2011年のツーリング

グレートツーリング '11 in 四国 & 九州

メンバー(マシン) ウメ(GSX1300R)、ヒデ(CBR900RR)、ヒロ(GPZ900R)
 GTECメンバーの野郎共が47都道府県制覇を成し遂げて以来のグレートツーリングは、ツーリング制覇マップの中で走ったことのない道を埋めるのが主な目的になっている。もちろん、全ての道を制覇するなんてほとんど不可能なので、まずは北海道、本州、四国、九州の海岸線を埋め尽くそうと企てているのだ(沖縄は達成済み)。ただし、主要道以外の細い道までをも条件とすると大変である。そこで、先述の制覇マップ(1/180万という大雑把な日本地図)で見て、“それっぽく”見えればよしとしているのだ。
 今年のツーリングでは、抜けていた次の沿岸エリアを走る予定である。
  ・兵庫県神戸市〜岡山県倉敷市
  ・愛媛県今治市東側
  ・大分県佐賀関港〜宮崎県延岡市
  ・鹿児島県大隈半島東側のR448
 これにより、九州と四国は“ほぼ”達成できることになる!
4月29日(金) 天気:晴れ時々曇り
 9時、長野自動車道みどり湖PAに集合。ツーリングの計画当初にエントリーしていたオユタが、直前になって仕事の関係上どうしても行けなくなってしまった為、今回のメンバーはウメ、ヒデ、ヒロの3人だけとなった。(イラスト↑をウメが描いた時点ではオユタが行く予定だったので、バンディットカラーのMS-06CザクUが描かれたままとなっているのはご容赦願いたい。)
 そのオユタと、マコちゃんが見送りに来てくれた。(オユタは会社へ行く途中。)

集合!
 9時5分、みどり湖PAを出発。隊列はウメ、ヒデ、ヒロの順番である。マコちゃんとは岡谷ICでお別れ。

出発!(オユタ撮影)
 中央自動車道恵那峡SAで休憩。2011年3月11日に発生した東日本大震災と、それに伴う原発事故によって、今年のゴールデンウィークは西日本に観光客が集中するのではないかと予想された。案の定、例年よりも明らかに交通量が多い。名神高速に入ると、間もなく渋滞に遭遇。慎重に車線間をすり抜けし(路肩は走行しない)、これをクリア。養老SAで昼食。しかし、今日はこの後も何箇所か渋滞と闘うことになるのであった。
 昼食後、12時40分に養老SA出発。約80km先の草津PAで給油。覚悟はしていたが、給油待ちの車列は、昨年の「グレートツーリング '10 in 九州」にも増して長かった!
 また、ここで給油中、ヒデのバイクのキーが折れるというアクシデントもあった。昔曲げてしまったことがあり、その部分が金属疲労で弱くなっていた為、燃料タンクの給油口を締める際、ついにポッキリ逝ってしまったのである。幸い、予備のキーを持参していたのと、キーシリンダーの中では折れなかったので、ツーリングは続行できた。

折れたファイヤーブレードのキー
 草津PAでは給油だけを行い、そのすぐ先にある大津SAで休憩とした。
 大津SAでは、いちご大福を喰らい、14時50分に出発。昨年も長野自動車道みどり湖PAに集合した時間は一緒で、途中の渋滞はなく、大津SAを出発したのは14時40分だった。今回は渋滞が何箇所かあったにも関わらず、10分の遅れとは、さすがは機動力に長けるバイク。クルマだとこうはいくまい。(もっとも、昨年はフェリー乗船時間に対する時間調整の為に、大津SAでたっぷり40分間の休憩を取った。今回の休憩時間は20分。それを差し引くと、30分程度の遅れである。)
 例年なら、ここまで来ると気温が上がり、暑い位なのに、今年は涼しく、走ると肌寒い。
 西宮ICで高速を降り、そこから程近い西宮神社に15時55分着。西宮神社は、阪神高速3号神戸線とその下のR43に隣接し、日本に約3,500社ある、えびす神社の総本社である。毎年1月10日午前6時の開門と共に、門前に待ち構えていた大勢の人達が230m先の本殿を目指して駆け出して、3着までにゴールした者がその年の福男となる「福男選び」は有名だ。(“福男”ではあるが、女性も参加できる。) 途中3箇所あるカーブが曲者で、毎年ドラマを見せてくれる。庭園もあり、それなりに綺麗ではあったが、敷地は想像していたよりも狭かった。

西宮神宮
 西宮ICから阪神高速3号神戸線に入って西進。第二名神道路の名谷ICで高速を降りた。少し南下して、明石海峡大橋の袂にある舞子公園に17時着。
 舞子公園からは、明石海峡大橋を間近で眺めることができる。これがなかなかの迫力!そしてここには明石藩舞子台場跡(舞子砲台跡)もある。幕末の1863年(文久3年)に外国船の侵攻に備えて勝海舟指導のもとに明石藩が築造した砲台場の跡で、石垣がほぼそのままの形で残っている。ベンチを兼ねた(?)大砲のオブジェがなんともかわいらしい。

舞子公園

舞子砲台跡
 ここまで来れば、本日の宿である西明石駅前の「明石ルミナスホテル」まであと少し。せっかくなので、舞子公園から程近い明石公園にも寄った。お目当ては、明石公園内にある明石城だ。
 明石城は徳川家康の曾孫である明石藩小笠原忠真が築いた城である。築城は1618年(元和4年)とされている。当初、天守は築かれる予定だったが、実現せず、石垣の四隅に坤櫓(ひつじさるやぐら)、巽櫓(たつみやぐら)、乾櫓(いぬいやぐら)、艮櫓(うしとらやぐら)が建設された。この内、坤櫓が天守閣の代用となったようだ。坤櫓と巽櫓が現存し、国の重要文化財に指定されている。櫓や石垣は1995年の阪神・淡路大震災で被害を受けたが、全面修復されている。
 城をちょこっと見て行こうと考えていたのは甘かった。公園内には運動場や大きな池等があり、ジョギングコースにもなっていて、かなり広く、結構な距離を歩くことになってしまった。残念ながら(公開時間が16時までなので)櫓の中を見ることができなかったものの、櫓付近からの眺めはなかなかよかった。

明石城(巽櫓)
 18時40分、明石ルミナスホテル着。近くの居酒屋で飲んだ後、締めはもちろん明石焼き!
 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICから453km/長野自動車道塩尻北ICから437km
宿データ 宿名 明石ルミナスホテル
場所 兵庫県明石市小久保2-7-12
感想 西明石駅のすぐ近くにある、このエリアの観光拠点にもってこいのビジネスホテル。ちゃんとした朝食も付いてこの値段はリーズナブル!
1泊朝食付き:4,200円(税込み)
4月30日(土) 天気:晴れ
 8時に宿を出発。ツーリング制覇マップを埋める為、R250→岡山ブルーライン→R2と、倉敷市までは海に近い一般道を走る。明石市ではR250よりも県道718号線の方が海に近いが、そこは冒頭でも述べたように、適当なのである。
 高砂市までのR250(明姫グリーンロード)はひたすらまっすぐな片側2〜3車線路が続き、信号も少なくて快適だった。しかし、姫路市に入ってからはごくオーソドックスな国道となり、クルマの流れに乗って、淡々と走った。まるで中華レストランのような外観の道の駅「あいおい白龍城」で休憩。
 9時50分に道の駅を出発して、引き続きR250を西進。備前市で岡山ブルーラインへ。
 岡山ブルーラインは、かつて有料道路だっただけあり、整備された快適路だ。ただし、追い越し禁止の片側1車線で、登坂車線がほとんどなく(あってもごく短い区間なので)、遅いクルマが前を走っていると、ひたすらストレスを感じることになる。幸い、3人の前に障害はなく、ハイペースで走ることができた。
 R2は片側2車線道路なのだが、交通量と信号が多く、ペースがガクッと落ちた。倉敷市のR2沿いにある、マクドナルドなハンバーガーショップで昼食。
 30分の休憩後、12時20分に出発。玉島ICから山陽自動車道に乗り、西へ進む。渋滞はないものの、交通量が多い。
 福山西ICから一旦一般道(R2)を走り、西瀬戸尾道ICで「しまなみ海道」へ。しまなみ海道は「グレートツーリング '00 in 四国」で走って以来となる。天気は申し分なく、ぽかぽか陽気だ。
 ふたつ目の島である因島(いんのしま)の大浜PAで休憩。展望台(結構な距離を歩く)から因島大橋を間近に眺め、13時50分に出発。

因島大橋
 6つ目の島である大島に入ると、大島北ICでしまなみ海道を一旦降り、島の南西部にある亀老山(きろうさん)展望公園へ向かった。この公園、11年前にも訪れたことがあり、展望台からの眺めが絶景だったのだ。
 公園へのワインディングを楽しむ。そう言えば、前回はヒデのファイヤーブレードが納車ホヤホヤで、慣れないマシンで攻めたものだから、危うく対向車と正面衝突しそうになったものだが、さすがに今では手足のように扱えるようになっていた。しかし、そのファイヤーブレードも、もう11年目とは、月日の流れるのは早いものである…。
 14時30分、亀老山展望公園着。やはり展望台からの眺めは素晴らしかった。特に今治へと続くしまなみ海道の橋は絵ハガキのようだ。

亀老山展望台からの眺め
 本日のメインイベントを堪能し、15時15分に出発。大島南ICから再びしまなみ海道に入り、いよいよ四国に上陸!
 今治北ICで高速を降り、R317と県道38号線で今治市東側を南下。今治湯ノ浦ICから今治小松自動車道、そして、いよ小松ジャンクションから松山自動車道へ。基本的に対面通行の片側1車線なので、すぐにのんびりと走るクルマを先頭とする長い車列に追い付いてしまうことから、たまに出現する2車線区間で全力加速を行って、一気に先頭へ出ることを繰り返す。もしもオユタ(バンディット250)が予定通り参加していたら、ビッグマシン達の強烈な加速にとても付いては来れなかったことだろう。伊予灘SAで休憩。
 時間的にもう1箇所寄れそうなので、大洲ICで高速を降り、伊予大洲駅側のR56を南下して、「おはなはん通り」に17時25分着。
 おはなはん通りとは、明治から大正時代に建てられた土蔵が建ち並ぶ通りで、1966年(昭和41年)にNHKで放映された朝の連続テレビ小説「おはなはん」の舞台になったことから付いた名称である。おはなはん通り自体は100mにも満たない短いものであるが、このエリア一帯が明治の家並みのイメージを残しており、なかなか風情があった。また、近くには昭和30年代のレトロな商店街をイメージして造られたという、「ポコペン横丁」というものもあり、昭和40年代前半生まれのGTEC達でも、無性に懐かしさがこみ上げてきた。

おはなはん通り

ポコペン横丁にて
 ここから少し戻った所にある本日の宿「ホテル オータ」に18時15分着。
 明日は雨のち曇りの予報。西から回復していくらしいが、午前中は絶望的だ。夜、居酒屋から出る時には、既に降り始めていた。カッパを着る覚悟を決めねばなるまい。
 本日の走行距離:386km
宿データ 宿名 ホテル オータ
場所 愛媛県大洲市田口甲36−4
感想 なんとなくアットホームなビジネスホテル。建物は古いが、設備に不満はなし。屋内駐車場に停めてもらって助かった。夜はザーザー雨が降っていたのだ。
1泊:5,300円(税込み)
5月1日(日) 天気:雨のち曇り
 今日は「グレートツーリング '09 in 四国 & 九州 & 中国地方」と同様、佐田岬経由で三崎港からフェリーで大分県(佐賀関港)に渡る予定だ。ただし、今回は豊予(ほうよ)要塞跡見学というイベントが付加されている。
 覚悟していた雨であるが、7時頃まではまともに降っていたものの、8時の時点では止んでいた。それでも、空はどんよりと曇っていたし、路面はウェットだったので、カッパを着て出発。
 少し走ると、アスファルトは次第に乾いてきた。これは、このまま降られないのでは?という期待が芽生える。
 R197で佐田岬半島を西進。半島に入ってからのこの国道は交通量が少なく、また四国電力伊方原子力発電所のおかげか、三崎港までは整備された追い越し可能な道なので、快適に走ることができた。
 三崎港を通り過ぎ、佐田岬へ向かう県道256号線の途中で、路肩の駐車スペースに停車。ここのすぐ近く、先程通り過ぎたヘアピンコーナーの途中に、豊予要塞第二砲台と、その荷揚げ用桟橋へと続く歩道の入り口があるのだ。入り口付近には小さな標柱があるだけで、予備知識がないと見落としてしまうであろう。ここまで宿から約1時間15分。結局雨には降られなかったが、まだ予断は許さない空模様だ。しかし、気温は上昇してきており、既に暑い。ウメとヒデは念の為にカッパを着たまま、ヒロは脱いで、徒歩にて歩道を下った。

県道256号線から桟橋方面への歩道入り口
 豊予要塞とは、豊予海峡防衛の為に造られた、旧大日本帝国陸軍の要塞の総称である。ここ佐田岬には、1924年(大正13年)〜1945年(昭和20年)にかけて、砲台を分散して設置し、それに伴う各種施設が置かれた。実際に敵艦船へ向けて火を吹いたことはなかったようであるが、現在もこれら建造物の遺構が散在しており、その一部を今日は訪れようというのだ。
 先程の標柱から桟橋までは約500m。その途中に豊予要塞第二砲台跡へと続く小道の入り口がある。ところが、事前の下調べを行っていない限り、その入り口を発見することはまず不可能であろう。一見、ただの藪なのだ。

豊予要塞第二砲台跡への小道入り口
 手入れがされておらず、荒れ果てた砲台への小道を、草木をかき分けながら進む。雨上がりということもあり、濡れと汚れが容赦なく衣服に付着する。カッパを脱がなかったウメとヒデの勝利であった。(暑くてムレムレだけど…。)
 そして、ついに豊予要塞第二砲台跡に到着!もちろん砲塔は撤去されているものの、その砲床跡と、コンクリート造りの施設を見ることができた。壁には当時の迷彩模様がきれいに残っている。ここにはコンクリートの施設が2箇所と、合計4門の砲床跡がある。ひっそりとしたジャングルの中、これぞ戦跡といった感じで、来た甲斐があった。砲床跡は水が溜まったままとなっており、これからの季節は藪蚊の温床になりそう。歩道まで戻り、桟橋へ。

豊予要塞第二砲台(北側)跡
 この辺の海は風が強く、よく荒れるというが、長さ約50m、幅約5mの通称「軍用桟橋」は、およそ80年前に造られたものとは思えない程、原型を留めていた。2003年に文部科学省が文化財指定を行っている。ここからの眺めはなかなかのもので、海も綺麗だ。そこへ籠を背負った80代位の媼が登場。きっと砲台が機能していた頃を知っているに違いない。ぜひお話を伺いたいと思ったものの、この後は佐田岬灯台にも寄って、12時30分発の大分行きフェリーを目標としていた為、ゆっくりとしてはいられない。挨拶だけしてバイクまで戻った。

軍用桟橋
 青空が見え出し、もはや雨の心配はなさそうなので、ウメとヒデもカッパを脱ぎ、バイクで出発。10時35分、灯台へと続く歩道の入り口にある駐車場着。案内板には灯台まで片道1,800mとある。11時30分までにはここへ戻って来たい故、3人は早足で進んだ。
 歩道はアップダウンがあり、いい運動になった。途中、夏季にオープンするキャンプ場の横を通ったのだが、実はここも要塞の関連施設。コンクリート製の司令部及び発電所跡は、売店や倉庫として今も使用されているようだ。灯台まであと少しの展望台付近には、移動式サーチライトの格納庫も残っていた。

司令部跡(現在はストアー「はまゆ」…「う」?)

サーチライトの格納庫跡
 寄り道して写真を撮りながら駐車場から歩くこと25分。佐田岬灯台に到着。三崎港から先の県道256号線は、終点の灯台駐車場まで15km程、細いワインディングが続き、灯台までも結構な距離を歩くことになるので、九州へ渡るフェリーを利用する人が、ついで(気軽)に寄るということは少ないであろう。更に、佐田岬半島は日本で一番細長い半島(約50km)で、四国観光のルートに組み込むにしては遠回り過ぎる。その為か、訪れる人はまばらだった。

佐田岬灯台
 篩いにかけられた観光客でもまず気付かないのが、灯台から見下ろす崖にある、38式12cm榴弾砲が据え付けられていた穹窖(きゅうこう)砲座跡である。灯台の直下に2門、すぐ近くの大島に2門、まるで横穴古墳のような穴が残っている。間近に行けないこともないのだが、急斜面を降りることになり、危険が伴うし、そもそもフェリーの出航時間の関係上、ゆっくりとしてはいられない。灯台付近から写真を撮って11時27分に駐車場へ戻り、三崎港目指して出発。

穹窖砲座跡
 11時50分に三崎港にある国道九四フェリーの乗り場着。「グレートツーリング '09 in 四国 & 九州 & 中国地方」の時も、今回目標としている12時30分発のフェリーに乗った。バイクは事前予約ができないものの、前回は12時にフェリー乗り場へ着いても余裕で乗れた。よって、今回も特に心配はしていなかった。ところが!何か、駐車場に並んでいるバイクの台数が異様に多いんですけど…。そして、係員から14時30分の便まで空きがないという、衝撃の案内を受けた。前回の経験から甘く考えていたのがいけなかった。要塞跡へ向かう時、ここを通過せずに12時30分の便の切符を買っておけばよかった。

三崎港
 これでは九州上陸が15時40分以降になってしまう。本日宿泊予定の延岡市までは約135kmを走らねばならず、明るい内に着けるか微妙である。しかし、こればかりは仕方ない。フェリー乗り場近くの店で昼食とし、たっぷり余った時間を喫茶店で時間調整。港周辺には見所がなく、再び岬方面まで行く元気もなかった。
 14時30分出航。料金は、2等+2輪が3,040円(750cc以上)。佐田岬付近を航行中、“例の穴”が4箇所見えた。

穹窖砲座跡(大島側)
 およそ70分の船旅後、大分県大分市の佐賀関港に入港。九州上陸!下船の順番待ちや、上陸の記念撮影やらで、佐賀関港を出発したのは16時近くになってしまった。

佐賀関港
 R217→R388→県道122号線(北浦町)→R388で延岡市を目指す。目標は19時までに着くこと。交通量が少ないことを祈る!
 期待通り、R388に入ると交通量が減り、ほとんどが追い越し可能な快適路となった。さすがに一般道で130km以上を一気に走るのは厳しいので、途中、佐伯市の道の駅「かまえ」で1回休憩。結局、延岡市の市街地に入るまで快適路が続き、18時55分、本日の宿「ビジネスホテル フクハラ」着。上出来だ!
 本日の走行距離:229km
宿データ 宿名 ビジネスホテル フクハラ
場所 宮崎県延岡市紺屋町1-4-17
感想 延岡駅から徒歩6分。市街地の中心地に位置するビジネスホテル…のハズだが、ホテルの周辺は閑散としていて、ちと寂しい。コンビニも近くにはない。部屋は4人部屋に3人で泊まったので、広々していてよかった。シャワーヘッドからお湯がまともに出ない。詰まっている?フロントに報告したものの、後日インターネットで口コミを見ると、同様の書き込みが数年前から何件もあった…。対するホテル側のコメントはどれも「早急に改善させて頂きます。」特定の部屋だけの問題じゃなさそうである。シャワーは完備されていないと思うべし!
1泊:4,000円(税込み)
5月2日(月) 天気:晴れ
 朝からいい天気で暖かい。8時出発。
 R10をひたすら南下し、9時20分に児湯郡高鍋の「株式会社黒木本店」工場着。焼酎に口うるさいヒデが、喉から手が出る程欲しいが、なかなか手に入らない幻の逸品、「百年の孤独」を製造しているのがここだ。1885年(明治18年)創業。代々受け継がれた伝統技術により、手造りの麹と、厳選された大麦のみにこだわって製造された麦焼酎…。「酒造りは農業であり、文化である」と考える姿勢にヒデは共感していた。工場で直販はしていないので、ここで焼酎を購入することはできないことは分かっていたし、何のアポも取っていなかった。とにかく工場の外観だけでも撮影したいと思っていたのだ。
 事務所の前で写真を撮っていたら、社員の女性が出てきて、話し掛けてきた。長野県から来たことを話したら、せっかく寄ったのだからお茶でもどうぞと、事務所の接客スペースに通してくれた。しかも、工場長が出てきて、色々と話を聞くこともできたのである。長野県にある正規取り扱い店の情報もゲットし、思わぬうれしいサプライズに感極まって喜んだヒデであった。工場長の見送りを受けつつ、出発。

黒木本店前にて
 宮崎市佐土原町で一ツ葉(有料)道路に入った。前も後ろも走っている車両は一切なく、まるで貸し切り状態。ちょっと贅沢な気分を味わいながら、快適な直線路をひたすら進む。一ツ葉PAで休憩。
 ここのPAは海岸に面しており、見渡す限り続く砂浜に下りて記念撮影。後から諏訪ナンバーのハーレーダビッドソンに乗ってやって来た若者としばし話したところ、昨日は熊本の阿蘇エリアを走ったが、午前中は激しい雨に降られたそうである。GTECの3人は結局1日中降られなかったので、ラッキーだった。

一ツ葉PA付近の砂浜にて
 11時に一ツ葉PAを出発し、引き続き南下。有料道路は宮崎港付近で一旦一般道となる。何度も利用したフェリー埠頭の近くを通り、大淀川手前から再び一ツ葉道路へ(先程とは別料金)。
 R220に出て南下し、道の駅「フェニックス」で休憩。海に面した堀切峠に位置し、展望台からは“鬼の洗濯板”と呼ばれる波状岩が連なっている光景を見渡すことができる。素晴らしいロケーションなので、お薦めだ。この道の駅で各自お土産を購入し、自宅へ発送した。

鬼の洗濯岩
 道の駅を12時10分に出発し、ウメ所有の古いガイドブックに載っていたドライブインで昼食とするべく、R220を海沿いに南へ走る。すると、ガイドブックの地図にはないトンネルが出来ており、どうやらお目当てのドライブインは旧道沿いにあるようだ。そこで、旧道に曲がって少し進むと、廃墟と化したそのドライブインが!トンネルのおかげで客足が途絶えたのであろう。そのちょっと先、第二候補のドライブインはまだ営業をしていたので、そこで昼食とした。海の幸をふんだんに使った料理はとてもおいしかったのだが、店内は閑散としており、食事中に旧道を走るクルマも皆無に近かった。ここも時間の問題ではないだろうか…。と心配しつつ、13時20分に出発。
 10分程で鵜戸神社到着。神社としては珍しい「下り宮」であり、海に面した断崖の中腹にポッカリと開いた大きな海食洞の中に本殿が鎮座している。社殿は極彩色で美しい。また、本殿の前にある「亀石」の上面にはくぼみがあり、男性は左手、女性は右手で願いを込めて「運玉」を投げ入れ、みごと収まれば願いが叶うと言われている。昔は貨幣を投げ入れていたそうだが、1954年(昭和29年)から素焼きの玉が使われているそうである(有料)。

鵜戸神社
 観光地としてメジャーなので、たくさんの観光客が訪れていた。しかし、駐車場からの参道沿いに軒を並べる土産物屋は、その多くが閉店して久しい感じだった。観光バブルははるか昔に終焉を迎えているのだろうか…。14時35分出発。
 お次はヒデだけ行ったことのない都井岬。R220からR448に入ると、追い越し可能なワインディング(日南フェニックスロード)が続く。都井岬まで各自のペースで思う存分攻めた。
 岬の入り口で牛馬保護協力費の100円(実質的には通行料)を払い、更に6km程走って都井岬に到着。白亜の都井岬灯台は、佐田岬のように長い距離を歩くこともなく、駐車場のすぐ近くにある。

都井岬灯台
 この周辺は日本で唯一、野生馬の生息地である。ウメとヒロが「グレートツーリング '96 in 九州」で訪れた時は、駐車場にも野生馬がいて、人なつっこく餌をねだっていたのに、今回は見渡す限りそれらしき姿はなかった。また、黄砂で灯台からの眺めも今ひとつだった。
 16時、都井岬出発。少し走ると、丘の上に野生馬発見!かろうじて写真を撮ることに成功した。

都井岬の野生馬
 R448で志布志市に入り、そこからはR220→県道68号線→R269という、「グレートツーリング '10 in 九州」の2日目朝と同じコースで、南大隅町へ。
 18時10分。本日の宿「ねじめ温泉 ネッピー館」到着。
 本日の走行距離:283km
宿データ 宿名 ねじめ温泉 ネッピー館
場所 鹿児島県肝属郡南大隅町根占川南732
感想 タンカン(?)が龍を操っている(?)という、旧根占町(根占町と佐多町が合併して発足したのが南大隈町)のマスコットキャラクター“ネッピー”が宿名の由来。(ネッピーは伏線なので覚えておくように!) 美肌効果抜群のバイタル還元水風呂や、源泉かけ流しの露天風呂等、温泉設備が充実している。また、売店では地域の特産品の販売に力を入れており、このエリアのお土産購入はここだけで充分かも知れない。従業員の接客態度が非常によろしく、また来たいと思わせる、好印象の宿だった。
1泊2食付き:7,500円(税込み)

ネッピー
5月3日(火) 天気:曇りのち雨
 「グレートツーリング '10 in 九州」での心残り…、それは往路のフェリーが志布志港に入港した際、バイクが下船するまでにえらく時間を要した為、当初予定していた大隈半島東側海沿いのR448を走ることができなかったことである。更に南側の海沿い、県道68、74号線は「グレートツーリング '07 in 沖縄 & 九州」でヒデが制覇しているが、本日はそこも含めて大隈半島を反時計回りに、大阪南港行きのフェリーに乗る志布志港まで走る予定だ。途中、内之浦宇宙空間観測所にも寄る。
 8時20分、宿を出発。R269を南下。本日の天気予報は曇りのち雨で、今のところは曇り空。なんとか最終目的地の志布志港までこのまま降らないでもらいたいものだ。
 6km程走り、台場公園(薩英戦争砲台跡)に寄った。ここは、江戸時代末期に築かれた砲台(台場)の跡である。1862年(文久2年)に薩摩藩の島津久光の一行が武蔵生麦村(現横浜市)にて、行列を乱した英国人のリチャードソンを斬殺したことがきっかけとなり、薩英戦争が始まった。翌年、薩摩藩が沿岸防備の為、何箇所かに設置した砲台のひとつがここにあったのだ。結局、豊予要塞と同様、敵艦船に向けて発射されることはなかったようである。

薩英戦争砲台跡
 更にR269→県道68号線をひたすら南下。交通量は少なく、適度に追い越し車線のある道なので、快適に走ることができた。やがて佐多岬へ通じる、佐多岬ロードパークウェイ入り口まで達したが、天気が心配なので、早目に志布志へ向かうべく、(今回のメンバー全員が訪れたことがある)佐多岬には寄らず、県道68号線を先に進んだ。ちなみに、5月1日に四国で訪れた岬は佐田(さだ)岬で、大隈半島のは佐多(さた)岬である。
 県道74号線に入ると道幅が一気に狭くなり、ついに雨が降り出した。路面はみるみるウェットに…。かつてこの道を走ったことがあるヒデが最も恐れていたことである。「(ヒデ)や、やばい。よりによって地獄の入り口の手前で雨が降り出すとは…。」この先は舗装されているとはいえ、ヒデから県道74号線がひどい道だと聞かされていた先頭のウメは、路面がドライな内にできる限り先に進みたかったのだが、諦めて葉の生い茂った大きな木の下に停車。全員カッパを装着し、気を引き締めて走り出した。
 ところが、予想に反して、しばらくは道幅が細いだけで、どうってことはなかった。「(ウメ)拍子抜けだな。これなら高知県の県道18号線の方がひどいぞ。」「(ヒデ)あれ?この程度だったっけ?ひょっとして路面が整備された?それならそれで結構なことだが…。」
 すると、陸上自衛隊佐多射撃場横で写真を1枚撮ってから、いざ出発しようとした時、突然目の前にネッピーが出現し、3人の為に素晴らしいプレゼントを贈ってくれた※。「(ネッピー)本日はGTEC御一行様の為に、特別メニューを御用意致しました。ここから先の約30kmは、クルマとバイクが擦れ違うのも困難な道幅で、うっそうとした森の中、ほとんど直線がないワインディングが続きます。それだけでは面白くございませんので、路面には至る所に、斜面から雨で流れ出た砂を敷き詰め、落ち葉もたっぷりと撒いておきました。もちろん苔でアスファルトを覆うことも忘れてはおりません。そして、落下した枝や真新しい落石の跡もランダムに出現するようセッティングしてあります。仕上げは激しい雨です。特にメガネを掛けていらっしゃるヒデ様、ヒロ様は水滴と曇りによって、一段と視界が悪化すること請け合いです。見通しの悪いコーナーには、カーブミラーが充分には設置されておらず、いつ対向車が姿を現すか、スリル満点でしょう。さあ、この少しのミスも許されないステージで、みなさんのライディングテクニックを遺憾なく発揮して楽しんでください!」なるほど心憎い演出じゃあないか。これは受けて立つしかない。(※きっと疲れていたので幻覚を見たのであろう…。)

陸上自衛隊佐多射撃場(この後ネッピーが出現!)
 ネッピーのメニューは確かにフルコースで、コーナーを抜けた道の真ん中に岩が転がっていたり、洒落にならない状況が30km位続いた。対向車もまれに出現!GTECのツーリングにおいて、舗装路でこれ程ひどい道は初めてだった。アクセル、ブレーキ、シフトチェンジ、ライン取り…、どれひとつミスしても即転倒に繋がる為、極度の集中力を持続させねばならないことから、体力、精神共に疲れ果てた。各自「もうかんべんしてくれ〜…!」と何度も叫びながらも、この区間を50分位でなんとか無事攻略。“地獄の50分”として永く記憶されることになった。R448に出ると、一同ホッとした。「(ヒロ)これに比べりゃ、高知県の県道18号線なんて、かわいいもんだ…。」
 11時30分、内之浦宇宙空間観測所着。ヒデは「グレートツーリング '07 in 沖縄 & 九州」以来2度目となる。
 内之浦宇宙空間観測所は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)に属し、科学観測ロケットや科学衛星の打ち上げと、それらの管理業務を行っている。日本初の人工衛星「おおすみ」や、小惑星「イトカワ」に着陸して地球に帰還した有名な「はやぶさ」もここから打ち上げられたのだ。起伏のある山の敷地に各種施設が分散して造られている。敷地内は広大なので、見学可能なエリアはマイカーで自由に移動することができる。
 受付で住所と名前を書いて、まずは資料館(宇宙科学資料館)を見学。内部は吹き抜けの5階建てで、各種ロケットや人工衛星の模型等が展示されており、説明がとても子供には分からないであろう専門的な内容となっていて、そのなんとも硬派な展示スタイルがいかしている。

宇宙科学資料館内
 資料館を出ると、雨が止んでいた。チャンスとばかり、バイクでMロケット発射装置があるM(ミュー)センターに移動し、記念撮影。しかし、観測ロケット発射場へ移動中にまた降り出した…。

M(ミュー)センター
 観測ロケット発射場は比較的小型のロケットをランチャードーム内から発射する施設だ。無骨なコンクリート造りのドームは要塞のようで、めっぽういけているデザインなのだが、雨のせいで写真撮影もままならない。

観測ロケット発射場(水滴がレンズに…)
 テレメータセンターからは、衛星からの電波を受信するアンテナ類を見ることができた。しかし、雨が激しくて、これ以上の見学は断念…。
 13時5分に宇宙空間観測所を出発。R448を北上して、志布志市へ。フェリーの出航時間は17時55分。フェリーターミナルへあまり早く行っても、乗船手続きはできないであろうし、待合所でゆっくりくつろげるとも限らない。しかし、長時間カッパを着ていた為、それだけでも疲労が蓄積しており、衣服やブーツ内への浸水も感じられ、この状況を何とかしたかった。市内のガソリンスタンドで給油後、14時過ぎに港近くのファミリーレストランに退避し、ここで遅い昼食&体力回復&時間調整をすることにした。
 幸い、建物裏手にブロックで仕切られた屋根付きのガスタンクがあり、ブロックの一角にカッパを脱いで干すことができた。空調の効いた店内では、濡れた衣服を乾かすこともでき、昼食後はドリンクバーで15時30分までくつろいだが、そろそろフェリーターミナルへ移動しなくてならない。雨は相変わらず降り続いているし、疲れも大して取れなかった(これはもう歳でしょう…)。仕方ないので再びカッパを着て出発。
 数分でダイヤモンドフェリーのフェリーターミナルに到着し、さっそく乗船手続きを行った。待合所の中は人でごったがえしており、カッパを着たライダー達は座ることもできずに、至る所で立ち尽くしていた。ここに直行しないでよかった…。なお、この航路は「グレートツーリング '10 in 九州」の往路にも利用したことがあり、その乗船手続き(大阪南港)にて、多くのフェリーを乗ってきたGTEC史上初の、バイクの車検証提示を求められた。(クルマは当たり前だろうが、バイクではまずなかったことだ。) その時は、どうせ必要ないだろうと、バイクのシートの下に格納していて(シートの上には荷物が積んである為)すぐに取り出せなかったメンバーが慌てたものだ。同じフェリー会社なので、今回はちゃんと準備していた3人であるが、結局車検証の提示は求められず、肩透かしを食らった。
 16時30分、2輪車の乗船開始。予定時刻通りに出航した。さらば九州!
 本日の走行距離:165km
宿データ 宿名 ダイヤモンドフェリー「さんふらわあ きりしま」
場所 志布志→大阪の海上
感想 ウメとヒロが「グレートツーリング '96 in 九州」でも利用したことがあるフェリー。1993年就航。12,418t、全長186m、旅客定員782名。2等寝台に相当するツーリストベッドを利用。1部屋当たり6人分のベッドに対し、ロッカーが3つしかない。よって、手荷物は最小限にした方がよい。フェリー乗船時に今回程ひどく雨に遭ったことはなく、ツーリストベッドの狭いスペースでは、着ていたカッパや、浸水した衣類を乾かすのが一苦労だった。
ツーリストベッド+2輪:18,700円(750cc以上)
5月4日(水) 天気:晴れ
 フェリーは定刻通り7時40分に大阪南港へ入港した。

大阪南港
 本州へ上陸し、8時20分に出発。港から程近い、南港中ICから阪神高速4号湾岸線(南線)に乗り、東大阪ジャンクションで近畿自動車道へ。そこからは昨年の「グレートツーリング '10 in 九州」最終日と同じで、第二京阪道路、京滋バイパスを走り、名神高速に出た。草津PA、養老SAで休憩。中央自動車道までは所々渋滞しており、特に京滋バイパスがひどかった。クルマだったら何時に家へ着けることやら…。
 最後は中央自動車道の駒ケ岳SAで昼食後、長野自動車道みどり湖PAで解散、15時までには各自帰宅したのであった。

みどり湖PA
 本日の走行距離:長野自動車道豊科ICまで416km/長野自動車道塩尻北ICまで400km

 今回のツーリングは高速道路の渋滞が例年よりも多く、最悪の試練(鹿児島県の県道74号線=“地獄の50分”)も経験したが、予定していたコースをほぼ走ることができたし、何より、全員無事だったのでよかった。
レポート by ウメ


グレートツーリング外伝 '11 in ゲロ
メンバー(マシン) ウメ(GSX1300R)、オユタ(バンディット250)、ヒデ(CBR900RR)、マコちゃん(R1100RS)、ヨージ(ドラッグスター400)
 今回の外伝ツーリングは、岐阜県の岩村城跡を訪ね、宿泊は下呂温泉でゆったり温泉に浸かり、夜は酒池肉林の宴を催そうというものだ。
 岩村城跡近くまで高速道路を使うとあっという間なので、野麦峠越えで南下するワインディングコースを設けた…が、やはりマコちゃんだけは走りのステージをパスした。「(マコちゃん)なんでわざわざ疲れるような道を走るかな〜。風を感じながらのんびりと走る…これだよ!」
 そして、今年もあの男が来る。そう、オユタの宿敵(?)ヨージである。彼の場合は東京からの参加なので、当然走行距離が他の参加メンバーよりも大幅アップとなる。結構ハードなツーリングとなろう。
10月1日(土) 天気:曇り後晴れ
 7時30分。GTECメンバーの中でも、バイクでワインディングを制することによって楽しみを得る、ウメ、オユタ、ヒデの峠組3人は、松本電鉄上高地線終点である新島々駅近くのコンビニに集合していた。記念撮影後、出発。隊列はウメ、ヒデ、オユタの順。R158を西に進む。マコちゃん、ヨージとは、12時に明知鉄道岩村駅前で合流予定である。
 今日の予報は晴れ時々曇りだが、明け方まで降っていた雨の為、路面はまだ乾き切っていない。空はどんより曇っていて、今にも降ってきそうだし、おまけに寒い!
 すぐにR158は(すいていれば)快適なワインディング路となるものの、何しろ観光地として名高い上高地や乗鞍高原方面へ向かうマイカーやバスが多い道なので、てんでペースが上がらない。まあそれは承知のこと。県道26号線との分岐地点まで、およそ14kmを我慢すればいいのだ。
 そして奈川渡ダム手前で県道26号線に曲がった。ここからR19に出るまでの80km位は交通量が少なく、ほとんどの区間が追い越しもOKときた。いよいよ走りのステージへ突入だ。
 ところが、相変わらずのハーフウェットな路面で、標高が上がるにつれて寒さも増してきた。野麦峠(県道39号線)へ入ると、道幅は一気に狭くなり、見通しの悪いコーナーが延々と続く。それでも天気がよければ充分楽しめる峠道なのだが、路面コンディションの悪さと寒さに加え、濃い霧が立ち込めており、視界も悪い。これでは峠組ではなく、修行組になってしまうではないか!?
 幸い、野麦峠を越えてR361に出た辺りから太陽が顔を出し、気温も上昇してきた。路面はドライになり、ようやく走りを楽しむことができるようになった。おかげで県道20号線の道の駅「三岳」で休憩するまでは快適路が続き、今までの鬱憤を晴らすことができたのである。
 R19は交通量が多いものの、信号が少ない為、スムーズに流れてくれた。10時50分にJR中央本線恵那駅近くのコンビニ着。予定よりも早いペースなので、ここで時間調整することになった。
 一方、マコちゃんは10時に中央自動車道の辰野PAでヨージと合流後、マコちゃんを先頭にのんびりと2台で名古屋方面へ向かった。「(マコちゃん)いいなぁ〜、このまったり感…。これこそがツーリングよぉ!」
 恵那峡SAで休憩していると、コンビニで時間調整中のウメから携帯電話に、予定よりも早いが岩村駅に移動してもいいかとメールが入った。高速組の2人も順調だった為、了解して出発。恵那ICで高速を降り、恵那駅近くからR257を南下する。
 こうしてまずは、やはりR257を南下して来た峠組が11時25分に岩村駅に到着し、その20分後に高速組もやって来て、全員集合となった。

全員集合!
 「(ヨージ)ちっス!」「(オユタ)わざわざ東京から来るとは、ちったぁ根性があるようだな?それとも、疲れちまってもうギブアップかYO?」「(ヨージ)どうってことないっス。自分のパワーの源はアルコールっス。今晩はオユタ先輩がおごってくれるって聞いたんで、高い酒をたらふく飲むっス。」「(オユタ)え!?言ってないよ、そんなこと…。しかし、そのバトルは受けて立つぜ〜!割り勘でな!」「(ヨージ)ごっちになるっス!」「(オユタ)人の話聞いてないだろ!?このチョビ髭野郎が〜!」※
 駅前のレストランで昼食後、12時40分に出発し、すぐに岩村歴史資料館に到着。ここから岩村城跡までは徒歩で移動する。
 岩村城の歴史は古く、14世紀にまで遡るとされるが、16世紀の戦国時代末期に、この地を治めていた遠山氏の手によって本格的な城山が構築された。ただし、天守はなく、いくつかの櫓が設けられていたという。城は美濃・信濃・三河の国境付近に位置していたことから、戦略的には重要な拠点だった。
 現在、櫓や門等の施設は残っておらず、外観としての派手さがないであろうこの城跡を、なぜツーリングの目的地としたのか?それは、歴史ロマンに満ちているからである。
 まず、この辺りはよく霧が発生し、また諸藩の居城の中では最も標高が高く(717m)、別名「霧ヶ城」とも呼ばれる。なんともロマンチックな響きではないか。
 そして、岩村城には「女城主」の悲しい話が残っている。1572年に武田信玄の家臣、秋山信友率いる軍勢が、織田信長の所領である東美濃に侵攻し、遠山氏と衝突した。当時の岩村城主は信長の叔母おつやの婿、遠山景任だったのだが、信友の侵攻直前に病死してしまった。そこで、信長は5男の坊丸を養子として送り込んだものの、坊丸はまだたった3歳の幼児だった為、実質、城主はおつやが務めたのである。やがて侵攻してきた信友軍は、なかなか堅牢なこの城を落とせなかった。信友は奇策として、おつやと結婚することで城を手中に収めようとする。おつやは信長の叔母とはいえ、信長より年下で、かなりの美熟女だったらしい。彼女は、このままではいずれ城は落ちるだろうし、この地の民を守る為にも、求婚を受け入れたという。信友してやったり!その結果、坊丸は人質として甲斐に送られてしまった。信長は怒り、1575年の長篠の戦いで織田・徳川連合軍が圧勝し、武田氏の勢力が弱まると、その気に乗じて岩村城を陥落させ、信友とおつやを捕らえて信長の居城(岐阜城)がある岐阜に連行し、長良川の河原で、あわれ逆さ磔の刑に処したのだった。
 さて、バイクを置いた岩村歴史資料館の駐車場から城跡まで、約800m続く石畳の坂道を歩いたのだが、これがなかなか趣のある道で、やがてうっそうとした森の中のそこかしこに石垣が見えてきた。どれも保存状態がよく、想像していていたよりもだいぶ規模が大きなものだった。なかなか巧みに地形を利用して造られている。おそらく、城が機能していた頃は周辺の木々は伐採されていて、里からも堅固な要塞としてよく見えたのではないだろうか。

岩村城跡の城壁<その1>

岩村城跡の城壁<その2>

岩村城跡の城壁<その3>
 14時、下呂温泉に向かうべく、岩村城を出発。隊列はウメ、ヒデ、オユタ、ヨージ、マコちゃんの順。
 R363を北上。しばらくはセンターラインのある快適路なのだが、峠部分の数kmだけ、クルマの擦れ違いも困難な道幅の狭いワインディング路になった。そのワインディング路で軽自動車に追い付き、後ろを淡々と走るウメ。抜くのはたやすい。オユタとヒデは、むしろそれを望んでいるだろうが、ヨージやマコちゃんは続くまい。しかし、マコちゃんは既にヨージからも大きく遅れていた…。「(ウメ)マコちゃんは年々、慎重さが増しているような…。かつては血気盛んなライダーだったのがまるで嘘のようだ…。」ちなみに翌日、見兼ねたヒデがワインディングの走り方を(今更ながら)レクチャーしてみても、彼は意に介さなかった。「(マコちゃん)キミ達だって背負っている大切なものがあるだろう?ゆとり、ゆとりが大切なんだよ!」「(ヨージ)マジすごいっス!マコちゃんさんは完全に悟りを開いているっス。」※
 R19を越えてからはR257をひたすら北上した。交通量は少なく、順調、快調!いや、途中、道路沿いの商店の駐車場からワンボックスカーが突然出てきて、ウメとヒデの間に無理やり割り込んできたのには焦った。明らかに周りをよく見ていなかったようだ。
 道の駅「花街道付知」で休憩後、15時50分に下呂市の温泉宿「廣司(ひろし)」着。

道の駅「花街道付知」にて
 夕食まではたっぷり時間があったので、当初の目論見通り、ゆったりと温泉を堪能することができた。
 …で、夜のバトルであるが、相変わらずヨージはアルコールに強かった。オユタは見事玉砕。下呂温泉だけにゲロゲロだった!?

つぶれたオユタ(この後ヨージは酒の買出しに…)
 本日の走行距離:270km+α(ウメ、オユタ、ヒデ→3人は家が近い)/241km(マコちゃん)/438km(ヨージ)

 ※実際のところ、ヨージは真面目で礼儀正しいキャラクターである。髭も生やしていない。ただし、アルコールに強いのは本当だ。
宿データ 宿名 温泉宿 廣司
場所 岐阜県下呂市湯之島521-1
感想 下呂温泉街の中心「湯之島通り」沿いに佇む、食事処を併設している民宿。しかし、食事の味付けがどれもメンバーにとっては濃過ぎた。せっかくの飛騨牛も…ちょっと残念。また、敷布団が薄く、背中が痛くなった。気配りはよかったので、総合的な満足度は悪くない。
1泊2食付き:8,400円+入湯税150円(税込み)
10月2日(土) 天気:晴れ
 今日は、R41を高山市まで北上し、R158で安房トンネルを抜けて長野県に入るという、東京まで帰るヨージを除けば、楽勝のコースである。(高山市街地は通らずに、JR高山本線久々野駅辺りからR158まで北東にショートカット。)
 ただし、紅葉シーズンが始まっている為、安房トンネルから長野県側のR158で、トンネル連続区間が終わるまでの間は、まごまごしていると大渋滞になってしまう危険性がある。よって、“渋滞の危険地帯”を抜けるまでは特に寄り道をせず、その先で蕎麦を食べてから解散することにした。
 9時出発。すがすがしい気候で、絶好のツーリング日和だ。安房トンネル入り口の駐車場で休憩するまで交通量が少なく、快適に走ることができた。
 その後も渋滞はなく、順調に走り、11時35分に山形村の石碾き蕎麦「水舎」着。石臼にて毎日製粉している十割そばに舌鼓を打つ。この蕎麦屋は初めて訪れたが、“当たり”だった。

石碾き蕎麦「水舎」前にて
 腹も膨れたところで、解散。ヨージ以外のメンバーは、13時までには自宅に着いた。
 ヨージは松本ICから高速に乗り、長野自動車道→中央自動車道→上野原IC→R20(高速が渋滞していた為)→八王子IC→中央自動車道→首都高速→葛西ICという長丁場で、買い物もしてから18時に自宅着。ご苦労様である。
 本日の走行距離:141km+α(ウメ、オユタ、ヒデ→3人は家が近い)/144km(マコちゃん)/399km(ヨージ)

 さて、ヨージだが、GTECのツーリングに参加するのは既に4回目だ。これは立派にGTECメンバーとしての資格を有しているのではないだろうか?というわけで、“委員会”にメンバー追加の可否に関する申請を行ったところ、無事認可されたのであった。ただし、居住エリアがあまりにも離れている為、ツーリング制覇マップへの軌跡反映については見送られた。

レポート by ウメ


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