2010年のツーリング

グレートツーリング '10 in 九州

メンバー(マシン) ウメ(GSX1300R)、オユタ(バンディット250)、ヒデ(CBR900RR)、ヒロ(GPZ900R)
4月29日(木) 天気:雨のち晴れ
 9時、雨の降る中、長野自動車道みどり湖PAに集合。天気予報は雨のち晴れ。西側から回復傾向にあるものの、大阪南港から出航するフェリーの受付時間の関係上、渋滞等を考慮し、ゆとりを持って出発する必要があり、時間を後ろにずらすことはできなかった。

集合!
 9時10分、マコちゃん一家に見送られながら、みどり湖PAを出発。隊列はウメ、ヒデ、オユタ、ヒロの順番である。
 中央自動車道恵那峡SAで休憩中に雨は一旦止んだが、相変わらずどんよりとした空模様なので、カッパは脱げなかった。案の定、恵那峡SA出発後も雨は降ったり止んだりを繰り返した。しかし、名神高速養老SAまで来ると青空になり、気温も一気に上昇した。この先、雨の心配はなさそうだ。ここで昼食として、カッパもたたんだ。
 お次は草津PAで給油。(ここでは給油だけとして、休憩はそのすぐ先にある大津SAの予定。) ところが、さすがはゴールデンウィークだけあって、ガソリンスタンドの前は給油待ちのクルマで長蛇の列になっていた。

給油待ちの行列
 給油でタイムロスとなったが、ここまで渋滞はなく、14時に大津SA着。最後の休憩とした。インフォメーションセンターで確認したところ、この先も渋滞はなさそうだったので、たっぷり40分間休憩した後に出発。
 豊中ジャンクションから阪神高速に入り、阪神高速11号池田線→阪神高速1号環状線→阪神高速16号大阪港線→阪神高速4号湾岸線(東線)とひた走り、南港中ICで降りると、程なく大阪南港かもめフェリーターミナルに到着した。
 時刻は15時40分。出航時間は17時55分なので、余裕たっぷりと思いきや、間もなく単車の搬入が開始されるというアナウンスが!急いで受付窓口に並ぶと、何と、大型2輪は車検証の提示を求められたのであった。「そりゃ当然でしょ?」と思われるかも知れない。確かに4輪なら必須であろう。しかし、数々のフェリーを利用してきたGTECのツーリング20年の歴史において、フェリーの乗船手続きで車検証の提示を求められたのは初めてなのである。どうせ今回も必要ないであろうと高を括っていたウメとヒデは、慌ててバイクまで取りに行ったのだが、荷物が載っているリヤシートの下にある車検証を取り出すのは大変であった。
 結局、窓口が混んでいたこともあり、乗船したのは16時40分だった。それでも出航の1時間以上前である。
 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICから422km/長野自動車道塩尻北ICから406km
宿データ 宿名 ダイヤモンドフェリー「さんふらわあ さつま」
場所 大阪→志布志の海上
感想 1993年就航、1997年改造。全長186m、総トン数12,418t、旅客定員782名。元々はブルーハイウェイライン西日本所有の船だったのが、2007年から経営統合によってダイヤモンドフェリー船籍となっている。船内設備は申し分なし。2等寝台に相当するツーリストベッドで予約していたら、ドライバーズルームが割り当てられた。ベッドスペースには照明とコンセント、棚があり、立って着替えができるのはうれしかった。
ツーリストベッド+2輪:15,030円(750cc未満)、15,930円(750cc以上)←インタネット割引適用
4月30日(金) 天気:晴れ
 ここ数年のグレートツーリングは、ツーリング制覇マップの中で走ったことのない道を埋めるのが主な目的になっている。もちろん、全ての道を制覇するなんて不可能なので、まずは北海道、本州、四国、九州の海岸線をほぼ埋め尽くそうというわけだ(沖縄は達成済み)。
 バイクによる九州ツーリングがGTEC最多なのはウメで、10回目となる。次いでヒロが9回目、オユタは7回目、そしてヒデは6回目だ。それぞれの走行軌跡を重ねると、意外と九州の海岸線はクリアできていない。九州は主に西側の海岸が入り組んでいる為、大雑把でもよしとするにしても、あからさまに抜けているエリアが多く、それらはとても1回のツーリングで制覇できるレベルのものではないのだが、今回はできる限り埋めたいと考えている。
 まずは志布志から南側、大隈半島東側のR448がターゲットである。フェリーの志布志入港予定時間は8時55分。錦江町大根占港発11時のフェリー(なんきゅうフェリー)を予約してあり、指宿まで鹿児島湾をショートカットし、その後は薩摩半島西側を出水(いずみ)市まで北上する予定だ。指宿からの行程を考慮すると、明るい内に宿へ着く為には、11時のフェリーは外せない。その後は13時まで便がないのだ。志布志からR448で大根占港まで走ると、約82kmある。ヒデはR448の一部区間を「グレートツーリング '07 in 沖縄 & 九州」で走ったことがあり、交通量が少ない快適路だったことから、高い平均速度をキープできると思われる。フェリーの乗船手続きがあるので、10時40分までには大根占港へ着かねばならないにしても、9時に出発すれば余裕であろう。
 「さんふらわあ さつま」は、定刻通り志布志港に入港した。経験上、長距離フェリーでバイクはクルマの後に下船となり、それは下船開始からせいぜい10分程である。ところが、GTEC達が九州上陸を果たしたのは、9時30分だった!段取りが悪いのか、作業員の数が足りていないのか、もはやR448はおろか、大根占港までの最短ルート(約49km)ですらきわどい時間になってしまった。上陸記念の撮影をする時間すらなく、とにかく最短コースに変更して出発。
 最短コース、それはR220とR269で大根占港に向かうというものだが、懸念点は、鹿屋市街地を通る為、交通量が多いのではないかということだった。実際、交通量と信号が多く、思うようにペースが上がらない。信号待ちでは必ず車列の先頭に出て、追い越し可能区間ではクルマを抜きまくり、10時40分ギリギリに大根占港着。途中で休憩なし。まともに交通の流れに乗っていたら、間に合わなかったであろう。
 大根占港は小さな漁港といった感じで、簡素なプレハブのチケット売り場で乗船券を購入し、程なく入港してきた「なんきゅう2号」に乗船。クルマ8台までのローカルな小型フェリーである。
 定刻通り11時出航。天気はいいものの、この時期の九州としては、ちょっと涼しいと思われる。穏やかな航海の後、11時40分に指宿入港。指宿港にて、ようやく落ち着いて九州上陸の記念撮影を行った。

指宿港(左側は「なんきゅう2号」)
 指宿駅近くのレストランで昼食とした後、12時50分に出発。後は宿に向かってR226→R270→県道43号線→R3→R447を淡々と走るのみ。
 指宿からの走行中、ヒロはニンジャ(GPZ900R)のエンジンに違和感を覚えていた。アクセルを開けても、いつものように加速してくれないのだ。
 17時50分、本日の宿、出水市の泉屋旅館に到着。
 チェックイン後、ヒロはニンジャのエンジンを横からチェックした。すると進行方向右側から1番、2番のプラグキャップが浮き上がっており、特に2番プラグは1cm位も浮いている。2気筒共死んでいる?ヒデの協力を得て燃料タンクを外し、これらのプラグを押し込んだ。エンジンを掛けると、一応はまともに動いているようだ。なぜ浮いてしまったのか、原因はよく分からないが、ひとまず様子を見ることにした。

ニンジャの応急修理
 本日の走行距離:232km
宿データ 宿名 泉屋旅館
場所 鹿児島県出水市昭和町3-16
感想 出水駅前にある昭和2年創業の老舗旅館。昭和53年に建てかえられた現在の建物は、外観こそ既に古くなっているが、客室はきれいで設備も申し分なし。ヘタなユースホステルよりもコストパフォーマンスに優れている。
1泊2食付き:4,600円(税込み)←ライダー特別料金
5月1日(土) 天気:晴れ
 歳をとった為か、ヒデは目覚ましなしでも5時半に起床してしまう。せっかくなので、宿や出水駅周辺を散策。九州新幹線の停車駅だけあって、駅舎だけは立派なのだが、駅前は閑散としている。駅で時刻表を見ると、もうすぐ停車する新幹線があるではないか!? 入場券を購入してホームで待つこと約10分、真新しい「つばめ」号を撮影することに成功した。

九州新幹線「つばめ」
 ヒデが宿に戻ると、他のメンバーが起床していて、朝食前に宿や出水駅周辺を散策しようと言う。またかよ!思ったヒデだが、そうは言っても朝食までまだ時間があるので付き合った。
 今日はウメ、オユタ、ヒロ組と、ヒデはそれぞれ別ルートで長崎市を目指し、出島で合流することになっていた。
 7時30分、それぞれのルートで出発。今日も涼しいが、いい天気だ。
(ウメ、オユタ、ヒロ)
 11時10分熊本港発の島原行きフェリー(熊本フェリー「オーシャンアロー」)に乗船するべく、熊本港フェリーターミナルを目指す。オーシャンアローは熊本と島原間を僅か30分で結ぶ、かっこいいデザインの超細長双胴船SSTH(Super Slender Twin Hull)で、「グレートツーリング '99 in 九州」において利用したことがある。残念ながらバイクは予約不可とのことなので、10時30分までにはフェリーターミナルに着きたい。
 R3を北上。時間が早いこともあってか、交通量は少なく、自動車専用道路である日奈久芦北(ひなぐあしきた)道路も利用して、快調に走ることができた。
 ヒロのバイクも最初の内は調子がよかった。しかし、ウメとオユタがとある登坂車線区間で遅いクルマを一気にパスした時、最後尾のヒロのニンジャは、なかなか加速してくれなかった。なんとか追い付いたものの、オユタのバンディットにすらパワー的に置いていかれる状態になっていた。昨日よりも症状がひどい。
 案の定、9時に八代市敷川内町のコンビニで休憩した際にプラグを確認すると、やはり1番、2番が浮き上がっている。これはバイク屋で修理してもらった方がよさそうだ。オユタのiPhoneで長崎市内のバイクショップを検索。レッドバロンの女神大橋店に電話すると、診てもらえることになった。とにかく、まずは島原に渡らねばならない。

ニンジャの浮いたプラグ
 その後のR3→県道14号線→R501→県道51号線は交通量が増えてペースが落ち、熊本港フェリーターミナルに着いたのは10時20分だった。それでも出航までまだ50分もあるので、バイクなら大丈夫だろうと思っていたら、無情にもあと2台の枠しか残っていなかった…。仕方なく、同港11時発の九商フェリーで行くことにした。
 九商フェリーはオーシャンアローよりも10分早く出航しても、島原に着くのは20分遅い。所要時間が2倍かかる割に、料金はほぼ同じという、あまりメリットがないことから、最後の手段としていたのである。

九商フェリー
 11時出航。考えてみれば20分位は大したタイムロスではない。むしろ、後方からぐんぐん追い上げて抜き去っていくオーシャンアローの勇姿や、徐々に大きくなって来る島原の景色をのんびりと眺めることができ、これはこれでなかなかよかったかもしれないと3人は思った。

抜き去っていくオーシャンアロー
 12時、島原外港入港。昼時になると気温は上昇し、暑くなった。港の近く、島原城の南側にある「六兵衛」という店で昼食にした。六兵衛は、サツマイモでできた黒い麺のことで、通常は鰹節や昆布で取っただし汁で食べる。江戸時代、島原が飢饉になった時、この辺りの名主だった六兵衛が、保存食としてポピュラーだったサツマイモの粉を利用して考案したことから、この名前が付いたと言われている。しかし、話のネタにはなるものの、お味の方は…、また食べたいとは思わなかった。

六兵衛
 ついでなので、島原城にも少し寄った。ウメとヒロは「グレートツーリング '92 in 九州 & 沖縄」以来18年ぶりの再訪である。あの時は雲仙普賢岳の噴火に伴い、城の敷地には災害派遣で自衛隊が詰めていた。

島原城
 13時15分、ここでヒロはお別れ。最短ルートでレッドバロンを目指して出発した。
 ウメとオユタはR251を南下。1637年に勃発した島原の乱の舞台、原城跡を見た。天草四郎を総大将としたキリシタン3万7千人が徳川幕府と戦い、ほぼ全滅した地である。現在、天守などの建築物は一切なく、石垣だけが残っており、南国風のロケーションの為か、なんとなく沖縄のグスク(城)跡に雰囲気が似ている。観光客はまばらだった。

原城跡
 お次は原城跡から見て、西の山腹にある谷水棚田に移動した。JAF Mate(JAFの情報誌)4月号に長崎の特集があり、ここの棚田が紹介されていた。有明海を見下ろす棚田の写真がきれいだったので、寄ってみたかったのだ。ところが、実際は棚田ではなく棚畑で、稲作を行っている田んぼは1枚も見当たらなかった。休耕田も散在し、少し物悲しい景色となっている。他に観光客は1人もいなかった。ここで、JAF Mateの記事をよく思い出してみると、確か稲作の裏作に馬鈴薯栽培を行っており、棚田に水が張られるのは初夏なのであった。長野県の稲作の感覚で見ていてはいけなかったのだ。写真撮影をして14時50分に出発。

谷水棚田
 あとはR251とR34で長崎市を目指すのみ。島原半島を抜けるまでは快調に走れたものの、徐々に交通量が多くなり、渋滞も目立ってきた。出島まであと35kmの距離にあるコンビニで休憩していると、ウメの携帯電話にヒデからメールが来た。内容は「出島広過ぎ。バイクは水辺の森公園の北側に停めた。着いたら連絡して。」とある。この“出島広過ぎ”という言葉で、ウメはヒデが既に出島を見学中と理解した。まだ先は長いが、出島に着いたら連絡しよう。
 ヒロは、15時頃に「ながさき女神大橋道路」戸町IC近くにあるレッドバロン女神大橋店に到着。さっそくサービス工場へ。1番、2番、そしてなんと、3番のプラグキャップも浮き上がっていた。カワサキ車ではこのような症状をたまに見るそうで、パッキンの経年劣化によるものとのこと。残念ながら部品の在庫がなく、応急修理を行ってくれた。修理は1時間程度で終わり、その後は快調になった。出島に向かうと、先に着いていたヒデと合流した。
 長崎市街地に入ったウメとオユタ。出島まであと少しという所の信号待ちで「(オユタ)おしっこ!」「(ウメ)どのくらい持つ?」「(オユタ)もうダメ!」ということで、最寄りのコンビニに寄って放水。ここから出島まではすぐ近くだし、移動させるのも面倒だったので、そのまま(勝手に)バイクを置かせてもらい、徒歩にて出島入り口へ。
 復元作業の進む出島は、資料館として有料公開されている。時刻は17時。開場時間は18時まで。あと1時間しかないというあせりから、とにかく入場した。「出島に着いたら連絡」ということになっていたから、約束通り、場内でウメがヒデとヒロに携帯電話で連絡を入れようとして、何気に視線を入り口付近に向けたら、その2人が場外からこちらを見ている。そうりゃそうだ。ヒデからメールが来たのは1時間以上前だ。きっとこの2人は、出島の見学すら飽きて、外に出て待っていたのに違いない…と再び理解したウメは、申し訳ないから先に宿で待っていてもらおうと、とっさに「宿で会おう!」と叫んだ。
 ところが、実際は違っていたのであった!(→ヒデのレポート部分を参照のこと。)
 出島見学は時間が全く足りず、中途半端だったのが残念である。
 本日の走行距離:228km(ウメ、オユタ)、185km(ヒロ)

出島
(ヒデ)
 まずは長島蔵之元港8時40分発天草下島行きのフェリーに乗るべく、1/14万の地図を頼りに出発。できるだけ短い距離のルートで行くつもりが、いきなり交差点を間違え、どんどん反対方向に向かっている!こりゃまずいと再度地図と睨めっこ。ここで15分もロスしてしまった。宿から蔵之元港まで約40kmの計算だったことから、このタイムロスは痛い。果たして間に合うのか!?
 R389の黒之瀬戸大橋で長島へ渡る。のどかな国道で長い直線もあり、遅い(?)クルマをどんどんパスすることができた。
 おかげで何とか8時15分に蔵之元港に到着し、乗船手続きを済ませる。バイクも5〜6台停まっており、その中のナイスミドルのオヤジは、1ヶ月かけて九州を周るとのこと。羨ましい限りである。
 三和商船の「第二天長丸」は予定通り8時40分発に出航。大小約120の島々からなる天草。その中のひとつである下島、牛深(うしぶか)港までの所要時間は30分だった。

三和商船「第二天長丸」
 この後は下島で「崎津天主堂(さきつてんしゅどう)」「大江天主堂」あわよくば富岡港付近にある「四季咲岬」に寄り、富岡港から長崎半島の茂木港までフェリーで渡る。そして野母崎経由で長崎市街に行く予定である。ただし、下島の滞在時間は約3時間と限られている。11時30分富岡港発のフェリーに乗船できないと、野母崎を断念せざるを得なくなる為だ。2時間ちょっとで3箇所、行程約65kmを周れるか、ヒデのチャレンジが始まった。
 R266を北上。港から少し離れると道が細くなるものの、信号は少なく、クルマもそこそこのスピードで流れている。R389に入ると交通量は殆どなく、道もよく整備されていて、快適なライディングを楽しめた。
 崎津天主堂近くの崎津トンネル手前で国道を外れ、海沿いの旧道へ。岬を過ぎると、羊角湾(ようかくわん)を挟んで崎津天主堂が見えてきた。ここからだと、鄙びた漁港とゴシック様式の天主堂の何とも言えない、趣のある風景を見ることができるのだ。写真を撮った後、天主堂へ。
 “海の天主堂”とも呼ばれる崎津天主堂は、明治時代以降3回の建て直しが行われており、現在の教会は1934年にハルブ神父よって建てられた。堂内はなんと畳敷きらしい。この辺りはかつて隠れキリシタンの里で、祭壇のある場所には踏み絵が行われていたそうだ。ここは観光地化されている感じはなく、港町に自然と溶け込んでいる。そこがまたいいのである。ちょうど結婚式を挙げており、何ともゆったりとした時間を感じることができた。ふと近くを見ると、蔵之元港で会ったナイスミドルのオヤジもおり、特に会話はしないものの、お互い苦笑いで挨拶。

崎津天主堂
 お次は大江天主堂。こちらはガルニエ神父によって1932年に建設された白亜のロマネスク式聖堂である。ここもやはり観光地化されていない地元の教会であったが、近くに天草ロザリオ館という観光スポットがある為か、地元農家の出店でみかん等が売られていた。100%絞りたての夏みかんジュースが100円だったので、迷わず1杯頂き、水分とビタミンCを補給。実に美味であった。横を見ると、夏みかんが4個100円という、何ともリーズナブルな価格で売られていた。ちょうどメンバーの人数分だったので、後で分けてあげようと購入。(安過ぎるので心配もあったが、結果的にとても新鮮でおいしかった。)

大江天主堂
 そうこうゆったりとした時間を堪能している内に、10時を過ぎていた。残りは約40km。富岡港付近にある四季咲岬にとりあえず向かう。
 R389は相変わらず順調で、その後のR324も問題なかったのだが、四季咲岬付近の道が、狭くて路面は荒れ放題の上に標識がなく、散々迷走して見付けた駐車場の看板には、岬まで徒歩5分との記載が…。時刻は11時ちょい前。乗船手続きの時間を考慮すると、もはや猶予はない。岬を断念無念!
 11時に富岡港着。乗船手続きが終わった頃に、安田汽船のフェリー「きずな」が港へ入ってきた。乗船が始まり、船内にバイクを停めてビックリ!小型スクーターなら4台は積めるが、大型バイクはどう考えても2台が限界。つまり、メンバー全員だったら一緒に乗ることができないわけだ。(昨日のなんきゅうフェリーは事前に乗車可能台数を調べて予約を入れてあった。)
 11時30分、富岡港出航。今朝から2回の“フェリーの出航時間に間に合うのか?”という重圧から開放され、よい休息が取れた。

安田汽船「きずな」
 12時40分、定刻通り茂木港に入港。港付近の食堂で昼食をと考えていたのに、何もない。またこの先、野母崎方面はどう考えても大きな町があるとは思えない。(事実なかった!) 何とか食料をと思ったら、灯台下暗し、茂木港待合室にそば屋があったので、そこで腹ごしらえ。細い麺のいわゆる駅そばなのだが、普段食べ慣れている信州そばには遠く及ばない。まあ、贅沢は言うまい。しかし、隣のおばちゃん2人組が「ここのそばはホント美味しいねぇ…。」と言ったのには閉口した。彼女達が長野県に来て駅そばを食べたら何と言うのか聞いてみたい。
 充分に休息を取り、いざ長崎半島最南端の野母崎へ。県道34号線を南下する。ほとんどがセンターラインのない、のどかな道だったので、のんびりと走った。1時間後に野母崎着。
 野母崎の権現山展望公園駐車場にバイクを停め、5分程度歩くと、見晴らしのよい展望台があった。そこからは、明日上陸する予定の「軍艦島」がよく見えた。海がきれいだ。
 後はひたすら長崎市を目指すのみ。…と、駐車場でバイクに跨った瞬間、一瞬視界が真っ白になり、立ちゴケ!ここまで要所要所で充分な休息を取って来たつもりだったのだが、暑さもあってか、疲労が蓄積されているようだ。去年暮れには、仕事で無茶し過ぎて倒れているので、無理は禁物だ。
 気を取り直し、R499をひたすら北上。途中、陸上で軍艦島に最も近い辺りに夫婦岩なるものがあったので、写真を撮った。別名、網掛岩とも呼ばれている、しめ縄で結ばれた岩である。岩越しに見える夕陽がきれいらしい。

夫婦岩ごしの軍艦島
 長崎市街へ入る手前にレットバロンの横を通過したが、後で聞いてみると、その時間にはヒロが店内にいた筈だ。
 15時30分、出島に到着。バイクを停めて徒歩にて周辺を歩いたものの、まだ他のメンバーは到着していないようだ。待つ間、暑かったので、長崎名物の露店アイスを2回食べ、しかも2回目のおばちゃんと30分位話し込んでいると、16時30分位にヒロが現れた。2人で更に30分程ぷらぷら歩いていると、コンビニ前に怪しげな2台のバイクを発見。言わずもがな、ウメとオユタのバイクである。出島の入り口に行って見ると、既に入場している2人が!こっちは疲労困憊、立ちゴケまでして、それでもがんばって健気に待っていたのに、なんたる仕打ち!しかも、会うなり「宿で会おう!」と追い返されてしまうとは。
 どの道、疲れていたので出島場内を見学する気力が残っておらず、そのままヒロと2人で宿に向かうことにした。
 本日の走行距離:180km
 “出島で待ち合わせ”というあいまいな取り決めをしていたのがいけなかった。それぞれの勝手な解釈と誤解によって、一時的に険悪なムードになってしまったのであった。
 宿では夕食を予約していなかった。夜は繁華街に繰り出せばいいと考えていたからなのだが、地図では近い繁華街も、さすがは坂の街長崎、標高差がえらくある。また、ウメの体調が悪かったということもあり、近くにあった長崎ちゃんぽんの店で夕食にした。
 夕食後、タクシーで稲佐山の展望台へ夜景を観に行った。(夕食時にビールを飲んでしまった為、バイクでは行けなかったのだ。) 観光客(というかカップルばかり)でごったがえしていたが、期待通りのすばらしい眺めである。やはり…カップルにお勧めだ。

稲佐山からの夜景
宿データ 宿名 松月旅館
場所 長崎県長崎市弁天町11-21
感想 長崎駅の西側、稲佐山ふもとの斜面、住宅地の一画にある宿。ビジネスユースで宿泊する人が多いようである。木造なので、夜中に館内を歩かれると、ギシギシ音がうるさいが、総合的にはよかった。女将さんのキャラクターが濃く、初対面でこちら側から「合わない」と判断してしまうと、悪印象のままで終わってしまうであろう。逆にうまいこと調子を合わせれば、きっと快適に過ごすことができる筈だ。実際は味があって面白い人なのだ。
1泊朝食付き:4,130円(税込み)
5月2日(日) 天気:晴れ
 朝食前、オユタとヒロは、宿から東へ約3km、深崇寺の近くまでバイクで走り、そこからは風情のある細い階段路をひたすら登って「亀山社中」の跡地を訪れた。亀山社中は坂本龍馬らによって1865年に結成された貿易結社で、日本最初の商社と言われている。跡地には記念碑があり、その後ろにある記念館は9時からの開館。7時30分からの朝食まで帰らねばならない為、見れるわけもなく、記念碑の前で記念撮影して帰った。坂道が意外とハードで、朝からいい運動になった。

亀山社中跡
 今日は今回のツーリングのメインイベントとも言える、軍艦島上陸の日である。
 軍艦島…。それは長崎港から南西約17.5キロメートルの海上にある端島の通称であり、かつて炭鉱の島として栄えた半人工島である。元々の島の大きさよりも拡張されてすら、周囲わずか1.2kmという土地に、全盛期には炭鉱労働者とその家族ら5千人以上が暮らしていた。島影が戦艦「土佐」に似ていたのでこのような呼び方をされている。1974年に閉山してから、高層アパート群等を含めて、ほぼ当時のままの状態で放置されており、廃墟マニアにとっては聖地のようなもので、まさに「キング・オブ・廃墟」と言えよう。別にマニアとまではいかないGTEC達にとっても大変興味深い場所であり、いつかは間近で見てみたいと思っていた。その夢が今日実現する。島の南側で安全なエリアを整備して、2009年4月から観光事業として上陸可能になったのだ。
 8時20分に宿を出発し、僅か数分の距離にある長崎港ターミナルの駐輪場にバイクを置き、さっそくやまさ海運の「軍艦島周遊上陸コース」受付窓口へ。出航は9時で、8時40分までに手続きをすればいいのだが、既に多くの参加者が並んでいた。参加費用は1人4,300円。予約制(定員約170人)なので、「はい、ここまで!」と切られる心配はないものの、早い者勝ちの船内の座席は、ほとんど外の景色を眺めることができない場所しか残っていなかった。まずはデッキ、次に船内の窓際の座席が埋まっていくのだ。しかし、このことが、後々よい結果をもたらすことになろうとは、この時点では知らなかった。
 定刻通り、9時に「マルベージャ3号」は出航した。出航までは時折雨がぱらついていて、肌寒かったのだが、やがて青空が見えてきた。この先天気は心配なさそうだ。船内では上陸に関する注意事項が説明され、いくつかの班に分けられた。島ではこの班ごとに行動することになる。

マルベージャ3号
 長崎港から軍艦島までの約1時間は、長崎半島沿いに航行し、点在する島々など、終始眺めはいい…筈。ほとんど外が見えないので、徐々に大きくなってくる軍艦島の威容はほとんど分からなかった。
 10時、いよいよ上陸開始。外は出航時とは打って変わって日差しが強く、暑かった。班ごとにまとまって移動。見学ルートは手すりで囲われていて、きれいに整備されている。いくつかの広場があり、そこでガイドさんの説明を受けた。もちろん、手すりの外側に出ることは許されない。安全上、例え建物が倒壊しても影響が及ばないようなレイアウトで歩道が作られているので、想像していたよりは迫力に欠けた。周りは人だらけであり、その点も興ざめである。やはり廃墟見学の醍醐味は、いつ崩れるかも知れぬ危険の中に身を置きながら散策し、その何とも言えぬ雰囲気に浸るというものであろう。どんな風景なのかは、訪れた人の写真がWeb上にゴロゴロ転がっているので、「軍艦島上陸ツアー」などのキーワードで検索していただきたい。

軍艦島にて
 上陸後、約40分が経過し、そろそろ船に戻る時間とのこと。その順番も班ごとになるのだが、GTEC達の班が最初だった。どうやら往路で眺めの悪い席に座っていた人が最初に乗船できるよう配慮された班分けになっているようだ。おかげでデッキのベストな座席に陣取ることができた。
 軍艦島を出航すると、長崎半島の陸上側からは見えない、島の西側をゆっくりと航行してくれた。最も戦艦土佐の艦影に似ているとされるアングルや、崩壊の進む西側のマンション群を海上からじっくり眺めることができた。

なるほど船に見える!?
 そして、長崎港までのクルージングも眺めがよかった。11時50分、長崎港着。上陸は少し期待外れではあったものの、参加費用を考慮すれば、総合的には充分コストパフォーマンスの高いツアーだった。
 港近くのショッピングセンターで昼食&土産購入タイムとし、13時45分にバイクで出発した。
 R34→R207→R444→県道54号線という、有明海沿いを北上するルートで佐賀市に向かう。軍艦島上陸というメインイベントの後は消化試合といった感じで、淡々と走った。
 途中、鹿島市の「焼きたて工房ひのでや」という洋菓子店で休憩し、窯の中で約1時間掛けて焼いたパフと、生クリーム入りのカスタードが絶妙のハーモニーを奏でる「クッキーシュー」を頬張り、17時に本日の宿、佐賀シティホテル着。
 夜は佐賀駅前の居酒屋で乾杯した。
 本日の走行距離:110km
宿データ 宿名 サガシティホテル
場所 佐賀県佐賀市駅前中央1-7-31
感想 佐賀駅近くにあるビジネスホテル。大浴場完備で、設備も充実している。朝食は本格的なバイキングだった。
1泊朝食付き:4,000円(税込み)←期間限定キャンペーン価格
5月3日(月) 天気:晴れ
 ウメはせっかく佐賀まで来たのだから、高名な吉野ヶ里遺跡を一目見ようと、朝食前に1人バイクを走らせた。宿から北東方向に14km程の距離である。R34は早朝なのでガラガラ。約10分で到着した。
 遺跡が公園内にあることは知っていた。ところが!その吉野ヶ里歴史公園は有料公園で、案内板には開園時間9時〜17時とある。遺跡を遠目に拝むことすらできず、閉まっているゲートの前で写真を撮り、断腸の思いで引き返したのであった…。ホテルで4人揃って朝食。

無念…(吉野ヶ里歴史公園)
 7時35分に出発…する時、ホテルの前でヒデが今回のツーリング2回目の立ちゴケ!ご丁寧に1回目と逆方向(進行方向右側)にだ。「(ヒデ)とほほ〜…。」

ヒデ立ちゴケ(引き起こしたところ)
 朝から気温が高い。今日から数日は夏日になるそうだ。R208→県道18号線→R309→R501→県道51号線→R57と、有明海の東側沿いを南下。これでツーリング制覇マップ上において、有明海をグルッと囲むことに成功した。
 10時30分に熊本ICから九州自動車道へ乗り、今度は北上し、新門司港フェリーターミナルを目指す。できればR495で福岡市から北九州市の海沿いを制覇したいのだが、フェリーの受付時間を考慮すると、既に厳しい。このまま高速で行くかについては、広川SAで最終判断することにした。
 ところが、高速道路休日割引上限千円+ゴールデンウィークだけあって、九州自動車道は上下線とも断続的に渋滞していた。車列の間を走るものの、当然ペースは一般道並に落ち、広川SAまで行かずとも、R495コースは諦めざるを得なかった。上陸初日のR269、そして今日のR495と心残りではあるが、無理は事故の元。仕方あるまい。
 とは言え、混んでいてもそこは高速道路、新門司ICで高速を降りたのが13時10分。フェリーの出航時間は17時10分なので、さすがにまだ早い。県道71号線で門司駅に行き、ここにバイクを置いて昼食とした。
 その後は関門海峡を望む公園で行き交う船を眺めて時間を潰し、15時に新門司港フェリーターミナルに着いた。

関門海峡を望む公園
 受付は始まっていたが、まだバイクはほとんど停まっていない。(手続きに車検証は必要なかった。) 16時、バイクが先陣を切って一般車両の搬入開始。徒歩の乗船も始まったばかりで、客室にチェックイン後、まだすいている風呂にゆっくりと入ることができた。さらば九州!
 本日の走行距離:314km(ウメ)、286km(オユタ、ヒデ、ヒロ)
宿データ 宿名 阪九フェリー「フェリーせっつ」
場所 新門司→泉大津の瀬戸内海上
感想 1996年就航。全長189m、総トン数15,188t、旅客定員810名。「グレートツーリング '96 in 九州」で就航ホヤホヤのフェリーせっつを利用したことがある。設備に不満なし。僅か1万円程度で、寝ている間にバイクごと大阪まで運んでくれる。例え高速料金がタダになろうとも、九州ツーリングにフェリーは欠かせない。
2等指定B+2輪:9,600円(750cc未満)、10,600円(750cc以上)←週末祝日割引
5月4日(火) 天気:晴れ
 5時40分、定刻通り泉大津港に入港。5時50分、本州上陸。往路もこれくらいスピーディーに下船できていたら、当初計画していたルートを走ることができたのに…。

泉大津港
 ウメ、オユタ、ヒデは、すぐ近くの泉大津ICから阪神高速4号湾岸線(南線)に乗り、その後は堺泉北道路→阪和自動車道→近畿自動車道→第二京阪道路→京滋バイパス→名神高速→中央自動車道→長野自動車道というルートで帰宅する。
 ヒロは奈良の平城遷都1300年祭に寄ってから帰ることにした。
(ウメ、オユタ、ヒデ)
 早朝だけあって交通量は少なく、第二京阪道路までは順調に走ることができた。しかし、京滋バイパスから先はどっとクルマが増えて、休憩した名神高速の草津PAは、7時の時点でほぼ満車状態だった。幸い、その先で渋滞はなく、養老SA、中央自動車道恵那峡SA、長野自動車道みどり湖PAで休憩。豊科ICで高速を降り、ウメは12時までに帰宅。オユタとヒデは、豊科IC近くのラーメン屋で昼食とした後に解散した。
 ところが、オユタは自宅まであと3kmという所で、何とチェーンが外れるというトラブルに見舞われたのであった!原因は整備不良なので、自分が悪いと言ったらそれまでだが、旅先や、ましてや高速道路で外れていたらえらいことになっていた。不幸中の幸いと言えよう。(詳細はエピソード「チェーンの切れ目が縁の切れ目?」を参照のこと。)
 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICまで427km
(ヒロ)
 平城京は日本で初めての大規模な首都だった。710年に藤原京から平城京へ遷都されて、今年はちょうど1300年になることから、平城宮跡において平城遷都祭として、様々なイベントが行われている。その記念すべき行事に、顔だけでも出しておきたかった。ヒロはどうもこの手の行事があると、何が何でも行きたくなってしまう。「グレートツーリング '08 in 中国地方」でも、平成の大遷宮に伴って60年ぶりに本殿の特別拝観が行われていた出雲大社にも単独行動で寄ったのだった。
 自他共に認める方向音痴のヒロは、ウメ達の少し後に出発し、ひとまず泉大津ICから阪神高速に乗って北上。とにかく「奈良」の案内を頼りに走り、気が付いたら西名阪自動車道の郡山ICで下りていた。少なくとも、ツーリング初日で降りた南港中ICを通過したので、時計回りにえらく遠回りしたものと思われる。しかも、平城宮跡には第二阪奈有料道路を終点(宝来IC)まで走ればよかったのに、時計回りしたあげく、10km程南側に出てしまった。
 7時30分位に薬師寺を外から眺め、8時にJR関西本線の郡山駅近くにある臨時駐車場着。シャトルバスで平城宮跡へ。
 復原された朱雀門ではちょうど衛士隊の再現アトラクションを見ることができた。そこから北側、近鉄奈良線を挟んで広大な広場の先にある、平城宮最大の宮殿とされる高さ27mの大極殿はカラフルで風格があった。これもつい先ごろ復原された建物なのだが、設計図が残っていなかった為、残っていた礎石から大きさを割り出したものだ。その為、実際にこのような色や形をしていたのかは定かでない。

復原された朱雀門
 予想していた通り、人がたくさん。他にも色々見所はあるものの、敷地が広くてとても時間が足りない。さすがに疲れが溜まっていたヒロは、当初の目的は果たしたので、10時30分位に駐車場へ戻った。
 R24を南下し、R25に入って東名阪自動車道の亀山ICを目指す。R25は交通量が多く、所々で渋滞していた。
 亀山ICから東名阪自動車道に乗り、名古屋市内では適当に走って、気付くと名古屋ジャンクションから東名高速道路に出ていた。小牧ジャンクションで中央自動車道に入り、長野自動車道塩尻北ICで高速を降りて、16時30分位に松本市の自宅に着いた。
 本日の走行距離:未計測
 今回のツーリングは、毎日船に乗っていた…。特に、ヒデはフェリーを5回利用しており、1回のツーリングにおけるフェリーの利用回数としては、「グレートツーリング '01 in 九州」とイーブン。単純に船舶の利用としてカウントすれば、軍艦島クルージングがプラスされて6回になり、過去最多である。なかなかこの記録は破られない!?
レポート by ウメ


グレートツーリング外伝 '10 in 静岡
メンバー(マシン) ウメ(GSX1300R)、オユタ(バンディット250)、ヒロ(GPZ900R)、マコちゃん(R1100RS)、ヨージ(ドラッグスター)
 今回の外伝ツーリングは、静岡市へ連邦の白い奴、等身大ガンダム(ガンダム立像)を見に行くというものだ。昨年、放送30周年を記念して企画され、アニメの設定通り約18mで作成された、1分の1スケールのモデル(REAL GRADE 1/1 RX-78-2ガンダム)である。最初は東京のお台場で公開されていたが、静岡ホビーフェアの目玉として、JR東静岡駅前の特設会場に移設された。お台場との差異は、右手にビームサーベルを握っていることと、ボディーのマーキングが一部静岡ホビーフェア専用のものとなっていることだ。
 GTECの野郎共は正にファーストガンダム世代。ウメなんて、中学校の時、ガンダムの再放送を見たくて、早く家に帰る為に部活をやめてしまった程のファン(マニアではない)である。(当時、ビデオデッキはまだ高価で、普及していなかった。)
 今回もスペシャルゲストとしてヨージが参戦する。これで3年連続となり、彼も準GTECメンバーと言えよう。
10月23日(土) 天気:晴れ
 ツーリングの日程と宿が決定したのは9月初旬。当初の計画では、ウメ、オユタ、ヒデ、ヒロの本隊が長野自動車道→中央自動車道(名古屋方面)→飯田山本IC→R151、マコちゃんは長野自動車道→中央自動車道(東京方面)→甲府南IC→R358→R139、ヨージは東京からひたすら東名高速でそれぞれ静岡県に入り、静岡駅近くの宿にチェックイン後、16時にガンダム立像前で合流するというものだった。
 同じ目的地なのにマコちゃんが単独行動を取るのは、三保の松原が見たい(ウメ、ヒデ、ヒロは「グレートツーリング外伝 '91 in 御前崎」で行ったことがある)のと、自分のバイクスタイルが確立した彼は、もはやワインディングでは他のメンバー(ヨージにすら)に全く付いて行けず、迷惑を掛けてしまうと思ったからだ。漢(おとこ)である。
 朝7時50分、ウメ、オユタ、マコちゃんは、長野自動車道みどり湖PAに集合した。ツーリング2日前、ヒデが仕事のトラブルで行けなくなってしまった。ヒロは用事で遅れて出発。結局、本隊はウメとオユタだけという、寂しいものになってしまった…。

集合!
 8時出発。3人は岡谷ジャンクションで2組に分かれる予定だ。その岡谷ジャンクションの手前、岡谷IC付近で、電光掲示板に「車両火災 この先本線通行止め」の表示が!視線を先に延ばすと、既に渋滞しているではないか!? それまでは事故の情報がなかったことから、発生直後と思われる。電光掲示板から岡谷IC出口までの距離は僅か。先頭のウメは、とっさの判断で出口へ降りた。オユタ、マコちゃんも続く。後ろでは、消防車が通過する音が鳴り響いていた。
 仕方がないので、ウメ、オユタ組とマコちゃんはここで分かれ、一般道を走って各方面の高速道路の次のICから乗ることにした。
 「土日祝日の高速道路上限料金1,000円の恩恵が半減だ〜!」とぼやきながらR20で塩尻峠を越えるウメとオユタ。中央自動車道名古屋方面の次のICは伊北IC。先程集合したみどり湖PAの近くを通り、R153を南下。約28km一般道を走る羽目になってしまった。えらく遠回りのコースだが、後で考えると、中央自動車道沿いに県道14号線を走れば10km程近かった…。
 伊北ICから高速に乗り、遅れた分を取り返すべく爆走!といきたいところだが、250ccネイキッドのオユタがいるので、そうもいかない。一般道でならビッグマシンの後ろにも付いていける腕前を持つオユタであるが、高速道路ではマシンの性能差を埋めることはできないのだ。飯田山本ICから三遠南信自動車道の無料区間を経由し、R151に入る。ここからはひたすらR151を南下する。
 R151は12年前に走った時より大分改修が進んだようで、狭い区間が一部あるものの、基本的には追い越し可能な2車線道路である。天気が良く、ポカポカ陽気。前方に走っているクルマはほとんどなく、南へ行くほど適度なワインディングとなり、気持ち良く走ることができた。ビギナーにもお奨めの快適路だ。10時50分、道の駅「豊根グリーンポート宮嶋」で休憩。
 そこから先もR151は快適だったが、長野県と静岡県との県境で入った県道9号線はひどかった。クルマの擦れ違いが困難な道幅で、見通しの悪いクネクネした峠道。うっそうとした木々の中、湿った路面は、落ち葉や、うっすらと生えた苔で滑り易い。こういった道は神経を使う。とは言ったものの、結構な平均速度でクリア。道の駅「くんま水車の里」で休憩&昼食とした。
 昔懐かしい雰囲気の山里にある道の駅で、手打ちそばはなかなかのお味。裏にある清流では、平たい小石がゴロゴロしており、思わず水切りに没頭してしまった。12時30分出発。

水面を滑る石
 そこから先の県道9号線はガラッと変わって快適であった。先程の道の駅には、地元ナンバーのバイクがたくさん停まっていたが、見ていた限り、北に進むライダーは皆無だった。日帰りツーリングの折り返し地点というわけか。昼食がてら行くには適度なコースなのであろう。県道40、61号線を経て、袋井ICから東名高速に乗る。小笠PAで休憩。
 まだ時刻は13時30分。宿へ直行するには早過ぎる。ということで、登呂遺跡を見学することにした。静岡ICで東名高速を降り、14時20分に登呂遺跡のある登呂公園着。「グレートツーリング '10 in 九州」で、吉野ヶ里遺跡がある吉野ヶ里歴史公園に(開園時間前の為)入れず、苦汁を飲んだウメ。しかし、登呂公園は時間に関係なく、自由に出入りのできる無料の公園であった。
 登呂遺跡は、弥生時代の集落、水田遺跡である。竪穴式住居や高床式倉庫の遺構は有名であり、複数が復原されている。竪穴式住居は中に入ることもできる。水田跡では実際に古代米が育てられていて、ちょうど稲刈り体験会が行われていた。脱穀も当時の手法を再現するというこだわりようだ。資料館は先日リニューアルオープンしたばかり。さすがにじっくり見ている時間はないので、無料展示だけサラッと見た。

登呂遺跡の復原された竪穴式住居
 24時間、公園へ誰でも入ることのできるということは、復原住居で夜中に酒盛りしたり、いたずらされないものかと心配してしまうが、夜間、復元住居の入り口は閉ざされるので、中に入ることはできないらしい。しかし、今年1月、地元の中学生数人によって、竪穴式住居の屋根が破壊される事件があったそうだ。
 登呂公園から本日の宿、「いこいビジネス旅館」は近かった。15時過ぎに宿着。その直後、ヨージがドラッグスターでやって来た。彼は自宅を出発してから、どこにも寄らずに東名高速で直行して来た。
 「(ヨージ)ち〜〜っス。」「(オユタ)HEY、ヨージ!何やらスクリーンが付いているじゃんかYO!?」「(ヨージ)これで最高速アップっス。さっきも高速道路でアクセル開けたら130km/hも出て、GT-Rをぶち抜いてやったっス。つまり、ドラッグスターってGT-Rよりも速いわけで、もうバンディットなんて敵じゃないっス。」「(オユタ)なにぃ〜!?おのれ相変わらず無精髭なんぞ生やしやがって、なまいきな若造が〜!」※

宿の駐車場で言い争う(談笑する)オユタとヨージ
 部屋で外出の準備をしていると、マコちゃんがやって来た。こちらは昼食に富士宮市でご当地グルメ「富士宮やきそば」を食した後、三保の松原を見てから宿へ来た。本当は登呂遺跡も見学したかったのだが、のんびりとしていたら時間切れになってしまった。
 後はヒロだけ…と、ウメの携帯にヒロから電話が入った。まだ宿まで1時間位掛かりそうとのこと。彼を待っていたら、明るい内にガンダム立像前には着けなくなるので、ウメ、オユタ、マコちゃん、ヨージの4人は、宿を徒歩で出発した。
 宿から東静岡駅までは、歩いて約20分掛かった。そして、今回のツーリングの最終目的地、静岡ホビーフェアの会場は、アイドルユニットのミニライブも開催されるとあって、予想通り人が多かった。当然、お目当てのガンダム立像の前も人でごった返しているのだが、そんなものは何の邪魔にもならない位のでかさだった。
 ドコモ静岡ビルを背景に威風堂々と立つその姿に、一同しばし見入ってしまった。しかしそれは、TV放送されていた頃のファーストガンダムとは明らかに異なる。そうは言っても、当時のままのデザインで再現したならば、きっと笑いのネタになっていたことであろう…。確かに、改めてファーストガンダムのTVアニメを見返してみると、その作画のお粗末さぶりに苦笑してしまう。ガンダムの世界は進化し続けているのだ。

REAL GRADE 1/1 RX-78-2ガンダム
 お次はホビーミュージアムを見学。ここだけは有料だ。“模型の歴史を語る上で欠かせない、貴重な資料や名作を展示。ファン垂涎の逸品も勢揃いします。”と謳うだけあって、展示内容は充実しており、見応えがある。子供の頃夢中になった、見覚えのあるプラモデルのパッケージがいくつもあった。これまた過去のイベント用に作成されたコアファイターの1分の1スケールダメージモデルも展示されていて、そのリアルさがたまらない。

コアファイターのダメージモデル
 17時10分頃、ミュージアム内でウメにヒロから電話が入った。宿で自転車を借りて、これから出るので、会場に着いたら再度電話するそうだ。自転車なら10分も掛からず着くことだろう。
 ミュージアムをじっくり見た後、外に出ると、すっかり暗くなっていた。今度はライトアップされたガンダム立像を楽しむ。一粒で二度おいしいとはこのことか。

ライトアップされたガンダム立像

背面も手抜かりなしのみごとな造形!
 それにしても、時刻は既に17時50分。まだヒロから連絡がない。会場は18時で閉まる(ライトアップも終了)というのに、一体どこに行ったのやら。まさか場所を間違えて、静岡駅でウロウロしてるんじゃないのか?「(4人)まさか、いくら方向音痴の彼でもそれはないでしょ?ハハハハハ!」と冗談を言い合っていたら、その直後、「(ヒロ)今、静岡駅前だけど、ガンダムどこ?」という電話があった。呆れた4人は、会場を後にして、東静岡駅からJR東海道線で静岡駅に向かった。東静岡駅周辺は開発中で、飲食店があまりなさそうだったので、夕食の為に、どの道静岡駅へ移動する予定だったのだ。
 静岡駅の改札でヒロと合流。予め調べておいた地元の居酒屋で、乾杯後にヒロから聞いた真相はこうだ…。
 午前中、用事が済んでいざ出発するべく、バイクのエンジンをかけようとしたところ、バッテリーが完全に上がっていた。押しがけしてもダメ。マイカーのバッテリーとブースターケーブルで接続してエンジンを始動させ、しかしアイドリングにすると止まってしまうので、高回転をキープしながらレッドバロンへ。もうこのバッテリーは寿命と言われ、新品と交換。出発したのは13時を過ぎていた。中央自動車道の双葉ジャンクションから中部横断自動車道を終点の増穂ICまで走り、R52を南下して静岡県入りするという最短コースで宿へ。ツーリングの計画メールは読んでいたものの、ガンダム立像がどこにあるのかはうろ覚え。宿の人に自転車を借りる際、ガンダムを見に行きたいと言って道を教えてもらったが、見事に迷った。確か“静岡駅”というキーワードはあったので、道路標識を頼りに40分位迷走して着いたのが静岡駅。ここでいいに違いないと思ってウメへ電話したのだった。(実際は“東”静岡駅が正解。) ガンダム立像を見れず、何の為に遥々来たのかと嘆くヒロであるが、とにかく、事前準備がまるでなっていない。1ヵ月半も前に日程が決まっていたのに、バッテリー上がりなんて論外である。
 とにかく、全員無事に揃ったことを祝って飲みまくり、二次会へ突入した。
 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICから329km(ウメ、オユタ)/長野自動車道塩尻北ICから225km(マコちゃん)/長野自動車道塩尻ICから195km(ヒロ)

※実際のところ、ヨージはこんなキャラクターではなく、礼儀正しい好青年である。(髭も生やしていない。)
宿データ 宿名 いこいビジネス旅館
場所 静岡市駿河区小黒2丁目10-44
感想 静岡駅と東静岡駅の中間辺りに位置する ビジネス旅館。外観は古いが、中は改装されていて、設備はまずまず。後ほど記載するように、朝食付きでお願いしたのに、電話を受けた人と予約表に書き込んだ人の意思疎通がうまくいっておらず、朝食抜きになってしまった。しかし、リーズナブルな価格だったのでよしとしよう。
1泊:3,500円(税込み)
10月24日(日) 天気:曇り後雨
 早起きしたヒロは、ガンダムを諦め切れず、朝食までに東静岡駅まで行って来ることにした。ところが、バイクは他の宿泊客のクルマが邪魔で出せない。そこで、まだ宿で借りた自転車のキーを返却していなかったことから、自転車で東静岡駅へ向かった。今度は地図をバッチリ頭に入れてあるので大丈夫。「(ヒロ)な〜んだ、自転車ならあっという間じゃないか!昨日の苦労は何だったんだ!?」
 さすがに会場は閉まっていて、間近でというわけにはいかなかったが、ガンダム立像の大きさを実感することはできた。証拠撮影をして宿に戻った。
 いざ朝食をと5人が食堂に入ったら、用意されていない…。確かに、朝食付きで予約したハズ。予約時、1泊朝食付き通常4,600円のところ、ガンダムを見に行く人は4,100円に割り引くと言われたので、確実だ。とにかく、手違いで素泊まりにされてしまったようである。素泊まりは、やはりガンダム割引で3,500円であった。料金はチェックアウト時に支払うシステムによって、発覚するのが遅かった。仕方がないので7時50分に出発し、コンビニで朝食と相成ったわけである。今回のツーリングで初めて、メンバー揃っての走行となった。
 本日は、久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)を見てから帰る予定だったが、道中に登呂遺跡の近くを通ることから、(昨日見ることのできなかった)マコちゃんの要望で寄ることになった。
 登呂公園に着いたのは8時20分。観光客はまだ誰もおらず、復元された竪穴式住居の入り口を職員が開けているところだった。昨日と違い、ひっそりとした雰囲気の遺跡で、しばし古代のロマンに浸ることができた。

登呂遺跡(登呂公園)
 そして久能山東照宮へ向けて出発。石田街道で海岸線まで出て、快適なR150(いちごライン)を東に走ると、左前方に久能山が見えてきた。8時55分、ふもとの土産物屋の有料駐車場にバイクを置き、いざ東照宮へ。
 一ノ鳥居から見上げる久能山。ここから社殿まで1159段の階段が延々と続く。これがなかなかきつかったが、登るにつれて、駿河湾を見下ろす抜群の眺望を得ることができる。

階段の途中からの眺め(赤矢印はバイクを停めた場所)
 久能山東照宮は、徳川家康が1616年に死去した後、この地に埋葬された。二代将軍秀忠の命で本殿が造られたのは翌年で、それもつかの間、同年に日光東照宮が造られ、改葬された。「遺体は久能山におさめ、一周忌が過ぎたら日光山に堂を建て、神としてまつること」というのが家康の遺言だったのである。規模からすると、日光東照宮のミニチュア版といった感じではあるが、さすがに本殿の造形はみごとで、決して引けを取ることはない。

久能山東照宮(本殿)
 10時30分、久能山東照宮を後にして、帰路に着く。本日の天気予報は、これからのルートである静岡県、山梨県、長野県共に曇り後雨。今のところは雨の気配がない曇り空とはいえ、カッパを着ることは覚悟せねばなるまい。県道198→197→54号線を北上して、東名高速の清水ICを目指す。
 清水ICの手前で東海道新幹線を横切るのだが、鉄道ファン(マニアではない)のマコちゃんは、ぜひとも通過する新幹線の姿をカメラに収めたかったので、ここで寄り道することにした。他のメンバーとは富士川SAで合流する。
 マコちゃん以外の4人は清水ICから高速に乗り、東京方面に向かった。渋滞もなく、順調に走り、富士川SAで休憩。しばらくすると、無事新幹線の撮影に成功したマコちゃんが来た。ここで東京の自宅に帰るヨージとはお別れ。5台揃っての走行は僅かな距離であった。

富士川SAにて
 ヨージと別れた4人は、富士ICから西富士道路を終点まで走り、富士宮市のファーストフード店で昼食。引き続きR139を北上して中央自動車道の甲府南ICを目指す。今にも雨が降り出しそうな空模様である。終始クルマの流れに乗って走行。しばらくは真っ直ぐな道なのでペースが早くて快適だったのだが、精進湖からのR358はワインディングということもあって、グッと平均速度が落ちた。イエローラインだし、車列は延々と先に続いていた為、(1人を除いて)ひたすら耐えながら走った。「(マコちゃん)こりゃちょうどいいペースで助かるわ〜…。」
 甲府南ICから中央自動車道に乗り、双葉SAで休憩。その後は岡谷ジャンクションで長野自動車に入り、北上。各自最寄りのICで高速を降り、15時には帰宅した。その直後に雨がザーザー降り出したのは、メンバーの日頃の行いがよかったからであろう。
 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICから235km/長野自動車道塩尻北ICから219km

レポート by ウメ


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