グレートツーリング '09 in 四国 & 九州 & 中国地方 |
メンバー(マシン) | ウメ(GSX1300R)、オユタ(バンディット250)、カンちゃん(YZF1000R)、ヒデ(CBR900RR)、ヒロ(GPZ900R) |
ここ数年のグレートツーリングは、ツーリング制覇マップの中で走ったことのない道を埋めるのが主な目的になってきている。もちろん、全ての道を制覇するなんて不可能なので、まずは北海道、本州、四国、九州、沖縄の海岸線をほぼ埋め尽くそうというわけだ。ただし、北海道は惜しいところまできているものの、ゴールデンウィークに行くのは気候的に厳しいであろう。(2006年のツーリングで寒くて懲りた。) そこで、まだ誰も走ったことのない、九州の国東半島エリア北東部と山口県南部の瀬戸内海沿いをターゲットとした。九州へは、ヒデ以外未到達の佐田岬半島(愛媛県)経由で大分県に上陸する。明石海峡大橋で四国北側をず〜っと走れば、瀬戸内海を完全に包囲するようにぐるっと廻るルートとなるのだが、さすがに体力的、スケジュール的に厳しい。よって、大阪南港から松山港まではフェリーを利用することにした。 |
4月29日(水) | 天気:晴れ | |||||||||||
10時50分、長野自動車道みどり湖PAにウメ、オユタ、カンちゃん、ヒロは集合していた。ヒデは前日の晩、愛知県で催された会社の元同僚との飲み会に出席しており、そこから本日の目的地である大阪南港コスモフェリーターミナルに直接移動することになっている。
「捨ててしまいたい位ひどいマシン」とオユタに言わしめたほど調子の悪かった彼のバンディット250は、ツーリング前のオーバーホールでみごと復活を果たしていた。 今年の3月28日から、新たな経済対策に関する政府与党会議、経済対策閣僚会議合同会議等に基づいた生活対策として、2011年の3月27日までの期間、土日祝日の高速道路上限料金を1,000円とする割引が実施された。ただしETC装着車に限られ、東京、大阪近郊エリアは別料金が適用される等の条件がある。今回参加するGTECのメンバーでバイクにETCを装着しているのは、ウメ、オユタ、ヒデの3台だ。計画している行程におけるETC非装着車との料金の差額は、約12,000円になる予定であり、この3人にとっては喜ばしい値下げとなった。反面、休日には交通量が増加することによる渋滞が心配された。本日は18時頃までにフェリーターミナルへ到着すればOKで、例年であれば12時に出発してちょうどといった感じなのだが、渋滞を懸念して、集合時間を1時間早めたのだ。ここまでのところ、渋滞はない。 草津PAの次は吹田SAで休憩するつもりだった。しかし給油後にヒロが「トイレに行きたい…。」とのことなので、(ここのガソリンスタンドからはレイアウト上、休憩施設までだいぶ逆走することになって危険な為)大津SAに寄ることにした。 15時過ぎに大津SA着。ティータイム後、ここから一気にフェリーターミナルを目指す。休憩中、ヒデからフェリーターミナル到着のメールがウメの携帯電話に入った。 15時50分、大津SA出発。豊中ジャンクションから阪神高速に入る。途中の料金所でETC非装着車のカンちゃんとヒロは、前のクルマのドライバーが料金徴収員に長々と道を聞いていた為、えらくタイムロスとなってしまい、走行車線を流れに乗って走り続けるウメとオユタに追い付けなかったというハプニングもあったが、最終的には4人共16時55分までに大阪南港コスモフェリーターミナルに到着した。結局、ここまで渋滞はなかった。先に到着していたヒデと合流。 乗船手続きは19時からということなので、隣接するアジア太平洋トレードセンター(ATC)に行って暇つぶしをした。ATCは様々なアメニティ施設やアウトレットモールなどを有する大規模なスペースで、ウメ、カンちゃん、ヒデの3人は「グレートツーリング '03 in 沖縄 & 九州」の初日に、やはり時間調整を行う為に寄っている。
20時、バイクの搬入開始。20時30分、出航。明日の朝は四国(松山)上陸だ。 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICから419km/長野自動車道塩尻北ICから403km | ||||||||||||
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4月30日(木) | 天気:晴れ | |||||||||||
7時50分、定刻通り松山港入港。朝食は船内で済ませていたので、上陸後、四国最西端の佐田岬に向けて出発した。隊列はウメ、ヒデ、オユタ、カンちゃん、ヒロの順。
カーナビは使いこなせなければ便利である。しかし、例えば周辺に有料道路のないAからB地点に移動する場合、県道が最短距離で地図上の道幅も太く見える場合、どんな検索条件にしても、その県道を走るように指示されるであろう。しかし、実際には明らかに県道よりも太く、距離が多少長くなっても快適で時間短縮になるような地方道があっても、ほとんどのカーナビは検索してくれないと思われる。もちろん、地図の鮮度も関わってくるが、そういった融通のきかないシチュエーションが今回のツーリングで何度かあった。それでも先頭を走るウメからしてみれば、カーナビがない頃に比べると、見知らぬ土地の地図を頭に叩き込むという事前準備の負担が格段に減っており、もはやカーナビなしのツーリングは考えられなくなってしまった。反面、“走った”という実感が希薄になり、“走らされた”と感じるようになってしまったのが悩みどころだ。「(オユタ)オレなんか、いつだって前のバイクのタイヤしか見てないよ。」 伊予市でR378に入り、海沿いをひた走る。交通量は少ない。佐田岬半島への通常ルートは、八幡浜市でR378からR197に右折することであろうが、それだと半島南側の付け根まで一旦南下することになる。そこで、走りのステージを兼ねて、ひたすらワインディングの県道255号線をあえてチョイスした。 県道255号線はセンターラインがほとんどなく、時にはクルマ同士の擦れ違いに気を使うレベルの道幅ではあったものの、天気に恵まれ、交通量も皆無に等しかったことから、そこそこ楽しめた。(ただし、クルマで走っても決して楽しくはないだろう。) 10時、佐田岬半島の途中にある道の駅「きらら館」着(伊方町)。売店で「じゃこ天」を食す。じゃこ天は魚のすり身を板状に延ばして揚げた物で、なかなか美味だ。展望台からは四国電力伊方(原子力)発電所を見下ろすことができる。道の駅には原発のPR施設が併設されており、ちょっとだけ見学した。
三崎港を通り過ぎ、佐田岬へ。終点は断崖に面した駐車場で、ここから片道約20分歩かないと灯台のある岬先端までは行けない。灯台付近には旧日本軍の要塞跡もあるらしく、ぜひ行ってみたいのだが、今日は三崎港からフェリーで大分県(佐賀関港)に渡り、国東半島の北側まで走らねばならないので、ゆっくりはできない。岬を背景に記念撮影し、地元のおばあさんが駐車場で売り歩いていた、この付近で採れたというみかんを半ば強引に購入させられた後、次のフェリーの便に乗るべく佐田岬駐車場を後にした。先程通過した三崎港に戻り、12時30分発の国道九四フェリーに乗船。2等+2輪:2,540円(750cc未満)、3,040円(750cc以上)。
およそ70分の船旅後、大分県大分市の佐賀関港に入港。九州上陸!R197を西に走る。
横穴古墳(横穴墓)は6世紀後半を中心とした約100年間に多く造られた墓であり、滝尾百穴横穴古墳群は総計84基を数える大規模なものである。庶民の家族墓と考えられているが、かつて内部は荒らされ、物置等の用途にも使われたりした為、遺物は残っていない。九州には他に石貫ナギノ横穴古墳群(熊本県)等の有名な横穴墓がある。ここはマイナーなので滅多に観光客は来ないらしく、ファールボールの直撃で壁面が削られてもおかまいなしである。
本日の走行距離:252km | ||||||||||||
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5月1日(金) | 天気:晴れ | |||||||||||
朝食の前に、徒歩にて伊美別宮社(いみべつぐうしゃ)へ行った。この神社は平安時代の886年に、石清水八幡宮の分霊を祀ったことが始まりだと言われている。境内にある、国重要文化財に指定されている国東半島最大の国東塔(国東半島を中心に分布する宝塔の一種)や、子授け、安産の神として崇められている陰陽神を見学した。早朝なのでひっそりしているかと思いきや、境内では地元のご老人達による早朝の掃き掃除が行われており、それぞれの由来等についてお話を聞くことができた。その中でも興味深かったのが陰陽神のことで、その昔は境内でも違う場所に祀られていたらしい。戦後、進駐軍の米軍がここまで来て、陰陽神をハレンチでけしからんということから、海岸に捨てさせた。しかし、関係者が局部の激痛や高熱に苦悶した為、天罰ということで祟りを恐れ、現在の場所に安置されたとのことだ。
文殊仙寺は国東半島のほぼ中央にある文殊山(617m)の山腹にある、僧仁聞が奈良時代に創建した六郷山末山本寺の1つと言われている。僧仁聞は実在しなかった人物という説もあるが、1337年(建武4年)の六郷山目録に寺名が出てくることから、古い時代に建てられたことは確かなようだ。諺で有名な「3人寄れば文殊の知恵」発祥の地で、文殊の知恵を授かり、無病息災を祈願する寺である。 寺へは南側からのルートをチョイスした。県道652号線からの道は細くて見通しが悪いタイトなコーナーの続くワインディングで、木の枝や倒木が散乱している箇所もあり、恐ろしかった。こういった試練を乗り越えないと、ご利益にはあやかることができないに違いない! 8時40分に文殊仙寺駐車場着。本殿までは長い階段を登らねばならない。その本殿は、今にも石ころが落ちてくるのではなかろうかという崖を削った斜面に建てられていた。他に観光客は誰もおらず、うっそうとした森林の中、静寂と荒々しさが同居する、何とも趣のある寺だった。そもそも立地条件的に観光地とは言いがたい。
次の目的地は中津市にある「青の洞門」。文殊仙寺からは県道548、29号線を西に走ってR213に出るのが一般的であろう。しかし、ツーリング制覇マップで国東半島の外周を埋めるべく、あえて県道31号線を国東半島北側まで戻ってからR213に出た。それからR213、県道23号線を海沿いに走り、中津市のJR九州日豊本線東中津駅を過ぎた所で左折、南下してR212に出た。そして11時、山国川のほとりにある青の洞門着。ヒデ以外は「グレートツーリング '96 in 九州」以来2度目の訪問である。 その昔、この付近は巨大な岸壁で、通行人は鎖を伝って往来していた。その為、人馬が足を踏み外して転落し、死傷することが多かったという。それを見た禅海和尚は1730年頃から、独り鑿(のみ)と槌(つち)で岸壁に向かい、30年をかけてトンネルを掘ったのである。禅海和尚が通行人から、ちゃっかり通行料を徴収したという話が伝えられており、青の洞門は日本最古の有料道路と言われている。現在は自動車道(旧R212)のトンネルで拡張されているが、一部にノミの跡が残る、当時の面影を偲ぶ区間を見学することができる。ここは耶馬日田英彦山国定公園に指定されていて、紅葉シーズンは見ごたえがありそうだ。
羅漢寺は645年(大化元年)にインドの僧である法道仙人が開いたのが始まりと伝えられている、全国にある羅漢寺の総本山である。寺は羅漢山の中腹にあり、文殊仙寺よりも険しい岩壁に山門や本堂が建てられ、そして洞窟には五百羅漢など3770体の石仏が所狭しと置かれている。一体一体の表情が生き生きとしており、そして同じものは皆無であるが、洞窟の中にあるせいか、おどろおどろしい雰囲気に満ちている。本堂からの眺めはすばらしい。
13時30分、羅漢寺出発。本日の宿、「防府市サイクリングターミナル」がある防府市を目指す。R212からR10に出て北上。県道25号線を経て、門司ICから九州自動車道に乗った。今まで本州と九州の間を何度も行き来しているが、圧倒的に関門トンネルを利用する機会が多かったので、たまには関門橋を渡ろうというのである。関門橋手前のめかりPAで休憩。 めかりPAからは関門海峡と、それを跨ぐ関門橋、そして門司市街を間近に見ることができる。潮の流れが激しい関門海峡を大型船がひっきりなしに行き交う様は、なかなか迫力がある。眺めを堪能し、売店でふく天(ふぐの皮を練りこんだ天ぷら)等を購入、腹ごしらえをして14時に出発。
本日の走行距離:267km | ||||||||||||
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5月2日(土) | 天気:晴れ | |||||||||||
7時50分出発。R2を東進し、下松市でR188に入る。休憩を入れて、更にR188を進むと、やがて柳井市で右手に大きな橋が見えてきた。本州と周防大島(すおうおおしま)を結ぶ大島大橋である。最初の目的地である陸奥記念館に行くべく、大島大橋を渡って周防大島へ。 周防大島北側沿岸のR437を東進。徐々に交通量は減り、追い越しOKの快適路に。雰囲気としては、なんとなく沖縄の北部(R58)を走っている感覚だった。10時30分、島の東端にある陸奥記念館着。 戦艦「陸奥」は1921年(大正10年)に完成した、「長門」型戦艦の2番艦である。40センチ砲という巨大な主砲を装備した戦艦は、当時の世界で陸奥、長門だけだった。全長は224.94m(改装後)。現代人がその大きさを想像するのは難しいが、「グレートツーリング '06 in 北海道 & 東北」で利用し、「でかいなぁ!」と感じた新日本海フェリー「ゆうかり」は約200mなので、これを更にボリュームアップしたものとなる。武装やビルディングのような艦橋をごちゃごちゃ載せると、相当な迫力であろう。連合艦隊の旗艦として長年活躍していたが、1943年(昭和18年)6月8日、ここ陸奥記念館近くの沖に繋留中、三番砲塔の下の火薬庫が大爆発を起こして沈没してしまった。爆発の原因については諸説があり、人為的なものというのが有力ではあるものの、曖昧なまま調査は終了している。1970年から8年間、遺族や生存者らの熱意によって、主砲等、船体の75パーセントが引き揚げられた。陸奥記念館には、引き揚げられた遺品や艦の一部、遺族から寄せられた資料を展示している。
14時5分、錦帯橋着。元々岩国城と城下町をつなぐ橋として造られたこの錦帯橋、今回のメンバーは全員「グレートツーリング '95 in 中国地方」でも宮島と併せて寄ったことがあるのだが、2004年に架け替え工事が行われ、翌年には台風で橋脚の一部が流され、修復されている。少なくとも、1995年に寄った時とは別物の橋となっているので、改めて見ておきたかったのだ。 錦帯橋周辺はさすがに観光客で混雑していた。新しくなった橋を下から見上げると、複雑で精巧な木組みを見ることができる。橋と岩国城を背景にしたベストアングルで記念撮影して、14時30分に出発した。
海田町でR31に入り、広島湾東側の沿岸を南下。17時5分に宿着。 休憩後、徒歩で呉駅周辺まで行ってお土産を購入して発送。夕食は市街地の居酒屋でたらふく飲んだ。仕上げは「仙八未来軒」で呉ラーメン。こってり系だが、なかなかうまかった。 本日の走行距離:266km | ||||||||||||
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5月3日(日) | 天気:曇り | |||||||||||
現在、呉市のメジャーな観光スポットと言えば、「大和ミュージアム」と「てつのくじら館」であろう。その内、大和ミュージアムにカンちゃんは家族旅行で行ったことがある。そこで、彼は徒歩とバスにて呉市をブラブラ散策し、呉港からフェリーで江田島にも足を延ばし、海上自衛隊第1術科学校を見学することにした。たまには自分の足と、公共機関のみを利用した1人旅(オプショナルツアー)もいいものだ。 8時10分、カンちゃんを除いた4人はホテルをバイクで出発。あっという間に大和ミュージアムの駐輪場着。まずは大和ミュージアムの隣にある、てつのくじら館を見学するべく、会館前の行列に並んだ。開館時間は9時。さすがにゴールデンウィーク真っ只中とあっては、開館直後でないと、ゆっくり見学できないと踏んだのだ。行列の先頭付近にはカンちゃんの姿が見えた(館内で合流)。 てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)は、海上自衛隊の広報を目的とした無料の施設で、機雷の掃海活動や潜水艦に関する資料を実物や模型、映像等で展示している。これだけでも見応えがあるのだが、目玉は陸揚げされた実物の潜水艦「あきしお」の屋外展示である。あきしおは、2004年3月まで実際に海上自衛隊で就役していた潜水艦なのだ。
てつのくじら館を出ると、カンちゃんは海上自衛隊第1術科学校の見学ツアーに参加する為にフェリーで江田島へ、ここからソロツーリングとなるヒデは一足先に出発、残る3人は大和ミュージアムへと、それぞれの目的地に向け、互いの安全とますますのご発展、ご健勝を祈念して別れた。ヒデはこの先、岡山市で1泊、奈良の親戚宅でもう1泊し、5日に帰宅する予定だ。
14時22分、バイク3台を収容したファーストビーチフェリーは呉中央港を出港した。特にロープで固定されることもなく、渡し舟といった感じだ。料金は船内で支払えばOK。20分で江田島の小用港着。乗船券+2輪:700円(125cc以上)。
終戦まではこの地に海軍兵学校があり、大日本帝国海軍の兵科の士官を養成した。現在は海上自衛隊の幹部候補生学校、第1術科学校となっている。
まずは入校式、卒業式等に使用される、瀬戸内産御影石造りの大講堂。1917年(大正6年)完成という、歴史ある建物だ。中も見学OKだった。第1術科学校にはこのように古くからある建物がたくさん残されており、今も使われている。
少し歩いて、まるでギリシャ神殿のような教育参考館前に来た。こちらも1936年(昭和11年)完成という古い建物だ。幕末から太平洋戦争までの、旧帝国海軍関係者の資料や遺品が展示されており、30分間の内部見学時間を与えられた。ところが、カンちゃんの言っていたことは本当で、展示品はものすごいボリュームがあり、とても30分でひと通り見るなんて不可能。2時間位は欲しいところだ。せっかくの資料なのに残念である。すいている時はもっとゆっくり時間が取れるのだろうか…。 建物の脇には戦艦大和の主砲砲弾、特殊潜航艇「甲標的」と大和ミュージアムにもあった海龍、駆逐艦「雪風」の主錨が展示されていた。 大和の砲弾は高さが約2m、重量が1.5t、最大射程は42kmにも及んだという。
雪風は太平洋戦争における名だたる海戦のほとんどに参加し、終戦まで生き残ったというすごい駆逐艦である。大和の沖縄特攻作戦にも護衛として参加している。 最後に、海岸に設置されている戦艦陸奥の40センチ連装主砲塔を間近で見た。これは沈んでいた物を引き揚げたのではなく、1935年(昭和10年)の近代化改装時に取り替えられた4番砲塔を教材として設置した本物である。なるほどでかい!旧日本海軍の戦艦の実物主砲を、完全な形の砲塔として見学できるのはここだけではないだろうか。(横須賀の戦艦三笠のはレプリカだ。) 砲塔脇には、同型艦「長門」の主砲砲弾が展示されていた。
ちなみに途中の(本土と倉橋島を繋ぐ)音戸大橋は、橋の前後が幾重にもループしており、マジで目が回った。 夜はカンちゃんも含めて4人で飲みに出た。今晩も仕上げはもちろんラーメン。 本日の走行距離:34km(ウメ、オユタ、ヒロ) | ||||||||||||
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5月4日(月) | 天気:曇り | |||||||||||
7時40分出発。今日は京都に宿泊予定だ。まずはR487を少し南下して、「歴史の見える丘」へ。 小高い丘からは、石川島播磨重工業の巨大なドックを見下ろすことができる。かつて呉海軍工廠の造船部門があり、戦艦大和もここで造られた。大和建造中、秘匿の為に造られた囲いの屋根も一部残っている。ドックのひとつではタンカーが建造中らしく、作業員がまるで米粒のようだ。
アレイからすこじまを8時40分に出発。呉市街で給油後、R185を東へ走る。やがて安浦町でお目当ての“船”を発見。安浦漁港にバイクを置いて近付いて行った。通り掛かりの人がGTEC達を見ても、“防波堤”に向かって歩いているとしか見えないだろう。そう、この防波堤こそがコンクリート製の船なのだ。
なるほど、確かに外観は船そのものだ。船上を歩いて観察したが、みごとに原型を留めており、約60年も波風に晒されてきたとはとても思えない。これがもし鋼鉄製の船だったら、とっくに錆付いてバラバラになっていたことだろう。コンクリートってすごいんだぁ!と、一同感心。
尾道では約20分間休憩して出発した。県道363号線を北上してR2の尾道バイパスへ右折し、福山西ICから山陽自動車道に入る。オユタ、カンちゃん、ヒロの3人は、吉備SAで13時30分頃、少し遅い昼食にありついた。 ウメは倉敷ICで高速道路を降り、倉敷市にある全国的にも有名なクルマの某チューニングショップに立ち寄って、GRBインプレッサSTIのデモカーを見せてもらった。そのデモカーには、購入を検討していたパーツ(カーボンボンネットとエアロバンパー)が装着されており、しかも彼のSTIと同じボディカラーなので、大変参考になった。(約1ヵ月後、ウメのSTIはこのデモカーとほぼ同じ外観を得ることになる。)
山陽自動車道の三木SAで休憩するまでの間は、交通量が多いものの、渋滞はなかった。更に東進し、神戸ジャンクションで中国自動車道に入る。そして宝塚IC付近でとうとう長い渋滞に遭遇。しかし、今年が特別という程ではない。昨年通った時もこの位は渋滞していた。車線の間を縫って走り、無事クリア。吹田ジャンクションで名神高速へ。桂川PAで最後の休憩とし、京都南ICで高速を降りた。碁盤の目のような京都市街の道を走り、右京区の広沢池近くにある本日の宿「宇多野ユースホステル」に17時45分着。 夕食後、せっかく京都に泊まったのだから、明日はただ帰ってしまっては芸がない。何か見ていくか…ということで話し合った。明日の天気予報は曇りのち雨。岐阜県まで似たような予報だ。ゆっくりしていたら、雨に降られるかもしれない。せっかくここまでカッパを着ずに来たのだからと、カンちゃんは朝、出発して自宅に直行することに。オユタとヒロは観光する気満々。ウメは明日朝の天気予報で決めることとした。 本日の走行距離:398km | ||||||||||||
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5月5日(火) | 天気:曇りのち一時雨 | |||||||||||
天気予報は昨晩の時点と大して変わらなかった。しかし、降水確率はそれほど高くはないので、ひょっとしたら降られないかも知れない。ということで、ウメも京都観光をしていくことに決めた。 7時55分、カンちゃん出発。京都東ICで名神高速に乗り、自宅へ直行する。
後は適当に自転車でブラブラ走って宿へ戻った。 宿で自転車を返却、バイクに荷物を装着し、10時40分に出発。後は帰るだけだ。カンちゃんと同じく、京都東ICから名神高速に乗った。次の休憩ポイントは養老SAだ。 ゴールデンウィークも終盤、交通量は多い。渋滞にはなっていないと言えども、もはや追越車線はその役目を果たしておらず、こんな状況で流れに乗って走っていると、だんだん眠くなってくる。まずオユタがしびれを切らし、右に左にウィンカーを出しまくって車線変更を繰り返し、前へ前へと進んだ。しかし悲しいかな、250ccではなかなか思い通りに加速してくれない。かつてファイヤーブレードに乗っていた頃は、加速力に物を言わせて、並み居るクルマを千切っては投げ×2、ウメやヒデと一緒にグングン先に進んだものだ。…と、オユタの横をウメの隼が追い越して行った。ヒロも続こうとしたが、さすがに国内仕様のニンジャでは、隼の加速に全く付いてはいけなかった。 ウメはやがて追越車線で4本出しマフラーのベンツの後ろについた。グレード名を確かめようと、車間を詰めると、S63AMGだった。6.3リッターV型8気筒エンジン、525馬力、64.2kg・mというスペックを誇るモデルだ。ぜひともその動力性能を存分に見せていただきたいものだが、この交通量では…、と突然AMGは左に車線変更し、更に左へ!何とICのランプウェイを利用して加速し、その後は隙あらば走行車線と追越車線をジグザグに走って…、ウメを引き離そうとしている!? 先程後ろにえらく接近したので、間近に迫った隼のHIDの光に「バイクがよぉ〜、生意気なんだよ!」とドライバーがその気になったものと思われる。確かにすばらしい加速力だが、ウメを唸らせるものではない。まれに追越車線がしばらくクリアになっても、苦もなく追尾できた。これならポルシェ911ターボ(Type996)の方が速いか。やはり2トン以上の車重では厳しいのか?隼は隙を突いてAMGをあっさり追い抜くと、その加速力と機動力を存分に生かして車線変更を繰り返し、ひたすら前に進んだ。AMGは前のクルマにどけどけと言わんばかりにヘッドライトをハイビームにして、やはり右に左に車線変更して動いていたが、距離はみるみる開き、やがてバックミラーから消え去った。 養老SAで3人は合流し、昼食とした。高速道路情報では、この先から駒ヶ根IC付近まで雨だという。ウメは自宅の妻に電話して確認したところ、安曇野市は曇りだが、雨の気配はないそうだ。確かにこの先、部分的に雨が降っているのかも知れないが、小雨程度ならカッパを着ずとも、カウルの中に身を隠し、風圧のカーテンで乗り切れるのではないか…という期待が生まれた。そうは言ってもオユタはネイキッドなので、カウルがない。検討の結果、 ・ウメ:カッパを着用せず ・オユタ:上だけカッパを着用 ・ヒロ:念の為カッパ完全着用 という装備で、あとは自分のペースで帰ることとして、13時15分に養老SAを出発した。(この少し前にカンちゃんは自宅に着いた。)
ちなみにひと足早く出発したカンちゃんと、この日に帰宅したヒデも、しっかりと雨に降られた。カッパを着る着ないに関わらず、最終日に降られはしたが、トータル的には天気に恵まれたと言えよう。覚悟していた高速道路の渋滞も、今回のルートに限って言えば、拍子抜けする程どうってことはなかった。 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICまで364km/長野自動車道塩尻北ICまで348km |
グレートツーリング外伝 '09 in 伊豆 |
メンバー(マシン) | ウメ(GSX1300R)、オユタ(バンディット250)、マコちゃん(R1100RS)、ヨージ(ドラッグスター) |
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