでけしからんということから、海岸に捨てさせた。しかし、関係者が局部の激痛や高熱に苦悶した為、天罰ということで祟りを恐れ、現在の場所に安置されたとのことだ。

伊美別宮社

陰陽神
 宿で朝食後、8時10分出発。まずは文殊仙寺(もんじゅせんじ)を目指し、県道31号線を南下する。
 文殊仙寺は国東半島のほぼ中央にある文殊山(617m)の山腹にある、僧仁聞が奈良時代に創建した六郷山末山本寺の1つと言われている。僧仁聞は実在しなかった人物という説もあるが、1337年(建武4年)の六郷山目録に寺名が出てくることから、古い時代に建てられたことは確かなようだ。諺で有名な「3人寄れば文殊の知恵」発祥の地で、文殊の知恵を授かり、無病息災を祈願する寺である。
 寺へは南側からのルートをチョイスした。県道652号線からの道は細くて見通しが悪いタイトなコーナーの続くワインディングで、木の枝や倒木が散乱している箇所もあり、恐ろしかった。こういった試練を乗り越えないと、ご利益にはあやかることができないに違いない!
 8時40分に文殊仙寺駐車場着。本殿までは長い階段を登らねばならない。その本殿は、今にも石ころが落ちてくるのではなかろうかという崖を削った斜面に建てられていた。他に観光客は誰もおらず、うっそうとした森林の中、静寂と荒々しさが同居する、何とも趣のある寺だった。そもそも立地条件的に観光地とは言いがたい。

文殊仙寺駐車場における激しい闘い

文殊仙寺参道

文殊仙寺本堂
 9時25分出発。下りは北側の道を走った。こちらは南側よりも(道幅は変わらないものの)整備されており、こちらがメインのルートと思われる。
 次の目的地は中津市にある「青の洞門」。文殊仙寺からは県道548、29号線を西に走ってR213に出るのが一般的であろう。しかし、ツーリング制覇マップで国東半島の外周を埋めるべく、あえて県道31号線を国東半島北側まで戻ってからR213に出た。それからR213、県道23号線を海沿いに走り、中津市のJR九州日豊本線東中津駅を過ぎた所で左折、南下してR212に出た。そして11時、山国川のほとりにある青の洞門着。ヒデ以外は「グレートツーリング '96 in 九州」以来2度目の訪問である。
 その昔、この付近は巨大な岸壁で、通行人は鎖を伝って往来していた。その為、人馬が足を踏み外して転落し、死傷することが多かったという。それを見た禅海和尚は1730年頃から、独り鑿(のみ)と槌(つち)で岸壁に向かい、30年をかけてトンネルを掘ったのである。禅海和尚が通行人から、ちゃっかり通行料を徴収したという話が伝えられており、青の洞門は日本最古の有料道路と言われている。現在は自動車道(旧R212)のトンネルで拡張されているが、一部にノミの跡が残る、当時の面影を偲ぶ区間を見学することができる。ここは耶馬日田英彦山国定公園に指定されていて、紅葉シーズンは見ごたえがありそうだ。

青の洞門
 山国川に架かる歩行者用の橋(青の禅海橋)の下にある河川公園には巨大な鯉がうじゃうじゃいて、人が来ると大きな口をバクバクと開けて餌をねだる様は気持ち悪かった。と言いつつ、売店で鯉の餌を購入し、そのグロテスクさを思う存分堪能。

河川公園の鯉
 橋を渡り、青の洞門の反対側(現在のR212側)にある「レストハウス洞門」で昼食。禅海和尚にあやかり、本耶馬溪町が作成した「パワー禅海(全開)」ののぼりがなかなかいけている。今日もいい天気で気温は上昇し、汗ばむ陽気となった。

パワー禅海
 昼食後、青の洞門から約2.5km南にある、やはりヒデ以外のメンバーは2度目の羅漢寺にバイクで移動。
 羅漢寺は645年(大化元年)にインドの僧である法道仙人が開いたのが始まりと伝えられている、全国にある羅漢寺の総本山である。寺は羅漢山の中腹にあり、文殊仙寺よりも険しい岩壁に山門や本堂が建てられ、そして洞窟には五百羅漢など3770体の石仏が所狭しと置かれている。一体一体の表情が生き生きとしており、そして同じものは皆無であるが、洞窟の中にあるせいか、おどろおどろしい雰囲気に満ちている。本堂からの眺めはすばらしい。

羅漢寺山門

五百羅漢

羅漢寺本堂
 ちなみに寺までの参道は所々に石仏等があるので、それらを眺めながら歩くもよし、しかし急斜面でそこそこの距離があることから、リフトが運行しており、そちらを利用するのもいいだろう。リフトは往復700円、片道500円である。暑い中歩くのは嫌だと、ヒロは最初乗る気満々だったのだが、乗り場で料金を見るなり徒歩のオユタ、カンちゃん、ヒデを追い掛けた。そして、昨日滝尾中学校でバイクを取り回した際、不意に後輪をくぼみに取られて“グキッ”と背中を痛めてしまったウメは、迷うことなく往復リフトにした。「(ウメ)オレも歳だなぁ…。」
 13時30分、羅漢寺出発。本日の宿、「防府市サイクリングターミナル」がある防府市を目指す。R212からR10に出て北上。県道25号線を経て、門司ICから九州自動車道に乗った。今まで本州と九州の間を何度も行き来しているが、圧倒的に関門トンネルを利用する機会が多かったので、たまには関門橋を渡ろうというのである。関門橋手前のめかりPAで休憩。
 めかりPAからは関門海峡と、それを跨ぐ関門橋、そして門司市街を間近に見ることができる。潮の流れが激しい関門海峡を大型船がひっきりなしに行き交う様は、なかなか迫力がある。眺めを堪能し、売店でふく天(ふぐの皮を練りこんだ天ぷら)等を購入、腹ごしらえをして14時に出発。

めかりPA
 下関ICで高速を降りると、R2→R190→R2を淡々と走り、途中1回の休憩を入れて、18時20分に防府市サイクリングターミナルに到着。
 本日の走行距離:267km
宿データ 宿名 公共の宿 防府市サイクリングターミナル
場所 山口県防府市大字東佐波令2886
感想 サイクリングターミナルとは、自転車旅行を安全かつ快適、経済的に楽しむことを目的とした公共の宿泊施設である。全国各地にあり、元々はユースホステルと同じく、青少年をターゲットとしていたのだが、別に年齢は問わず、ファミリーでの利用や自転車以外の旅行も問題ない。サイクリングターミナルでは通常、レンタサイクルが用意され、周辺には整備されたサイクリングコースがあり、ここも例外ではない。宿泊施設としては申し分なかった。
1泊2食付き:4,850円(税込み)
5月2日(土) 天気:晴れ
 7時50分出発。R2を東進し、下松市でR188に入る。休憩を入れて、更にR188を進むと、やがて柳井市で右手に大きな橋が見えてきた。本州と周防大島(すおうおおしま)を結ぶ大島大橋である。最初の目的地である陸奥記念館に行くべく、大島大橋を渡って周防大島へ。
 周防大島北側沿岸のR437を東進。徐々に交通量は減り、追い越しOKの快適路に。雰囲気としては、なんとなく沖縄の北部(R58)を走っている感覚だった。10時30分、島の東端にある陸奥記念館着。
 戦艦「陸奥」は1921年(大正10年)に完成した、「長門」型戦艦の2番艦である。40センチ砲という巨大な主砲を装備した戦艦は、当時の世界で陸奥、長門だけだった。全長は224.94m(改装後)。現代人がその大きさを想像するのは難しいが、「グレートツーリング '06 in 北海道 & 東北」で利用し、「でかいなぁ!」と感じた新日本海フェリー「ゆうかり」は約200mなので、これを更にボリュームアップしたものとなる。武装やビルディングのような艦橋をごちゃごちゃ載せると、相当な迫力であろう。連合艦隊の旗艦として長年活躍していたが、1943年(昭和18年)6月8日、ここ陸奥記念館近くの沖に繋留中、三番砲塔の下の火薬庫が大爆発を起こして沈没してしまった。爆発の原因については諸説があり、人為的なものというのが有力ではあるものの、曖昧なまま調査は終了している。1970年から8年間、遺族や生存者らの熱意によって、主砲等、船体の75パーセントが引き揚げられた。陸奥記念館には、引き揚げられた遺品や艦の一部、遺族から寄せられた資料を展示している。

陸奥記念館(陸奥の主錨)
 屋内展示は分かり易く、特に戦艦陸奥の誕生から、幾度か行われた改装によって形状が部分的に変化していく様子の説明は興味深かった。屋外には引き揚げられた50口径三年式14センチ砲やスクリュー、艦首等が展示されている。そのひとつひとつが鉄の塊としての迫力を持っていて、約90年も前によくもこんなものを造ったものだと感心する。引き揚げ品の内、主砲の砲身は東京都の「船の科学館」、長野県の「聖博物館」や、明日行く予定の「大和ミュージアム」に展示されている。

陸奥の引き揚げ品
 11時50分、陸奥記念館出発。大島大橋手前まで来た道を引き返し、橋がよく見える場所にある、地元の魚料理を出すレストランで昼食にした。(これがえらくおいしかった。)

大島大橋
 13時15分、レストラン出発。橋を渡って本州に戻ると、R188を北上した。ここから北は錦帯橋や宮島、そして広島市といったメジャーな観光地が存在する為か、徐々に交通量が増えていく。
 14時5分、錦帯橋着。元々岩国城と城下町をつなぐ橋として造られたこの錦帯橋、今回のメンバーは全員「グレートツーリング '95 in 中国地方」でも宮島と併せて寄ったことがあるのだが、2004年に架け替え工事が行われ、翌年には台風で橋脚の一部が流され、修復されている。少なくとも、1995年に寄った時とは別物の橋となっているので、改めて見ておきたかったのだ。
 錦帯橋周辺はさすがに観光客で混雑していた。新しくなった橋を下から見上げると、複雑で精巧な木組みを見ることができる。橋と岩国城を背景にしたベストアングルで記念撮影して、14時30分に出発した。

錦帯橋
 後は本日の宿、呉市にある「ホテルクレシオ呉本通り」へ向かうのみ。R2を北上し、西広島バイパスの佐方SAで休憩。ここまで所々で渋滞していた。以降、R2は広島市を抜けるまで多車線道路が続き、割とスムーズに進むことができた。
 海田町でR31に入り、広島湾東側の沿岸を南下。17時5分に宿着。
 休憩後、徒歩で呉駅周辺まで行ってお土産を購入して発送。夕食は市街地の居酒屋でたらふく飲んだ。仕上げは「仙八未来軒」で呉ラーメン。こってり系だが、なかなかうまかった。
 本日の走行距離:266km
宿データ 宿名 ホテルクレシオ呉本通り
場所 広島県呉市本通3-4-10
感想 呉市街にあるビジネスホテル。呉駅から歩けるが、ちと距離がある。設備は申し分なし。
1泊朝食付き:6,000円(税込み)
5月3日(日) 天気:曇り
 現在、呉市のメジャーな観光スポットと言えば、「大和ミュージアム」と「てつのくじら館」であろう。その内、大和ミュージアムにカンちゃんは家族旅行で行ったことがある。そこで、彼は徒歩とバスにて呉市をブラブラ散策し、呉港からフェリーで江田島にも足を延ばし、海上自衛隊第1術科学校を見学することにした。たまには自分の足と、公共機関のみを利用した1人旅(オプショナルツアー)もいいものだ。
 8時10分、カンちゃんを除いた4人はホテルをバイクで出発。あっという間に大和ミュージアムの駐輪場着。まずは大和ミュージアムの隣にある、てつのくじら館を見学するべく、会館前の行列に並んだ。開館時間は9時。さすがにゴールデンウィーク真っ只中とあっては、開館直後でないと、ゆっくり見学できないと踏んだのだ。行列の先頭付近にはカンちゃんの姿が見えた(館内で合流)。
 てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)は、海上自衛隊の広報を目的とした無料の施設で、機雷の掃海活動や潜水艦に関する資料を実物や模型、映像等で展示している。これだけでも見応えがあるのだが、目玉は陸揚げされた実物の潜水艦「あきしお」の屋外展示である。あきしおは、2004年3月まで実際に海上自衛隊で就役していた潜水艦なのだ。

てつのくじら館
 実際のところ、次々と入館者が押し寄せる中、ゆっくりじっくりと見学することはできなかった。あきしお艦内に至っては、潜水艦だけあって通路が狭い為、後ろに押されてベルトコンベアー式に進むしかなかった。資料館としてはなかなか充実しているだけに残念だ。(それでも1時間以上いた。)
 てつのくじら館を出ると、カンちゃんは海上自衛隊第1術科学校の見学ツアーに参加する為にフェリーで江田島へ、ここからソロツーリングとなるヒデは一足先に出発、残る3人は大和ミュージアムへと、それぞれの目的地に向け、互いの安全とますますのご発展、ご健勝を祈念して別れた。ヒデはこの先、岡山市で1泊、奈良の親戚宅でもう1泊し、5日に帰宅する予定だ。

ヒデ出発
 大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)は、古くから造船の街である呉の歴史や、その技術を豊富な資料で展示している。“東洋一の軍港”として栄えただけに、多くの軍艦を送り出しており、中でも有名なのは戦艦「大和」であろう。館内には10分の1という巨大な大和の模型が展示されていて、あらゆる角度から見ることができる。零式艦上戦闘機62型や、人間魚雷「回転」、特殊潜航艇「海龍」といった実物展示も見逃せない。

大和ミュージアム
 ところが、ウメ、オユタ、ヒロの3人が入館したのは10時40分で、既に多くの観光客であふれていた。人ごみの中、てつのくじら館よりも資料を見るのが困難な中、根性で13時過ぎまで見学していた。

零式艦上戦闘機62型
 今からなら海上自衛隊第1術科学校の最終見学ツアー(15時〜)に間に合うかもしれないと、大和ミュージアム隣にある呉港フェリーターミナルへ行き、時刻表を確認。14時22分のフェリーに乗ればOKと分かり、ゆめタウン呉で昼食とし、一息ついた。
 14時22分、バイク3台を収容したファーストビーチフェリーは呉中央港を出港した。特にロープで固定されることもなく、渡し舟といった感じだ。料金は船内で支払えばOK。20分で江田島の小用港着。乗船券+2輪:700円(125cc以上)。

ファーストビーチフェリー(呉中央港→小用港)
 上陸してR487を東に走り、5分も掛からず海上自衛隊第1術科学校に到着。
 終戦まではこの地に海軍兵学校があり、大日本帝国海軍の兵科の士官を養成した。現在は海上自衛隊の幹部候補生学校、第1術科学校となっている。

海上自衛隊第1術科学校
 受付を済ませ、待合室に向かうと、カンちゃんとバッタリ会った。彼は予定通りひとつ前の見学ツアーに参加し、これから帰るところだった。「教育参考館はボリュームがあるから時間に気を付けてね〜。」というアドバイスをもらい、大勢の人でごった返す待合室で待機していると、引率の自衛隊を退役したOBが現れ、ツアーの注意点について、大きな声で説明を受けた。何しろ現役の海上自衛隊の施設なので機密事項もあり、勝手な行動は許されない。また、受付ではガムを噛んでいる人が注意を受けていた。否応にもチャラチャラした気持ちで臨んではいけないのだ…という気持ちになる。がしかし、引率者の説明はよく脱線し、面白くて皆を飽きさせない。特に子供達のハートをガッチリつかんでいた。
 まずは入校式、卒業式等に使用される、瀬戸内産御影石造りの大講堂。1917年(大正6年)完成という、歴史ある建物だ。中も見学OKだった。第1術科学校にはこのように古くからある建物がたくさん残されており、今も使われている。

大講堂
 お次は大講堂の隣り、長さが144mもある赤煉瓦の幹部候補生学校の前へ移動。あまりにきれいな煉瓦なので、てっきり最近建てられた施設かと思いきや、何と、1893年(明治26年)竣工だという。大講堂よりも古いではないか!? 聞けば、イギリスから輸入した上質の煉瓦が使われているから、現在でも美しさを保っているそうな。建設時に煉瓦は油紙に包まれ、更に鋼板で保護されてイギリスから運ばれて来た。鋼板を見た日本人が珍しがって「これをくれ!」と指差したところ、イギリス人が煉瓦のことだと思い、煉瓦を意味する英語“brick”と答えた為、それがなまって「ブリキ」という言葉が生まれた…と説明を受けた。しかし、オランダ語の“Blikje”から来たという説もあり、真偽の程は定かでない。幹部候補生学校は現在も教室として使用中なので、内部の見学はNGだった。
 少し歩いて、まるでギリシャ神殿のような教育参考館前に来た。こちらも1936年(昭和11年)完成という古い建物だ。幕末から太平洋戦争までの、旧帝国海軍関係者の資料や遺品が展示されており、30分間の内部見学時間を与えられた。ところが、カンちゃんの言っていたことは本当で、展示品はものすごいボリュームがあり、とても30分でひと通り見るなんて不可能。2時間位は欲しいところだ。せっかくの資料なのに残念である。すいている時はもっとゆっくり時間が取れるのだろうか…。
 建物の脇には戦艦大和の主砲砲弾、特殊潜航艇「甲標的」と大和ミュージアムにもあった海龍、駆逐艦「雪風」の主錨が展示されていた。
 大和の砲弾は高さが約2m、重量が1.5t、最大射程は42kmにも及んだという。

戦艦大和の主砲砲弾(奥は甲標的)
 甲標的は母艦に搭載して、敵港湾内を攻撃する為の特殊潜航艇だ。ここに展示されているのは、1941年(昭和16年)12月8日、真珠湾攻撃に参加した5隻の内の1隻で、戦後、米海軍によって引き揚げられ、日本に戻って来た実物である。甲標的は戦時中、何度か作戦に投入され、そこそこの戦果を挙げたものの、生還率は低かったらしい。
 雪風は太平洋戦争における名だたる海戦のほとんどに参加し、終戦まで生き残ったというすごい駆逐艦である。大和の沖縄特攻作戦にも護衛として参加している。
 最後に、海岸に設置されている戦艦陸奥の40センチ連装主砲塔を間近で見た。これは沈んでいた物を引き揚げたのではなく、1935年(昭和10年)の近代化改装時に取り替えられた4番砲塔を教材として設置した本物である。なるほどでかい!旧日本海軍の戦艦の実物主砲を、完全な形の砲塔として見学できるのはここだけではないだろうか。(横須賀の戦艦三笠のはレプリカだ。) 砲塔脇には、同型艦「長門」の主砲砲弾が展示されていた。

戦艦陸奥の40センチ連装主砲塔
 他にも周辺には、駆逐艦「梨」に搭載されていた九二式4連装魚雷発射管、同駆逐艦に搭載されていた八九式12.7センチ単装高角砲等が所狭しと置かれていたが、残念ながら時間切れで、これらはゆっくり見ることができなかった。

駆逐艦梨の八九式12.7センチ単装高角砲
 内容の濃い時間を過ごし、17時に海上自衛隊第1術科学校を出発。帰りは地図に足跡を記す為にフェリーを使わず、県道44号線、R487を走ってホテルへ向かう。出発してすぐ、ポツリ、ポツリと水滴が…。確かに呉周辺の天気予報は「曇り夕方所により一時雨」だったから、覚悟はしていた。ついに今回のツーリングで初めてカッパを着ることになるのか!? 幸いポツリで終わり、17時40分にホテルに着くまで降られることはなかった。
 ちなみに途中の(本土と倉橋島を繋ぐ)音戸大橋は、橋の前後が幾重にもループしており、マジで目が回った。
 夜はカンちゃんも含めて4人で飲みに出た。今晩も仕上げはもちろんラーメン。
 本日の走行距離:34km(ウメ、オユタ、ヒロ)
宿データ 宿名 ホテルクレシオ呉本通り
場所 広島県呉市本通3-4-10
感想 5月2日のデータを参照のこと。
5月4日(月) 天気:曇り
 7時40分出発。今日は京都に宿泊予定だ。まずはR487を少し南下して、「歴史の見える丘」へ。
 小高い丘からは、石川島播磨重工業の巨大なドックを見下ろすことができる。かつて呉海軍工廠の造船部門があり、戦艦大和もここで造られた。大和建造中、秘匿の為に造られた囲いの屋根も一部残っている。ドックのひとつではタンカーが建造中らしく、作業員がまるで米粒のようだ。

戦艦大和の建造されたドック
 周辺にはモニュメントがいくつかあり、大和の艦橋を模した「噫(ああ)戦艦大和之塔」は第30回大和進水日を記念して1969年に呉大和会が建立したものだ。

噫戦艦大和之塔
 続いて少し南下し、「アレイからすこじま」へ。(カンちゃんは昨日もバスで来ているので、2度目になる。) 太平洋戦争中は潜水艦用の桟橋があった場所だ。現在は海上自衛隊の港沿いに遊歩道があり、潜水艦をはじめ、各種自衛艦を間近に眺めることができる。戦時中、潜水艦に魚雷を積み込むのに使われたという4トン起重機も残っている。

アレイからすこじま

戦時中に使用された4トン起重機
 「アレイ」とは小道(alley)、「からすこじま」とは、かつて実際に烏小島という小さい島があったのだが、大正時代、魚雷実験場とする為に埋め立てられ、陸続きになったのだそうだ。
 アレイからすこじまを8時40分に出発。呉市街で給油後、R185を東へ走る。やがて安浦町でお目当ての“”を発見。安浦漁港にバイクを置いて近付いて行った。通り掛かりの人がGTEC達を見ても、“防波堤”に向かって歩いているとしか見えないだろう。そう、この防波堤こそがコンクリート製の船なのだ。

コンクリート船(武智丸)
 日本では戦争末期に鋼材が不足した為、コンクリート製の輸送船が数隻建造された。第一次世界大戦中にも、主にヨーロッパでコンクリート船は建造され、それなりの実績があった。実際、旧日本海軍雑役船として南方にも航海したという。その際、機雷の至近爆発にはほとんど無傷で、航空機による機銃掃射の弾痕も、モルタルで簡単に修理ができたそうだ。戦後、「第一武智丸」と「第二武智丸」という全長64.5m、幅10m、800tのコンクリート船が、安浦漁港に防波堤として縦に並べて据え付けられたのである。
 なるほど、確かに外観は船そのものだ。船上を歩いて観察したが、みごとに原型を留めており、約60年も波風に晒されてきたとはとても思えない。これがもし鋼鉄製の船だったら、とっくに錆付いてバラバラになっていたことだろう。コンクリートってすごいんだぁ!と、一同感心。

武智丸の船上
 10時に安浦漁港を出発し、R185をひたすら海沿いに東へ。休憩を挟み、三原市でR2に入り、尾道市の千光寺山ロープウェイ乗り場近くに11時55分着。この付近は有名な尾道ラーメンの店が何軒かある。ちょうどお昼時だし、食べていくか…と商店街を見ると、何やら長い行列が何本もできている。よく見ると、その有名な尾道ラーメンの店それぞれに対して、最後尾が見えない程、人が列を成している!これに並んでいては、明るい内に京都に着けるか分からない。仕方なくラーメンは諦め、食後のデザートにと考えていた地元の銘菓「はっさく大福」を購入し、喰らった。餅の中にこしあん、あるいは白あんと一緒にはっさくの果実を包んだもので、酸っぱさと甘さが口の中で同時に開花する。なかなか美味であった。

ラーメンを待つ行列(尾道)

はっさく大福(注:食べ掛け)
 バイクで出発の準備をしている時、彼らの隣りに駐輪したBMWのライダーは、大阪からわざわざ尾道ラーメンを食べる為にやって来たのだそうだ。行列を見て愕然としたものの、めげずにトライしていった。健闘を祈る!
 尾道では約20分間休憩して出発した。県道363号線を北上してR2の尾道バイパスへ右折し、福山西ICから山陽自動車道に入る。オユタ、カンちゃん、ヒロの3人は、吉備SAで13時30分頃、少し遅い昼食にありついた。
 ウメは倉敷ICで高速道路を降り、倉敷市にある全国的にも有名なクルマの某チューニングショップに立ち寄って、GRBインプレッサSTIのデモカーを見せてもらった。そのデモカーには、購入を検討していたパーツ(カーボンボンネットとエアロバンパー)が装着されており、しかも彼のSTIと同じボディカラーなので、大変参考になった。(約1ヵ月後、ウメのSTIはこのデモカーとほぼ同じ外観を得ることになる。)

インプレッサSTIのデモカー
 14時15分、吉備SAにウメが到着。時間がないので昼食は諦め、次の休憩時に軽食を摂ることとして、食事を終えた3人と合流し、すぐに出発した。
 山陽自動車道の三木SAで休憩するまでの間は、交通量が多いものの、渋滞はなかった。更に東進し、神戸ジャンクションで中国自動車道に入る。そして宝塚IC付近でとうとう長い渋滞に遭遇。しかし、今年が特別という程ではない。昨年通った時もこの位は渋滞していた。車線の間を縫って走り、無事クリア。吹田ジャンクションで名神高速へ。桂川PAで最後の休憩とし、京都南ICで高速を降りた。碁盤の目のような京都市街の道を走り、右京区の広沢池近くにある本日の宿「宇多野ユースホステル」に17時45分着。
 夕食後、せっかく京都に泊まったのだから、明日はただ帰ってしまっては芸がない。何か見ていくか…ということで話し合った。明日の天気予報は曇りのち雨。岐阜県まで似たような予報だ。ゆっくりしていたら、雨に降られるかもしれない。せっかくここまでカッパを着ずに来たのだからと、カンちゃんは朝、出発して自宅に直行することに。オユタとヒロは観光する気満々。ウメは明日朝の天気予報で決めることとした。
 本日の走行距離:398km
宿データ 宿名 宇多野ユースホステル
場所 京都府京都市右京区太秦中山町29
感想 「グレートツーリング '95 in 中国地方」の初日に利用したことはあるが、2008年に改築し、名前以外は全く別物となった。庭には約70本の桜やテニスコートがあり、建物も広々して落ち着いた和風のデザインとなっている。周辺には龍安寺や映画村、嵐山等の見所が多く、レンタサイクルがあるので、このエリアの観光基地として大いに活躍する。家族連れや外国人観光客が多く、活気に満ちていた。
1泊2食付き:4,850円(税込み)
5月5日(火) 天気:曇りのち一時雨
 天気予報は昨晩の時点と大して変わらなかった。しかし、降水確率はそれほど高くはないので、ひょっとしたら降られないかも知れない。ということで、ウメも京都観光をしていくことに決めた。
 7時55分、カンちゃん出発。京都東ICで名神高速に乗り、自宅へ直行する。

カンちゃん出発
 他の3人は宿でレンタサイクルを借りた。「グレートツーリング '95 in 中国地方」で来た時は、徒歩で宿の東側にある龍安寺等を見たので、今回は西に向かった。京都市街の観光名所は、バイクでも停める場所に苦労する。自転車は気軽に京都観光をするのにうってつけだ。

レンタサイクル(宇多野ユースホステル前にて)
 広沢池の横を走り、まずは野宮神社(ののみやじんじゃ)へ。竹林に囲まれていて、なかなか風情がある。祈りを込めてなでると願いがかなうという神石(亀石)を触りまくった。交通安全、財運向上、子宝安産、良縁結婚(ヒロ限定)ありがたや!

野宮神社
 お次は野宮神社の南側にある天龍寺(てんりゅうじ)。天龍寺は、1339年(暦応2年)に後醍醐天皇が崩御した際、その菩提を弔う為に、臨済宗の禅僧である夢窓疎石が足利尊氏に進言し、光厳上皇の命を受けて創建したとされる。天龍寺境内は古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。見所は広大な庭園だ。庭園内には歩道があり、ぐるりと一周できる。手入れが行き届いており、設計の巧みさからか、場所によって印象が異なる。紅葉の季節はもっとすばらしいことだろう。

天龍寺
 京都には、天井に龍の絵が描かれたお寺がたくさんある。天龍寺の法堂(はっとう)にも天井に雲龍図があり、期間限定の特別拝観だというので、500円払って入った。庭園が500円で本堂が100円。それらと比較して納得できる価値があるか?見上げると、みごとな龍が見下ろしていた。しかし、確かに迫力はあるのだが、妙にきれいで現代的な技法に感じる。それもその筈で、最近(1998年)に描かれたものだった。残念ながら、この絵からは歴史の重みが感じられないと感じた3人は、2〜3分居ただけで法堂から出てしまった。たった1枚の個展に庭園と同じ500円は高過ぎた。
 後は適当に自転車でブラブラ走って宿へ戻った。
 宿で自転車を返却、バイクに荷物を装着し、10時40分に出発。後は帰るだけだ。カンちゃんと同じく、京都東ICから名神高速に乗った。次の休憩ポイントは養老SAだ。
 ゴールデンウィークも終盤、交通量は多い。渋滞にはなっていないと言えども、もはや追越車線はその役目を果たしておらず、こんな状況で流れに乗って走っていると、だんだん眠くなってくる。まずオユタがしびれを切らし、右に左にウィンカーを出しまくって車線変更を繰り返し、前へ前へと進んだ。しかし悲しいかな、250ccではなかなか思い通りに加速してくれない。かつてファイヤーブレードに乗っていた頃は、加速力に物を言わせて、並み居るクルマを千切っては投げ×2、ウメやヒデと一緒にグングン先に進んだものだ。…と、オユタの横をウメの隼が追い越して行った。ヒロも続こうとしたが、さすがに国内仕様のニンジャでは、隼の加速に全く付いてはいけなかった。
 ウメはやがて追越車線で4本出しマフラーのベンツの後ろについた。グレード名を確かめようと、車間を詰めると、S63AMGだった。6.3リッターV型8気筒エンジン、525馬力、64.2kg・mというスペックを誇るモデルだ。ぜひともその動力性能を存分に見せていただきたいものだが、この交通量では…、と突然AMGは左に車線変更し、更に左へ!何とICのランプウェイを利用して加速し、その後は隙あらば走行車線と追越車線をジグザグに走って…、ウメを引き離そうとしている!? 先程後ろにえらく接近したので、間近に迫った隼のHIDの光に「バイクがよぉ〜、生意気なんだよ!」とドライバーがその気になったものと思われる。確かにすばらしい加速力だが、ウメを唸らせるものではない。まれに追越車線がしばらくクリアになっても、苦もなく追尾できた。これならポルシェ911ターボ(Type996)の方が速いか。やはり2トン以上の車重では厳しいのか?隼は隙を突いてAMGをあっさり追い抜くと、その加速力と機動力を存分に生かして車線変更を繰り返し、ひたすら前に進んだ。AMGは前のクルマにどけどけと言わんばかりにヘッドライトをハイビームにして、やはり右に左に車線変更して動いていたが、距離はみるみる開き、やがてバックミラーから消え去った。
 養老SAで3人は合流し、昼食とした。高速道路情報では、この先から駒ヶ根IC付近まで雨だという。ウメは自宅の妻に電話して確認したところ、安曇野市は曇りだが、雨の気配はないそうだ。確かにこの先、部分的に雨が降っているのかも知れないが、小雨程度ならカッパを着ずとも、カウルの中に身を隠し、風圧のカーテンで乗り切れるのではないか…という期待が生まれた。そうは言ってもオユタはネイキッドなので、カウルがない。検討の結果、
 ・ウメ:カッパを着用せず
 ・オユタ:上だけカッパを着用
 ・ヒロ:念の為カッパ完全着用

という装備で、あとは自分のペースで帰ることとして、13時15分に養老SAを出発した。(この少し前にカンちゃんは自宅に着いた。)

養老SA
 しかし、数分走った所で雨がポツポツ降り始めた。そして小牧ジャンクションで中央自動車道に入ると本降りになり、恵那市では前のクルマもよく見えない位のドシャ降りとなった。それでも、ウメとオユタは意地になって走り続けた。ウメはずぶ濡れになりながら一刻も早くこの地獄から脱出しようと、ペースをグッと上げてひたすら先に進んだ。オユタとヒロも各自のペースを維持。雨は伊那市に入るとようやく上がり、各自そこから北で休憩を1回だけ入れて、16時には全員帰宅したのだった。
 ちなみにひと足早く出発したカンちゃんと、この日に帰宅したヒデも、しっかりと雨に降られた。カッパを着る着ないに関わらず、最終日に降られはしたが、トータル的には天気に恵まれたと言えよう。覚悟していた高速道路の渋滞も、今回のルートに限って言えば、拍子抜けする程どうってことはなかった。
 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICまで364km/長野自動車道塩尻北ICまで348km
レポート by ウメ


グレートツーリング外伝 '09 in 伊豆
メンバー(マシン) ウメ(GSX1300R)、オユタ(バンディット250)、マコちゃん(R1100RS)、ヨージ(ドラッグスター)
10月3日(土) 天気:雨のち曇り
 今年の外伝ツーリングは、伊豆で採れたての伊勢海老とアワビを喰らい、箱根スカイライン、芦ノ湖スカイライン、伊豆スカイラインを走破するという、食と走りが絶妙のハーモニーを奏でて…(以下128文字略)。
 ここ1週間は毎日雨続きで、9時に長野自動車道みどり湖PAにウメ、オユタ、マコちゃんが集合した時も雨が降っていた。それでも天気予報によると、午後からは曇りで、明日は晴れということになっている。そして週間予報では、あさってからまたず〜っと雨なのであった。そんな状況なので、せめて明日だけでも快適なツーリングとなれば文句はない。

みどり湖PA(雨…)
 昨年の「グレートツーリング外伝 '08 in 小布施」に続いて、ヨージがスペシャルゲストとして参加する。出向期間が終了したヨージは、今回東京からの参戦となり、御殿場で合流する予定だ。
 みどり湖PAには、仕事の関係で参加できないヒロが(クルマで)見送りに来てくれた。
 9時10分出発。隊列はウメ、オユタ、マコちゃんの順。岡谷ジャンクションから中央自動車道を東京方面に走り、双葉SAで休憩。この先の道路状況と天候の確認を行う。山梨県に入る前から雨は止み、道はドライになり、時折陽も射していた。しかし、渋滞はなさそうなものの、富士吉田市方面の天気は悪そうだったので、カッパは脱がずに出発。
 一宮御坂ICから富士吉田ICまでR137でショートカットすると、高速道路を大月ジャンクション経由で乗り続けるより、20.6kmも近い。しかし、渋滞を考慮しても、高速道路を乗り続けた方が早くて楽であろうという結論に達していた。
 大月ジャンクションで河口湖方面へ入ると、雨が激しく降り出した。東富士五湖道路では霧も立ち込め、視界が悪い。それでも、終点の須走ICまでは渋滞がなく、予定通りの時間で進むことができた。
 R138を御殿場に向かって走る。雨は完全に止み、気温がぐんぐん上昇していった。
 11時30分、東名高速道路の御殿場IC近くにあるゲームセンターで、10分前に到着していたヨージと合流した。「(ヨージ)ち〜っス。」「(オユタ)HEY、ヨージ!ちったぁ運転うまくなったのかYO!? オレ様のバンディットに付いて来れるかな〜?」「(ヨージ)何言ってんスか?オレのバイク、400ccっスよ。250ccなんて敵じゃないっス。そっちこそ、前トロトロ走って邪魔しないで欲しいっス。」「(オユタ)なにぃ〜!? おのれ無精髭なんぞ生やしやがって、なまいきな若造が〜!」※
 まずは腹ごしらえ。近くにあった焼肉屋で、ビビンバ丼を食べながら、ここからのルートを検討した。

集合(焼肉屋駐車場にて)
 当初の予定だと、ここから先は箱根スカイライン、芦ノ湖スカイライン、伊豆スカイラインを走って南下し、本日の宿「民宿えびす屋」がある松崎町に行く予定であった。これらの有料道路は、北側からのルートの方が走って楽しいらしいのだ。しかし、せっかくの走りのステージは、天候の心配がなさそうな明日にとっておき、今日はとにかく宿に直行して、ゆっくり温泉に浸かろうということになった。そもそも、ここまでカッパを着ての走行によって、既に疲れてしまっていたということが大きい。
 山間部はまだ雨の心配があるが、伊豆半島の西側は大丈夫であろうと、カッパを脱いで出発。ここからの隊列はウメ、オユタ、ヨージ、マコちゃんの順。R246を南下し、沼津でR414に入る。
 伊豆半島西側は、できる限り海沿いを走ろうということで、狩野川河口から県道17号線に右折した。県道17号線はR136までの海岸線沿いを走る、センターラインのない区間が多いクネクネ道である。残念ながら、日陰はまだウェットだったものの、交通量は少なく、そこそこ楽しめた。
 GTECのんびり派のマコちゃんは、その“のんびり度”に一段と拍車が掛かっており、例えば、ミニバンの後ろを走っているごく普通のペースでも、みるみるヨージのバックミラーから消えていった。もはやワインディングでも他のメンバーのペースには全く付いて行けず(と言うか、付いていかず)、要所要所で合流することになるのであった。40代になって、各自のライディングスタイルは確立されたのである。(ちなみにヨージはまだバリバリの20代!)
 R136を南下。適当に休憩を交えて16時30分、雲見温泉の宿着。御殿場以降、雨には降られなかった。
 温泉で疲れを癒し、夕食に待望の伊勢海老とアワビ、その他海の幸のご馳走を堪能した。

海の幸を喰らう
 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICから322km/長野自動車道塩尻北ICから306km

※実際は「(ヨージ)みなさんご無沙汰しています。今回も宜しくお願い致します。」という丁寧な挨拶だった。また、ヨージは髭を生やしていない。きれいに剃られていた。
宿データ 宿名 民宿えびす屋
場所 静岡県賀茂郡松崎町雲見423-1
感想 雲見温泉にひしめく温泉宿の中の1軒。施設は古いが、料理はおいしかった。3日の朝、この宿の周辺は激しい雷雨だったそうで、バイクで来るというGTEC達を気遣って、日を変更したら如何ですかと電話を入れてくれたという、人情味溢れるアットホームな宿である。
1泊2食付き:10,000円(税込み)
10月4日(日) 天気:晴れ
 朝から青空のすばらしい天気だ。朝食前の軽い運動にと、宿の近くにある烏帽子山に登った。烏帽子山は、海に突き出した標高163mの岩山だ。山頂まで標準所要時間30分ということだったが、約10分で登頂。ただし、想像以上にハードだった。何しろ、40階建てのビルを階段で一気に登るようなものなのだ。軽いどころか、いい運動になった。

烏帽子山(指の先)
 山頂には雲見浅間神社(くもみせんげんじんじゃ)がある。ところが、その裏側の展望台入り口は、「危険につき立入禁止」の板が付けられた棒で塞がれていた。もっとも、簡単に突破はできる。実はこの山、展望台に登らないとほとんど眺望がきかない。何の為に登って来たんだ?ってな感じである。そこで、自己責任で展望台へ。なぜ危険なのかはすぐに分かった。果てしなく続く駿河湾を臨む360度の絶景と引き換えに、断崖絶壁の岩の上に立つことになり、鉄製の手すりはあるものの、強風なら人は吹き飛ばされてしまうかもしれないという、デンジャラスな展望台なのだ。とにかく、大パノラマをしばし楽しんだ。

烏帽子山からの眺め
 朝食をゆっくりといただいて、9時20分に出発。伊豆半島東側までR136を走り、R135を北上。徐々に交通量が増えていく。ポカポカ陽気の中、前のクルマのテールランプを見ながら淡々と走っていると、段々眠くなってくる。こんな交通量では、せっかくの伊豆スカイラインも攻めることができないか?
 しかし、天城高原ICから伊豆スカイラインに入るとガラガラだった。整備された見通しのよい、しかもそのほとんどが追い越しOKのワインディングで、おまけにすいているとくれば、これはもう各自のペースで思う存分走るしかない。ヨージもアメリカンながら、思いっきりアクセルを開けて楽しんだ。
 11時50分に亀石峠のドライブイン着。案の定、先頭のウメは、最後尾のマコちゃんが来るまで、だいぶ待つことになった。駐車場には数多くのバイクが停まっていた。4輪も、同一車種のオフ会と思しき集まりが多かった。今日は天気に恵まれ、気温もちょうどよく、走るには申し分ない。ここで昼食。

伊豆スカイライン(亀石峠)
 12時35分ドライブイン出発。亀石峠から北も快適なワインディングが続く。眺めも素晴らしいので、ゆったりと訪れるのもいいだろう。そして芦ノ湖スカイライン、箱根スカイラインまでお腹一杯走りを満喫したのであった。ちなみにこれら有料道路の通行料はトータルで1,060円だった。
 昨日寄った、御殿場IC近くにあるゲームセンターで休憩。13時50分にヨージを見送った後、他の3人も昨日と逆コースで自宅に向けて出発した。
 大月ジャンクションまで交通量が多かったものの、その後は順調に流れ、双葉SAで解散。各自16時45分までには帰宅した。

双葉SA
 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICまで366km/長野自動車道塩尻北ICまで350km

レポート by ウメ


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