2008年のツーリング

グレートツーリング '08 in 中国地方

メンバー(マシン) ウメ(GSX1300R)、オユタ(バンディット250)、カンちゃん(YZF1000R)、ヒロ(GPZ900R)
 今年のゴールデンウィークはカレンダー上の休みが最長5月3日〜6日の4連休で、前後に3日ずつ平日が入る。ほとんどのGTECメンバーが会社は暦(こよみ)通りの出勤日の為、さすがに3日間有休を取得して連休を繋げるのは厳しい。そこで、5月2日だけ休みを取り、4泊5日で中国地方へ行くことになった。そんな中、ヒデだけは会社が4月26日〜5月5日まで休みだった。彼の場合、仕事の関係上5月6日は有休を取得できなかったことから、一足早く、4月26日〜5月1日までソロで、今回のツーリングと似たコースを走って来たのであった。
5月2日(土) 天気:曇り
 9時、長野自動車道みどり湖PAに参加メンバーは集合していた。昨日ツーリングから帰っていたヒデが見送りに来てくれ、彼から有益な情報等を聞いた後、9時20分に六甲アイランドのフェリーターミナルを目指して出発。隊列はウメ、ヒロ、オユタ、カンちゃんの順番である。ウメは購入したばかりのバイク用エアバッグ(ジャケットタイプ)を着ての参加だ。

出発!(ヒデ撮影)
 中央自動車道恵那峡SA、名神高速養老SA(昼食)で休憩し、お次はいつものように大津SAで給油&休憩しようとしていたら、草津PAの手前で大津SAのガソリンスタンドは草津PAに移転したとの掲示板が…。急遽草津PAに入り、まずは給油。しかし、ここのガソリンスタンドからはレイアウト上、同PAの休憩施設までだいぶ逆走することになって危険な為、結局大津SAにも寄って休憩した。なるほど、かつてガソリンスタンドがあった場所は工事を行っていた。ただでさえ駐車スペースの少ないサービスエリアだ。駐車場にするのであろうか。
 道中渋滞はなく、西宮から阪神高速3号神戸線に入り、魚崎ICで高速を降りると、程なく六甲アイランド着。フェリーターミナル近くのコンビニで酒のつまみ等を購入した。
 15時35分、阪九フェリーのターミナルに到着。さっそく乗船手続きを済ませたものの、バイクの搬入は17時頃になるとのこと。歩いて行けるような場所に暇を潰せる娯楽施設はなく、待合室等でぼ〜っと待っていると、トラックや乗用車、徒歩での乗船客に先立ち、16時50分にバイクの搬入が始まった。船室にチェックインすると、すぐに風呂へ直行!ほとんど貸切状態で入ることができた。これぞライダーの特権!もうすぐここは大混雑することになるであろう。案の定、長風呂のヒロが出る頃には脱衣ロッカーが足りなくなる程混雑していた。
 18時30分、出航。明日の朝は早い。夕食後、軽く酒を飲んでから早々に寝た。
 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICから419km/長野自動車道塩尻北ICから403km
宿データ 宿名 阪九フェリー「すおう」
場所 神戸→新門司の瀬戸内海上
感想 1995年就航。全長189m、総トン数15,188tという大型船であり、そして瀬戸内海ということもあって、フェリーに乗っていることを忘れてしまう位穏やかな航海であった。設備も充実していて申し分なし。姉妹船「せっつ」と併せると、GTECがツーリングで利用するのは4回目。今回の部屋は2等指定B洋室で、2段ベッドの8人部屋。スリッパに浴衣も用意されている。夕方出航して早朝入港するので、寝ている間にバイクごと移動する宿として実に重宝する。
2等指定B洋室+2輪:13,230円(750cc未満)、14,400円(750cc以上)
5月3日(日) 天気:晴れ
 5時30分起床。朝食をフェリー内で済ませ、6時45分新門司上陸。バイクで九州に来るのはもう何回目であろうか…。
  ・ウメ:8回目
  ・オユタ:5回目
  ・カンちゃん:6回目
  ・ヒロ:7回目

 もっとも、今回の目的は中国地方を走ることであるから、すぐ本州に逆上陸するのだ。奈良時代の平城京の大極殿を模した造りである派手なフェリーターミナル前で記念撮影後、7時出発。

新門司のフェリーターミナル
 県道25号線を北上し、今年開通50周年を迎えた関門トンネル(100円)を抜け、本州上陸!R191でまずは本州最西端の地である毘沙ノ鼻に向かう。当初ここは計画になかったのだが、ヒデお奨めのポイントということで、大して遠回りでもなかった為、寄ることにした。朝早いこともあってか、道はすいており、快調に走ることができた。気温も適度な涼しさで快適だ。

関門トンネル(本州側)
 JR山陰本線吉見駅横を過ぎて少し北上した所で県道245号線に左折。更に細い道に入って7時50分、毘沙ノ鼻駐車場着。毘沙ノ鼻まではここから遊歩道を少し歩く。周辺は整備されているものの、土産物屋等はなく、ひっそりとした雰囲気の中にある。(マイナーなだけか…。)
 本州で一番遅い夕暮れを見ることができる地、毘沙ノ鼻は海抜が120mあり、蓋井島(ふたおいじま)もくっきりと見え、眺めはなかなかのものだった。木の板を削って文字を浮き出させた「本州最西端の地“毘沙ノ鼻”」の看板には、東経130度51分37秒と記載されていた。しかしよく見ると37秒の数字部分は元々“45”だったようで、そこだけ平らにしてペンキで修正されていた。

毘沙ノ鼻
 ここにいるメンバー4人、本州の最端とされる場所で制覇したことがないのは、これで最東端のみとなった。最東端は岩手県重茂(おもえ)半島にあるトドヶ崎だ。2006年にすぐ近くを通過したものの、駐車場から徒歩往復8kmも歩く必要があり、スケジュールの関係上寄ることができなかった。あの時は別行動したヒデだけがチャレンジし、見事到達したのであった。そのヒデはほんの数日前、4月27日にここ毘沙ノ鼻へ来たことによって、本州四最端の制覇が成った。こういったことはツーリング初期の段階で制覇を目標に掲げていないと難しいものだ。2005年に今回と同じメンバーで九州に行った際には、“本土”最西端である神埼鼻(長崎県佐世保市小佐々町)のすぐ近くを走っていながら寄っていない…。
 毘沙ノ鼻を後にし、R191に復帰して北上。お次は角(つの)島だ。本州とは長い橋(角島大橋)で繋がっており、旅行ガイドブックでは、この橋の写真が実に美しかった。
 交通量はやや増えたが、信号が少ない田舎道が延々と続き、巡航速度は快適レンジをキープできた。
 9時5分、角島大橋の本州側展望所に到着。角島周辺だけ霧が発生しており、島は霧の中に隠れている。しかしこれはこれで絵になる。何とも幻想的な風景をカメラで撮影し、橋を渡る。2000年11月に完成した全長1,780mの角島大橋は、通行料金が無料の離島を結ぶ橋としては、沖縄県の古宇利大橋(全長1,960m)に次いで日本で2番目の長さを誇る。眼下のエメラルドグリーンが美しい。角島側の展望所にも寄って写真を撮った。

角島大橋(角島側から)
 そして島の西側に移動し、130年以上の歴史を持つ角島灯台を見た。霧はすっかり晴れ、ポカポカ陽気。周辺は公園として整備されており、砂浜に出て透明度の高い海を眺めたりしていたら、昼寝をしたい気分になってきた。だが、もう10時を過ぎている。今日はこれから青海島(おうみじま)と萩に寄ってから浜田市金城町にある宿まで行かなくてはならない。ここで時間を取っては後に障る…と言いつつ、再び本州側展望所に寄ってガイドブックの写真と同じアングルを探し出し、霧のないクリアな島と橋を撮影。10時45分にようやく次の目的地、青海島に向けて出発した。

角島灯台

角島の砂浜

角島大橋(本州側から)
 R191を東に走り、長門市街を抜け、同市北側に浮かぶ青海島に渡った。本州とは青海大橋で繋がっているが、先程渡った角島大橋に比べるとどうしてもスケールが小さく感じてしまう。しかし、島自体は周囲が約40kmあり、結構大きい(角島は17.1km)。県道283号線を走り、11時45分、島のほぼ東端にある通(かよい)のくじら資料館駐車場着。
 青海島は江戸時代に捕鯨基地として栄えた歴史がある。くじら資料館近くにある、約70体の鯨の胎児を埋葬したという鯨墓(1692年建立)を見学。かつてこの地の人々は、鯨を自然からの恵みとして敬っていたことが窺い知れた。

鯨墓
 当然資料館にも寄りたいところだが、時間的に厳しい。駐車場に誘導してくれたおじさんの怪訝そうな顔を後にして、12時出発。
 県道283号線を3km程戻り、静ヶ浦駐車場に入った。ここは島で最もくびれた場所にあり、南岸に面した駐車場から歩いてほんの数分で、北側の海が見えてきた。島の北岸は「海上アルプス」と称される程の波によって浸食された地形となっている。なるほど遊歩道からの眺めは絶景だ。観光客でごった返していないのもいい。しかしその為か、駐車場の売店は寂れていた。施設は古く、これ以上の設備投資も厳しいと思われる。昼食を摂りたいものの、周辺にはその寂れた売店のみ。本日の宿は浜田市金城町の美又温泉にあり、この時点で明るい内に宿に着けるか疑わしい状況だったので、少しでも時間を節約する為、ここで軽食を購入し、昼食とした。

海上アルプス
 13時15分、静ヶ浦駐車場を出発。R191で萩市を目指す。途中、萩・三隅道路を通った。この自動車専用道路(無料)、将来的には山陰自動車道に組み込まれることを想定しているようで、今年の2月28日に開通したばかりの三隅ICと明石ICの間、7.1kmを走った。ほとんどが直線路なので、R191をそのまま走るのに比べてだいぶ時間を稼ぐことができた。
 13時55分、萩城横の駐車場着。気温は上昇し、暑い!各自ジャケットをバイクに置いて萩城に向かう。城といっても明治時代の廃城令によって天守閣は取り壊され、現在は石垣が残るのみとなっている。堀の内側は公園(指月公園)として整備されているが、天守閣はないし、ゆっくりしている時間もないということで、石垣の外観を眺めるに留めて、城下町へ歩いて行った。

萩城
 とりあえず問田益田氏旧宅土塀(といたますだしきゅうたくどべい)に向かう。延長約232mの土塀で、萩市の文化財なのだ。道中、碁盤の目のような通り沿いには、武家屋敷や町家が連なり、どの家も長い土塀のお屋敷で、城下町の面影が強く残っている。その中でも問田益田氏旧宅の塀は、なるほど確かに長い!最初はこの塀の端から端まで歩く予定だったのだが、ここまで予想外に距離があり、えらく時間が掛かってしまった。また、暑い中歩いたものだから、だいぶばててきた(もう歳なのかもしれない…)。この後に控えている萩焼祭りに行くことを考えて、この塀の端で記念撮影をしてバイクまで引き返した。駐車場横の売店で夏みかんソフトクリームを喰らい、14時45分に出発。

問田益田氏旧宅土塀
 萩焼祭りは市内の萩市民体育館で開催されており、10分程で着いた。毎年開催されているこの催しは今年で18回目となり、400年の伝統を誇る萩焼が一堂に集結する。会場内には萩焼の窯元や販売店がびっしり並び、多くの人で賑わっていた。ウメ、オユタ、ヒロは夫婦茶碗やご飯茶碗等を購入するべく物色したのだが、窯元によって特徴が異なり、決めるのに苦労した。宿までここからまだ130km以上もあることを考えると気持ちが焦る。外で待っているカンちゃんもあまり待たせると悪い。各自お目当ての萩焼を購入して会場を出発したのは15時45分だったので、滞在時間が50分程度で済んだのは上出来と言えよう。しかし、ガソリン補給や休憩時間も入れて、一般道で果たして明るい内に宿に着けるのか?厳しそうだ。

萩焼祭り会場
 R191を海沿いに走り、益田から更にR9を進む。交通量は少なく、適度に追い越し車線もあるので、快調に飛ばすことができた。この調子なら明るい内に宿へ着くかもしれない。浜田市に入り、道の駅「ゆうひパーク三隅」で最後の休憩。
 R9のバイパス(高架橋)を走っていると、長いトンネルに入った。先頭のウメは、昨年に引き続いてポータブルタイプのカーナビゲーションを装着し、ヘッドフォンで音声を聞いていた。今回のツーリングの計画段階では、大まかなコースを地図で決めてあるものの、具体的にどの交差点を曲がるかまでは完全にカーナビにまかせていた。トンネルを抜けて少し走ると、突然「ルートから外れました。」というナビの声。どうやら美又温泉に向かう為のR186へ曲がるポイントを過ぎてしまったようである。道は直線。曲がる指示はなかった筈だ。しばらくは1本道と思われ、このままでは宿からどんどん離れてしまう。幸い左側にクルマ1台分の幅がある待避所があったので、ウメはすかさずそこに入った。後続も「道に迷ったな…。」と察して停車。
 本当は先程のトンネル(相生第1トンネル)を抜けてすぐにあった斜め左に下(くだ)る道を降りなくてはいけなかったのだが、ウメのカーナビはフラッシュメモリタイプで自立航法機能はなく、位置測定はGPSオンリーである。つまり、長いトンネルでは衛星の電波をキャッチできず、再び受信するまでフリーズしてしまう為、その間は次の指示が出せないのだ。次に曲がるポイントまでの距離情報は常に表示されているので、注意していればこういった状況でも対応することはできる。しかし、ナビ本体の設置位置の関係上、画面を見るには視線移動が大きくなり、安全上問題である。あくまでカーナビは補助として考え、ルートは頭に入れておかなくてはダメなのだ。走行中、道路標識すら見ていなかったウメは、文明の利器に頼るあまり堕落し切った自分を戒め、「次回からそうしよう!」と心に誓った。(今回はまともな地図を持参していなかったのである。)
 という訳でウメは他の皆を見るなり、Uターンのハンドサインをして、双方の車線がクリアになるのを待った。ところが、後続のメンバーにはうまく伝わらず、発進の合図と勘違いされた。「(ヒロ)あれ、後ろから全然クルマが来ないのに、どうして発進しないんだ?」対向車線側もようやく空いた瞬間、ウメがUターン!予想外の事態に慌てて追従する他のメンバーであったが、最後尾のカンちゃんが手間取っていると、対向車線からクルマがみるみる接近してきた。見通しがいい直線とはいえ、それ故に交通の流れは速い。カンちゃんはUターンするなりアクセル全開で加速し、間近に迫っていたクルマを一気に引き離すと、オユタの後に続いてR186へ下って行った。
 その後はR186から県道5号線に入って東進し、18時25分、なんとか明るい内に美又温泉の「旅館みくにや」に着いた。
 本日の走行距離:299km
宿データ 宿名 旅館みくにや
場所 島根県浜田市金城町追原7-3
感想 美肌作りに効果があると女性に人気があるらしい、美又温泉にある旅館。わざわざここを選択したのは、ず〜っと海岸線沿いを走るだけでは単調であろうから、ワインディングも堪能しようという目論見から、インターネットでこのエリアの宿を探した。そしてヒットしたここのホームページがなんとも素人っぽくて気に入ったのだ。誤字脱字が多く、中でも女将の日記は「今年はガンバツ手更新いたします つもりです」という新年の書き込み以来更新がないという脱力感が心地良い。この温泉街には9件ほどの旅館やホテルがあるのだが、「泉質日本一」を謳う割にはさびれており、ここ「みくにや」もだいぶ老朽化が進んでいる。1泊2食付きで13,035円(+酒代)。温泉自体はいいお湯だし、食事もボリュームがあっておいしいものの、いくらゴールデンウィーク真っ只中とはいえ、この施設にしてこの料金は高過ぎる。ただし、ここの(大阪出身の)女将さんがキャラクター的におもしろかったので、総合的には許せた。ちなみにホームページの誤記や日記の更新がないことを女将に指摘したら、さっそく(全部じゃないが)修正が入り、日記も更新された。今後も日記をがんばってつけてください女将さん!(2012年3月6日現在:その後更新された気配はない…。)
5月4日(月) 晴れ
 8時30分出発。ツーリングのメインイベント、島根県大田市の石見銀山に向かう。ここからは県道41号線→県道46号線→県道31号線という順路で、ひたすら続く山間のワインディングという、走りのステージである。道幅と整備状況については賭けだった。
 県道41号線は序盤、クルマの擦れ違いが困難な程狭かったが、見通しがよく、しばらくするとセンターラインのある広い道になったので、これは快適にワインディングを走ることができそうだと思われた。ところがそれもつかの間で、先程のように狭い道になった。今度は太い木々の生い茂る中での急なカーブの連続で、カーブミラーではカバーし切れない程見通しが悪く、おまけに道路の真ん中は湿っており、苔まで生えている!県道46号線もこんな感じだった。集落がある所だけは適度に整備されている。これはかつて走ったことがある、四国カルスト近くの県道18号線(高知県)とよく似ている。話のネタにはなるが、決して走っていて楽しくはない道だ。ワインディングが楽しいか否かは人によって基準が異なるものの、条件は概ね次のようになる。
  1.舗装されていること。
  2.路面が乾いていること。
  3.コーナーの見通しが良いこと。(カーブミラーが機能していればOK。)
  4.対向車と充分擦れ違いができる道幅であること。できればセンターラインも。
  5.アスファルト上に砂や砂利、落ち葉等が落ちていないこと。当然苔も。
  6.交通量が少ないこと。

 この道で上記条件を満たしているのは「1」「6」だけだ。他に走っているクルマがほぼ皆無というのがせめてもの救いか。もっとも、観光目的の車輌で走っている酔狂は彼らだけなのかも知れない。
 県道31号線に出るとようやくまともな道になった。石見銀山に最寄りの観光客用駐車場は既に満車らしく、少し離れた場所にある広い駐車場に入るクルマの長い車列ができていた。しかしそこはバイク、誘導員に従って9時35分に石見銀山の入り口ともいえる羅漢寺近くの駐車場着。これ以上奥に一般車輌は入ることができない。まずは羅漢寺を見学後、そのまま徒歩にて石見銀山に向かうつもりだ。
 羅漢寺は、1766年に創建された寺で、ハイライトは五百羅漢像だ。五百羅漢像は石見銀山で働いていた人達の霊を供養する為に造られ、3つの石窟に501体の羅漢像を納めてある(石窟内は撮影禁止)。一体一体表情や姿勢が実にユニークで、見渡せば知っている誰かに似ている像を発見することができるだろう。石窟の外にある銀山川の支流に架かる橋は「反り橋(そりはし)」と呼ばれ、20枚位の石だけを組合せて造られている。橋の反対側が行き止まりになっているので、ほとんどの観光客は気に留めていないようだが、なかなかすごい技術である。そしていよいよ石見銀山へ。

羅漢寺(反り橋)
 石見銀山は戦国時代から江戸時代における日本最大の銀山で、最盛期の銀産出量は世界全体の三分の一にも匹敵したそうだ。大田市大森町を中心とした広範囲な鉱山関連の遺跡を総称して石見銀山と呼ぶ。2007年にユネスコの世界遺産へ登録され、これによって観光客がどっと増えた。鉱山には500余りの間歩(まぶ)と呼ばれる坑道が張り巡らされており、その中のひとつ、観光客に一般公開している「龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)」に向かって遊歩道を2.3km程歩く。道沿い、または脇道に少し(あるいは大分)入った所には神社仏閣、銀山に関わった高名な人物の墓等がたくさんあり、標識がある度に立ち寄った。いちいち説明するのは省略するが、うっそうとした森の中には至る所に石垣が残っており、これはかつて鉱山で働いていた鉱夫を相手とする様々な商店の名残なのだという。この辺一体はさぞ活気に満ち溢れていたことだろう。もっとも、遊歩道は人の流れが絶えることがない。ゴールデンウィークだけあって、観光客の数がすごい。…のだが、マイナーな史跡を見る為に脇道へ逸れるのはGTEC位であった。龍源寺間歩への道中には間歩の狭い入り口がいくつかあり、柵から奥を覗くと、暗闇の向こうから「ポチャン、ポチャン…」という地下水が滴り落ちる独特の音が響いていたりして、例え柵がなくても入る気にはならなかった。龍源寺間歩はどんな感じなのだろうか?

石見銀山(脇道)

石見銀山(遊歩道)
 羅漢寺からこうして寄り道をしながら歩くこと1時間30分、12時に龍源寺間歩着。入り口は長蛇の列。暑い中歩いたものだから、喉がカラカラだ。自動販売機で水分補給してから、いよいよ坑道の中に入る。天井は低く、気を付けないと頭を岩にヒットする。幅は人が擦れ違える程度。これでも現存する石見銀山の坑道としては2番目の規模だそうだ。所々、危険のない程度に照明があるものの、坑道の雰囲気を味わうには絶妙な暗さである。もっとも、観光客が多いので、前を歩く人達に奥の照明が遮られて暗いだけなのかもしれない。硬そうな岩盤を鑿(ノミ)で掘り進んだ跡をゆっくりと眺め、当時の鉱夫たちの苦労を想像しようとして思っても、この混み様では立ち止まることさえ困難であった。話し声が響き渡り、怖さは微塵もない。全長は600m位あるそうだが、公開されている部分は150mあまり。通り抜けの為、近代になって掘られたトンネルで外に出る。苦労して歩いてきた割には、いまひとつ消化不良のまま龍源寺間歩の見学は終わった。

龍源寺間歩(奥は人で一杯なのです!)
 来た道を引き返し、大森の街並みを歩く。シルバーラッシュに沸いた当時の面影を残した建物が多く、レトロな雰囲気が漂っている。その中の、河島家、熊谷家といった公開(有料)されている武家屋敷や商家の建物の中を見学しつつ、町並み地区の端にある石見銀山資料館(大森代官所跡)へ。資料館の建物は明治時代の役所をそのまま利用している。なかなか見応えのある資料館で、特に映像による説明は興味深かった。などとじっくり石見銀山を堪能した結果、バイクに戻ったのが15時10分。もはや足が棒のようだった。そりゃ炎天下を優に6km以上は歩いたのだから疲れる筈だ。ほとんど座っていないし…。しかも、食事処がどこも混んでいた為、昼食もまだである。

大森
 後は境港市の宿に向かうだけだ。100km程なので、2時間30分位で着くであろう。…と、ここでヒロが「オレは出雲大社に寄ってから行く。いや、行かなくてはならないのだぁ〜!!」と言い出した。出雲大社では平成の大遷宮に伴い、60年ぶりに本殿の特別拝観が行われている。しかし、連日順番待ちで長い列ができていると聞いている。ゴールデンウィーク本番前の4月29日のお昼頃に本殿を見学したヒデも、1時間以上並んだと言っていた。こんな時間から行って見ることができる可能性はきわめて低い。ダメでもいいからと立ち寄るにしてはえらく遠回りである。しかし、ヒロは何かに取り憑かれた様に行くと言って聞かない。まあ確かに、この機を逃したら、次回の公開まで生きていられる自信はない。結局、他に同調する者はおらず、彼1人別行動で出雲大社に行き、宿で落ち合うことになった。15時20分、4人揃って駐車場を出発。
 県道46号線でR9に出て海沿いを北東にひた走る。途中、コンビニでお預けとなっていた昼食の栄養補給。神西湖を過ぎた大島の交差点でヒロはR431に左折して出雲大社に向かった。
 ヒロと別れた3人は、宍道湖を左手にしながら引き続きR9を走る。そして松江から中海に浮かぶ大根島(だいこんじま)を目指す。大根島は周囲約12kmの小さな島で、東隣りの江島(えしま)経由で両岸が干拓用護岸道路や橋で繋がっており、中海を横断して境港市に入ることができる。
 その西側の干拓用護岸道路を走り、島に入って間もなく、海辺に数隻の朽ちた廃船を発見!思わず停車して見入ってしまった。どうせ不法に放置された船なのだろうと思っていたが、後で知った話はこうだ。平坦なこの島は海風とそれによる塩害に悩まされており、暫定対策として不要になった漁船を並べた。暫定としたのは、中海に干拓事業の計画があった為、立派な暴風設備は無駄になると考えたかららしい。しかし、干拓事業は2002年に中止となってしまったのであった。

大根島の廃船
 廃船を後にして江島に渡り、江島大橋を脇から眺めることができる場所に移動。江島大橋は2004年に完成した全長1,446mの、江島と境港市を結ぶ橋である。中央部の橋脚の間隔は約250mあり、橋脚と橋げたが一体になった構造の橋としては日本最大で、世界でも第3位だそうだ。船舶が航行できるように真ん中が高く盛り上がっており、外見上もえらくカネを掛けて造ったな…と感じる橋なのだ。

江島大橋
 江島大橋を渡って境港市に入り、18時40分に本日の宿、JR境線の境港駅そばにある「ポートインさかいみなと」着。ヒロの到着まで時間が掛かりそうだったので、ゆっくりと風呂に浸かった。
 一方ヒロは、他の3人と別れた後にR431を北上したが、大した渋滞もなく、16時40分に道の駅「大社ご縁広場」に到着。そこにバイクを置き、10分位歩いて出雲大社に着いたものの、案の定、本殿の特別拝観には長蛇の列ができていた。とにかく並ぼうとしたところ、受付締め切り時間は15時30分と知って愕然となった。それなのにまだこんなに長い列が…。願い叶わず拝殿で参拝をしたヒロは、17時50分、断腸の思いで大社を後にしたのであった。R431で宍道湖の北側を西に走り、松江市で県道260号線に入って大根島へ。江島大橋を渡って19時30分に宿着。
 ヒロも風呂に入ってから4人で街へ夕食に出た。宿の受付で教えてもらったお奨めの居酒屋「旬華酒酔(しゅんかしゅうとう)」で旬の味覚に舌鼓を打つ。
 境港といえば、漫画家の水木しげる氏の故郷であり、それにちなんで境港駅から東に「水木しげるロード」なる800m程の“妖怪の道”がある。沿道には主に「ゲゲゲの鬼太郎(墓場鬼太郎)」からフィーチャーした133体(2008年4月時点)の妖怪ブロンズ像が設置され、妖怪グッズの店が並び、妖怪神社、水木しげる記念館等がある。
 23時過ぎ、明日の朝食をコンビニで購入するべく、水木しげるロードを歩いた。他に誰もおらず、静まり返った中、妖怪の像を一体一体黙々と写真に撮りまくりながら進む酔っ払い4人。暗闇の中、フラッシュに浮かび上がる妖怪達は、なんとも不気味でいい味を出している。やはり妖怪は夜見るに限る!街灯が目玉おやじなのには笑った。宿に戻ったのは0時過ぎだった。

妖怪のブロンズ像
 本日の走行距離:156km(ウメ、オユタ、カンちゃん)/ヒロは未計測の為データなし
宿データ 宿名 ポートインさかいみなと
場所 鳥取県境港市大正町222
感想 境港駅と水木しげるロードのすぐ近くにある宿。設備は申し分なし。境港の観光基地としてもってこいで、コストパフォーマンスにも優れている。
1泊:3,600円(食事提供なし)
5月5日(火) 天気:曇り時々雨
 今日の天気予報は曇り時々雨。雨雲は東に流れ、午後には西から回復していくものと思われる。本日泊まる滋賀県彦根市も同様の予報だ。つまり、雨雲が通り過ぎた後を走って行けば、雨に遭わずに済む可能性がある。そこで、午前中は水木しげるロードをブラブラして、天気の様子を見ながら出発をギリギリまで遅らせることにした。“ギリギリ”といっても、明確なリミットがある訳ではないが…。
 出発するまで宿にバイクと荷物は置かせていただけるということなので、8時30分に軽装で水木しげるロードへと繰り出した。雨は降っていないが、空はどんよりとしており、いつ降り出してもおかしくない。既に多くの観光客が歩いており、昨晩の静けさとはまるでイメージが違った。
 まずは商店前で販売していた妖怪ガイドブックを購入(100円)。133体のブロンズ像全ての写真付きガイドが掲載されており、スタンプラリーにエントリーできる。スタンプ台は水木しげるロード沿いのそこかしこにある。スタンプ20個以上でシールのプレゼント、全部(36個)集めると完走賞、隠岐汽船関連のスタンプ6個を加えて42個集めると海産物セットのプレゼントがある。さすがに42個は難易度が高いものの、20個以上は根気さえあれば短時間に押すことができる。

妖怪ガイドブック
 夜中に約40体の妖怪像の写真を撮っていたので、こうなれば全て制覇するべく、残りを手分けして撮影しつつ、水木しげる記念館に向かった。いつの間にやら通りは歩行者天国となり、人の往来は更に増え、まっすぐ歩けない状態となった。ゲゲゲの鬼太郎人気恐るべし!境港にとっては水木しげる様様である。

水木しげるロード
 いざ水木しげる記念館に入ろうとすると、オユタの姿がない。しばらく待っても現れなかった。先程記念館前で彼と一緒に写真撮影を行っていたウメも、「ふと気付いたら消えていた。」と言う。連絡を取ろうにも、オユタだけ携帯電話を持っていない。この人混みでは捜し様もなく、仕方ないので3人で記念館に入場した(700円)。内部は水木しげる先生の生い立ちと作品に関する膨大な資料が展示されており、見応えがある。しかし、入場制限してもらいたい位、館内は凄まじい人であった。

水木しげる記念館(この後オユタ行方不明に)
 土産物屋で妖怪グッズを購入し、スタンプラリーの終点である境港駅の観光案内所に向かっていると、前方から挙動不審な怪しい男が…。オユタである。彼は行動計画をよく理解しておらず、ひたすら妖怪像の撮影に没頭していた為、はぐれてしまったのだ。こうして133体全てをカメラに収めることは達成され、4人揃って観光案内所に到着した。
 なお、スタンプラリーの結果は下記の通りである。
  ・ウメ:ガイドブックをきれいに持ち帰りたかったのでエントリーせず。
  ・オユタ:28個でステッカーをゲット。
  ・カンちゃん:36個で完走賞。賞状をゲット。
  ・ヒロ:36個で完走賞。賞状をゲット。

 オユタはもらったステッカーがどういうデザインか確認する間もなく、ふと気付いたら落としていた…。
 ここまで雨には降られなかったが、冷たい風が強く吹いていた。相変わらず空はどんよりとしており、回復しているようには見えない。これ以上は待っても変化なしと判断し、出発することにした。ところが、いざバイクに荷物を付けていると、まるで出発するのを待っていたかのように雨がザーザー降り出した!4人はガックリと肩を落としながらも覚悟を決め、カッパを着て12時45分に境港を出発した。その直後、雨はピタッと止んだ…。

しぶしぶカッパを着る
 R431を弓ヶ浜に沿って10km程走り、米子ICから米子自動車道に乗った。蒜山高原(ひるぜんこうげん)SAで昼食。ここまで雨は降っていない。しばらく様子を見て、これはカッパを脱いでも大丈夫か?と思った途端、激しく降り始めた…。しばらく粘ってみたが、止みそうもない。天気の回復は諦めて14時40分に蒜山高原SAを後にした。
 落合ジャンクションから中国自動車道に入ると、雨は完全に止み、行く先が明るくなってきたので、加西SAで休憩した時にカッパを脱いだ。その後は名神高速の草津PAまで、途中渋滞はあったものの、時折青空も見え、天候は問題なかった。

草津PA
 18時45分、草津PAを出発する時には薄暗くなっており、空の状況を把握することはできなかったが、ここまで来ればもう大丈夫と高をくくっていた。栗東(りっとう)ICで高速を降り、R8を北東へ走る。残りは約30km。20時までには宿(スーパーホテル)に着けるか?
 ところが高速を降りて5分位経った頃、「ポツン、ポツン…」と水滴が落ちてきた。その粒の大きさにカッパを着ていない無防備な状況で本能的に「やばい!」と感じた4人。「パラパラパラ」となって一瞬止んだ後、ホッとする間もなく「ザァ〜!」とスコールのように激しい雨が叩き付けてきた。幸いすぐ先にコンピニがあったので緊急退避!バイクを置いて軒下に非難したものの、既に全身はこれ以上ない位ずぶ濡れだった。しばらく呆然と立ち尽くし、虚しく空を見上げる。GTEC18年のツーリング歴において、カッパを着ていない状態でこれ程濡れたことはなかった。これが昼間だったら事前に察知できたかもしれないが、万事休すだった。夕立のような降り方だったので、待っていれば止むと期待していたのだが、雨脚は一向に衰えない。気温はみるみる下がっていき、このままでは風邪を引いてしまうと、濡れた体の上からカッパを着込んで出発した。
 時間を節約するには、栗東ICではなく、彦根ICで降りた方が断然早かった。しかし、それでは少し逆に戻ることになり、(近畿エリアの地図を持参していないウメの)カーナビでは検索してくれなかったのだ。仮に彦根ICまで高速を使ったとしたら、菩提寺PAを過ぎた辺りで雨に遭った可能性が高い。すると次のPAまでひたすら耐えるしかなかった訳で、まだマシだったといえよう。(高速はR8よりも東寄りだから、タイミング次第では雨に降られなかったりして?)
 結局、20時15分に南彦根駅近くのスーパーホテルに着くまで雨が止むことはなかった。チェックイン後、すぐに着替え、濡れた衣類をハンガーに干してエアコンを全力ドライ運転に。時間が遅かったのでシャワーは後回しにして、まずは夕食。宿の周りに飲食店がなく、R8方向に少し歩いて県道528号線沿いの「昭和食堂」という居酒屋に入り、アルコールで体を内側から暖めた。
 本日の走行距離:387km
宿データ 宿名 スーパーホテル南彦根駅前
場所 滋賀県彦根市小泉町133-1
感想 JR琵琶湖線南彦根駅の近くにある(決して駅前ではない!)。シングルが空いておらず、2段ベッドのツインで1人当たり1泊\3,490(朝食付き)だった。設備は申し分なく、リーズナブル。到着が遅くなることを予め電話しておいたのだが、着いてからの受付での対応が非常に丁寧で好感が持てた。
5月6日(水) 天気:晴れ
 昨日とは一転して晴れ渡り、すがすがしい朝だ。今日は宿の近くにある彦根城を軽く見てから帰る予定である。明日から会社なので、あまりハードなスケジュールにはできない。ただし、カンちゃんは数年前に彦根城を見ており、自宅へ直行することになった。
 9時10分、ホテルを出発。カンちゃんは最寄りの彦根ICから名神高速に乗り、中央自動車道、長野自動車道と順調に走って、13時には自宅に到着した。
 ウメ、オユタ、ヒロの3人は程なく彦根城大手門の南側にある有料駐車場にバイクを停め、大手門入り口から入城した。
 江戸時代までに建造された、現存する天守閣を有する城は日本に12箇所しかなく、国宝ともなると4箇所だけだ。彦根城はその中のひとつである。彦根藩井伊氏代々の居城として有名で、天守閣と附櫓、多聞櫓が国宝に指定されている。天守が完成したのは1603年。旧大津城天守を資材として用い、建てられたとされている。
 城の階段というものは、敵の侵入を遅延させ、守り易くする為、急勾配になっている。ここの天守閣内もご多分に漏れず、まるではしごのように急な階段である。スカートで見学するのは止めておいた方が無難だ。“チラッ”どころではなく、丸見えになってしまうぞ!(実際、目のやり場に困ることがしばしばあった。)

彦根城天守閣
 彦根城の敷地は広く、ひと通り歩いて回ったものだから、えらく時間が経ってしまった。更に、彦根城博物館や、古式砲術演武、ひこにゃんショー、名勝で旧大名庭園の玄宮楽々園(げんきゅうらくらくえん)までじっくり見た結果、バイクに戻ったのが13時近くになってしまった。軽く見るなんてどだい無理な話だったか…。

ひこにゃん等…

玄宮楽々園
 12時55分、彦根城出発。R306で彦根ICから名神高速に入り、養老SAで昼食とした。そして中央自動車道駒ケ岳SAで最後の休憩を取り、岡谷ジャンクションから長野自動車道へ。

駒ケ岳SA
 終始渋滞はなく、気温も適度で快適に走ることができた。もっとも、今回のツーリングで終始歯応えのある“獲物”に出会えなかったウメはつまらなそうだった。せいぜい帰りの中央道でフーガ450GTやフェアレディZ・Version NISMO(Z33型)が飛ばしていったものの、いずれもリミッター付きなのか、バックを取ると180km/hで加速が止まり、道を譲られてしまった。
 なにはともあれ、17時までには全員無事に帰宅したのであった。明日から会社だ。がんばろう!
 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICまで289km/長野自動車道塩尻北ICまで273km

おまけ「やっぱ、缶コーヒーはホットに限るねぇ…。」
レポート by ウメ


グレートツーリング外伝 '08 in 小布施
メンバー(マシン) ウメ(GSX1300R)、オユタ(バンディット250)、カンちゃん(YZF1000R)、ヒロ(GPZ900R)、マコちゃん(R1100RS)、ヨージ(ドラッグスター)
 「グレートツーリング外伝 '05 in 草津」では下記の心残りがあった。
 ・R292(渋峠)が悪天候の為に通行できなかった。
 ・オユタのバイクが故障して、彼だけ榛名湖へ行けなかった。
 ・榛名湖に行ったメンバーも、湖周辺が濃い霧に包まれ、榛名富士のシルエットすら見ることができなかった。
 今年のラストツーリングはこれらのリベンジを目的とした。しかし、3年前と同じコースでは芸がないので、多少のアレンジを加えて臨んだのである。今回はスペシャルゲストとして、ウメの会社に(本社から)出向中のヨージが参加する。
10月4日(土) 天気:晴れ時々曇り
 集合は7時にR254三才山トンネル料金所付近にある休憩所となっていた。2005年の草津ツーリングは10月22、23日に決行され、志賀高原方面が一晩で雪景色になるという、まさに秋と冬の境目に遭遇し、渋峠半ばにして苦渋を味わう結果となった。そこで、半月以上も早く決行することにしたのだ。そうは言っても、早朝は涼しいを通り越しており、全員厚着で自宅を出発した。

集合!
 15分遅れて来たヒロを交えて記念撮影後、7時25分に出発。隊列はウメ、ヒロ、オユタ、カンちゃん、ヨージ、マコちゃんの順。R254→県道174号線→R152→県道81号線を走り、R18を通り越すと、上信越自動車道東部湯の丸IC手前を右折して県道76号線に入る。直後にヒロが尿意を訴え、急遽24時間営業のスーパーに寄った。
 県道76号線から快適な浅間サンラインをひたすら東に走る。軽井沢町でR18へ入るといきなり渋滞。これをすり抜けでクリアし、碓氷バイパス手前のコンビニで休憩。集合場所からここまで約1時間20分。気温はぐんぐん上昇し、厚着のままじっとしていると暑いくらいの陽気になってきた。
 碓氷バイパスを越えて松井田で県道33号線に入り、北上する。榛名湖までのこの道はひたすらワインディングなのだが、攻めるにはちと細くて見通しも悪い。がしかし、昨年の「グレートツーリング外伝 '07 in 秩父」で走ったR299(十石峠)に比べれば数段快適で、自分のペースで走ればそれなりに楽しかった。まだライダーとしての経験が浅いヨージも後日、今回のツーリングではこの道が一番楽しかったと語っている。
 10時25分、榛名富士を拝むことができる絶好の場所にある、榛名湖畔の土産物屋「ロマンス亭」の駐車場着。実はここ、「グレートツーリング外伝 '05 in 草津」でも寄った店である。今回は天気に恵まれ、榛名湖と榛名富士をバックに記念写真を撮ることができた。ロマンス亭でお汁粉を食べて糖分補給後、11時5分に出発。県道28号線を下り、R145に出て西に向かう。

榛名湖と榛名富士をバックに
 長野原町のR145沿いに流れる吾妻川には、八ッ場(やんば)ダムが建設中だ。神奈川県を除く関東の水源として、また利根川流域の水害対策としての役割を担う重力式コンクリートダムである。その八ッ場ダムの広報センター「やんば館」に寄った。ダムが完成すれば、やんば館も含め、このエリアの民家や国道、JR吾妻線も水没してしまう。地域住民の代替地補償や道路、線路のバイパス工事と難題が多く、反対運動もあって建設は当初の予定よりも遅れ、費用もかさんでいるようだ。建設途中の高架橋は橋脚部分が錆付いている。完成するのはいつになることやら…。という現状がよく分かる広報センターであった。その駐車場から斜面を見上げると、えらく上に予定水位のマーキングが見えた。なるほど、ここら辺は完全に水の中になるわけだ。

やんば館
 お次はR145を15分ほど西へ走って羽根尾駅へ。この無人駅前にバイクを置いて羽根尾国道三起点を見た。ここは、R144、R145、R146の起点となる三叉路で、国道の三起点が集まるというのは、全国的に珍しいことである。なぜここが国道三起点なのか?という謎が、訪れる人々のロマンを掻き立てるとか、どうでもいいとか…。

国道三起点
 時刻は12時30分を過ぎている。そろそろ昼食をと、羽根尾駅周辺を見渡すが、食事にありつけそうな店は見当たらない。ひとまず草津まで行くことにした。
 国道三起点を少し東に戻り、R292へ左折。程なく草津の温泉街に。渋峠を前に腹ごしらえをするべく、先頭のウメは草津国際スキー場近くのレストラン駐車場へ入った。後続も続く。ところが、スキーシーズンのみのレストランのようで、残念ながら営業はしていなかった。クルマがたくさん停まっていたので、営業中に見えたのだ。仕方なくR292へ復帰すると、もはやこの先は峠道になってしまうではないか!?しかしわざわざ引き返すのも何だし、上の方にはドライブインがあるだろうということで先に進もうとしたウメは、オユタ以下の後続が来ないのに気が付き、路肩に停車した。
 オユタはレストランの駐車場からR292へ出る際、突然のエンストに見舞われた。別に失敗こいた訳ではなく、明らかに異常な止まり方だった。セルで再始動を試みるが、なかなかエンジンが掛からない。3年前の悪夢が蘇る。まさかまた渋峠を越えることができないのか!?ことの詳細はエピソード「渋峠で散りそうになったバンディット」を参照していただきたい。
 ようやくやって来たオユタ達と合流し、6台は渋峠を登って行った。ところが、紅葉シーズン真っ盛り。すばらしい景色なのは良いのだが、せっかくのワインディングもマイカーによる渋滞で、なるほど渋滞の峠だから略して渋峠なのかと言いたくなる。(本当は渋温泉に由来するらしい。)
 白根火山ロープウェイ山麓駅の乗り場駐車場に入るも、やはりレストランは営業していなかった…。せっかくだからと、武具脱池(もののぐのいけ)までの遊歩道を歩く。その昔、修験者がここで白装束に着替えて霊場である白根山へ登ったそうで、脱いだ頭巾や法衣を武士の甲冑に見立ててこの名称が付いたそうだ。紅葉は正に見頃であった。

武具脱池の紅葉
 14時に山麓駅駐車場を出発し、更にR292を上ると、長野県と群馬県の県境付近に国道最高地点のモニュメントがあった。文字通り日本の国道の中で最も標高が高いポイントなのだ(2,172m)。ここからは、眼下に先程走って来た方向の景色が広がり、すばらしい眺望である。

国道最高地点

国道最高地点からの眺め
 国道最高地点から少し走った所にドライブインがあり、今度こそ昼食をと寄った。レストランは営業していたものの、既に14時45分…。もはやおやつの時間である。当初のスケジュールではこの後、小布施の喫茶店でお茶することになっており、後述するが、これを皆結構楽しみにしていたので、協議の結果“昼食抜き!”と決まった。
 R292を中野市に向かって下る。志賀高原の紅葉はまだこれからのようで、渋滞もなかった。1998年の長野冬季オリンピックの為に整備された道は快適だ。
 志賀中野有料道路入り口(中野トンネル)の手前でR403に左折して南下。小布施町に入ると、程なくお目当ての喫茶店「栗の木テラス」着。16時を過ぎており、もはやおやつの時間にも遅いと言える。
 栗の木テラスは長野県では高名な、創業二百年の歴史ある老舗菓子屋「桜井甘精堂」が経営しており、本格的欧州スタイルのアフタヌーン・ティーを楽しむことができる。店内は西洋のアンティークで統一されていて、居心地の良い雰囲気を醸し出している。小布施といえば栗。そして桜井甘精堂といえば、銘菓「栗かの子」が有名であるように、栗菓子をメインにしている。栗の木テラスも栗を使ったメニューが並んでおり、その中で、今年採れた小布施の栗をふんだんに使用したモンブランと、季節限定のシーズン・ティー「栗の紅茶」を注文。昼食抜きのせいもあったかもしれないが、至極の時間を楽しんだ。

栗の木テラスのモンブランと栗の紅茶
 宿は栗の木テラスから歩いても近い距離にあった。17時、ユースホステル「おぶせの風」着。
 本日の走行距離:224km(三才山トンネル料金所から←各自宅から20〜30km離れている)
宿データ 宿名 おぶせの風ユースホステル
場所 長野県上高井郡小布施町小布施275-2
感想 北斎館まで歩いて約1分という、しかし観光のメインストリートからは外れているので静かな場所にある真新しいユースホステル。小布施観光の基地として絶好である。設備も申し分なく、コストパフォーマンスは非常に高い。雰囲気の良い宿なので、女性の一人旅にもお薦めだ。
1泊2食付き:5,640円(税込み)
10月5日(日) 天気:曇り
 今日は多くのメンバーが13時頃には帰宅する必要があった為、あまり寄り道はできない。協議の結果、ヨージを除いたメンバーは、北斎館を見てから上信越自動車道、長野自動車道で一気に帰ることになった。信州北部に来るのが初めてのヨージは、せっかくだからと野尻湖経由で戸隠のそばを食し、白馬から南下して松本市のウィークリーマンションへ帰宅することとした。
 9時、ヨージが出発するのを見送ったGTECメンバーは、徒歩にて北斎館へ向かった。バイクと荷物は引き続き宿で預かっていただけることになっていたので助かる。あっという間に北斎館着。

北斎館
 ここ小布施は、葛飾北斎が晩年、80代半ばに地元の豪商、高井鴻山の庇護のもと、長く滞在した町である。北斎といえば版画というイメージがあるかもしれないが、それはほんの一面に過ぎない。ここでは肉筆画を中心として展示している。映像資料も含めて作品をじっくり眺めていくと、北斎が“画狂”と言われるのがよく分かる。生涯をかけて絵を極めようとする姿勢は凄まじいものがある。
 「(ウメ)北斎といえば、昔“北斎漫画”という映画があったな。主演は誰だったっけ?」「(ヒロ)緒形拳だよ。ウメの好きな映画“将軍家光の乱心 激突”で凄腕の浪人役をやっていた…。最近はテレビドラマで活躍しているね。」などと話が弾んでいたこの日、10月5日23時53分、緒形拳氏は肝癌による肝臓破裂により死去されたのだった…。そんな事態になろうとは知る由もなく北斎館を堪能した一行は、館の隣にある桜井甘精堂でマロンソフトクリーム等を喰らった。周辺はたくさんの土産物屋があり、観光客でごったがえしていた。同じ長野県に住んでいながら、小布施がこれほどメジャーな町だとは知らなかった(失礼!)。
 11時10分、バイクで小布施を後にして、R403を南下する。須坂長野東ICから上信越自動車道に乗り、あとは帰るだけだ。長野自動車道の姨捨SAで休憩&解散後、13時には全員帰宅したのであった。

姨捨SA
 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICまで71km/長野自動車道松本ICまで78km

レポート by ウメ


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