1992年のツーリング

グレートツーリング '92 in 九州 & 沖縄
メンバー(マシン) ウメ(GSX-R400R-SP)、ヒロ(XV400 VIRAGO)、マコちゃん(GSX-R250)
 大学最後の春休み。GTECの面々は既に卒業も決まっており、それぞれの大学で「卒業旅行はxxに行こうぜ。」といった友人からのお誘いを断って、「グレートツーリング '92 in 九州 & 沖縄」の準備を進めていた。大抵、卒業旅行といえば海外だが、誰も興味を持たなかった。まずは日本中走って、日本のことをよく知る。海外はその後、という訳である。まだ3月なので、当然南がいい。南といえば九州。鹿児島も行こう。鹿児島まで行ったら、沖縄にも足を延ばしちゃおう!といった軽いノリで今回の目的地は決まった。
 参加予定メンバーは、ウメ、オユタ、ヒデ、ヒロ、マコちゃんの5人である。しかしオユタ、ヒデは災難によって参加できなくなってしまった。(詳しくはエピソード「ツーリングに行けないヒデ」「雪の中の仙台ツーリング」を参照のこと。) 結局参加できるのは3人だけになってしまった。
3月6日(金) 天気:晴れ
 出発地点は3人とも別々であった。ウメは神奈川のアパートから、ヒロは長野の実家から、マコちゃんは金沢のアパートからである。各自高速を走って来て、名神高速の多賀SAで集合予定だ。果たして、これだけ離れた場所に別々のルートから時間通りに集合できるのか?集合予定時間は13時。何と、12時30分から30分の間にみごと3人共揃ったのである。
 ここのサービスエリアは昨年の夏、ウメがカメラを落としてレンズを割った場所である。(反対車線側だが。) しかしレンズを交換して、みごとに復活していた。ヒロは初お披露目のビラーゴで登場だ。さすがにまだ肌寒いこの時期、カウルなしでは辛い。
 神戸の六甲アイランドから20時40分発新門司行きの阪九フェリーに乗船した。
宿データ 宿名 阪九フェリー
場所 神戸→新門司の瀬戸内海上
感想 瀬戸内海だけあって、フェリーに乗っていることを忘れてしまうくらい穏やかな航海であった。設備も充実していてきれいな船だった。
3月7日(土) 天気:晴れ
 8時40分新門司着。ツーリング日和とまではいかないが、寒くはなかった。
 船の中で知り合った、大学が京都にあって実家の北九州市に帰省する途中のA君(仮名←名前忘れた)も一緒に、関門トンネルを通って下関に渡った。A君もバイクなのだ(CBR250R)。下関砲台跡や下関駅で記念撮影をした後、再び九州に戻った。
 R3を進み、北九州市のケンタッキーで昼食を摂った後、A君と別れた。そしてR200を南下して、太宰府天満宮を見た。ここは学問の神様。「無事に卒業できますように…。」
 そして今日の宿泊予定地である福岡市に向かった。とはいったものの、今日だけ宿は予約していない。駅前のビジネスホテルにでも泊まろうと思っていた。
 R3を走っていると、信号待ちで横に並んだバイクのおじさんに話し掛けられ、路肩でこれから行く先の見所などを教えてくれた。このおじさんは輸送機のパイロットで、「阿蘇でフライトクラブをやっているから、寄ってみたら?」と名刺をくれた。
 さて、博多駅前の旅行代理店でホテルまたは旅館を探してもらったが、何と全滅!(空いている部屋はあるにはあったが、とても彼らの予算では泊まれそうもなかった。) 国立大学の2次試験が明日あるので、その影響らしい。困った末、太宰府ユースホステルに電話してみた。やはり満室であったが、心やさしいオーナーの気遣いで、泊めていただけることになった。ありがたい。
 太宰府といったら、さっきまでいた場所だ。戻る前に、夕食を食べることにした。博多といったら長浜ラーメンである。ガイドブックには「元祖」だの「本家」といった長浜ラーメンの店がたくさん載っていたが、一番アクセスが楽な「元祖長浜屋ラーメン」に決定した。店内は混んでいたが、何とか並んで座ることができた。まずは1杯目。豚骨スープはさすがにいい味をだしている。麺もいい。そして替え玉で2杯目。周りが“やわ”とか言っていたので、「やわお願いします。」と真似してみた。柔らか目の茹で具合という意味らしい。スープがうすくなってきたら、テーブルに置いてあるやかんで注ぎ足す。結局替え玉を2回頼んだ。3杯目は無理矢理腹に詰め込む作業になり、さすがに3人共それ以上は注文できなかった。
 店の外に出ると辺りは既に暗くなっており、ズラリと並んだ屋台の明かりがきれいだった。3人は太宰府ユースホステルに向かった。
 余談ではあるが、九州の道路には所々に二輪車専用レーンが設けられており、走り易かった。
宿データ 宿名 太宰府ユースホステル
場所 福岡県太宰府市三条1-18-1
感想 太宰府天満宮の近くにある。満室だったので。通常の客室ではなく、離れの寝室を開放していただいた。おそらく、プライベートな部屋と思われる。そこは新築できれいだった。よって、本来の太宰府ユースホステルを語ることはできないが、オーナーには感謝している。
3月8日(日) 天気:くもり時々晴れ
 朝、太宰府駅周辺の店を物色してから出発した。
 R202を海岸沿いに南下し、唐津でR204に入って七ツ釜を見た。釜のように鋭い断崖は、なかなか見ごたえがある。この時、既に昼飯時で、そういえば、福岡で会ったパイロットのおじさんに、この近くでおいしいレストランがあることを教えてもらっていたので、そのレストラン「まんぼう」に向かった。「まんぼう」は海中水族館みたいに海に建てられていた。こいつは楽しみだ。期待に胸躍らせて入ってみると、順番待ちで長蛇の列。1時間はかかると言われた。先のことを考えると、とても待てる時間ではない。仕方なく出発した。しかしその後はなかなか食事処がなく、結局コンビニ弁当になってしまった。
 そのまま伊万里までR204を走ったが、この国道から眺める海はきれいだった。入り組んだ海岸線と、点在する小島がいい味を出している。
 伊万里からR202を南下し、針尾瀬戸付近で巨大な3本の塔が見えた。コンクリート製のこの塔、とにかく目立つ。これは旧日本軍が使用していた高さ140mもあるアンテナで、かの有名な「ニイタカヤマノボレ1208(ヒトフタマルハチ)」の暗号もここから発信されたのだ。この1922年製の針尾送信所、現在は自衛隊の所有物となっている。
 R206を南下中に辺りが暗くなってきた。長崎ユースホステルに着いた時には、既に殆どの宿泊客が夕食を済ませていた。今日は意外とハードだった。
宿データ 宿名 長崎ユースホステル
場所 長崎県長崎市立山1-1-16
感想 長崎駅に近く、長崎観光の基地として活用できる。ただし施設はけっこう古い。
3月9日(月) 天気:雨のち曇り
 朝から雨が降っていた。今日も長崎ユースホステルに連泊で、バイクで長崎オランダ村に行くつもりだったが、雨の中を無理して乗る必要はない。徒歩で長崎駅に行き、オランダ村行きのバスを利用した。(ヒロが酔った。)
 長崎オランダ村はもうすぐハウステンボスに移転するということなので、これが3人にとって最初で最後、見納めとなる。オランダ村は想像以上に広かった。ハウステンボスは更に規模の大きなものだという。雨も昼までには上がり、帆船に乗って湾内をクルージングしたりして楽しんだ。昼間っからビールが飲めるのも、公共機関を利用したおかげだ。
 長崎市に帰ってきた時にはまだ明るかったので、路面電車を利用して平和公園に行った。ひっそりと置かれている熱で溶けてグニャリと曲がった鉄骨等が、かろうじてかつての惨劇を訴えている。その足で浦上天主堂を見た後、駅前でカステラを買って宿に戻った。
 夕食後、他の宿泊客も交え、先程買ってきたカステラを食べた。ユースホステルの魅力は、主に同世代の旅行者が利用するので、旅の情報交換が気軽にできる点にある。リアルタイムな情報なので、ヘタなガイドブックよりも為になる。「あそこの道は通れないよ。」とか「xxでねずみ捕りをしていた。」なんてことも教えてもらえたりする。さすがに沖縄帰りの人はいなかった。
宿データ 宿名 長崎ユースホステル
場所 長崎県長崎市立山1-1-16
感想 3月8日のデータを参照のこと。
3月10日(火) 天気:晴れ
 朝、まずは眼鏡橋を見た。ここでマコちゃんがカメラを落としてしまい、以後、撮影した写真に怪しげな光が写るようになってしまう。
 そして島原に向かって出発。雲仙普賢岳が噴火中なので、のんびり観光とはいかないのは承知である。今日は熊本の阿蘇まで行かなくてはならない。長崎から陸走していくとすると、有明海をぐるりと迂回しなくてはならず、遠回りなので、島原からフェリーで熊本までショートカットしようというのだ。
 島原はうっすらと火山灰に覆われていた。とりあえず島原城に行ってみると、災害派遣の自衛隊が駐屯していた。ここからは普賢岳がよく観察できる。時折火砕流が発生しているのが見えた。いつでも出動できるように、装甲車や指揮車が待機していたが、中を見学することができた。想像以上に窮屈で、さぞ、乗り心地の悪そうなマシンである。やはり島原ではあまり観光する気分になれず、出発することにした。
 有明フェリーで長洲町まではあっという間であった。海路も有効に利用しなくては損だ。県道で熊本市街に入り、まず熊本城を見た。見たといっても、入場料を払って内部の見学まではしなかった。城は外から眺めるに限る。いや、あまりゆっくりとしていられなかったのと、単にカネをケチってのことらしい。
 お次は水前寺公園である。ガイドブックの写真がきれいだったので期待していたら…、時期が悪かった。まだ冬なので芝生が茶色で、木々も針葉樹以外は葉がついておらず、なんともお寒い公園であった。ここの売店でヒロは巨大な柑橘類を目撃した。それは“ぼんたん”といい、カボチャ程の大きさがあった。柑橘類に目がないヒロは、(欲しい!)と思ったが、あんな大きなものを果たしてバイクに積めるであろうか?とりあえず諦めることにした。
 熊本を後にし、R57を東に向かって走ると、阿蘇山が見えてきた。阿蘇登山道路(有料)の北側入り口近くに、本日の宿である阿蘇ユースホステルはあった。
 夕食後のミーティングで、オーナーである御老体が阿蘇山の見所を色々と教えてくれたが、話し方がとてもおもしろく、宿泊客全員が聞き入ってしまった。そして阿蘇登山道路は6時前なら係員がいないので無料で、山頂から眺める日の出は最高であるということを聞き、3人はチャレンジしてみることにした。
宿データ 宿名 阿蘇ユースホステル
場所 熊本県阿蘇郡阿蘇町坊中922-2
感想 施設はかなり古い。ここはオーナーの人柄の良さが魅力の全てといっていい。しかし既にかなりの高齢とみた。先が心配だ。
3月11日(水) 天気:晴れ
 何とか5時30分に起床し、朝食をパスして宿を出た。昨晩のオーナーの話が効を奏したのか、あの場にいたかなりの人がやはり出発していた。
 6時前に有料道路のゲートを通過した。山頂までは快適なワインディングが続く。しかも朝早いので、道はガラガラである。冷えた空気が気持ちいい…、どころではなく、凍えるような寒さであった。山頂付近は霜で土が凍っていた。震えながら待つこと十数分、寒さも吹き飛ばす程きれいなご来光を拝むことができた。早起きはするものである。
 ヒロはどうしても草千里ヶ浜を上から見たいと杵島岳に、ウメとマコちゃんは冷えた体を温める為、地獄温泉に向かった。
 草千里ヶ浜は上から見ると、まるでウルトラマンの顔のようなクレーターである。2つの池が目、隆起した地面が鼻に見える。苦労して登った甲斐があったと、ヒロはシャッターを押した。
 阿蘇登山道路を南側に降り、途中で脇道に入って細い山道をしばし走った所に地獄温泉はあった。ここは混浴の露天風呂で有名らしい。ちょっと期待してしまった。が、入っていたのはおばあさんだけであった…。ひっそりとした温泉で風情もあってよかった。温泉から出ると、ちょうどヒロがやって来た。
 地獄温泉から出発しようとした時、ウメはGSXのリヤタイヤからなにやら“シュ〜”という嫌な音を聞いた。見ると太い釘が刺さっている。さっそく持っていたパンク修理キットで修理し、山道を降りた所にあったガソリンスタンドで空気圧を調整してもらった。ミシュランのハイスポートラジアルは、グリップは目茶苦茶いいのだが、ゴムが軟らか過ぎて異物を拾い易いのが難点だ。
 ここのガソリンスタンド、先日福岡で会ったパイロットのおじさんに教えてもらったフライトクラブのすぐ近くであった。名刺片手にその場所に行ってみると、手作りの飛行場が見えてきた。例のおじさんはいなかったが、数名の愛好者がライトプレーンを飛ばしている。3人は挨拶をし、ことのいきさつを話した。すると、何と、乗せてくれるというのである!複座タイプのライトプレーンにウメ、ヒロ、マコちゃんの順番で乗せてもらい、阿蘇の青空を遊覧飛行してくれた。気分は最高!来てよかった。(詳しくはエピソード「GTEC陸、海、空を制する」を参照のこと。)
 フライトクラブの皆さんにお礼を言い、3人はR57を熊本まで戻り、九州自動車道に乗った。目指すは鹿児島。途中、ウメがGTOに絡まれてバトルを展開。しかし相手はリミッター付きらしく、軽く200km/h以上出るウメの敵ではなかった。
 この日の朝から、ウメは左手首が痛くてクラッチがまともに切れないでいた。腱鞘炎になってしまったようである。(握るのではなく、指を鉤状にして引っ張ることで対処していた。) 鹿児島駅近くの薬局で塗り薬を購入し、R226を南下、何とか指宿に到着した。さすがに鹿児島は暖かだった。
宿データ 宿名 圭屋ユースホステル
場所 鹿児島県指宿市湯の浜5-27-8
感想 指宿温泉街にあり、風呂も温泉である。1階はお土産物屋さんだ。
3月12日(木) 天気:晴れ
 今日は鹿児島港から沖縄行きのフェリーに乗る予定だが、出航は18時なので、ゆっくりできそうだ。
 朝、ユースホステル近くの摺ヶ浜で、指宿温泉名物“砂蒸し”を体験した。入り口でおカネを払うと浴衣を貸してくれるので、着替えて海辺の砂浜へ。係の人が既に穴を掘って待っている。そこに横になり、顔だけ出して砂に埋めてもらうのだ。ものの5分としないうちにサウナにでも入っている気分になってくる。3人共20分ほどで熱さに耐え切れなくなり、ギブアップした。浴衣は汗でびっしょりとなるが、なにしろ下は素っ裸。ギャルはご注意を。
 いい汗をかいた後、昨日来た道を鹿児島まで戻った。ウメの腱鞘炎は、薬のおかげか、はたまた砂蒸しのおかげか、だいぶよくなっていた。
 バイクを西鹿児島駅に置き、昼食に鹿児島ラーメンを食べた。適当に入ったローカルなラーメン屋だったが、なかなかおいしかった。食事後にアーケード街を歩いていたら、ヒロが果物屋にぼんたんを発見!衝動を押さえ切れなくなり、ついにでかいのを1つ買ってしまった。家に持って帰るというが、大丈夫であろうか?
 1時間程バイクを停めておいただけなのに、うっすらと火山灰が積もっていた。周囲を見ると、放置自転車が火山灰に埋もれていた。駅で買ったソフトクリームを食べていると、何やら灰色になっていくような…。鹿児島市民は、“灰”によって“肺”は大丈夫なのかしらん?ぼんたんはリヤシートの荷物と一緒に、なんとかネットで積むことができた。(しかしむき出しとは…。)
 城山公園から鹿児島市の全景越しに、海を隔てた桜島を見る。噴煙がもくもくと上がっているが、島にも人間の営みがある。鹿児島の人は見慣れているかもしれないが、3人は滅多に見れるものではないこの異様で美しい光景に、しばし見入っていた。
 18時、大島運輸沖縄(那覇)行きのフェリーは、鹿児島を後にした。沖から見る桜島が、何とも印象的であった。
 夕食はオリオンビールで乾杯!しかし3人の口には合わなかったようだ。
 ヒロはしきりにぼんたんを手でこすって匂いを嗅ぎ、実に満足そうな顔をしていた。
宿データ 宿名 大島運輸フェリー(波之上丸)
場所 鹿児島→沖縄の太平洋上
感想 古い船で、バイクを置いたのは、ねずみの出そうな薄暗い貨物室兼車輌室であった。2等のザコ寝だったが、そんなに混んでいなかったので、苦にはならなかった。揺れも少なかった。
3月13日(金) 天気:晴れ
 鹿児島からでも沖縄は遠い!途中、徳之島、沖永良部島、与論島に寄港した。(上陸はしなかったが。) 与論島に寄港した時はいい天気だった。甲板から眺めていると、向こうから黒い雲がみるみる近付いてきて、ザーッ!!と激しい雨が降り出した。そしてすぐに止んだ。これがスコールか?何だか南国気分になってくる。既に暑いくらいの気候だ。
 18時40分、ようやく那覇に到着。那覇が見えてきた時、最初に目に飛び込んできたのは那覇空港であった。既に辺りは薄暗く、海に面している滑走路の明かりや飛行機の尾灯が幻想的だった。
 那覇ユースホステルに行く前に、鉄板焼きで夕食にした。ウメとヒロは通常のステーキコース。マコちゃんはリッチにプラス車海老コースにした。鉄板焼きは、派手な調理パフォーマンスで“観せる”料理だが、味もよろしく、目と舌、両方で楽しませてもらった。まだバイクに乗らなくてはならないので、ビールが飲めないのが残念だ。
 那覇ユースホステルでの団らんタイム。日本各地から来ている若者と、情報交換に花が咲く。しかしマコちゃんは元気がない。「のどが痛い…。海老の殻が引っ掛かっているのかな?」
宿データ 宿名 那覇ユースホステル
場所 沖縄県那覇市奥武山町51
感想 那覇市街にあり、沖縄観光の拠点となる。施設も充実している。後に建て替え、那覇国際ユースホステルとなる。
3月14日(土) 天気:晴れ
 朝食後、那覇ユースホステル恒例の記念撮影。相変わらずマコちゃんは元気がない。のどの痛みはますますひどくなる。ジュースを飲むのも辛い。これはただごとではない。今日の宿は真栄田岬ユースホステルだ。距離的には大したことはない(その気になれば、1日で島を1周できる)ので、ウメとヒロが近場を観光している間に、市内の耳鼻咽喉科に行くことにした。ユースホステルの人に病院を尋ねると、「お土産屋さんや観光のポイントを尋ねる人は多いけれど、耳鼻科を尋ねる人も珍しいね。」と言われた。
 ウメとヒロは、旧日本海軍の司令部壕跡に行った。2人にとって知識としてしか知らない沖縄戦であるが、少しでも真実を肌で感じたかったのである。確かに、悲劇を2度と繰り返さないでほしいという島民の叫びが聞こえてくるようであった。
 那覇市西武門(にしんじょ)病院にて内視鏡検査を受けるマコちゃん。「切れてますね。」 診断結果に彼は唖然とした。昨夜の車海老の殻で、食道の入り口を傷付けてしまったのだ。幸い食生活に影響はなく、薬を塗布し、飲み薬をもらって“退院”となった。保険証を持って来てよかった。しかし、何で高いカネを払って注文した料理でこんな目に遭わなくてはならないのか?釈然としない気分のまま、那覇ユースホステルでウメ、ヒロと合流した。
 3人揃ったところで、北に向かって出発した。なるほど沖縄は基地の島である。至る所に米軍の施設があり、上空は軍用機が飛び交っている。クルマは古めかしいものが多い。たまに新型車を見かけると、大抵はレンタカーである。米兵の運転するクルマは、もうボロボロでボディーに穴が空いているなんてざらであった。気候が安定していて、1日あれば1周できてしまうこの島では、明らかにクルマに対する考え方が違う。クルマなんて、走ればいいのである。
 残波岬で海の透明度の高さに感動した後、島の最北端を目指した。ひたすら海沿いにR58を北上する。3月とはいえ、さすがに沖縄。暑い!植物は見慣れないものばかりだし、お墓は異様な形をしている。とても日本を走っているとは思えない。
 …っと前のクルマが急停止したので、先頭のウメも急ブレーキを掛けた。路面はドライで、普通なら何の問題もなく停止できる距離なのだが、タイヤが滑ってしまい、危くぶつかるところだった。沖縄の道路は、アスファルトに混合する骨剤が本土(砂や砂利)と違い、沖縄県産の隆起珊瑚礁石灰岩を使用している為、それがタイヤによって削れてアスファルトの表面を白くコーティングし、滑り易くしているのだ。気合を入れて走ることなどできない、ライダー泣かせの道という訳だ。
 沖縄本島最北端の辺戸岬からは、与論島を臨むことができた。ここらへんは民家も少なく、自然が多く残されている。沖縄は島の北側と南側では対照的だ。
 宿にチェックインし、真栄田岬から南国のきれいな夕日を眺めた。
宿データ 宿名 真栄田岬ユースホステル
場所 沖縄県国頭郡恩納村山田357
感想 真栄田岬のすぐそばにあるユースホステル。建物はさほど新しくないが、体験ダイビングもOKで、海のレジャー基地として利用できる。
3月15日(日) 天気:晴れ
 午前中は3人でユースホステルの体験ダイビングに挑戦することにした。せっかくここまで来たのだ。潜らない手はない。
 講習の後、いよいよ真栄田岬の美しい海に!3人はおぼつかない泳ぎ方で潜水していった。ついつい耳抜きを忘れてしまい、耳が“キーン”と痛くなる。ようやくお互いの顔を見合うゆとりが出てくると、自分達の今いる世界の美しさに目を疑った。見渡す限りの珊瑚礁。カラフルな魚達。そして浮遊感。思わず3人で肩を叩き合った。持ってきたソーセージを掲げると、魚達が寄って来て、パクパク食べる。そのうち、どでかい魚がやって来て、ひとくちでたいらげていってしまった。それにしても、こんなに美しい海で初めてのダイビング。もはやヘタな所では潜れないのではなかろうか?とにかく、3人は大満足であった。
 昼食はすぐ近くの定食屋でそばを食べた。そばといっても見た目はラーメンで、大きな豚の角煮が入っている。スープもラーメンっぽい。しかし麺はそば。なかなかうまかった。沖縄の料理には、よく豚の角煮が使われている。あと、ゴーヤ等の沖縄独特な野菜。食事の度に初めての味を体験できる。
 午後は残波岬で珊瑚のかけらを拾った後、島の東側から南下して、2日ぶりの那覇に入った。首里城は残念ながら再建中で、外からしか見ることができなかったが、守礼の門で記念撮影し、絞りたてのさとうきびジュースを飲んだ。
 沖縄最後の夜、那覇ユースホステルは宿泊客が多く、賑やかだった。陸、海、空を制したGTECの3人には、今回のツーリングで語って聞かせる話題には事欠かなかった。
宿データ 宿名 那覇ユースホステル
場所 沖縄県那覇市奥武山町51
感想 3月13日のデータを参照のこと。
3月16日(月) 天気:晴れ
 今日は18時発神戸行きのフェリーに乗るので、日中は自由に行動できる。
 バイクを宿に置いたまま、徒歩で那覇の街を見て廻り、泡盛やフライトジャケット等、お土産を買った。当然各自宅急便で送るつもりでいたのだが、以外や以外、全てバイクに積むことができた。(相変わらずヒロのぼんたんは、むき出しのままである。オレンジ色のアクセントにはなっているが…。) 宿に戻ると、ユースホステル会員証を見せれば20%引きになるお土産物屋さんがあることを知り、ショックを受けた。ユースホステル会員証は、色々と割引特典があるので、有効に活用しよう!
 そして18時、関西汽船のフェリーは沖縄を後にし、ツーリングも終わりに近づいていた。
宿データ 宿名 関西汽船フェリー「くろしお」
場所 沖縄→大阪の太平洋上
感想 乗客が多かったので、2等のザコ寝は疲れた。
3月17日(火) 天気:晴れ
 1日中することもなく、ぼ〜っとしていた。豪華客船の船旅なら、飽きることもないのだろうか。
宿データ 宿名 関西汽船フェリー「くろしお」
場所 沖縄→大阪の太平洋上
感想 3月16日のデータを参照のこと。
3月18日(水) 天気:雨のち雪及び雨のち曇り
 夜中、太平洋は荒れていた。船は大きく傾き、きしみ、2等ザコ寝の3人は転がった。まるで遊園地のアトラクションのようであった。
 朝、揺れもおさまり、甲板に出てみると…、「寒い!」 港が近付き、船室のテレビがビデオ放映からNHKニュースに切り替わる。「おはようございます。7時のニュースです。関東地方は朝から雪模様で…。」 何もここまで来て雪に降られなくても…。夏のような暑さから一転、冬に逆戻りである。
 10時30分、神戸新港に到着。冷たい雨が降っている。考えてみれば、今回のツーリングでカッパを着るのは初めてだ。天気には恵まれていたといえよう。
 名神高速を東進し、ウメは神奈川のアパートに向かう為に東名高速道路に、ヒロ、マコちゃんは長野の実家に帰るので中央自動車道に入った。
(ウメ)
 静岡に入ると雨も上がり、暖かくなってきた。道もすいているので調子にのって飛ばしていると、バックミラーに白黒のクルマが迫ってくる。あわててスピードダウン。R32GT-Rパトカーがしばらく真後ろを走った後、抜いていった。危なかった。
 箱根周辺に来ると、再び寒くなってきた。路肩には、うっすらと雪が積もっている。結局辛かったのは箱根エリアだけで、明るいうちに無事アパートに到着した。
(ヒロ、マコちゃん)
 朝のニュースでは、関東地方が雪だと言っていた。中央自動車道は大丈夫だろうか?ウメと別れ、中央自動車道に入っても冷たい雨のままだ。何とかなるかも…。2人はとりあえず行けるところまで行こうと先を急いだ。
 恵那峡SAで一息つく。この先の道路状況を確認すべく掲示板を見ると、そこに表示されていたのは…、「中津川から先、雪の為通行止め」 ガーンッ!! そういえば、さっきから対向車が妙に少なかった。高速を降りて国道を行くか、このまま開通を待つか、2人は決断を迫られた。そして、天候は回復傾向にあり、雪の積った国道を行くよりは、除雪体制の整った高速の開通を待ったほうが安全であろう、という結論に達し、インフォメーションのおばちゃんと話をしながら、開通までの時間をつぶした。
 待つこと暫し、通行止は解除された。路側帯には雪が残るが流れは順調。寒さに凍え、冷たい雨に視界を遮られ、追い越していくトラックには容赦なく水しぶきを浴びせられる。あまりの寒さに耐えられず、SA、PAで各駅停車のごとく休憩し、暖をとった。
 とあるPAに寄ろうとランプウェイに入った瞬間、そこはまさに除雪中の状態。目の前にいる除雪車が路面をクリアにしてくれるのでのんびり後をついていこうとすると、その運転手さん、気を利かせてくれたのであろう、先に行けと合図する。シャーベット状の雪が積る中、後輪滑りまくりの状態で、かろうじて駐車場にたどり着いた。
 中央自動車道に入ってからというもの、ヒロのビラーゴは、アクセルをいくら開けてもスピードが乗らないし、エンジン音もおかしい。どうやら過冷却で、フロント側の1気筒が死んでいるみたいだ。おまけにケーブルが緩んでいて、スピードメーターも0を指したままだ。
 グローブの色が落ち、真っ青な手でお茶を飲んでいると、トラックの運ちゃんが近付いてきて、「バイク?こんな日に、好きじゃなきゃやってられないよなぁ。」と感心して去って行った。「(ヒロ、マコちゃん)好きで、こんな日に乗っているわけじゃないんですけど…。」
 ようやく家に着くと、まずは風呂。長〜い1日の戦いが終わった。
 最後の最後で過酷な試練を受けたが、皆無事に帰れて何よりである。ちなみにぼんたんを後生大事に持ち帰ったヒロ。お味は?「(ヒロ)皮が厚くて大味だった。」

レポート by ウメ


グレートツーリング '92 in 佐渡
メンバー(マシン) オユタ(CBR400RR)、カンちゃん(DT200R)、ヒロ(CBR250 FOUR)、マコちゃん(GSX-R250)
 当初はウメ、ヒデも参加予定であったが、ヒデは仕事多忙につき欠場。ウメは、完全に行くつもりだったのに、エアフィルターのおかげで行けない羽目になってしまった。(詳しくはエピソード「エアフィルターのおかげで…」を参照のこと。)
8月14日(金) 天気:晴れ
 5時、ドライブイン穂高駐車場に集合。糸魚川経由で直江津港を目指す。途中、白馬で休憩中、カンちゃんがいきなり荷物をほどき、ごそごそとしている。何事?エンジンオイルのチャージだった。メンバー唯一の2スト車なのだ。
 直江津港までは順調なペース。が、ここから大きく予定が狂ってしまった。フェリーに乗り込み、後は佐渡までの船旅。直江津から小木港まで1時間。おや?島は近づいてこない。今ごろはもう上陸して走っているはずだったのに…。マコちゃんに「どうしてまだ着かないの?」との質問連発で確認をすると、所要時間は2時間半だという。1時間で到着するのは、「ジェットフォイル」であってフェリーではない。ジェットフォイルにはバイクは乗せられないのだ。これは時刻表のジェットフォイルの所要時間をフェリーのものと思い込んだマコちゃんの失敗。思いがけず?長い船旅となったものの、気を取り直して佐渡上陸!
 フェリーの時間を読み間違えた為、ちょっと遅めの昼食を摂る。もっとふさわしい時間に昼食にしていればこんな事件は起きなかったに違いない。「シXバービレッジ」というレストランに入る。時間は13時50分頃であったろうか。席について、各自注文する品を決めてオーダーを取りに来るのを待つ。待つ。待つ!待つことしばし。14時を過ぎてからようやく注文を取りに来ると「ランチメニューは2時でオーダーストップですので…。」オーダーストップになることをオーダーストップになった後に告げられてもどうしろいうのだ!?オーダーストップにするなら最初に水とおしぼりを持ってきた時にそう言やぁよさそうなものだ。接し方にもう一工夫欲しいところだ。怒りのあまり、注文をせずに席を立ったものの、近くに食事ができそうな店はない。結局、菓子パンを買って海辺でかじる、というなんともゴージャスな第1日目の昼食となったのだった。
 続いて、佐渡金山の見学。薄暗くヒンヤリとした洞窟の内部に「カポーン!カポローン!」と響き渡る音。人形達が金鉱を掘る音であった。この規則正しく動く怪しげな人形の群れは、一見リアルに作られているが、クルッ、クルッと不自然に動く様はあまりにも怖い。「なじみの女に会いてえなあ…。」「あ〜あ…、なんで俺がこんな所に…。」などと延々としゃべり続けている。洞窟から出ると外の暑いこと!マコちゃんのめがねはみごとに曇ってしまった。
宿データ 宿名 グリーンビレッジユースホステル
場所 新潟県佐渡郡新穂村
感想 ペアレントさんによる記念撮影あり。この時の写真は額やアルバムに納められているので、お泊りの際はGTECの面々を探してみてはいかがだろうか。
8月15日(土) 天気:晴れ
 今日のメインイベントは大佐渡スカイライン。佐渡金山が見渡せる絶好のビューポイントにオユタがバイクを停める。いくら眺めいいからって、上り坂の右側にバイクを並べたら…。続いてマコちゃん、ヒロ、カンちゃんの順番。足元は平らというよりやや右に傾いているような。ここに停めるの?う〜ん、ちょっと不安だけどいい眺めだし写真でも撮ろう、とバイクを離れたその時、ヒロのCBRがキッカケとなって将棋倒しが発生。あっと言う間の出来事。各自一斉に自分のバイクに駆け寄り支えるが、マコちゃんは間に合わず、GSX-Rが下敷きに。順にバイクを起こして、タンクバックを拾って、被害状況を確認。ブレーキレバーは折れていないようだ。でも…
「(マコちゃん)あれ、なんかすっきりしているような。」
「(オユタ)なぁ、マコちゃん。これ。」
「(マコちゃん)ミッ、ミラ〜ぁ!」
「(ヒロ)・・・・・。」
 無残にもげた右のミラーをアロンアルファでくっつけて、ガムテープで補強。まさか修理セットを使うことになるとは。備えあっても憂いありだ。
 今日は、尖閣荘ユースホステルにて泊。夕食後、オユタ持参の花火をする為、4人ですく近くの漁港へ。が、あっけなく終了。はかない一夏の夜であった(男4人で花火なんてむなしい…)。
 ユースホステルに戻る途中、マコちゃんは左手人差し指を蜂(その姿を見たわけではないので、アブかもしれない)に刺されて、まさに「泣きっ面に蜂」。赤くはれ上がる指先。これではクラッチが握れないじゃないか。ユースホステルのヘルパーさん所有のキンカンを借り、「♪キンカン塗ってぇ〜、また塗ってぇ〜。」歌っている場合じゃない。
宿データ 宿名 尖閣荘ユースホステル
場所 新潟県佐渡郡相川町
感想 年代を感じさせる建物。風呂は時間帯で区切って男女交代で入浴。(注:尖閣荘ユースホステルはその後改築された。)
8月16日(日) 天気:晴れ
 今日でツーリングも終わり。帰りの新潟行きのフェリーを待つ。お盆の時期とあって、フェリーターミナルに行ってすぐ乗れるほど甘くはなかった。結局1便お見送り。次の便の順番を確保して時間まで付近を散策することに。
 ターミナルの周りには採りたてワカメを売り歩くおばちゃんたちが大勢いる。「どうだい?美味しいよ。」と声をかけてくるものの、カンちゃん、ヒロ、マコちゃんは「いいです。」といってかわす。商店の入り口に「わかめ最中」の張り紙。興味津々、店に入ると、お手伝いをしているのだろうか、小学生くらいの子供が店番をしている。カンちゃんとマコちゃんがそれぞれ「わかめ最中、1個ください。」と言うと店主は何気なくショーケースからわかめ最中を取り出してくれ、会計を済ませて店を出ようとした時「1個だけなの?」と先ほどの子供。1個だっていいだろ!先日のレストランといい、この菓子屋といい、この島の接客はどうなっているんだ?
 そろそろ、フェリーの時間。ターミナルに戻ると、そこにはビニール袋に入ったワカメを持つオユタ。「(オユタ)ど〜せお土産買うし、1つ買っておけば、他のおばちゃんに付きまとわれることもないでしょ。」その手もあったか?「(オユタ)でも別にワカメは欲しくなかったんだけどね。」おいおい。
 夕方に近い新潟港に入港から一気に帰路につく4人。北陸自動車道で松本方面へ向かうオユタ、ヒロ、カンちゃん。素手、スニーカー、Tシャツ姿で走行車線と追い越し車線の間を縫うように走るオユタ(よい子のみなさんはまねをしないように)。
 関越自動車道で東京方面に向かうマコちゃん(当時は仕事で東京暮らし)。アロンアルファ、ガムテープで固定したものの、80km/hを越えたあたりから激しく振動して役に立たないミラーで、追い越し車線に出るのが辛い。
 こうして、佐渡ツーリングは終了した。

レポート by マコちゃん


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